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同人サークル「めるくまある」のALL氏が頒布されている東方projectの同人誌、「東方怪弾七」がこの度完結なされました。各話ごとに頒布されていたものが、紅楼夢で加筆修正され総集編として単行本化していたのですが、その最終巻である第三巻が11月の紅楼夢で頒布されました。
委託は月末すぎるそうですが、それを記念してというか何というか、怪弾七が果てしなく面白いし大好きなので感想を書きました。
原稿用紙で60枚くらい。
……いつも長い感想が今回馬鹿みたいに長くなっているのは、感想だけでなく、全話考察も含んでいるからです。というか考察分がかなり多め。あまりにも長いため分割して折りたたみ形式にしています。
当然ネタバレしか存在しないため、そういったものを気にしない人か、怪弾七という本を読み終えて興味が沸いた人が読んでいただけると幸いです。
このサイトでも既刊を幾度か紹介していますが、ALL氏の漫画は独特で、しかしものすごい鋭さを持った素敵な漫画を描かれる方なので、読んだことがない方はこの機会に手を伸ばしてみてはどうでしょうか、と勝手にお勧めを。風神録本である「ななつの子」あたりが読みやすいです。そっちで興味持った人が怪弾七にも手を伸ばしたりしてみると嬉しいです。
感想兼考察兼妄想に入るまえに簡単に説明を。
「東方怪弾七」は東方project/東方萃夢想を原作とした長編漫画です。幻想郷が「普通の学園」へと変質し、変わってしまった世界で霊夢は異変の解決に乗り出す――という言葉にしてしまえばそれだけの、しかし深く強く練り込まれた、ひとつの完結の形といってもいいような怪作で傑作です。べた褒めしてるけど読めばわかる、というか「読まないとわからない」という種類の作品ですが、その助けになれば幸い。
「シンプルかいだんシリーズ」、あるいは「東方怪弾七」とは何か、ということについて。
†
東方怪弾七はかなり特殊な長編漫画である。東方キャラクターたちが普通の学校に通っていたら――という舞台の漫画にぱっと見は見えるが、よくよく読んでいくと、それは「そういう異変」に巻き込まれた話だということが発覚する。
幻想郷の姿かたちが変わるという異変。そして、「シンプルかいだんシリーズ ザ・らせん」という、学校霊に擬態した妖怪式が螺旋階段状に連鎖していく事件がおきる。主人公である霊夢は、その異変と事件を解決するために、わけがわからぬまま挑むのだが――
さて。
その使い魔、怪弾、妖怪式であるが、「東方怪弾七」というタイトル、しいては作品そのものを語るために、まずは出てきたものを羅列してみる。
・動く二宮金次郎
・トイレの花子さん
・無人旋律
・十三怪談
・朱染乃桜
・開かない理科室
……六つしかない。「怪弾七」である以上七つ用意されているべきだが、comp2のP54からアリスの会話で出てきたように、五つで強制終了されてしまい、犯人の目論見はただ失敗に終わったのだろうか。そう考えるには、連鎖しない開かない理科室の怪があるので符号しない。それとも単純に、「七番目の怪談は存在しない」という、学校の怪談におけるセオリーを踏んでいるのだろうか。
しかし、「動く二宮金次郎」が「一番目の怪談」でないことは実は本編中で明示されている。(メタ発言しかしない紫は「怪弾に最初に被弾したのは誰」と霊夢に言ったが、「怪弾を撃ったのは誰」と問うてはいない。最初に被弾したのはルーミアではなく、そこから先を暗示している。)証拠として、comp3における、「解なし」で魔理沙が描く魔方陣に注視してほしい。先に出した羅列に描かれた文字を照らし合わせ、同時に妖怪式がついていた者をつけると、次のようになる。
・動く二宮金次郎 ― U yellow C ルーミア(紅魔郷1ボス)
・トイレの花子さん ― V Green D チルノ(紅魔郷2ボス)
・無人旋律 プリズムリバー三姉妹(妖々夢四ボス)
・十三怪談 ― W Blue E 3ボス以下軍団
・朱染乃桜 ― 不明(パチュリーが発見する) 妖夢(妖々夢5ボス)
・開かない理科室 ― 幽々子(妖々夢6ボス)
(開かない理科室は幽々子→藍(EXボス)であるが、怪に至る前に紫の手で終わる)
動く二ノ宮金次郎は「二番目の怪談」である。すべての魔方陣情報が出揃ったわけではないが、ここからでも十分にそれは推測できる。そして同時に、こうしてリストアップすることにより、もう一つわかることがある。
この魔術は失敗しているのだ。
螺旋階段。回りながら上へと進む怪談。右側のキャラを見ればわかるように、怪弾七とは、東方原作のように、1ボスから6ボス、そして「存在しない七番目」をEXに見立てた魔術式なのである(「見立て」は魔術のオーソドックスな手法でもある)。
しかし見ればわかるように、正しい順番を踏んでいない。1→2→4→3→5→6→EX中、で感染経路は終わっており、7にたどり着くことなく、そして3番目の4番目の順番が狂っている。十三怪談と無人旋律は逆でなくてはならない。comp2のP9において幽々子が「万事において手順というものが肝要よ」といっているが、その通り、手順の狂った魔術は意味を成さない。
ただしこれは、「本当の一番目」が目指した、意図しての失敗である可能性もある。なぜなら、魔術式そのものが失敗である可能性があるからだ。普通カバラの六芒星において、頂点を1として数字を割り当てるなら、時計回りに順列で「1,2,3,4,5,6,」「1,6,5,4,3,2」、あるいは三角形配置で「1,6,3,4,2,5,」,「1,5,2,4,3,6,」となり、中心が7であるべきだが、怪弾七においては「1,6,4,5,3,2,」、つまり4と5が入れ替わっている可能性がある。(十三階段と無人旋律がこれに当てはまる)。
では、(意図的、非意図的かはおいといて)間違った魔術式、妖怪式を描いたのは一番目、最初に怪弾に被弾したのは誰か。
言うまでもなく魔理沙である。
comp3,EXにおいて、伊吹萃香の(萃夢想内では存在しない、つまりは「存在しない七つ目の怪弾」としてのラストスペカ)虹萃めによる「偏光」を真っ先に食らった少女、霧雨 魔理沙こそが「一番目の被弾者」である。学校の怪談にのっとって言うならば、「謎の転校生」といったところか。(「謎の転校生」は元は学外の存在であり、学校内にいるただの生徒とは違い、その学校で起きていることをすべて自覚している。)
comp3において、魔理沙はすべてを自覚して動いていることを明示されているし、一番最初に被弾した彼女が、因子をばらまくために「学校霊に擬態した妖怪式」の魔方陣を埋め込んでいる。
なおこの魔術式、ダビデの星の魔方陣として考えるならば「中央の一点」もふくむ七つの点として考えることもできる。それぞれの魔方陣は魔理沙が自身で一つ数字を削っているのは、その数字に該当するステージのボスキャラがきたら(そしてそのキャラが怪弾に被弾し、感染していたら)「怪弾式」が発動する、という仕組み。各話でくわしく解説しているが、怪弾七とは「被弾することによって感染し、魔方陣に近づくことで発症する」という二段構えの異変なのだ。埋め込み文字はよくよく見ると虹の七色であり、霧雨魔理沙は最初からすべてを理解し、動いていたことになる。
つまり。
構造としては、東方永夜抄と同じで、東方怪弾七における「黒幕」と「犯人」は別なのだ。永夜抄では時を止めていた黒幕と、月を隠した犯人はまったくの別人である。同様に、怪談七においては、「偏光した世界を作った犯人」は伊吹萃香であるが、「怪弾七」というシンプルらせんシリーズをひきおこした黒幕は霧雨 魔理沙なのである。
ゲームとしてた見た場合の正解手順は恐らく、一番目が魔理沙(自機)、二番目がルーミア(1ボス)、三番目がチルノ(ニボス)、四番目が3ボス軍団、五番目がプリズム姉妹(四ボス)、六番目が妖夢(五ボス)、七番目が幽々子(六ボス)となり、少しずつズレながら前に進む、螺旋階段方式だったはずなのだ。そして存在しない七ボスことEXに博麗霊夢(自機)へと到達する予定だった。comp2で「ここには二人しかいないし、初めから二人しか必要ではなかった」というのはそういうことだ。この螺旋階段は、霧雨魔理沙の想いが博麗霊夢に到達するまでの階段であり、その過程はただの過程、道筋でしかないのだから。
(魔理沙を〇、と捉えると、いっこずつズレてEXボス藍がところてん式に入り、「七つ目の怪」が存在しなくなる。怪がない以上は解もまたなく、すべては夢と消える)
同様の理屈で、フランドール編ことハレーションも考えることができる。
怪の中にはEXボスであるフランドールが関わる枠は用意されていない。事実フランドールは怪弾に被弾していないし、ハレーションは「本編」と関係なく始まり、「始まりである魔理沙と終点である霊夢」に関係なく知られることもなく終了する。もっとも紅い鬼は蚊帳の外なのだ。
しかし――フランドール・スカーレットは、紛れもなく主役なのである。
なぜか。
そもそも「シンデレラ」において、灰被りはお城の舞踏会に招かれないからだ。
東方怪弾七において、compの各巻頭、あるいは巻末付近で、幾度となく「シンデレラ」の改変じみた文章がのっている。これを本編にあてはめて考えるならば、「退屈な王子」は霊夢であり、「城へむかう魔法使い」は魔理沙だ。(魔理沙はガラスの靴で最終的に殴りかかる)。ついでに屋根の上でけらけら笑っているのは萃香。
そして、魔法使いをかぼちゃの馬車に押し込めて独り残された「灰被り」こそがフランドール・スカーレットなのである。彼女はお城の舞踏会に招かれず、魔法使いに導かれることもない。主役にもなれなければ主賓にもなれないのだ(comp3,P124の会話参照)。
それを哀れに思った二人目の魔女(パチュリー)が、フランドールにガラスの靴を与える(鍵を開ける)ことによって、フランはお城の舞踏会ではなく日の下へと迷いこむ。その結果は、ハレーションにてすべて提示されているので、ここで語るまでもないだろう。そうであるがゆえに、彼女の物語、ハレーションという物語は、1〜6と区分けられた、EXの物語ともいえる。
したがって「東方怪弾七」という同人誌は、東方プロジェクトのゲームシステム(1〜6、EX)を踏襲していると同時に、「シンデレラ」をモチーフにした長編作品なのだ。東方妖々夢が西行法師を、東方永夜抄がかぐや姫を、など、原作も何かをモチーフにして作っていることを考えれば、なぜ「東方怪弾七」という、東方+漢字三文字の同人誌なのかも理解できてくる。
これは、氏なりの、「東方」という原作をモチーフにした作品であり、挑戦なのだろう。comp1-3のすべてを読み終わったときに感じるのはゲームをクリアしたときと同じものであり、こうして長々と書いた感想とも考察ともつかないものは、原作をやったあと二次創作を書くのと何一つ変わりない。そういう意味では、怪弾七という物語をすべて読むことができたのは(物語が完結したのは)、とても嬉しく思えるのだ。
東方怪弾七における主役である霧雨 魔理沙と博麗 霊夢、そして萃夢想ボスである伊吹萃香について。
あるいは、怪弾七を通して描かれた「嘘」ということについて。
†
霧雨魔理沙は嘘つきである。
怪弾七において嘘とは、「誰かを隠すもの」「何かを隠すもの」「真実を隠すもの」として扱われている。「騙すための嘘」としてはほとんど用いられていない。むしろ自分を騙す、真実と対をなる概念として扱われている。それを踏まえた上で考えると、怪弾七における魔理沙は定義どおりのうそつきである。彼女は真実、自身を隠している――それはたとえば、原作における「努力を人に見せない」ことだったり、作中で萃香に明示されているように、自身を隠すうそつきであり、その齟齬がきしむのだと萃香は語る。
しかし、ここにおける嘘とは否定、マイナスの概念ではない。
EXにおいてレミリアは言う。真実に温度はなく、私たちは勝手に熱を帯びると。ならば対としての嘘は、逆に熱を持つ、あるいは熱を帯びようとする願望ではないのか。魔理沙は嘘をつく。何のために? 作中でただ一人うそつきではない彼女に並ぶために。
博麗霊夢は嘘をつかない。
嘘をつかない。作中でただ一人、だ。ただ一人、「偏光」することなく、「霊夢」として学園に存在し、世界に対して違和感を覚えている(アリスが気づかず、一部が気づいているのは、うそつき度によるものか。隠そうとすればするほどに、ゆがみは大きくなるのだろう)。そして何よりも、彼女は嘘をつかれていることに気づかない。気づけない。嘘という概念そのものが、霊夢の中にはないのだ。だから魔理沙の行動を理解することができない。彼女はシンプルすぎるのだ。嘘で隠されていることに気づくどころの話ではない、それ以前の問題だ。「え、嘘ついてたの? で、どんな?」といった具合であり、しびれを切らした霧雨魔理沙はヤケになって殴りかかる。霊夢は道化であり、「なにがどうなっていたのかわからない」ままに事件は終わる。怖い話にはオチがない、解なしとはそういうことだ。齟齬理解はうやむやに終わり、霊夢は気づかず、魔理沙はうそつきに戻る。
そして、それを見ている、黒幕鬼が一匹。
さて――伊吹萃香はうそつきなのか? そうではないのか? 注目するべきは、怪弾七本編に出ていないことである。無色透明、虹の七色にふくまれない彼女は、一切偏光することができず、敷居をまたいでいない。「怪弾七」が始まる前と後でしか姿を現すことができず、この宴会に混ざることができない。無色透明のままでは触れることができない。色を得ることで宴にいたることができるのだということは、(それが殺戮であれど)EX中途の比喩話で語られているように、血にそまった鬼は赤色に染まって見えるのだろう。(この紅は、虹のもっとも「外」に位置する色として、ハレーションで取り上げられている。紫色の紫はまあ別として、七色アリスの短編を……)。
萃香は自分自身が虹の七色に含まれないという。虹の外側にして内側、無色透明こそが鬼なのだと。そして同時に、「幻想の里は、七曜庇護する光さす桃園」とも言う。萃香は言う。鬼とは存在しないものなのだ、と。宴の外側にでもなく、宴の餌になるのでもなく、宴に関わるというのならば――そしてその上で、「鬼」だというのなら、それは結果的に嘘をついていることになる。(ないはずのものがそこにある変な感覚)。偏光し、ゆがむことで、色を得て、真実が隠されることで、宴の一人と化す。そのあり方は、上で述べた霧雨魔理沙とある意味ではよく似ている。鬼の中でも異端児である萃香だからこそ、その魔理沙に「嘘つけ」といわれたことで萃香は負けたのかもしれない。そうであるからこその、EX最期の頁なのではないか。
物語としてみた「東方怪弾七」は東方projectのシステムを踏襲した造りになっているが、キャラクターの側から見た怪弾七は、シンデレラの物語であり、一方通行と相互理解と嘘つきと馬鹿の話なのだろう。
……すさまじく個人的な話だけれど、エンドではないにせよそこそこハッピーな結末だと思う。モア・ベター。結末であっても終わりではなく、何事もなかったように日常は続いていく。ほんの少し変わったけれど。そのことは咲夜さんがあきれ混じりに言ってるし、最期の魔理沙は笑っている。鬼は納得がいかないだろうが、人間側としてはそんなもんだ、みたいな。何一つ落ちてないじゃないかと全部読み終わってから思う人は、多分、鬼に近いのだ。
■時系列
・東方萃夢想本編終了
↓
・萃香捕縛、魔理沙紅魔館へ外出(怪無し)
↓
・紅魔館の館襲撃される(ハレーション1)
↓
・魔理沙とパチュリーの会話(ハレーション3)
↓
・萃香、偏光させる(怪無し)
↓
・魔理沙、妖怪式を埋め込む
↓
・パチュリー、フランを解き放つ
↓
・フラン、美鈴と出会う
↓
・ルーミア、引越し
↓
・霊夢、ルーミアを取り逃がす。チルノ被弾。
/
・日曜日。
/
・チルノがプリズムリバーを被弾させる
↓
・霊夢、チルノをたおす。
↓
・美鈴、フランと再会
↓
・プリズムリバー、3ボス軍を被弾させる。フランは美鈴を守る。
↓
・3ボス、妖夢を13階段にハメる。
↓
・レミリア、プリズムリバーを倒す。その際美鈴が巻き込まれ、フランが暴走。
フランを抑えるためにパチュリーを呼ぶ。
咲夜は霊夢の目をそらさせる。
3ボス軍を散らした幽々子、妖夢に斬られる。
↓
・駆けつけた霊夢と咲夜、フランを押さえおえたレミリアが合流。
/
・魔理沙が魔理沙コスをする。
↓
・魔理沙、転落
↓
・霊夢、藍を追い詰める/アリス、魔理沙を叩く
↓
・保健室で霊夢と魔理沙。「妖怪式」に被弾していない魔理沙に札はきかない。でも連鎖は終了している。
↓
・魔理沙vs霊夢
↓
・萃香が介入することによって物語は終わる。
/
・嵐の夜、フランドールが地下から抜け出す。(ハレ2と3)
↓
・パチュリーに「試してみればいい」と言われる。(ハレ3)
↓
・言われたとおりやったら、美鈴が地下にきてくれる。(ハレ2)
↓
・レミリアはこれでよかったのかなと自問する(ハレ3)
↓
・翌朝、美鈴はいつものように朝を向かえ、幻想郷は日常を取り戻し、世界は続いていく。
■第一話「シギョウ式」
シギョウ、がカタカナなのは、「始業式」として新学期が始まるのを意味すると同時に、「式がシギョウ」されるという意味を持つ。怪弾そのものはその前から始まっていたが、霊夢が式に加わったのはこの時点。開始の瞬間に目の前にいたのは魔理沙であり、ここが中心点である。
この開始された瞬間に魔理沙は眼鏡をかけていない。霊夢が魔理沙を認識し、外界を認識し、それを確認してから仮面をかぶるように魔理沙は眼鏡を被ることで一度顔を隠している。式と同じで、段階を踏んで慣れさせている。ここに限らず、魔理沙は眼鏡を付けたり外したりしている。(しかし妖夢のもとに駆け付けたときには眼鏡をしていたのに、章かわって連続した場面で霊夢が式を防いだところでは眼鏡をしている辺りは単なるミスか、あるいは物質によらない象徴的なものなのかもしれない。メガネのレンズは一種の偏光装置であり、怪弾七の舞台そのものともいえるからだ)
同様に、「れーちゃん」とのっけから呼び、最終話までそう呼び続けるのもある種の偏光であり魔術式。本当はそんな風に呼びたかった、というだけかもしれないが。
会長がこのシギョウ時点でいるのは、彼女がどういう理屈か真実を見るものだからであり(comp2/9P参照)、同時に興味本位で中心点に関わっているからだが、そうであるが故にcomp2で痛い目を見ることになる。
・P14
アリスは魔理沙を見ている。
魔理沙は霊夢を見ている。
霊夢は理解していない。
この話の登場人物たちが、基本的に一方通行である(振り向くことを願っている)ことが一番最初で明示されている。「必要になったらいってね」という魔理沙の台詞が最後にかかってくるのだが、怪弾七を通して、霊夢(自機)が魔理沙(自機)を頼ることはない。
螺旋怪弾は基本的に一方通行であり可逆しないという式のシステムが、そのままこの種の人間関係を象徴していたりする。
ついでにカバー裏は一巻がアリス、二巻が魔理沙、三巻が霊夢であり、上記した構図そのままになっている。
・P16
「これって裏門になかったっけ?」というのは、ハレーション1においてフランの姿を見たルーミア(と、それについた妖怪式)がひっこしてきたため。
魔術式が配置、場所を重要視すると考えるならば、始まった時点で魔術式は破綻しているともいえる。狂わせたのは、式に配置されていないイレギュラーであるフランが「外」にいたこと。
ただし魔術式は目的ではなくただの手段に過ぎないので、狂っても問題はない(comp3のAntiFantasmを関連参照)。
・P23
超自然的で不可思議なものが妖怪であり、自然にあるものが不可思議な噂話となるのが怪談。メタ的先生である紫の発言を借りれば「怪談の皮をかぶった妖怪式」であり、「学校の怪談の皮をかぶった妖怪の楽園」の舞台にも連なっている。
これに限らず、怪弾七は実際におきている異変と、場の異常(世界観)が、密接に絡み合っている。
■第二話「誘爆する事象たち」
タイトルは怪弾システムそのもの。
と同時に、誘爆するように事件に絡んでくる登場人物たちのこともである。レミリアとか。レミリアとか。お穣様マジでずっぱり。
・P48
「撃ち込んでみればわかる」という霊夢の言葉は、ここに限らず常に持論として基本方針になっている。簡潔明瞭だが、逆に言えば撃ち込まなければわからないし、撃ち込む前に考えもしないシンプルな背中。だから魔理沙にばかって言われる。
・P51
「学校霊を擬態〜」といったのは紫。この台詞に関わらず、紫の台詞はほとんどがメタ、物語の外から見ている説明台詞。八雲紫もまたEXのEXであるファンタズムキャラであるからだ。その真実はcomp2のメタ解説台詞に収束している。
・P54
感染と発症は別。
東方怪弾七における構造として、怪弾DとD’によって感染は広がっていくが、それは「感染」するだけであり、埋め込まれた関連タグである妖怪式に触れることによって始めて「発病」する。"場"と"キャラ"がそろって初めて怪談たりえるのだ。
■第三話「螺旋怪談」
螺旋階段、ではない。螺旋状に進んでいく怪談式。詳しくはシンプルかいだんシリーズザ・ラセンの考察を参照。
・P65
幻想郷と学校は偏光しており、必ずしも一致していない。意味的にゆがめられ、学校という場にすべてが収束されている(10を7に集めるように)。そうでないと場が広すぎるからだが、その結果、妖夢の刀等で一時的に境界を渡って戻ることにより、階段で戦っていたはずが庭に移動しているというズレが発生する。
何が言いたいかと言うと、ここでレミリアが言っている「明日には元通り」という発言は間違っていないが、同時に「本来の幻想郷」で何かが壊れている可能性がある。被害は希釈され微々たるものだろうが、場所的にプリズム三姉妹の家がぶっ壊れてる可能性が高い。ひでえ。
・P68
ゲームシステムがメタ的に導入されているが、その視点から考えると永夜抄自機のレミリアではなく、紅魔郷ボスとしてのレミリア。完全にでしゃばりぃさんである。
・P73
「普段通り」でいたら何ひとつ変わらないまま日常に戻る。
……ということがcomp3のレミリアサイドによって明言されているし、実際その通りになる。
■Halation 「守り人たち(夢語り)」
ハレーション [halation]
写真で、強い光が当たった部分の周囲が白くぼやけて写る現象。感光膜を通った強い光がフィルム-ベース裏面で反射し、再び感光膜に作用することから起こる。光暈(こううん)。
(「大辞林 第二版」より)
本編(光が当たる部分)に対する外伝(周囲)の物語。白くぼやけた場所に焦点をあてた、赤よりも紅い少女の物語。
・P90
居なくても同じだわ、と言われた子は、
居るだけで嬉しい、とのちに言われる。
それを言ったのは、居てはいけない、と警句される少女。
怪弾七本編は螺旋であるがゆえに一方通行の物語だが、Halationはその中に含まれないがゆえに相互理解の物語である。ある意味本編以上に本編。
・P92
鍵を開けたのはパチュリー(Halation3参照)。
・P99
美鈴は七色の弾幕を遣う――というだけでなく、七色は虹であり、虹は龍の象徴だと捉えられている。美鈴の頭の星に描かれている文字は龍であり、虹の存在である。
・P103
ここでフランドールがみているものを、美鈴は「昼の星が見えている」と解釈している。たしかに目がとても良いものは、昼間でも星が見えるらしい。
しかしここでフランが見ているものは、恐らく姉と同じで微細化した萃香。「赤」と「青」という二つの色と、「たくさん、だけど、ひとつきり」というのが、たくさんに再分化した萃香であることを暗示している。
だから実際に見えている星は、すぐ目の前にある星だけであり、一番星なのだ。
・P106−107
知らないものを知ることによって、知識や感情は色鮮やかになっている。
しかし「知らないもの」の総量が定められているとすれば、やがてすべてを知ってしまい、退屈が訪れる。そのためには「知らないものがある世界」に移り、多くのものと接触する必要があった。それが紅魔郷の異変であり、姉が得たものであり、
フランドールは、それすら知らなかった。
P110−111
フランは(無自覚ながらも、半ば)美鈴のために離れようとし、しかし心は離れることを惜しむ。しかし美鈴は、そんなフランに自ら歩み寄っている。前述したように、この二人は相互理解の話なのだ。メイン二人と大違い。
P120
フランはレミリアと同じように怪弾に気づいている。
それから美鈴を守るために逃げようとするが、美鈴はフランを守って被弾する。
(被弾した弾幕は最初にレミリアめがけてプリズムリバー三姉妹がうった弾だが、その後、フランを守り続けようとした美鈴めがけて降り注いだ岩石はレミリアがぶっこわした教室の破片。だからあとで咲夜に怒られるのである)
P124
この辺の独白はハレラストにかかってくるのだが、細かい解釈は避ける。けっこう受けて次第な気もするし、解釈するようなことでもないと思うからだ。でもこの前後が一番好きかも知れない。
■■Comp2
■第四話「殆ど無い!」
・P6
comp3のantifantasmに続く。
・P9
時系列は一日目(金曜か土曜、シギョウ式の直後)。屋上で話している二人が、幽々子にはこう見える。
また、「万事において手順が肝要よ」という台詞が、シンプルかいだんシリーズそのものに通じている。彼女もメタ側に立つものだが、6ボスである以上登場人物側にも立っている。EXキャラほど解脱できてはいない。
P10−11
「七しか見えなかったところに(略)」という紫のセリフは、この怪弾七のすべてを説明するメタ的発言である。ファンタズムキャラであり境界の上に立つ紫は、一段高い位置から物語のすべてを見つめている説明キャラだ。同人誌によっては黒幕キャラになるが、今回は完全に蚊帳の外。
なお、単行本バージョンでは削られているEX中萃香の台詞、「赤より外の〜青より内の〜」は「赤鬼、青鬼」になぞらえているのであろうが、同時に別の視点からも捉えることができる。虹の七色における可視外光は、通常「赤から紫」なのであり、青は紫の一歩手前(日本だと藍が入る)であるため、「紫」は萃香のくくった中に含まれず、鬼の領域に立つとも考えられる。
誰よりも強く信じたのは、萃香。七色しか見えなかったものを凝縮し、空いたスペースに虹の外側の色をねじ込んだ。歪んではいるけれど、全て見えるようになる――とcomp3で発言しているし、それを先んじて紫がメタっている。ホンモノに近くなるかもしれないけれど、「ホンモノそのもの」ではなく、萃香は最後に憤る。わかりづらいなら、「嘘のない、完全な世界」と捉えてもいいのかもしれないが、それをやると別ゲームになる。別アニメでも可。大昔からある、一種のテーマ。
逆に七色の光しかなかったら、世界は七色にしか見えなくなる。「見えない外側」「知らないもの」があるからこそ、成り立っているものもある。「完全/本物」というモノ自体がすでに幻想なのだと、次の紫のセリフにて語られる。
・P11
「あんたん家の結界」は博麗大結界。この舞台は幻想郷の一部分、ではなく、幻想郷が圧縮されて歪み見えなくなったものが見える場所。幻想郷そのもの。
そしてメタ教師紫はさらにメタな発言をする。「見るものによって幻想郷はその姿を変える」「誰かの心にしかない」というのは、これを読んでいる私たちそのものに通じる超メタ発言。読者の数だけ、同人誌の数だけ幻想郷はあり、完全な本物なんてどこにもない。
また、「本物を目のあたりにした誰かが写し描いた偽りなのかもしれない」というのは、ALL氏が造り出した「東方怪弾七」という同人誌そのものをも指す。超々メタ発言。紫の存在がメタだメタだといっているのはそういうことだ。
……ついでにおまけをひとつ。
上海アリス幻樂団によってつくられた「東方project」がある種の二次創作である、というは作者であるZUN氏の発言だが、そうであるが故に紫のメタ発言はこちら側にもかかってくる。「世界のどこかにある、ホンモノで、完全な幻想郷」の二次創作を氏は作っているのであり、本家ですら写し描いたニセモノなのだ、と考えられなくもない。
この辺翻訳論とか批評論にかかってくるので、話半分に適当に流すが幸い。「世界のどこかに完全があり、その一部分を作者は写し描いている」という思想がそういう界隈に存在するという、それだけの話である。
P33 レミィが怒られているのは、霊夢(自機)ではなく勝手に四面ボスを倒そうとしたことで(自機になろうとしたことで)、派手にやったせいで被害が拡大し、フランドールが本編に介入しかけたため。(ハレーション参照。)
■4.5話 「隙間」
時系列はちょっと前後している。四話ラストの前あたりから、五話の前まで、である。
妖夢の式を払いきったのは紫だが、幽々子についた式が紫を狙っている。六ボスからEXボスへの感染。幽々子の形をとっているだけあって、流石に1ボスより強い。
この時点でEX手前の中ボスである藍に感染したのか、それともルーミアが別口で感染させたのかはちょっと不明。
P40
藍が混乱しているのは、「幻想郷」と「楽園」の境目が一時的に妖夢の刀によって曖昧になっているから。学園生徒としての藍は比較的影響を受けている。
40P前までは幽々子は着物だが、41P、境目が元に戻る(萃香の再分化体が隙間を埋める)ことによって、学生服に戻っている。一時的に隙間が見える話なのだ。
P49
「負わせてしまった」のは、comp3で妖怪式を埋め込んでいる魔理沙を興味本位で見過ごしたことによる自責。それによって妖夢が感染し、主を斬ってしまい、心に傷を負わせてしまっている。
あとがきにて書かれているが、怪弾七の幽々子は完全ではなく、失敗もする。どうしてうまくいかないのだろう、と悔恨するほどに。
■第五話「agitato」
アジタート [(イタリア) agitato]
音楽の発想標語の一。「激して」「興奮して」の意。
P59
アリスが反応したのは「開かない理科室」から藍が出てきたから。この時点でルーミアの弾幕に被弾している。
尚、4.5話を見るに、これそのものが紫の狂言である可能性もある。「シンプルらせん怪談」をさっさと終わらせるためにけしかけた、と自分の式を手駒代わりに使って加速させた、と考えることもできる。
が、計算外がいくつか。魔理沙が怪我をしたことであり、そのことに対して、霊夢がagitateしたこと。本来ならもう少しスムーズに終わるはずであり、一応主犯なのに鼻血出してしまった魔理沙は「格好悪いなあ」と呟く。
■第六話「うしろに立つ少女」
――私メリーさん、今あなたの後ろにいるの。振り向いてくれないと背中しか見えないわ。
――なに言ってんだい、後ろに背中向けて立ってるんじゃ、振り向いたって背中しか見えないよ。
お互いに相手の前に立たなければ、相手の顔を見ることができないというそういう話。どちらか片方だけでは意味がないのだ――一方通行では意味がない、相互である必要がある。
ちなみに宇佐見さんちのメリーさんは三巻のイラストで加筆されている。少し嬉しい。
P79
努力しても努力しても追い付くことができない存在。あるいは、追いつくために努力をしなければならないという存在。魔理沙は努力の存在を隠そうとするが、霊夢は隠していることにも気づかない。
P89
魔理沙はとても嬉しそうに笑っている。
萃香が三巻で思い出すのは、この笑顔。
P90
正直ものって馬鹿。
■Halation 守り人たち(まどろみ)
P103、105
三巻でパチュリーが鍵を持ち出し、開けることと相似している。違うのは開ける人であり、開ける意味。パチュリーは可哀想だと思ったから扉を開けたが、美鈴はただ逢うためだけに扉を開けた。
P109
夢(本編)であったことを美鈴はすべて忘れている。すべてを忘れ、基通り「遠い存在」になっている。
――そうであるはずなのに、地下まできてくれたことに対して、フランドールはそれだけで十分だと笑う。
夢は覚めたらすべて消えてしまうかもしれないが、まどろみの中、残滓のように大切な何かは残るのかもしれない。
P110
ハレーション1で本来は言うべきだった台詞。
交流と離別と再会を経たうえでの、ここでのセリフは、少しだけ意味が違う。
■■comp3
■零話「怪無し」
・P9
「嘘つけ」関連は魔理沙と萃香の考察参照。
・P18
一応程度に触れておくと、西遊記における逸話。自身の名前をいってしまうと瓢箪に吸い込まれてしまう。さくまはももでん。本来は仙人、童子に近い。
・P25
下の二コマは、第一話「シギョウ式」の冒頭とまったく同じ構図。言葉使いが違うだけで、言っていることに変わりはない。霊夢はやはり背中を見せるだけであり、(時系列的にはこっちが先なため)魔理沙はのちに力づくでこっちを向かせようとする。
■七話「あつまる夢」
今回の事件のはじまりとなる話。
詳しくは魔理沙と萃香の考察参照。
■Antifantasm
単行本で追加されたアリスパート。魔女よりは魔理沙に近い魔法使いの短編。
・P47
螺旋怪談の時点では「正直チンプンカンプン」といっていたアリスは、文化棟での事件が終わったあとの第二次会議では理解している。(魔術式を理解しているだけで、場そのものを理解しているわけではないが)。下記でも触れるが、アリスは気づいたり気づかなかったりしながら、少しずつ真相に近づいている。「萃まる夢と幻が生みだした小さな歪み」がここにある。
なお、第一次会議でも第二次会議でも、その場に魔理沙はいない。恐らく霊夢以外の全員がわかったうえでハブいている。
・P49
「そんな使い魔使い物になるわけが」とアリスが言っているが、それは正しい。そもそも使い物になるための使い魔ではない。コレは次から次へとD’を広げるためのものであり、次へと繋げば系列ごと消えても構わない。無差別に広がるのは目的ではないのだ。多分、最終的に彼女へとたどり着くことこそが(螺旋階段が回りながら上へ上へと進むように)目的なのだから。
ものすごく簡略化すると、
・親Aが被弾する。
・親Aは親Bを作ったのち、次から次へとB’を作り出す。
・B’のおこした異変に気づいた霊夢が、「一見怪異をばらまいている」ように見える親Aを倒しにくる。
・その間に、親Bは親Cを作る。
一つずつズレることでらせん状になっており、ある一定以上スレイブが増えると被害が拡大し、霊夢が動くことによって次の段階に動く。あらかじめ倒されることを前提とされた使い魔なのだ。
つまりは目的のための手段でしかなく、人間的な感情に起因するものであり、もっとも魔女的な存在であるパチュリーは「向かない話だから」と席を立つ。
・P52〜
アリスは事件の正体に気付いていたり気付いていなかったりする。その差は多分魔理沙のそばに二人でいるかどうか(自身より大きなゆがみの中心を直視しているかどうか)であり、「気付いたり気付かなかったり」をしていることには恐らく気付いていない。気付きたくないから気づかないふりをしている――つまりは嘘をついているだけかもしれないが。
尚、アリスが向かおうとした先で起きているのは「十三階段」。怪弾七は、ほとんどの視点の話が同時進行で行われている。
・P55
前述した感染と発症が違うことはここで当の魔理沙のセリフで明示されている。
「魔法使いには接近しても反応しないようにしてあるし」とのことで、恐らくは「感染した」「特定の数字のボス、あるいは特定のキャラ」が魔法陣の場所に近づくことによって「怪弾式」が発症する。
・P56
幽々子はアリスではなく魔理沙に身体を当てて去っている。彼女は犯人が誰か知っているがゆえの行動。
・P57
「私に一言もないのよ」は東方永夜抄ではコンビだったため。
同時に、魔理沙が霊夢へと冒頭と最後で投げかけた言葉にもかかっている。
・P58
パチュリーが下手クソなのは、ハレーション2参照。というか、魔理沙しかり、幽々子しかり、みんなヘタクソだったりする。
「だから」こそ、こんな歪んだ世界(宴)しか「ごく普通のトモダチ」なんて関係を楽しめず、素直に楽しんでいればいいのにそれすらできず夢だと自覚する。こんな世界でしか、れーちゃんと呼ぶことができない。
この種の自責を呟いたのはパチュリー・アリス・幽々子。あとほんのちょっとレミリア。怪弾七は、萃香の言うように普段隠れているものがほんの少しだけ顔を出す話でもある。
・P59
夢だと自覚しなければ楽しめる。夢だと自覚してしまえば、夢は覚めてしまう。
それこそが現実だ、と定義すれば世界はかぎりなくホンモノに近いものになる。二巻で紫がいった話。筆頭バカであるところの霊夢は完全にこれが夢だと自覚しているため、夢をわずかでも真と思いたがるものたちの感情を理解できない。
・P62
カワイク見える、と同時に、伊達メガネは顔を隠すためのものであり、個を隠す仮面の役割でもある。霧雨魔理沙は嘘つきなのだ。
・P63
ここにいるのはルーミアだが(本体なのか、ルーミアの形を奪った妖怪式なのかは明瞭ではないが)、彼女はEXボスである藍をみくだしている。そして何よりも、些細な差ではあるが、一巻と違って頭にリボンがついていないことに注目。
……つまりこれ、多分、東方でもっとも地味なEXルーミアネタ。
・P67
螺旋階段が螺旋階段である以上、上に上るだけでなく、逆そうすることで出発点にまでたどることもできる。ただし霊夢が解決していっているので、子因子から親因子まではたどれても、親因子から元因子へとたどることはできない(断絶してしまっている)。アリスが「終わらせる」(解決にあらず)ためには、あのときルーミアを倒す必要があった。
(最後でルーミアを倒しているため魔理沙までたどることはできるが、事件そのものはもう先へと進んでいる)
・P68
うぬぼれているのは、「アリスくらいしか魔理沙を想うものがいない」ということか。あるいは、想っていて行動してあげるのがアリスくらいということ。妖怪たちは基本的に傍観して笑っており、叩いたのは相手を想っているからこそである。霊夢←魔理沙←アリスの一方通行。
■解無し
すべて終わり。
この話の大半については、魔理沙・霊夢・萃香の項で触れている。
・P85
正直もので、馬鹿で、何ひとつ理解できない霊夢と、
やっぱり理解してもらえなかった魔理沙。でも笑う。嘘をついているが、本音でもある。
・P89
魔理沙と霊夢の反応が対照的。
魔理沙ははじめ相手について考え、だんだん思考が不明瞭になっていくが、霊夢は何も考えずに判断をくだす。さんざん書いて来た魔理沙と霊夢の差が、ここで二つ並んでいる。
■Halation3「守り人たち」(夜伽)
今さらだけどこのタイトル。
眠れる森のお姫様を、守る人たちの話。
・P102
はじめこれ、パチュリー制服バージョンであり、とっくに「偏光」しているのかと思って時系列を悩んでいた。が、設定画を見るにただの私服、よそゆきの服の模様。でも可愛いと思う。
・P107
「あの館に一人〜」 シンデレラのことであり、フランドールのこと。
・P111
「誰も知らないのは悲しいだろ?」というのは、フランのことであり、とっくに忘れられた鬼である萃香のこともであるが、多分同時に、博麗 霊夢のことも示している。まあほぼ全員とも考えられる。
・P113
「それらが全てだ」と思っていたパチュリーは、「七を詰め込んで十にした世界」において、全て以外のものを直視することになる。だからこそ、フランドール・スカーレットの鍵を解き放った。
・P117
シギョウ式の時点で、パチュリーは偏光の影響を受けている。気付いたのは多分この瞬間。地面に符が落ちることで、(日符か七耀)、偏光の影響が取り除かれ、いつもの部分が顔を見せている。
・P118
ここで言う遮光ブーストつきの帽子が、本篇でレミリアが被っている帽子。
・P122
そして魔女であるパチュリーは、ここで魔術式を見つけることによって「怪弾七」のすべてにも気づいている。気付いていないのは動機くらい。本編中の螺旋怪談前で仕組みに気づいているからこそプリズムリバー三姉妹の行為に対して警句を発している。
・P128
AntiFantasmでアリスが言っていたこととだいたい一緒。
・P152
パチュリーが降らした雨によって、雨上がりの虹が見えていることに注意。
後述するところにかかってくる。
・P156〜
雨があがり太陽がないと虹を見ることができない。
雨の中で見える虹である美鈴は、等しく彼女にとってのお陽さまでもある。守り人。
そしてタイトルは、守り人たちである。フランは「いくつもの星」が世界にあることを学んでいる――夢(怪弾七)でおきたことを覚えている。パチュリー・ノーレッジもまた憶えており、夢は夢としてすべて消えていないのだとフランをけしかける。彼女もまた守り人なのだ。
・P165
そして夢は終わり、夜は明け、幻想郷は日常へと回帰する。
†
以上
かなり好き勝手書いてるので、当然間違っている部分も多々あると思います。考察、とかいてはいますが、「これが正しいんだ!」というわけではなく、「こんな見方もあるんだ」程度に捉えていただければ幸い。
他のところでいくどか触れていますが、こんな風に「読んで、考える」ことができる本はとても良いと思うし、するめみたいになんども味わって読み返せるので楽しいです。単体で読むとわかりづらい面もありますが、、東方怪弾七はとても面白い本なので、できれば「わかんねーよ」と投げ出さずに、多くの人に読んでもらいたいと、一読者兼一ファンとして勝手に想ってます
これを読んだ誰かが被弾して同人誌に手を出すといいなあと想いつつ、最後にこの妄想感想考察の公開を快諾してくださった東方怪弾七の作者であるあらら氏に感謝の意を投げて、長文を終わりとします。
長々と読んでくれてありがとうございました。
2008年11月11日 人比良
2008年11月11日 人比良
追記。
確証がないのでこっちでわけてかくが、魔方陣は
T orange B
U yellow C
V green D
W blue E
X indigo F
Y purple A
であり、赤色(ハレーション)が含まれないか中心にある、と虹の方法論で考えるか、
Y red
W blue
で、赤から青で一周する(6が右上、4が右下)、赤と青の鬼の方法論で考えるか、たぶんどっちか。
パチュリーがいじったやつがきっちり見えてたら判断基準になったけれど、そうでないため確証もてず保留。
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