■素晴らしく幸せな世界へ■





 周知の事実ではあるが、私の記憶力は少しばかりおかしい。
 魔物などの興味がある方向には突出しているが、興味のないことを憶えるのは苦手なのだ。というよりもまったく憶えられないし、憶える気もない。人の顔や、昔あったことなど、あっさりと忘れてしまう。私が駆けて行く先は未来であり、過去のことを気にする暇などないからだ。研究対象以外では、だが。 というわけで、過去にあった失敗や、後悔すべきことなど、私はあっさりと忘れてしまう。
 そんな私にも、忘れられない、悔やんでも悔やみきれない過去というものがある。
 皇暦2335年、私がまだ若く名の知られていない、ただの研究所長の頃の話だ。
 今でこそ私、ハロウド=グドバイは世界に知らぬ者なき三大魔物学者として――我が良きライバルであり最高の友人である、生態学者トゥルスィ=アーィと、神学者夢里皇七郎の二人に私を加えた三人だ。この手記をお読みの方は、手持ちの魔物生態辞典の後付を開いてみるといい。三つの名が整然と並んでいるのを見ることができるだろう!――活躍しているが、その頃の私は若く、勢いがあり、そして愚かだった。
 魔物と触れ合う、ということを、深く理解していなかったのだ。
 もし理解していたのなら、あんな軽率なことをしなかっただろう! 外れとはいえ、街中に魔物生態研究所を建てるなどということは。私がもう少し賢ければ、あの大惨事は防げたはずなのだ。
 が、この世界にIFはあるが、残念なことに私の手元には存在しない。IFなんてものを操れる第七章生物に出会ったことはまだない。過去を変えることなど私にはできないし、する気もない。過去の美しい積み重ねを勝手に変えることなど、どうしてできようか!
 閑話休題。
 ともかく、私は未来ある優秀な研究所長として研究を続けていた。研究員はわずかに二名。所長を合わせて三名といった小さな研究所だが、私たちの士気は高かった。
 なぜか?
 私の研究所には、『ももっち』がいたからだ!
 この手記を読む貴方が生態学者ならば(あるいは、魔物と戦い続ける冒険者諸君ならば)、私の幸運が判ってくれるだろう。
 今では絶滅種、そして当時は希少種であったももっちが、私の手元にいたのだ。エルダーデーモンの変異種、神の残した神秘、あの伝説の『魂の欠片』の欠片を持つもの! 魔物でありながらも人に近づいた、境界線上の存在。
 研究内容には尽きない、すばらしい存在だった。
 これを読んだ誰かはこう考えるだろう。こんな疑問を持つだろう。
 私が彼女に極悪非道な実験をしていたか? と。
 とんでもない!
 私が、この私がそんなことをするはずがないではないか! 愛すべき魔物!
 確かに容姿は可愛らしいが、私が最も愛したのは、そのあり方、存在そのものなのだ! たとえ彼女が醜悪なゲル状生命体だとしても、私は変わらぬ愛を注ぎ、丁重に『客』として迎え入れただろう。
 だが、彼女は人型であり、中身までもが少女であった。
 だから私は、研究の一環として、彼女を『家族』として迎え入れることにしたのだ。
 彼女は、歳の離れた友人であり、妹であり、娘だった。恋人ではなかった。私たちはパートナーであり、気の会う仲間であった。研究者と非研究対象というよりは、まるで『生活実験』のような、そんな日々を送っていたのだ。
 それは心温まる日々だった。
 ……。


「ご飯、いる?」
「ふむ? ひょっとして作ってくれたのかね?」
「うん。暇、だったし」
「ほう! 積極性のある対人関係の構築とは素晴らしい! 本能的に火を恐れない調理法といい、味覚の機微がわかる点といい! ああ勿論ありがたく頂くとも!」
「……美味しい?」
「ももっち」
「……なぁに?」
「私に一生ご飯を作り続けてくれないかい?」
「……!!」
「素晴らしい味だ、研究員の作るドロ水コーヒーとは比べ物にならないね!」
 ……。


 ……。
「ねぇ」
 くぃ、と彼女は私の裾をひっぱってきた。私は家へと帰りかけていた足を止め、胸元以下しかない彼女の顔を覗き込んだ。
 上目遣いで何かを懇願するように、ももっちは私を見上げていた。
「なんだい? ひょっとして具合でも悪いのかい? それは大変だ、いますぐに検査を、」
 ううん、と首を横に振った。私はわけがわからず、彼女が説明してくれるのを待った。
 ももっちはもじもじと指を動かし、私の白衣をくしゃくしゃにしてから、蚊の鳴くような声で言った。
「もう、帰るの?」
「うん。帰るとも。帰って寝て起きてまた来るのさ」
「……」
「それが?」
「明日は、何時に来る?」
 私は、その言葉でピンと来た。
「ひょっとして、寂しいのかい?」
 ももっちは――顔を真っ赤にして、こくん、とうなずいた。
 ……。


 ……。
 というわけで、私は借りたばかりのアパートを解約し、研究所内で寝泊りをすることになった。もともとあった仮眠室を改良し、寝泊りできるよう小さなベッドを二つ作った。ガスも水道も取っていたので、生活に不自由はなかった。二人分の食器を買い込み、棚に詰めた。傍から見れば私のソレは奇行であったが、二人の研究員は温かく見守ってくれた。彼らもまた、心優しき生態学者であり、彼らにとってもももっちは愛し守るべく存在だったからだ。
 ……。


 ……。
 夜、私がベッドで(もちろん、古くて固くて狭い方のベッドだ。上等なベッドはももっちへと譲った。それくらいの甲斐性は私にだってある)寝ていると、もぞもぞとももっちがベッドに入ってきた。
 私のベッドに、だ。
「…………」
 私は何も言わず、彼女を見た。
 彼女もまた何も言わず、深くベッドの中にもぐりこみ、私の胸の中で猫のように丸くなって眠りについた。すー、という小さな寝息だけが聞こえてくる。
 彼女を起こさないように、私は小さくため息をついた。彼女のこうした行動に興味はつきないが、いきなりされるとさすがに驚くというものだ。
 この癖は、毎晩続いた。
 彼女に尋ねたところ、さんざん言い渋って、やはり顔を真っ赤にして彼女は「一人で寝るのは怖い」と言ったのだ。
 一緒に寝ることが習慣になった。
 ……。


 ……。
 二つのベッドのうち、一つは古道具屋行きとなった。そのお金は私の懐に入る予定だったが、研究所に帰り着くまでには全て無くなっていた。
 ……。


 ……。
「これ……」
 女の子向けの洋服屋。試着を終えたももっちは、おずおずと私の方を上目遣いで見てきた。本当に買ってもらっていいの、と蚊の死ぬような小声で続ける。
 私は即答した。
「ああ、気にすることはない。無駄なものを売り飛ばして必要なものを買っただけだからね。そうとも、この世に無駄なものなどないのだ! 全ては必要なものへと変化し物は流転していく!」
「お客様、もう少しお声を……」
「ああ、すまないすまない。貴方は店員としての職務をまっとうしてもらって構わないよ。それで、ももっち、それが似合っているかって? ふむ」
 私はももっちを上から下までじっくりと見た。
 今までの質素な服装も似合っていたが、これもまた格別のものだった。フリルの多くついた、少女らしい可愛い服。農作業などの「汚れる」ことを前提とした服ではなく、見た目の可愛らしさを追求した服だった。すその広がるスカートがよく似合っていた。
 私は、正直な(真実を調査し探求する者として、私は常に正直である!)感想を述べた。
「素晴らしい。もちろん服がではなく君がだ」
 ももっちは私の言葉に――嬉しそうに微笑み、くるりと一回転してみた。
 フリルのついたスカートが、ふわりと広がる。
 かすかにももっちの匂いがした。
 ……。
 

 ……。
 一緒に風呂に入った。
 彼女の体は私の半分ほどしかなく、研究室のせまい浴槽でも充分に入れた。私の膝の上に乗るようにして、二人折り重なるようにしてのんびりとした。
 ふと思い立ち、私はよく考えもせず、
「生殖器を調べても構わないかね」
 と、相手が少女であることも忘れ尋ねてしまった。これは学者の悪癖だ。調査が何よりも優先され、ときには倫理や常識を忘れることは。
 私の言葉に、ももっちは満面の笑顔で振り返り、

「べ――」

 あっかんべーをして、右手で私の頭を叩いた。
 顔は真っ赤だった。
 三時間も口を聞いてもらえなかった。
 ……。


 ……。


 小さな事件が起こった。
 私たちの関係を変える、小さくとも、重大な事件が。



 “新種の魔物が街の近くで見つかった。至急来てほしい”という連絡を受け、私は丸々二日間研究所を留守にしたのだ。
 結論から言えば、情報はガセだった。というよりも単なる見間違いと勘違いだった。“新種の魔物”の正体は、ゴム樹皮を全身に塗りたくり、体中に枝と葉と花をつけ、おまけに泥沼に落ちた間抜けなゴブリンだった。ゴム樹皮を塗る、というのは、彼らが狩猟の際に行うまじないだ。普通は手にのみ塗り、“武器と獲物が離れることのないよう”と願うものだ。その間抜けなゴブリンは、何を勘違いしたのか全身に塗っていたが。
 完全な徒労だった。
 そして私は、そのときになってようやく、ももっちのことを思い出した――一言も連絡を入れていなかったのだ(当時はまだ、魔粒子による音速通信が確率されていなかった)。
 だが私は楽観していた。
 高々二日だ。家には充分な量の食料もあるし、実質研究所での家事はすべてももっちが行っていた。
 何も心配することはない。そう思っていたのだ。
 愚かしくも。


 家へと帰りつくころには夜になっていた。天の頂には真円の青い月がかかっていた。三つ子月の中で、“最も優しい夜”と呼ばれる月だった。
 魔物たちでさえ眠りにつく、静かな青い夜。
 私はノックもせず、足音を殺して部屋へと入った。寝ているももっちを起こさないように、という私なりの親切心だった。
 それが過ちであり、私が底抜けで救いようのない愚か者だと判明したのは、扉をくぐったその瞬間だった。
 暗くなり、窓から青い光のそそぐだけの研究室。その真ん中にある机に向かって、夜よりもなお静かにももっちが座っていたのだ。

「…………」

 私は沈黙した。沈黙することしかできなかった。どんな言葉をかければよいというのだろう? 未だ還らぬ主人を、眠気をこらえて待つ少女に。すっかり冷えてしまった夕食(昨日もそうだったに違いない。生ゴミ箱に、料理の形をしたモノが捨ててあったから。彼女はいったいどんな気持ちでアレをつくり、そして捨てたのだろうか?)を机に並べ、一心に私を見つめてくる少女に。
 ただいま、とでも阿呆のように言えばよかったのだろうか? あるいは、何をしているのかと問えばよかったのか? 美辞麗句を並べ立てて謝るか?
 まさか!!
 どんな言葉を意味をなさなかった。彼女の二日間を埋める言葉など、この世のどこにも存在しなかった。何かを言う資格があるとすれば、それは眼を赤くはらした少女だけのものだった。
 ……ももっちは、椅子を立ち、呆然と立ち尽くす私の前まで歩み寄ってきた。顔を伏せていたため、彼女がどのような表情をしているのかわからなかった。
 私は覚悟をして待った。
 彼女にしかられ、ののしられ、殴られ、嫌われる覚悟を。
 しかし――

「……よぅ」

 ももっちのとった行動は、そのどれとも異なった。
 倒れる柳のように、私によりかかってきたのだ。そして、その細く白い手をわたしの背へとまわし、力いっぱいに抱きついてきた。

「……さみしかったよぅ……っ!!」

 言葉はそれに尽きた。
 私の腹に顔を埋め、声も出さずにももっちは大泣きした。音もなくびしょびしょに濡れていくシャツだけが、彼女の寂しさを表していた。抱きついて泣く少女にかける言葉は、やはり無かった。
 私にできることは一つしかなかった。痛いくらいに力を込めて抱きついてくるももっちの体を、私はそっと抱き返してやった。異性を抱きしめるのは生まれて初めてだ、そんな場違いなことを考えながら。
 その行為が正しかったのか、今でもわからない。
 ただ、ももっちはさらに深く泣き、強く抱き返してきた。
 静かな青い夜に、かすかな泣き声だけが響き渡った。
 青く優しい夜、すすり泣く少女。
 その姿を、私は初めて――魔物として、研究対象としてではなく、そう、異性として――美しいと、感じたのだった。



          ■



 私たちは一歩前へと進んだ。生活的な意味でも、研究的な意味でも。
 最初に生活ががらりと変わった。
 私は、一日のほとんどを研究室で過ごすようになった。出張の仕事は断り、基本的に街から離れないようにした。また、その私のそばには常にももっちがいた。
 以前よりも二人の距離は近くなった。
 例えば、私が椅子に座って本を読んでいると、彼女はどこからともなく寄ってきて私の膝の上に座るのだ。まるで、甘えたがりの子供のように。そんなとき私は、片手で彼女の頭を優しく撫でてやった。するとももっちは気持ちよさそうに眼を細め、私の体にすりよってくるのだ。子供のように、猫のように、少女のように、甘えてくるのだ。
 家族から、それ以上の関係になったようなものだった。事実、あの頃の私たちは、他人から見れば歳の離れた新婚夫婦のように見えたに違いない。
 しかし、私たちの関係とはそんなものではなかった。夫婦とはまた別の、しかし深いところで繋がった関係だった(私は言語学者ではないうので、関係を表す言葉を思いつかなかった。この本を読む我が未知なる読者よ、叶う事ならば、この関係を表す言葉を探し出して教えてほしい。それが無理ならばいっそ作ってくれ!)。
 ただ一ついえることは、互いがかけがえのない存在だということだった。
 そして、もう一つ。
 生態学者として、私は、重大な事実に気づいた――あるいは、重要な仮説を思いついたのだった。
 種族としての『ももっち』。
 彼女たちは、あのエルダーデーモンの末裔だ。しかし、もはや牙も爪もなく、名残といえばその瞳と尻尾くらいのもので、力も遠く及ばない。『奇跡』を起こす能力すらない。使い道のない魔力と経験地を秘めた、ただの少女のようなものだった。
 なぜ、彼女たちは退化としか思えない進化を遂げたのか?
 ……生物学上に、『退化』という言葉はない。それは進化と同一であり、何らかの意図を――あるいは原因を持って行われることなのだ。生きるために、生き延びるために、生き続けるために、そして子孫を残すための変化。それが進化だ。
 彼女たちは、人に近くなった。
 そして、彼女たちは人懐っこく、甘えん坊で、(悪く言えば軽度の依存癖すらある)、誰かと共に居なければ生きていけないような存在だ。
 それはすなわち――『人間』との共存のための進化なのではないか?
 それは、いままでの魔物生態学と、そして人間と魔物のこれからを覆す、重要な仮説だった。憶測にすぎないものの、興味の尽きない内容だった。
 もっとも――



 ――それを確かめる機会は、永遠に失われたわけだが。



          ■


 その日、私は街の中央区へと出かけていた。補助金を受け取りにだ。
 普及された金額は予想以上に多かった。この前書いたももっちに関する論文が評価されたのだろう。ひょっとすると、物議をかもし、皇国中央へと召還されるかもしれない。
 が、そのとき私の頭にあったのは、ももっちと美味しいものを食べに行こう――ということくらいだった。あの一見以来、すっかり私たちの関係は甘くなっていたのだから。
 だから、忘れていたのだ。
 種族『ももっち』が、稀少なモンスターであることを。


「よぅ」


 <彼>は(結局、私は彼の名前を知らなかった。知る機会もなかった。ここでは一貫して<彼>と表記させていただく)、研究所へと戻ってきて、呆然と立ち尽くす私に向かって、まるで往年の友人にあったかのように手をあげて挨拶した。
 私は、何も言えなかった。
 なぜならば<彼>は、私が扉を開けた瞬間、よりにもよって私の目の前で、ももっちを切り殺したのだから。切り殺した次の瞬間、入ってきた私に気づき、何事もなかったかのように挨拶をしてきたのだ。
 ……。
 この時ほど、私は自らの観察力と調査力を恨めしく思ったことはない。恐怖におびえるももっちの仕草も、瞳から流れ落ちる涙も、腰のあたりで真っ二つになる瞬間も、赤い内臓と血管が覗く断面図も、男が使った狂気が研究所の何の変哲のないパールであることも、殺す瞬間に男がたしかに笑っていたことも、すべて分かってしまったのだから。
 ももっちの死に様は、今なお、私の頭にこびりついて離れることはない。
 血はすぐには吹き出なかった。一定以上の力と速度で切り裂いたため、血管や筋肉が切られたことに気づいていないのだ。よりにもよってただのバールでそんなことをする<彼>の実力が信じられなかった。
 ごとん、と。
 いやな音をたてて、上半身と下半身を別たれたももっちが地面に落ちた。その衝撃で、ようやく血管たちは血液を床に撒き散らし始めた。下半身と死に別れになった上半身が、びくんびくんと跳ねた。
 <彼>は――満面の笑顔を浮かべて、血のついていないバールを肩に掲げ、呆然とする私に言った。

「なりがいいから犯っちまおうかとも思ったがな。誰かに横どりされんのもなんだし、さっさとヤっちまった」

 そして<彼>は半分だけになった下半身を持ち上げ、まるで「私はなんて親切なんでしょう!」とでも言いたげな笑みを浮かべて、よりにもよってこう抜かしたのだ。

「この穴でよかったら使うか? まだあったかいぜ」

 その時ほど、怒りを感じたことはない。
 そして、感情を抑えなかったのも、抑えようとしなかったのも過去にも先にもその時だけだ。
 私は怒りのままに拳を固め、その男へと殴りかかった。勝てる、勝てないの問題ではなかった。殴らなければ気がすまなかった。ももっちを殺した男を、そして殺されてしまった自分を殴り飛ばさなければ、私は発狂していただろう。
 彼は私の望みをかなえてくれた――すなわち、何のためらいもなく、愚かだった私を殴り飛ばしてくれたのだ。手加減をしてくれたのか死にはしなかったが、死にそうなくらいに痛かった。骨の二、三本は確実に折れているのが、生態学者として分かった。
 思い切り地面に叩きつけられる。意識が消えそうになった。消えるわけにはいかなかった。私は奥歯をかみ締め、必死でこらえた。口の中に血の味がした。
 痛かった。
 そして――ももっちは、私以上に痛かったに違いなかった。
 <彼>は、痛みをこらえ、必死に起き上がろうとする私を見下ろしていた。さきほどまでのうそ臭い笑顔の消えた、感情のない笑い顔だった。他人を、そして世界を見下したような笑み。

「経験地10万、ありがたく頂いたぜ――オレのために大切に『保存』しといてくれてありがとうよ!」

 彼はバールを投げ捨て、踵を返し、何を言う間もなく、振り返ることもなく立ち去って言った。

 ひゃははははははははははははははははははははははははははははははは、

 という笑い声だけが、遠くから響いてきていた。



 ……私は、残された力を振り絞って、ももっちへと擦り寄った。立ち上がることもできなかったので、はいつくばって、だ。
 ももっちは、かろうじて生きていた。上半身だけになっても、意識だけは残っていた。数秒後には消え去るであろう命とともに。
 彼女の光のない眼は、私を見ていた。
 死に掛けた少女。
 ももっちもまた、最後の力を振り絞って――私と違い、彼女は文字通り最後だった。自分が死ぬことを、彼女は理解していた。今にして思えば「いつかは死ぬ」ことも、きっと知っていたのだ――私に言った。


「ありがとう」


 それが、最後の言葉だった。
 上半身だけになったももっちは、最後にソレだけを言って――満足げに、笑ったのだ。
 この人生は無駄ではなかったと。
「この世に無駄なものなどはない」とでも言いたげに。長くもない二人の生活は楽しく、幸せだったとでも言うように。
 彼女は、今までで一番幸せな笑みを浮かべ、その笑みを残したまま、死んでいった。
 私は――泣いた。
 誰かの死にないたのは、それが初めてだった。相手が魔物であることなど、意味をなさなかった。魔物も人も関係ない、その時私の目の前で死んだのは、大切な愛しい存在である『ももっち』という名の少女だったのだから。
 私は子供のように大声で泣き続けた。
 最後まで意識を失わず、ももっちから視線をそらすことなく、私はただただ泣き続けた――――






          ■



 思えば、それが私の始まりだったのだろう。
 私は中央区へと召還されたが、それを断った。断る代わりに金だけ貰い論文を幾つも発表し、著書を築き、同時に旅を始めた。
 様々な魔物たちを調べるたびを。
 その果てに、魔物と人が手をつないで生きていける世界を見つけるために。
 いつの日か――
 あの少女と、共に暮らした、幸せだった日が、全ての人間と魔物のもとにあることを信じて。

 私は今日も、旅を続けている。




               グドバイ=ハロウドの手記より抜粋


辞典あきと、読んでくれた方々に最大の感謝を。   人比良



感想や叱咤、誤字などがあったら気軽に伝えていただけると幸い。


■あとがき■



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