| 1 | 幸せ配達人 ミック |
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ミックは自分の名前を覚えていない。 『ミック』という呼び名も、働いている配達局の局長がつけてくれた名前で、自分の本当の名前が何なのか、どこでいつ生まれたのか、そういった自分に関することを、ミックは一つとして知らない。 もっとも、本人はそこまで困ってはいない。周りの人はみんな親切で、自分を拾ってくれた局長は仕事をくれて、そのお金でささやかながら細々とした生活ができる。配達局で働く前のことは何も覚えていないので、いつかは思い出したいな、とは思っているものの、そんな疑問は仕事の忙しさに押し流されていく。 そうして今日もミックは、三年間そうしてきたように、今日も仕事に出る。 彼が働いている配達局は、名を『幸せ配達局』といった。 ――幸せ配達人・ミック―― ノックは二回。それ以上でも、以下でもない。きっちり正確に二回、木造のドアを叩いた。強すぎないよう、弱すぎないよう慎重に。第一印象が大切だということを、ミックは嫌というほどに知っていた。 「はいはい、ちょっと待ってください――」 扉の向こうから、中年女性の声。慌てたような声と共に、ばたばたと、快活な足音が寄って来る。ミックは扉から一歩引き、簡単に身だしなみを整えた。モスグリーンの礼服に、同色の帽子とネクタイ。ハートマークが書かれた橙のバッグは、きちんと右肩に提げてある。 帽子を脱いで左手で抱え、扉が開くのを待った。 待つまでもなく、すぐに扉は勢いよく開いた。開いた扉の向こうには、声の通りの女性がいた。料理でもしていたのか、少し太り気味の身体を覆うエプロンで濡れた手を拭いている。 にっこりと笑って――ではなく。 無表情のまま、ミックはぺこりと頭を下げた。 「今日は。幸せ配達局のミックと申します」 ゆっくりと頭をあげる。三秒かけるのがポイントだ。 不思議な来客に、女性は目を丸くしていた。ミックの態度や服装がしっかりしているせいか、不審げな眼差しではない。むしろある種の興味心が浮かんでいた。 「お嬢ちゃん――あら、お坊ちゃんかしら?」 「一応、男です」 お坊ちゃんと言われる歳でもない――と思ったが、よく考えてみれば、自分の正確な歳などミックは知らなかった。はっきりとわかっているのは、目の前の女性は、自分よりも間違いなく年上だということだけだ。 「今日はお嬢さんに、お届け物があって参りました」 仕事人らしい、淡々とした感情のこもらない声でミックは言う。 その言葉を聞いた途端、女性の表情がわずかに変わった。不審に、ではない。微かな嬉しさと、より小さな不安が入り混じり、それを努めて隠そうとした表情へと。 人の心や感情に触れる仕事を続けているミックには、その微細な違いがはっきりと分かった。 「あら――夢子に?」 「はい」 ミックは頷き、右手をバッグに添える。その中に、お嬢さん――夢子に届けるものが入っている。 「あらあら、それならお入りくださいな。是非あの子にあってあげてください、あの子にお客さんが来てくれるなんて久しぶりですから――きっと喜びます」 言って、女性は扉を大きく開けた。幸せ配達人の知名度はそう高くない。噂話でたまに流れる程度だ。こうやって歓迎してもらえるのは、むしろ珍しいと言える。 ミックは「ありがとうございます」ともう一度頭を下げ、モスグリーンの革靴を打ち鳴らしながら家に入る。二階建ての家はそう広くなかった。女性に案内され、ミックは階段を二階へと昇る。 二階廊下に並ぶ部屋は二つ。そのうちの一つに、『YUMEKO』というネームプレートが掲げてあった。 女性は「何かあったら呼んでくださいね」とだけ言って、階段を降りていった。どこかよそよそしい、妙な態度だなと感じつつも、ミックは扉をノックする。 こん、こん、と正確に二階。 扉の向こうから、すぐに返事がくる。ただし――『にゃあ』という猫の声で。 ――返事には違いない。 そう自分に言いかけて、ミックは扉を開ける。 案の定、猫がいた。黒い毛並みの賢そうな猫だった。首には赤いリボンが巻いてある。 部屋の中にいたのは猫だけではなかった。部屋の隅、スプリングの利いた、高そうなベッド。その上に、寝間着を着た小さな女の子が寝ていた。生地が立派なせいか、私服といっても通じるような格好だった。 この子が、夢子なのだろう――そう思いながら、ミックは部屋に入り、後ろ手で扉を閉めた。 黒猫はミックをちらりと一瞥し、すぐに興味を失ったのか、ベッドの上で丸くなった。 「誰、ですか?」 「はじめまして。幸せ配達人、ミックと申します」 上体を起こし、首を傾げる夢子に対して、いつものようにミックは頭を下げる。 頭を上げると、夢子は、少しだけ笑っていた。笑うたびに、肩口まで伸ばした黒髪がかすかに揺れる。 なぜ笑ってるのか分からず、ミックは真顔のまま、 「私に、なにか至らぬ点がございましたか?」 「そうじゃないの、そうじゃないのよ」夢子は目元を人差し指で拭い、「噂で聞いてた幸せ配達人が、本当にいるだなんて思わなかったのよ」 「噂――ですか」 「そ、噂。『言葉や文字だけでは伝わらない、想いを届ける仕事』――っていう噂。そんなの、噂でしかないと思ったのに」 夢子は笑ったまま、ミックを凝視する。 ただし、その瞳が笑っていないことに、ミックは気付いていた。表面上は笑っていても、少女は、心から楽しくて笑っているのではない。 猫が、不安そうに「みぃ」と鳴き、その声を聞きながら夢子が続ける。 「それで。お兄さんは、偽者? 本物?」 ミックは、変わらぬ無表情のまま、 「仕事に真偽はありません。私どもは、お客様に想いを届けるためにいます」 「つまり、本物って言いたいのよね。ま、わたしはどっちでもいいんだけど。 ――座らないの?」 ベットの脇に置かれた丸椅子を夢子は叩く。ミックは「失礼して」と言いその椅子に座った。 先よりも近くに、少女の顔がある。丸く大きな瞳が、ミックの瞳を覗きこんでくる。 「幸せ配達人って、みんなあなたみたいな人なの?」 「……?」 質問の意図がわからずに、ミックは首を傾ける。夢子は人差し指で自分の眉毛をつりあげて、 「こーんな顔してさ。淡々と話して。もっと愛想がいい、ピエロみたいな人たちかと思ってたわ」 「私は――見習いですから」 あくまでも、淡々と、ミックは言う。 夢子は「ふうん」と呟き、モスグリーンに包まれたミックの姿を上から下まで流し見て、最後に彼が提げるバッグに視線が止まった。 「その中に、『届け物』が入ってるの? 想いを届けるなんて、どうやるのか不思議だったんだけど」 「この中に入っているのは、想いを届けるために必要なものです」 「ふうん。分かったような、分からないような――ね。届け主って誰?」 子供らしい、好奇心じみた問い。 ミックは眉一つ動かさず、マニュアルでも読み上げるかのような口調で、 「申しわけありません。それをお教えすることは出来ないんです」 「む。まあ、なんとか義務ってやつよね」 うんうん、と夢子は頷き――急に笑みを消し、真顔になって言った。 「それじゃあ、帰ってもられる?」 「――――」 は、と疑問の声を漏らしかけて、ぎりぎりで堪えた。あまりの態度の落差に、思わずそういいかけてしまった。 夢子は笑顔を消し、冷たさすら漂う声で、 「受け取り拒否よ。気持ちなんてあやふやなものいらない。わたしはこの子がいればいいの」 右手を伸ばし、黒猫の喉を夢子は撫でる。 にゃぃ、と哀しげに猫は鳴いた。 「想いを届けて――その報酬に、いっぱいお金貰うんでしょ。そんなの要らない」 突き放すような夢子の言葉に、ミックは眉一つ動かさないままに首を振り、 「お代はお気持ちで構いません、私にも僅かばかりその想いに触れさせて頂ければ……」 「いいから。出てって」 冷たく、吐き捨てる言葉。ミックはもう何も言えない。 それでも立ち上がらず、バッグを固く握るミックに対し、夢子はついに声を荒げた。 「出てって!」 ミックは結局何も言えず、その気迫に押される形で、椅子を立ち上がった。夢子を一度見て、眼を瞑り、それ以上何かを言われる前に踵を返す。何を言っても、今の夢子に言葉は通じないだろうと想った。 伝わるとしたら――それこそ、言葉で現せないような、想いしかない。 扉を開け、廊下に出てから振り返り、ミックは一礼する。夢子はもうミックを見ていなかった。身を倒し、毛布を深くかぶって丸くなっている。 閉めた扉の向こう、猫が、寂しげに鳴いた。 扉の前、『YUMEKO』のネームプレートを見たまま、ミックは暫く考え込んでいたが――やがて、扉を離れた。 廊下の先、階段を昇ってすぐの所には、エプロンを外した女性が立っていた。近寄ってくるミックに気付くとすぐに頭を下げ、 「……すいません、あの子が失礼を……」 「いえ。失礼などとんでもない」 ミックが逆に頭を下げると、女性もさらにもう一度頭を下げた。 「本当はいい子なんです。ただ、病気がちで学校に行けないせいか……夫も仕事でいませんし……」 言い訳のように呟く女性の言葉を聞きながら、ミックはずっと肩に提げていたバッグを開き、その中をまさぐった。 鞄の中には、何も入っていない。必要なものが、必要なだけ、魔法のように出てくる鞄だ。 ミックの手が鞄から取り出したのは、小さな小瓶だった。中には、砂よりも少しだけ大きいくらいの小さな石の欠片がいくつも入っていた。 その小瓶を、ミックは女性へと差し出し、 「夢子さんに、お届け物です。あとで渡してあげてください」 「あら、綺麗な小瓶ね。えっと、代金は――」 「いえ、結構です」 ミックは頭を下げ、それ以上女性の言葉を待たず、モスグリーンの帽子を被りなおして階段を降りる。女性は、小瓶を握ったまま――その後ろ姿を見守った。 意外と思えるほどあっさりと、表情を変えずに、ミックは扉をくぐり、外へと出て行った。 † その夜、少女は一つの夢を見た。 懐かしい夢で。 楽しい夢で。 幸せな夢で。 だからこそ――哀しくなって、泣いてしまうような夢だった。 眼が覚めたとき、夢子は、なぜ自分が泣いているのか分からなかった。 何か夢を見たような気がする。月に腰かけて、モスグリーンの男と、色々なことを喋った気がする。 けれど夢は、銀の砂のようにさらさらと零れ落ちて、思い出すことができなかった。 ――貴方に届けたのは、素直な思いです。 そんな声を、聞いたような気がしたが――それすらも、すぐに思い出せなくなった。 右手の袖で涙をぬぐい、ようやく夢子は気付く。 いつの間にか、右手に小瓶を握っていることを。 半分寝ぼけた頭は、思い出すのに数十秒を必要とした。 「……これ、幸せ配達人がもってきた……」 夕方、母親から小瓶を受け取ったときのことを夢子は思い出す。幸せ配達人からの預かり物だ、と母は言っていた。 なんとなく、この瓶が夢を見せたような、そんな気がした。 なぜなら―― 「……空っぽになってる」 瓶の中身は、砂岩が入っていたはずなのに、まるで役目を果たしたと言わんばかりに空になっていたからだ。 もう一度、夢子は涙を袖で綺麗に拭う。 哀しい感情が心に残っていた。瞳には涙の後があった。 それでも、夢子は、ちゃんと理解していた。 今自分が本当は幸せで――幸せだからこそ、泣くのだと。 瓶を机に置いて、夢子はベッドから起きる。 ――たまには子供みたいに、素直になろう。ママと一緒に寝よう。 そんなことを思いながら、夢子は幸せそうに笑いながら、母親の部屋へと向かった。 そう言い出したときの、母親の嬉しそうな驚き顔を想像しただけで、幸せな気分になれたからだ。 誰もいなくなった部屋。 あけたままの窓から風が吹き込み、カーテンが揺れる。 黒猫は、どこにもいなかった。 † 空には三日月。夜道を、ミックはのんびりとした足取りで歩いている。仕事を追え、夢子の家を後にして――次の仕事場へと向かっているのだ。 その足元に、ふらりと猫が現れた。 首元に赤いリボンを結んだ黒猫だった。口にくわえた魚の干物を、「ん」とミックに突き出すように顔を上げている。 ミックは足を止め、しゃがみ、猫に近付いて視線を合わせる。 「それは、ひょっとして――お代ですか?」 ミックの言葉が分かっているかのように、猫が上下に首を振った。それにあわせて、ピンと立てた尻尾も揺れる。 「大丈夫ですよ。私はもう、十分すぎるほどに報酬を貰っています」 そう言うミックの表情は、夢子と対峙していたときと変わらない無表情だ。普通、動物と接するときに無意識に出してしまうような、優しい調子が態度にも声にもない。逆に、動物を毛嫌いする人間のように、態度に棘があるわけでもない。 まったくの、無表情、無感情だった。 そのことに気付いたのか、猫の尻尾が、力なく垂れた。 そんな猫に対し、ミックは、独り言のように呟く。 「記憶も、感情も、全部忘れてしまったんですよ――」 その言葉に、嘘はない。 ミックが失くしたのは、記憶だけではない。感情や、喜怒哀楽。そういった、様々な出来事の積み重ねで育てていくべきものが、ミックには欠けていた。 笑うことも怒ることも、哀しむことも泣くこともない。無表情で淡々と仕事をこなすだけだ。 だからこそ――ミックは幸せ配達人を続けている。 「――だから私は、人の想いに触れ、届ける事で、いつか自分も感情が取り戻せると思っているんです」 そう言って、ミックは立ち上がった。礼服の裾をはたき、帽子を深く被りなおして、 「だから、報酬は、貰いました」 最後まで、淡々としたミックの言葉に。 黒猫は――『届け主』は、後ろ足をまげて座り、まるでお辞儀をするように頭を下げた。 笑いたいな、とミックは思った。けれど顔は笑わず、いつもと変わらぬ無表情のままだった。 ――いつか、私にも笑える日が来ますよう。 そう、心に願って。 ミックは踵を返し、再び歩き始める。次のお客の元へ。想いに悩んでいる人の元に。幸せな感情を届けるために。優しい想いを、人に届けて――いつか優しい人になるために。 ミックは歩き出す。 モスグリーンのその背中を、見えなくなるまで、猫はずっと見守っていた。 〜了〜 |
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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑ 『俺オリスレ』内で生まれた『幸せ配達人 ミック』の小説でした。 タ |
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