1 きかいなはなし。
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「十二時十三分二十七秒――」

 空に浮かぶ月と星を見上げながら、宇佐美 蓮子はいつものように呟いた。待ち合わせの時刻から、十三分と二十七秒過ぎている。いつものように、遅刻。メリーの待っている駅前まではどんなに急いでもあと四十秒はかかるので、最低でも十四分の遅刻だ。
 いまさら急いでも仕方がないと思い、走っていた足を緩める。四十秒が三分程に変わる。ゆっくりと、歩いて駅に向かう。
 駅まではもう直線しか残っていなくて、一人ぽつんと立っているメリーの姿が見えた。
 こちらを見ていない。/どこかを見ている。
 どこも見ていない。/なにかを見ている。
 何もない所に焦点をあわせた、夢遊病患者のような、不確かな目つき。
 それもまた、いつものこと。
 彼女は、見えないものを見るのだから。
 こちらを見ていない――それだけで十分だった。この様子なら走って駆け寄らなかったことをとがめられることもないだろう。足音をできるだけ抑えて、蓮子は歩く。
 こつ、
 こつ、
 こつ。
 電車すら止まってしまった夜の街には、その足音すらノイズとなって響いた。
 こつ、
 こつ、
 こつ。
 左手に持った分厚い本を脇で固定して、右手で帽子を深くかぶりなおす。手鏡でさっと髪をチェックして素早くポケットに突っ込む。あと三十秒程。街灯に照らされたメリーの横顔が見えてくる。笑ってもいない。泣いてもいない。怒ってもいなければ、惑ってもいない。
 ただ、そこにいる。
 そこで、独り、立っている。
 誘蛾灯に呼び寄せられた蛾が、満月に少し足りない月光の中を溺れるように飛んでいた。鱗粉のようなものが羽から零れ、きらきらと、月光と誘蛾灯をかき混ぜていた。
 駅に人の姿はない。近代化から取り残された化石のような駅。いまどき珍しい有人のプラットホームには、けれど駅員はいなかった。離れたところに見える駅舎からは白い光が洩れていて、そこにいるには違いないのだろうが、不思議と気配を感じなかった。

 ――寝入っているのかもしれない。

 そんなはずはないのだが、そんなことを蓮子は考えてしまった。良い子は十二時には眠りにつくものだ。真面目に駅で働くような大人は良いヒトには違いなく、十二時は――零時はとうに過ぎている。ならば眠るべきだ――そこまで考えて、蓮子はくくくと笑いを漏らした。
 その理屈でいうならば、こんな夜更けに遊びに出かける彼女らは、悪い子に他ならないからだ。

 ――いやいや、遊びに行くんじゃないわ。これも立派なサークル活動だもの。

 秘封倶楽部の、課外活動。
 夜の街の、オカルト探し。
 そんなことを思いながら蓮子は笑う。笑い声が聞こえたのか、あと数歩というところでメリーがこちらを向いた。
 視線を投げるように。
 はたと、メリーは、蓮子を見た。
 足が止まる。
 一瞬の沈黙。
 一秒の停滞。
 その一秒の間に蓮子が思ったことは、「見られている」ということだった。視線があったから、ではない。視線はあわなかった。メリーは、先までと同じように、どこも見てはいなかった。顔が、体が、こちらを振り向いただけで――何ひとつとして、見てはいなかったのだ。
 空っぽ。
 空っぽの眼球に、鏡のように、蓮子が映っていた。
 それだけだった。
 そこに、メリーは、マエリベリー・ハーンは――

「……あら、蓮子?」

 一秒が過ぎて、視線があった。眠りから覚めて瞳孔が収縮するように、急に視線があう。眼球は鏡のように蓮子の姿を映し出しているが、その奥に紛れもない意志の光を感じた。
 マエリベリー・ハーンは、そこにいて。
 呆けたような顔をする蓮子の顔を覗き込むようにして、微笑んでいた。

「…………おはよう、メリー」

 白昼夢でも見た気分だった。
 夜だけれど。

「おはよう、蓮子。良い朝ね」
「『雨に唄えば』じゃあるまいし。良い夜よ、メリー。秘封倶楽部の活動にはぴったりの夜」

 言って、蓮子は人差し指で帽子の縁を押し上げた。足は既に止まっている。二人の間の距離はもう三歩もなくて、月と街灯の光の下、互いの表情は隠すものなくよく見えた。
 蓮子は笑っている。
 メリーは笑っている。
 いつもどおりの、秘封倶楽部。

「ぼうっとしてたけど、また何か見てたの? 結界の隙間でもあった?」

 そう。
  宇佐美 蓮子が月と星を見て時刻と場所を知るように、マエリベリー・ハーンの瞳もまた、特殊な能力を備えている。結界の穴を見るという、オカルトサークル には欠かせない能力。その瞳をもってして、二人は様々な奇怪なモノを見て回る実践派オカルトサークルとして活躍しているのだ。
 部員二名。
 蓮子がいて、メリーがいれば、それだけでもう秘封倶楽部だ。
 今日も今日とて、今夜も今夜とて、その活動のために夜中に待ち合わせたのだった。昼間に街中でふらりと見つけた結界の綻びを確かめる――いつものような、課外活動。
 常、といっていいくらいに、秘封倶楽部の活動は日常化していた。
 非日常とて、
 繰り返し、
 繰り返し、
 繰り返しているうちに、日常に変わる。はじめは目新しいものだらけだった活動も、今では生活の一部と化している。
 もっとも、それは悪いことではない――生活に欠かせないものになったという、それだけのことだ。
 事実、もう蓮子にとって、秘封倶楽部のない生活――つまりは、メリーがそばにいない生活――というのは考えられなかったし、メリーもそれは同じだろうと蓮子は思っている。
 いつまでも、
 いつまでも、こんな日々が続けばいい――そう思うほどに。

「隙間は昼間よりも、ちょっと多いみたい」街の方を見ながら、メリーは言う。「やっぱり、夜にきて正解だったわね」
「それはそうよ! オカルトといえば夜と相場は決まってるもの。さぁいくわよメリー、今夜の冒険へ!」

 メリーの言葉に、蓮子は意気揚揚と足を踏み出し。
 蓮子の様子に、メリーは嬉しそうに苦笑しながら。


「張り切ってるわね蓮子――今日は遅刻もしなかったし。雨か、槍でも降るんじゃないかしら?」


 そんなことを言いながら、隣に並んだ。

「……え?」

 何を言われたのか、わからなかった。
 足を止めるほどでもなかった。歩きだしながら、蓮子は顔だけを横へと動かしてメリーを見る。並んだ肩の向こう、メリーも同じように蓮子を見ていた。
 その顔は、笑っている。
 楽しそうに、微笑んでいる。

「だから、珍しいわねって、そう言ったのよ。蓮子が遅刻しないなんて、久し振りじゃないかしら」

 ほら。
 そう言って、メリーは左手につけた腕時計を蓮子の前に差し出した。時計を見ないと時間がわからないなんて不便ね――いつだったか、そう揶揄しながらプレゼントした時計だ。
 何気なく、何気ない風で、蓮子は時計を覗き込む。

 ――二十三時五十九分四十四秒。

 時計の表示は、そう示していた。

「…………」

 日付すら、変わっていなかった。
 蓮子は、ふぃ、と顔をあげる。空に雲はない。わずかにかけた月と、それを覆う星空がどこまでも広がっている。そのどれもが、彼女に時間と場所を教えてくれる。
 零時二十分丁度だった。

「…………」

 無言のまま蓮子は顔を下ろし、キョトンとしているメリーと、時間を刻み続ける時計を交互に見て、それからぽそりと、呟くように言った。

「その時計、壊れているわよ?」
「え――――」

 かちりと、メリーの時計の日付が変わり。
 ふっ、と。
 背後で輝いていた駅舎の灯が――消えうせた。
 明かりが一つ消え、夜はさらに暗さを増す。
 音はなく、空の明かりの下、時計だけが針を刻んでいる。
 それだけだった。
 それ以外には、何も、なかった。


「…………」
「…………」


 いつもと――少しだけ違う、夜だった。






     ×





 夜の街はいつでも暗い。月はある、星もある、街灯もある。けれど、それらの光が生み出す影が、夜をよりいっそう濃くしていくのだ。夜に浮かぶ光こそ、暗さのもと――夜空を見上げながら、蓮子はそんなことを思ってしまう。
 メリーの時計は変わることなく狂っていて、正確な時刻を知ろうとつい空を見上げてしまう。あまり意味のない行動だ、とわかっていても、なんとなくそうせずにはいなかった。
 今から時計を直しにいこうにも、すでに夜、真夜中、深夜、夜更け。店はとうにしまっている。シャッターが開くのはまだ六時間は先だろうし、そもそも時計屋がどこにあるのかすらわからなかった。

「自分で直せればいいんだけれど」

 腕時計を腕から外しながらメリーが言った。文字盤を悔しそうに見つめ、それから、そっと大切そうな手つきでポケットの中にしまう。狂った時計をつけつづけても意味はない――それでも、ソレを外すとき、どこか悔いのある表情をしたのは、蓮子の気のせいではないのだろう。
 少しだけ嬉しい。
 それは、蓮子が彼女にあげたものだから。
 少しだけ悔しい。
 狂ってしまうようなものを、彼女にあげたことが。
 その両方を笑顔の奥に押し込んで、蓮子は笑って答えた。

「時計屋さんに就職する? メリーはぶきっちょだから、難しいと思うわよ」
「ぶきっちょって……ひどいわね。これでも――」
「これでも?」
「……これでも時計は好きよ?」

 言い訳になってないわよ! そう手を叩いて突っ込みを入れ、蓮子は笑う。メリーも同じように笑った。
 かすかな笑い声は、
 夜の街に、好く響く。
 やまびこのように、
 好く響く。
 暗さのない、明るい笑い。
 昼間のように。
 夜に浮かぶ月のように。
 静かな街に、笑い声が浸透していく。

 どこかで誰かが笑っている。

「修理費、高くないといいわね」
「ゼンマイが切れてるだけかも」
「それ電池式よ? ボタン電池」
「なら電池切れね。コンセントにつなげば直るかしら」

 無茶なジョークを言いながら――真顔で言った言葉は、本気で言っているようにも見えた――メリーは歩く。
 蓮子も歩く。
 かつん、
 かつん、
 かつん。
 笑い声と足音が、
 夜の街に、深く響く。
 遠吠えのように、
 深く響く。
 影に反響する、高い音。
 夜のように。
 昼間に見える残月のように。
 静かな街に、足音が響く。

 どこかを誰かが歩いている。

「それにしても、」

  と蓮子はいった。自然、足が止まる。メリーはさらにもう三歩進んで足をとめ、スカートの端を浮かせながら振り返った。楕円を描くようにして回ったスカート の向こうに生足が見える。つま先でのクイック・ターン。思わず拍手をしたくなり、止める理由がなかったので拍手をした。
 ぱち、
 ぱち、
 ぱち。
 拍手に応えるようにして、メリーはスカートの両端を指でつまんでお辞儀をした。まんざらでもない表情で、頬だけが薄く紅くなっている。恥ずかしいならやらなきゃいいのに――内心で蓮子はそんなことを思いながら、

「良い子だらけみたいね、この街は」

 そんなことを、呟いた。
 言葉を吐いてから、ぐるりと頭を一回転。辺りを見渡せば、夜の闇に浮かぶ街角が見える。空には月と星、足元には影。街灯が光と闇を作り、無人の道路には車ひとつ止まっていなかった。排気音もなければ、足音もない。
 静かすぎた。
 夜の街には、彼女たち二人しかいないような――そんな気配だった。
 誰もが眠りについている。
 街は眠りについている。

 十二時を過ぎたら、良い子は眠りにつかなければならない。

 十二時を過ぎて活動するのは悪い子だけ――冗談のように言った言葉が、今になって重く肩にのしかかってくる。
 とはいえ。
 それを悪いことだとは、蓮子は思っていない。むしろ好ましくさえ思っていた。これが気のせいや偶然ではなく、真に奇怪現象だとするならば――それこそが、彼女たちが待ち望んでいたことに他ならない。
 秘封倶楽部は、オカルトサークルなのだから。
 奇妙なことや怪談話は、むしろこちらから挑んでいくくらいだ。何も起こらないことこそが一番の退屈。何かがおこってくれれば、そこが虎の穴だろうと飛び込むだけ――そんな秘封倶楽部にとって、今、この状況は何も恐れるに足るものではない。
 むしろ、
 隣にメリーがいて、
 前に奇怪なものがある。
 それだけで――わくわくしてくる。
 童心に戻ったかのように。

「蓮子が悪い子だからだわ」

 はたして、どこまで同じように思っているのか。
 笑ったままに、メリーはそんなことを口にした。笑ってはいる。楽しそうに。おかしそうに。メリーは笑っている。
 その笑みの理由が自分と同じならば良いな、と、蓮子は思った。
 そう、
 一人ではだめだ。
 二人でないと。
 片方だけが思っていても、
 意味はなく、
 足りてない。
 二人。
 二。
 歯車はひとつでは意味がない。
 噛み合って初めて、動き出す。
 ベクトルは違っても、
 到達点は同じ。
 歯車のように、
 世界を動かしていく。
 
「メリーの方が悪い子よね……良い子悪い子で、私は普通の子」
「変な眼をもっているのに?」
「それこそ人のこと言えないじゃない!」

 三歩分の距離を一歩で詰めて、蓮子は軽くメリーの頭をはたいた。金色の髪が指の間をすり抜けていく。一瞬だけの接触に頬が緩む、メリーが「もう!」と頬を膨らませるのが見える。
 そのまま、横をすり抜けるようにして、前へ。
 帽子を押えて、くるりとターン。位置関係が先と逆になる。今度は蓮子が後ろ向きにメリーを見て、

 メリーの後ろに浮かぶ、月と星を見た。

「あ――――」

 蓮子の目は変な目だ。月を見ては場所を知り、星を見ては時間を知る。北極星を見て場所を知り月を見て時間を理解するならば技術だろうが――理屈ではなく、直観で≪知る≫蓮子の目は、メリーのいうように変な目だった。
 変で、便利な目。そして今もまた、望む望まないにかかわらず、空を見た――月と星を見た蓮子の目が、時刻と場所を知らせてくる。
 場所はいい。
 場所は、納得できる。目的地だった、街を示している。
 けれど、
 時間は。

「……ねぇ、メリー」

 メリーではなく。
 空に浮かぶ星々を見ながら、蓮子はいう。
 ん、と呟くように答えて、メリーは少しだけ目を見開いた。驚いたのだ。ついさっきまで笑っていた蓮子の顔に、真剣極まりない表情が浮かんでいたことに。そしてその顔が――どこか泣き笑いのような顔に歪むのを、メリーはその目で確かに見た。
 蓮子は。
 空を見上げたまま、問う。


「そっちの時計で――今、何時?」


 答えは、すぐにはかえってこなかった。
 メリーは一度だけ首をかしげ、それからのそのそとポケットに手を突っ込んで時計を取り出した。わざわざ丁寧に時計を左手に巻きつけ、それから腕を持ち上げて、文字盤を覗き込む。
 狂っているはずの時計は、けれど、止まったわけではない。
 月明かりの下で時計盤は、零時三十分四十二秒を指し示していた。

「零時三十分四十二秒よ」

 それをそのまま言葉に乗せてメリーは告げる。それでも蓮子は顔を下さない。泣き笑いのような表情のまま、目つきだけは険しく――空をにらみつけていた。
 星を、睨みつけていた。
 そのちぐはぐな表情に、メリーは何かを問おうとした口を噤んでしまう。何を言えばいいのかわからなかった。何を言っても、適切でない気がした。呆けたように結界の穴を見るメリーに対して蓮子が何も言えなかったように――メリーもまた、何をいうこともできなかった。
 蓮子は、メリーに見えないものを見ているから。
 見ているものが、違うから。
 空を見上げたままに、見えないものを見たままに、蓮子は。
 はっきりと、
 ソレを、口にした。



「六時二十五分四秒」



 彼女の見る現在時刻を、口にした。

「え――――――」

 メリーの口から洩れる音を聞きながら、それでもなお蓮子は空を見上げている。現在時刻は六時四十八分二十三秒。最後に空を見上げたときには、まだ二時前だったはずだ。目に見えているものだけを信じるならば、メリーと会話をしただけで四時間近くたっていることになる。
 そんなことが、あり得るはずがなかった。
 ――それどころか。
 今も、なお。

「七時零三分五十秒……」

 空に星は浮かんでいる。
 空に月は浮かんでいる。
 世界は夜だ。
 何ひとつ変わらない、夜の世界だ。
 それなのに――蓮子の目が知らせてくる時間だけが狂っている。狂ったように加速している。こうして見上げている間にも時の針はどんどんどんどんどん先に進んでいく。それ以外にはなにも変わっていないのに――時間だけがまどっている。
 何が起こっているのか、わからなかった。
 奇怪な現象、ですらない。
 何もおかしなことはない。
 おかしいのは、ひとつだけ。
 狂っているのは、ひとつだけ。


 蓮子の瞳だけが――狂っている。


「あ、え……」

 よろけた。口から洩れる声に力はなく、足に力が入らずに、蓮子はよろよろと後ろに下がる。今、何が起きているのか理解したくなかった。理解すらできなかった。自分だけが狂っている。絶対の指針だったはずの「目」が、狂っている。
 狂っている。
 狂っている。
 狂っている。
 時間か、
 自我か、
 それとも、
 すべてか。
 狂って、いる。

「蓮子――」

 メリーの心配そうな声。
 メリーの心配そうな顔。
 それが、一歩近づいてくる。蓮子の異変に感づいたメリーが、その身を案じて、歩み寄ってくる。
 その歩みすら、恐ろしい。
 その姿すら、今の蓮子には恐ろしい。
 何が狂っているか、わからないから。

「……め、メリー」

 名前を呼びながら――けれどそれに続く言葉を持たないままに、蓮子はよろよろと、よろよろと、力の入らない足で逃げるように後ろへ後ずさり。



「――危ないわよ?」



 え、といえたかどうか。
 それが、最後に聞いた言葉になった。次に夜の街に響いた「ごん」という音を――後ろ向きに下がっていた蓮子が電柱に頭をぶつける音を聞くことが、蓮子にはできなかった。頭を打ったその時には、すでに意識は消えていた。
 夜のように暗転する世界の中で、

 かちりと。


 狂った時計の音を、蓮子は聞いた。





     ×






 そうして、音はなくなった。
 独りきりになってしまった。
 ぽつんと立ちつくしたまま、マエリベリー・ハーンは、夜空を見上げた。月と星と夜の空が見える。けれど、時間も場所もわからない。そんな便利な能力を、メリーは持たない。メリーの瞳は持ちはしない。彼女が見るのは、穴だけだ。
 左手につけた時計を見る。まだ一時にすらなっていない。夜はまだまだこれからだった。
 だというのに、今、彼女は独りきりだった。
 足元に転がるソレをヒトだと言ってしまえば――「一人」ではないのだろうが。
 少なくとも、独りではあった。

「…………」

 無言のまま、メリーは視線を下す。何をいう必要もなかった。何をいったところで、誰も聞ききはしないのだから。
 じっと、見下ろす。
 夜の街に影法師のように生えた電柱と。
 その電柱に後頭部をぶつけ、ぽっくりとうつぶせに倒れたまま動かない蓮子の姿を。

 ――なんというか、間抜けよね。

 そんなことを思ってしまった。電柱に頭をぶつけて倒れる少女というのは、前世紀に滅亡したものとばかり思っていた。案外、探せば曲がり角をトースト加えたまま走る少女とかも実在するのかもしれない。

 ――まあ、狂っているから仕方がないのかも。

 心中でそう言いつくろってあげて――友人としての、せめてもの情けだった――メリーはしゃがみ込む。膝の裏でスカートを抱えるようにして、中腰に。アスファルトにお尻をつける気にはなれなかった。
 すぐ間近に、蓮子の姿。うつぶせになったままぴくりと動かない。
 両手両足を伸ばして倒れるその姿を、メリーは轢かれたヒキガエルのようだと思った。
 ある意味では正しいのかもしれない――ソレはすでに、生きていないのだから。
 ぴくりとも動かない。
 心臓も、
 肺も、
 動いていない。
 血液は全身に流れず、呼吸も止まっている。
 どう見ても、死んでいた。
 あまつさえ、電柱にぶつけた頭は――ぱっくりと、開いていた。



 大きな穴が、開いていた。



 その穴を、蓮子の後頭部にある穴をメリーは覗き込む。月と星の明かりしかなかったが、穴が大きいおかげかよく見えた。
 頭の中が。
 何ひとつとして動いていない、蓮子の頭の中を、メリーは覗き込む。
 覗き込んで――

「えいや、と」

 そう掛声をかけて、迷うことなく、その穴に手を伸ばし――そのまま、突き入れた。
 そして、ひねる。
 開いた穴の向こうにぎっしりと詰まっていた歯車やら発条やら鉄線やらパイプやらの機械――その中央にどんと鎮座する、懐中時計に突き刺さった銀色の鍵型のネジを、メリーはつかんでひねった。
 キリ、と。
 音が鳴った。メリーがネジを回すたびに、蓮子の頭の中の機械がキリリと音をたてた。


 機械仕掛けの頭が、動き出す。


 同時に、カチリ、と。
 止まっていた懐中時計が動き出す。

「あ、やっぱり狂ってる――」

 ネジを回しながら、もう一方の手で時計の針を弄る。左手の腕時計と時間をあわせて、満足げに微笑んでさらにネジを回す。
 キリ、
 キリ、
 キリリ。
 音をたててネジはまわる。そのたびに、頭の中にぎっしりと詰まった機械が動き、音を奏でる。心臓と肺が動き出し、体に血液と酸素を送り届ける。機械たちは命を吹き込まれ、蓮子に命を送り届ける。
 もうこれ以上回らなくなるまでネジを巻いてから――

「そいや、と」

 そんな掛け声とともに、メリーは手を引き抜いた。
 きゅぽん、と。
 そんな音が聞こえたような気がした。
 むろん、気のせいだ。音は何もしていない。キリ、という音は、もう聞こえない。
 あるのはただ、
 夜の静けさと、
 満足げに笑うメリーと、

 薄く呼吸をする、倒れた蓮子の姿だけだ。

 何も異変はない。
 蓮子は倒れているだけだ。
 ただ倒れているだけで、どこにも奇怪なところはない。
 そうだろう。
 はじめからそんな穴は開いていないのだから。
 宇佐美 蓮子にしか時間と場所は見えないように――穴は、メリーにしか見えないのだから。


「いたたたた……」


 頭をぶつけた蓮子が、その頭をさすりながら立ち上がる。なぜ倒れたのかわかってはいないのだろう。
 時計の針は戻ったのだから。
 だから、メリーは。
 たった今目覚めたばかりのような蓮子の顔を、間近から覗き込んで。
 微笑みとともに、いうのだった。





「おはよう蓮子。今、何時かしら?」







                  (END)









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作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いです。
 次回のやる気につながりますので……感想、誤字報告など遠慮なくどうぞ。

メリーってメーテルだよね。
    意図的な誤変換あり。



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