■白い帽子■


 私、ハロウド=グドバイは魔物生態学者であるが、時折こう勘違いされることがある。
“あなたは魔物の味方なのか?”と。
 それはとんでもない間違いであると同時に、ある意味では正解に近い。私は魔物の味方ではなく、しかし友人にはなれると信じている。同時に、私の種族は人間ではあるものの、人間の味方というには程遠い生活をしている。私の活躍によって魔物の森が守られたり、私の本を読んで魔物から襲われにくくなった街などがあちこちに存在するが、それらはあくまでも結果としてのことだ。私の目的は、あくまでも調査と探検であり、その記録を残すことであるのだから。
 そういう意味では、私は境界線上にいると言えた。人間と魔物の境界。向こう側とこちら側の境界(どちらが“こちら側”なのかは聞かぬが花である)。まるで傍観者のように、ただの記録者のように、時には片方に、時には両側に足を突っ込みながら、私は生きていた。
 それを理由に命を狙われたことは一度や二度ではない。魔物たちには“人間の手先”という理由で襲われるし、人間には“裏切り者”(裏切りという言葉ほど不適切な言葉はないと私は思うのだが!)という理由で襲われる。魔物の攻撃は苛烈で、人間の攻撃は執念深い。住処を変えたこともあるし、(絶対に思い出したくのない、あのももっちの時のような)悲しい目にあったこともある。
 そのような人は、視点が一方に偏っている人だ。
 逆に高く広い思想や視点を持っている人たちは、私を暖かく迎え入れてくれる。私は定期的に魔物の集落に行き、彼らと儀式をともにしたりする。また、胸中を同とする友人たちと食事をすることもある。例こそ少ないものの、魔物と結婚した人間だっている。彼らは後ろ指をさされてはいるものの、本人たちは幸せそうだった。
 視点の広さ。世界の広さ。私たち魔物生態学者は、それを持つことが必須なのである。どちらかに偏ってはいけない。どちらかだけをきわめてもいけない。あくまでも全を見て動くことが、魔物と関わる人間には必要とされる。
 ……それがなかったらどうなるのか?
 今回の話は、そういう話だ。勇者はでてこない。魔王も出てこない。空を舞う竜も、海を泳ぐ蛇も出てくることはない。不運でけなげな新人冒険者たちの出番はないし、命がけの感動話でもない。恐ろしい地下迷宮が舞台でもなければ、魔物たちの楽園に行くわけでもない。
 場所は皇国地方都市。
 まだ私が、ただの魔物研究所所長であったときの話だ。
 そう、あの可愛らしい、ある意味では私の人生を大きく突き動かした、エルダーデーモンの末裔・ももっちの話だ。彼女と、私の、何もおきない平穏な日常は話だ。
 そして、「視点の偏った人」が出てくる、世界からすればどうということはなく、しかし私の世界では重大な、瑣末で巨大な出来事のお話しだ。
 興味がない方は、ここで本を閉じてほしい。この先に胸躍る冒険は存在しない。私と、ももっちの、小さな日常があるだけなのだから。
 ……。
 ……。
 ……本を閉じないということは、少なからずとも興味があると判断させていただこう。この先は私がいつもどおり好き勝手に話すだけの頁だ。私の日記だ。私の人生だ。
 それでよければ、始めよう。


          *


 皇国2235年、私は地方都市の魔物生態研究所にいた。研究員二名、研究長一名、そして研究対象者一名の小さな研究所だ。かつかつの予算で、なんとかやっていけるような、そんな場所だ。二人の研究員は好き勝手町の近辺を飛び回っているので、実質研究所には私と研究対象者・ももっちしかいなかった。それでも十分満足だったのは、私たちはそのときにはすでに家族に近い仲をきずいていたからだ。。
 つまり、この話の舞台は、私が二日間家を空けてから、あの男があらわれるまでの、短くも幸せな期間だ。
 私とももっちは、仲が良かった。家族のように、親友のように、夫婦のように(それにしては、年の離れたずいぶんとちぐはぐなコンビだ! オークとゴブリンの夫婦ほどではないにせよ。ああそういえば、私は一度だけ、水龍と火龍の夫婦を、しかもその交尾を見たことがある。あの光景は私の知る美しい光景ベスト5に確実に入っている。お互いがお互いの体を打ち消しあい、光り、消えながらも交わり、やがて新しいひとつの龍が生まれるのだ。生まれた黄金色の龍は空へと登っていった。それ以来、あの龍を見たことはない。今も成層圏のあたりを、地上を見回してゆったりと飛んでいるのだろうか?)。
 失礼、話がずれた。しかしこの癖はもう治ることはないだろう。読者たるあなたも、この本が始めてでないならもう諦めているはずだ。『ハロウド=グドバイの思考ルーチンについて』などという冗談本が出るくらいだ。私は読んだことはないが、ブラックユーモアに満ちたすばらしい本らしい。いつか読んでみよう。世界中の魔物を調べ終わったいつかに。
 また思考が脱線した。申し訳ない。
 とにかく、私とももっちは、新婚夫婦もかくやという仲睦ましさだった。なにせ、朝起きてから夜寝るまでどころか、寝ている間もずっと一緒だったのだから。
 私はそれをどう思っていたか? もちろん幸せだった。そいてそれ以上に、彼女と過ごしたあの期間は、私の人生の中でも数少ない“穏やかな時間”だった。 彼女の平均的な一日を、ここに記載してみよう。覚えている限り。忘れられないその記憶を、紙にしたためるとしよう。
 朝、目を覚ます。
 シングルベッドに、私たちは丸くなって眠っていた。そう広くもないベッドだったので、私たちは自然に寄り添って眠ったのだ。一度大きなベッドを買おうと提案したことがあったが、ももっちは決して首を縦には振らなかった。
 先に目を覚ますのは、私のほうだ。
 真っ先にやることは決まっていた。私の胸の中で、猫のように丸くなって眠るももっち。その頭を、ゆっくりとなでるのだ。窓から入る斜陽をあびて、きらきらと光るその茶色の髪に手を入れるのだ。
 水蜘蛛の糸のように、きめ細やかな美しい髪を、私は丹念になでた。ももっちが目をさめるその瞬間まで。
 私がなでるたびに、ももっちは猫のような、小さな声を漏らす。時折、寝返りをうつかのようにもそもそと動く。その様がたまらなく可愛かった。
 その行為は、たいてい、三十分ほど続いた。
 陽の光が完全に入り込むようになる時間に、ももっちはゆっくりと目を覚ますのだ。
 始めに、目が開く。熱の温度で開く貝のようなゆるやかさで。細いまつげが下から上まで動くのを、私は撫でながら静かに見守った。
 まぶたが開いても、彼女の意識は完全に覚醒したわけではない。のんびりと、太陽が昇る速度で、彼女の意識は目覚めていく。ももっちは、まだ意識のない目で、それでも私を見てくる。少しだけ顔をあげて、私がここにいることを確かめるために、顔を見てくるのだ。
 そして、私が変わらずそこにいることを確認してから、彼女はへらっと笑うのだ(今にして思えば、あの瞬間彼女に意識はなく、また彼女はその癖を知らなかったはずだ。あれはようするに、本能的な行動だったのだろう。親を求める子のような)。幸せそうに、少し間の抜けた可愛らしい笑みをももっちは浮かべる。私もももっちに笑みを返し、頭を少し強く撫でてやる。すると、彼女は目を細めて、頭をぐりぐりとされる感覚を楽しむのだ。
 私と彼女の朝は、そうして始まるのだ。
 二人で一緒にベッドからおきる。親鴨子鴨のように並んで洗面台へと向かい、となりに並んで顔を洗う。

「ん」
「はいはい、そう、少し上向いて。……はいお終い!」

 洗い終わって目をつぶったももっちの顔を、私はタオルで拭いてあげた。代わりとばかりに、私のひげをそるのはももっちの仕事だった。

「しゃがんでー」
「はいはいはいー」
「はいは一回だけっ」
「ザッド・ゲ・バニー」
「……?」
「渓谷内部外響村の共通語で『はい』だよ、ははははは」
「! もー!」

 そうして朝の用意を終えてから、私たちは食事に入る。
 朝ごはんを造るのはももっちの役目だった。
 いつもの服に着替えてから(彼女の『ねぼけ』が長く続くときは、私が着替えさせてあげた)、白衣を上に羽織って彼女は狭い台所に立つ。本当はエプロンをするべきなのだろうが、あいにくと研究所にエプロンなど置いていなかった。代わりに白衣は山のようにあったが、ももっちは私のお古を好き好んで使用した。

「もうすぐできるよ〜」

 鼻歌とともにちょこまかと動くももっちの後姿を(白衣に隠されていない尻と足を見て、情欲を感じるよりも先に、筋肉構造や細くしなやかな骨の美しさに思いをはせるのは、魔物生態学者として当然のことである。……つまり、そのときの私は、半分だけ魔物生態学者として失格であった。その意味は察してくれたまえ)見ながら、のんびりと書類をまとめるのが常だった。
 書類というものは、まとめてもまとめても次から次へと出てくるもので、ワームウォームのモンスターよりもタチが悪い。おまけに倒しても経験置が手に入ることはなく、しかし倒さないとどんどん増えていっていつか身を滅ぼすのだ。
 だが、その後に朝食が待っていると思えば、私のやる気は充分に続いた。事実、私の書類仕事は、朝方の三十分だけで全て終わっていたのだから。

「今日の朝ごはんはなんだろうね。私の大好きなパンと卵とベーコンのサンドがでてくるといいのだけれども」

 タマゴとベーコンのパンサンドは、冒険者の中では知らぬもののないあの料理だ。簡単なわりには栄養満点、調理法次第では塩分も抑えれる便利な一品である。

「問題その一。昨日の晩ごはんは何だったでしょう?」
「ん? 昨日? もちろん覚えているとも、昨日の夕飯は鶏肉の野菜煮込みだ。……ああ、わが友人コケトロフ! 君が卵を産むことがもうないのだということを忘れていたよ」
「でも、」
「でも?」
「卵、おばさんからもらってきたから」

 その頃、ももっちはある種の人的ネットワークを築いていた。というと聞こえはいいが、ようするに町内有効の会だ。冷凍魔法による食品保存など、この地方でできるはずもない。したがって、私たちの生活は助け合い支えあいだった。ももっちはやさしい少女だったし、見栄えもよかったので、まずまっさきに町内のおばさまがたに気に入られた。町内のおばさまよりえらい人間などどこにもいないので、実際のところ彼女は町内でいじめられることなどなかった。中央のほうまでいくと、さすがに指をさされるが。

「はい、できあがり!」

 ももっちはつま先だけでくるりと回り、私の方を振り向いて笑った。ふとしたさいに見せる彼女の笑みが好きだった。私の癒しになるのが人の微笑みだと、そのときになってようやく知ったくらいだ。

「ああありがとう、運ぶのを手伝おう。私がその熱くて黒くて苦いコーヒーを運ぶから、」
「私がパンを運ぶ、ね?」
「では食事としよう――ああ、ミルクは二杯、砂糖が三つだったね?」
「うん」
「苦いのなら無理をして呑まなくてもいいのだよ? 何なら私が特性の蜂蜜煮込みを作ってあげてもいいのだよ」
「うん……それも呑んでみたいけど、」

 ももっちは言葉を切り、恥ずかしそうに目をそらして、

「ハロウドと同じの呑みたいんだもん」

 私が食事中にも関わらず、彼女を抱きしめてしまったことに何の罪もないことを、ここにはっきりと記しておきたい。そうとも、別に罪はない。私は当時まだ若かったのだし、彼女の可愛さは本物であり、私たちは仲睦ましい間柄だった。そういうスキンシップがあったからとって、誰にけなされる必要もない。幸せなのは素晴らしいことだ。
 ……それが、失われてしまうものならば、特に。


      *


 朝食と片づけが終われば何をするか?
 風呂に入るのだ。
 ああ、なんて優雅な日々! 昼前に風呂に入るだなんて! と思うかもしれないが、気候と季節を考えた場合そうおかしなことではない。そのときの季節は夏であり、湿潤とはほどとおい乾いた暑さだった。もし許されるのならば一日中水浴びをしていたいと思うほどだった。また、寝汗を流す必要は確かに存在した。 というわけで、私たちは食事の片づけが終わると、すぐに風呂へと入った。その残り水で服の掃除や植物への水撒きをする。なんともすばらしい輪廻だ! すべては巡りまわる。それは私の自説である。無駄なものなど一つとして存在しないのだ(あの勇者という存在でさえ、決して無駄ではないのだ)。

「気持ちいいねっ」

 私の膝の上に座るももっちが、顔をくいと上げて言った。胸元で髪の毛が動き、私の肌をこする感触がくすぐったくて、私は少しだけ笑みを漏らした。
 狭い風呂なので、二人重なって入らないと、あふれてしまうのだ。もしももっちが成人女性並みの身長と質量を持っていたら、たちまちのうちに水が溢れてしまったことだろう。

「ああ、ヴィヴァ・ウォン・ノン、というやつだね」
「それ、何?」
「遠い国の言葉で、風呂の気持ちよさを現す言葉だよ。一種のまじないだそうだ」
「へー」
「はー、を最初につけるのが礼儀だそうだ」
「はー。ヴぃヴぁうぉんのんー」

 ももっちの鼻歌を聴きながら、私は身を深く沈め、少しぬるめのお湯を感じながら、窓の外を見た。窓の外の天気は晴れ。湿度、風位、その他諸々を調べたくなるくせを抑えつつ、ただ空を見た。青い空が遠くまで広がっている。
 どこかへ出かけるのもいいかもしれない、と私は思った。こんなに天気のいい日なのだから。お気に入りの服をきて、街の外れの方まで、ももっちと二人きりで。

「どうする?」

 その旨を伝えると、ももっちは私の膝の上でくるりと態勢を変えた。真っ向から向き合い、変わらぬ笑みを浮かべて言う。

「ハロウドと一緒なら」

 いいよー、と。いたずらっこのような瞳が、そう語っていた。



      *


 それからは大忙しだった。もっとも、忙しくない日など一日ない。特別でない日が一日としてないように、一日一日が新しい日々だ、新しい発見に満ちた日だ。
 というわけで、その日の忙しさを形容するなら、『いつものように忙しかった』だ。風呂の始末、洗濯、その他諸々。
 出発の準備が終わるころには、太陽が天の頂にかかっていた。
 ある意味では丁度良い時間帯とも言える。昼飯をどこかで買って、ピクニックにでもすればいい。まさか世界のどこかに存在するという(一部ではただの伝説扱いだが、私は必ずそこが存在すると信じている。そう、魔物たちの楽園、リアス高原が!)まで行くわけでもない。ちょっと遠出するくらいだ。
 私も、ももっちも、乗り気だった。
 私はいつもの探検姿(もっとも、装備品は置いていった)だったが、ももっちは私が一度買ってあげた、お嬢様服を着ていた。こうしてみると、本当に育ちのいいお嬢様に見える。教養などという問題ではなく、性格が良いせいだろう。心が外面に現れる、というのは本当のことだ。
 そういう意味では――
 研究所を出て出発しようとした瞬間に、私とももっちの前に現れたおばさんは、見事にそれを体言していた。
 つまり、醜い心が、醜い外見に表れていたのだ。
 醜悪だった。それは造形が悪い、というわけではない。品の悪さ、性格の悪さが、表情ににじみ出ているのだ。他人をひきずり下ろして優越に浸る類の人間。私はその手の人間を最も嫌悪している。なぜ自分を高めない? あるいは、なぜ素直に凄いね、と言えない? いいではないか、自分と違うものが存在することくらい! すべてが自分と同じものであったら、楽しいことなど一つもないではないか! 未知が、秘密があるからこそ、我々は生きて生けるというのに。
 ……私は嫌な予感をひしひしと感じながらも、その女性に話しかけた。

「なにか御用で?」
「ええ、ワタクシこういうものですの。ご存知かしら?」


 かしら、が強調された、嫌な物言いだった。まるで知っているのが当然なのよと言いたげな。言葉と共に、女性は何か名刺のようなものを私に突き出してきた。
 知らない、そう言いたがったが、残念なことに、本当に残念なことに私はその団体を知っていた。女性の名前など知りもしなかったが、団体名は知っていたのだ。
 名刺にはこう書いてあった。

『魔物保護団体』

 嫌な予感があったことを私は確信していた。それも最悪な形で。
 何か異様な雰囲気を感じ取ったのか、ももっちは私の後ろへと隠れた。
 それを見た女性が、おやおや、どうしたのかしらこの子はという顔をする。何も怖くないのよ。おばさんはあやしいひとじゃないのよ。こっちにきなさいな。そういう顔だ。
 まるで、猫をあやすような、ペットに対するような態度だった。
 友人ではなく、格下のモノを相手にするような、そんな態度だった。
 ……いや、『そんな』ではないのだ。そのものだ。
 なぜか?
『保護』などという看板を掲げていることで、察してほしい。
 保護! 保護! なんという腹立たしい響きだ! 保護だと!? つまるところそれは、相手を保護対象と、『人間様以下の存在』だと見下しているようなものだ!
 人間と魔物との最高の使い方は不干渉だと私は幾度と無く主張しているのに! 保護とはつまるところ、人型のモンスターや、小さく可愛い魔物を、『こんな可愛い子を殺すなんて許せない! 私たちが力をあわせて守ろう!』という主張だ。
 一見我々魔物生態学者の言う言葉に似ていて、それは圧倒的に意味が異なる。
 その理由を、私はここには書かない。
 これを読んでいる貴方に、察してほしいからだ(そして、あの女性のようにはならないと硬く誓ってほしいのだ! 広く大きい視野を持ってほしいと!)。

「あらあら、お姉さんは怖くないのよ。こっちにいらっしゃいな」

 女性は(お姉さん? とんでもない。私が控え目に言っておばさんなのだ。化粧とも呪術文様とも取れないようなソレをのぞけば、しわだらけの素顔が覗いているに違いない。ああ、彼女にキスをするくらいなら、まだ私はオークにキスをするだろう)そう言って、ももっちへと手を伸ばした。
 当然、ももっちは動かない。それどころか、いっそう私の後ろへと隠れてしまった。
 その態度に、女性の目が変わった。ほんの少しだけ不快げに。本人は隠したつもりだろうが、真実の探求者たる私の目はごまかせない。

「人見知りする子かしら?」

 彼女は私に聞いてきた。まさか無視するわけにもいかない、私はいやいやながらに答えた。

「ええ、まあ。彼女の種族は、もともと警戒心が強いのですよ」

 いやな人間相手ならばね、と心の中で呟く。警戒心が強い代わりに、一度信頼されるとどこまでも仲良くなる。それが彼女たちだ。
 その言葉を聞いて、彼女は「あらあら」と言った。あらあら! 本当に口に出す人間がいるなどと私は少しも思わなかった。もし私が国王ならば、今すぐにあらあらを禁止するところである。見知らぬ国王よ、一応言っておくが、この発言は不敬罪でも国家転覆予告でもないのでお間違えなく!

「それだと困るでしょう? ほら、もっと人に慣れないと、ねえ?」

 何がねえなのかは知らないが、女性は猫撫で声で(この場合は、猫が撫でられるときに、嫌そうに鳴く声である)言った。
 人に慣れないと、と女性は言う。それはきっと、もっと社交的になれということだろう。しかし、彼女の言う社交的とは、一体何なのだ? 人に飼われた魔物の品評会か? それとも、社交場での自慢のしあいか? 私はこんなに珍しい魔物を飼っているんですよ、とでも? そしてその素晴らしい魔物をみんなで守りましょう! と叫ぶのだ。魔物の皮で作った高級の服を着ながら。
 畜生め、と私は心の中で毒づいた。こんなことになるのなら、もっと早く家を出ればよかった。
 そう思った瞬間だった。

「私には――」

 私の後ろに立っていたももっちが、私の前にずい、と出たのだ。
 まるで、私を、女性から守るかのように。
 ももっちの小さな身体が、まるで勇者のように(勇気あるものを勇者というのならば、そのときのももっちはまさしく勇者だった)大きく見えた。
 ももっちは女性をにらみつけて、はっきりと、言った。

「――ハロウドがいれば、それでいいんです」

 そのときの女性の、間の抜けた顔といったら!
 幼い少女の必死の告白を(あるいは愛の告白だろうか?)を眼前で言われて、何も言えなくなった女性の顔といったら! ぜひとも絵に残して彼女に送り付けたいくらいである。「貴方の一番愉快な顔ですよ!」と。
 ももっちは言って、駆けていった。
 街の方へと。
 オレンジ色の髪と、小さく揺れる悪魔の尻尾が遠ざかっていく。
 これはももっちが作ったチャンスなのだと、女性が正気に戻るよりも先に、私は気づいた。

「あの子は今の生活が幸せなのですよ。貴方がたに心配されるまでもなくね」

 私はそれだけ言い置いて、彼女のあとを追った。
 後ろからなにやら怒鳴り声が聞こえたが、当然無視をした。


          *


 ももっちに追いついたのは、街の中央区に近づいてからだった。
 彼女の足はさして早くない。追いつくのに苦労はしないだろう――と思ったが、彼女は全力で走ったのか中々止まろうとしなかった。仕方なく私はその後ろをついて走ったのである。
 ももっちはゆっくりと速度を落とし、歩くペースまで落としてから、くるりと私の方を振り向いた。

「あのおばさん、来てない?」
「ああ、来てないとも。ももっちのおかげだよ、助かった」
「……やっぱり、ハロウドも困ってたんだ」
「困ってたといえば困ってたともいうね。しかしそれを大声で言うとまた困ったことになるのだ。困ったね。まあ気にしないでおこう、今日はそんなことより、」
「お散歩?」
「そう! それだお散歩だよ。もうこのまま行こう」
「どこに?」
「どこかに。……ああ、そうだね、決めた」

 私はあっさりと目的地を決めた。
 理由は簡単だ。私の目の前、蚤の市で、帽子が売っていたからだ。
 白い、つばの広い、夏用の帽子が。
 可愛らしいリボンのついたその帽子は、ももっちにさぞかし似合うと思ったからだ。そして、帽子と少女と合わされば、行くべきところは一つである。
 海岸だ。
 私は店主に声をかけた。値段を聞くこともなく、いきなり言う。

「これを貰おう」
「毎度」

 毎度も何も一度きりしか利用しないよ、そういいかけてやめた。店主が売っているものの中に、私の興味を引くものが(魔法の品や、古い本だ)いくつかあったからだ。いつかまたこよう、そう心に固く誓う。
 帽子は、思っていたよりも、安かった。

「ハロウド?」

 私の突然とも言える奇行に、ももっちが首をかしげる。
 そのかしげた首、橙色の頭に、私は白い帽子をかぶせてあげた。

「プレゼント」
「いいのっ!?」
「もちろんだとも! さっきのお礼、そしていつものお礼、それ以上にただの私の気持ちとてしての、親愛なるももっちへのプレゼントだ」
「…………」

 私の言葉に、ももっちは一瞬呆けた。
 同じ呆け顔でも、さっきの女性とは全然違った、可愛らしいものだった。
 そして、くるくるとももっちは表情を変える。
 笑いに。幸せそうな笑いに。見ているこちらも幸せにする笑いに。

「ありがとうっ!」

 お礼の言葉を大声で言う。周りの人が何人か振り向いたが、私たちは気にしなかった。
 私たちは二人、手をつないで、歩き出した。
 つないだ手は小さく、けれども温かかった。
 この手をいつまでもつないでいられたらいい、私はそう思ったのだった。




               ■



 海岸線。
 砂浜を、はだしでももっちが駆けていく。その頭には、先ほど買ってあげた白い帽子。
 ももっちはひいては返す波を足で踏みながら、楽しそうに笑っている。
 砂浜には誰もいない。私とももっちの他には、誰も。
 魔物しか知らない隠し道を通ったのだから、当然だった。
 音もしない。
 ザー、ザー、と、砂と波の音。そしてももっちの足音と笑い声だけが響く。
 まるで、世界に、私とももっちだけしかいないような、そんな光景だった。
 太陽の光を受け、きらきらと輝く海岸で、ももっちは笑い、歩く。
 幻想的ですらあるその景色を、私は座って、ぼんやりと眺めていた。
 この時間が永遠に続けばいい。
 そう思いながら、私は、ずっとももっちを見ていた。
 ずっと、ずっと。
 幸せをかみ締めながら。




ハロウド=グドバイの手記より抜粋




感想や叱咤、誤字などがあったら気軽に伝えていただけると幸い。


■あとがき■



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