■ももっちと勇者■




 リアス高原の利点は、ひとえにその環境にある。
 世界で三番目に高い山にして、世界で一番高い山脈。それがシルバニア共和国領土に存在するリアス山脈であり、その丁度中心部分に存在するのがリアス高原である。
 シルバニア自体が辺境であり、リアス山脈に昇ろうとするものなど誰もいない。環境が厳しすぎて、昇っている最中で間違いなく死ぬからだ。おまけに山脈の中には大量に龍が住んでいる。
 そういう理由が重なって、リアス高原は平和だった。
 人間と魔物が、そして人間と人間が争いある世の中にいって、リアス高原は平和であり、ある種の理想郷だった。
 人にとって、のではない。
 そこに住むのは、人ではない。
 リアス高原に住むのは、外の過酷な環境で生きていけない、弱く優しいモンスターたちの巣だった。
 数種族数十体だけの、小さな小さな魔物の楽園。
 そこに、ももっちという名前のモンスターが住んでいる。
 見かけは十歳前後の可愛らしい様子をしている。容姿だけを見るのなら、普通の人間と変わりない。人間の少女、と言われても違和感はない。
 その能力も、人と変わらない。つまりは、何の力もない、無力な少女型モンスターだ。
 ただ一点、ももっちが他の魔物に比べて異様な点がある。
 経験地が高いのだ。
 高すぎる、と言ってもいい。普通、経験地というのは、そのモンスターが積みかさねてきた経験の数値である。つまり、修行すれば修行するほど、長生きすれば長生きするほど、強ければ強いほど、その数値は高くなる。それは人も魔物も変わらない。
 ももっちだけが違う。
 彼女たちは、生まれたその瞬間から経験値が十万を越えている。ドラゴン種族の平均経験値が一万というのを考えると、その数値は破格だ。そして、その値は生まれてから死ぬまで変わることはない。人生や実力と関係なく、彼女たちは十万という経験地を持っている。それを活用することもできないままに。
 だから、彼女たちは、人間にこう呼ばれている。

『神に救われた魔物』

 そして、同時にこう呼ばれる。

『悪魔に愛された魔物』

 なぜならば、彼女たちはその経験地の高さゆえに、人間の冒険者たちに狙われる。
 もっとも無力な魔物が、信じられない経験地を持っている。
 それは、人にとってはカモでしかなかった。見つけ次第殺された。反撃しようにも弱すぎて、子供相手くらいにしか変えなかった。
 今ではもう、世界のどこを歩いてもももっちの姿を見ることは、ほとんどできない。
 ここ、リアス高原を除いては。
 人のこないリアス高原だからこそ、ももっちは今、平和に生きることができる。外的に脅かされることなく、幸せに。


 そのリアス高原の端、山脈の入り口付近に、今、一体のももっちがいた。
 茶色のショートカットにワンピース。幼い容姿に楽しそうな笑顔。仲の良い魔物からは『モモ』と呼ばれているまだ幼いももっちだ。
 ももっちは基本的に、生まれて数週間で一定の大きさになり、それ以降は大きくなることはない。見かけだけでは判断できないのだ。
 モモは、成体になったばかりの、本当に幼いももっちだった。
 幼くなければ、山脈の入り口付近にまで行こうとはしない。
『あそこは危ないからね』
『決して出ちゃいけませんよ』
『高原の端に行ったらダメだ』
 大人の魔物たちからは、常にそう言われている。盆地に近い高原と違い、山脈になると高低差が大きくなる上に、落石やがけ崩れ、落下の恐れがある。危険な魔物こそ少ないものの、自然の脅威に満ち溢れている。
 絶対行っちゃいけないよ、と子供たちは言われている。
 そして、少しくらいならいいよね、と子供たちは思うのだ。
 モモもその一人だった。少しくらい、少しくらいはいいよね、と常々思っていた。けれど実際に行かなかったのは、多少臆病な性格だからだ。
 今、そこにいるのは、自ら来たわけではない。 
 彼女の隣に立つ、友人の男の子モンスター――ひろっちに連れてこられたからだ。

「ねえヒロ君、だめだよ、おかあさんも行ってたよ、来ちゃいけないって」
「大丈夫だって。モモだって、前から行ってみたいって言ってだだろ?」
「それはそうだけど……でも、危ないよ?」

 事実、危ないことは危なかった。
 足の踏み場もない――というわけでもないが、二十メートルも横に歩けばがけになっている。
 慎重に歩くうちは大丈夫だが、『何か』があったときは、大変なことになることは間違いない。
 けれど、それを分かっていてもなお、ヒロは笑う。

「大丈夫大丈夫! モモはしっかりしてるしさ、オレが危ないことしたらちゃんと止めてくれるだろ? 頼ってるよ」
「え? ……そ、そうかな。うん、ありがと」
「それにこうすれば大丈夫だろ」

 照れて微笑むモモの手を、ヒロは握る。
 モモは一瞬驚くが、それでもヒロの手を強く握り返した。
 その仕草に逆にヒロの方が照れてしまい、ついそっぽを向いてしまう。そんなヒロを見て、モモも楽しそうに笑う。
 山脈の上。陰でこっそり見ていた竜が微笑んでしまうくらいに、微笑ましい光景だった。彼はリアス高原を守る魔物の一人であり、子供たちの味方だった。こういう危ないことをする子供を止めないかわりに、いつもこっそりと守っていた。
 二人は手を繋いで、山脈の方へと歩く。

「で……ヒロくん、どこに行くの?」
「いいところ」

 そっぽを向いたままヒロは簡潔に答える。
 モモは頬を膨らまして、

「もう、いっつもはぐらかすんだから! いきなり連れだしてさ、行き先くらい教えてくれてもいいでしょ?」
「大丈夫、ホントにいいところだからさ。着くまでのヒミツ、ってやつだよ。それよりモモ、」
「? なぁに、ヒロくん」
「ここのことは他の奴にはヒミツだからな。せっかくオレが頑張って見つけたんだ。お前だから特別に教えてやるんだぞ」
「……特別?」
「そう、特別だ」
「――うん。ありがとう!」

 モモは満面の笑みを浮かべる。
 ヒロはその笑顔を横目で見て、相変わらず可愛いと思う。
 ヒロにとって、モモは幼馴染だった。同じ時期に生まれた似た種族の魔物。生まれたときから一緒だった。兄妹のようなものだった。
 好きではある。
 が、そういうことを正直に言いにくい恥ずかしさがあった。それに、今までこうして兄妹のように生きてきたのだ、『好きだ』と言って、モモがなんて答えるのか分からなかった。フラれるくらいならしばらくは兄妹のままでもいいとヒロは思っていた。
 その思いに、モモがとっくに気づいていることを、ヒロはしらない。
 モモとしては、ヒロのことがすきなのは当たり前なのだ。ずっと一緒にいて、ずっと守ってもらえて。一緒にいるのが当然だった。他の誰でも代わりにはならなかった。
 けど、自分から言い出すのは、何となく恥ずかしい。こういうのは、できれば男の子の方から言って欲しい。
 そういうわけで、モモとしても自分から切り出すことはなく、いつもの兄妹の関係のままだった。
 色々な意味で幼いカップルは、手を繋いで、山脈の道を行く。

「……ところで、どこにあるの?」
「もうすぐ」
「ヒロくんそれさっきも言ったよ」
「今度こそ本当にもうすぐなんだよ! ほら、あそこの横道、」

 ヒロが指差す。
 そこには、確かに横道があった。太い主道から外れた、幅が一メートルほどの支道。大きな岩の陰になっていて見えにくかった。言われなければ気づかなかっただろう。
 あんな場所があることを、モモは知らなかった。

「あそこ?」
「あそこ。曲がってすぐだよ」

 言っている間に支道につく。
 支道は、岩の陰になっているというよりも、岩をくりぬいてできた道のようだった。もともとは山脈の一部だったのだろう。それが、何かの拍子で亀裂が入り、小さな道になった――そんな感じだった。
 人だと、通り抜けられるかどうかすら怪しい道だった。
 が、体の小さいももっちとひろっちにとっては、それは苦にはならない。
 二人で手を繋いだまま、何なく潜り抜ける。
 陽の光が届かないせいで暗い。少し歩いた先、出口から漏れてくる光が全てだった。
 ほんの少しだけ怖くなって、モモは手に力を込める。
 ヒロもしっかりと握り返し、二人は一緒に前へと進む。

「もうすぐだね」
「うん、もうすぐだ」
「何があるの?」
「ヒミツ、って言ってるだろ。……でも、モモは絶対気に入ると思うんだ」
「ホント?」
「本当。オレがウソいったことあったか?」
「……たまーに」

 そう言ったモモのほほを、ヒロが空いた手でつまむ。
 いひゃいいひゃいいひゃひひょひひょふん、と言うモモ。
 痛い痛い痛いよヒロくん、と言ってんだろうな――と思いながら、ヒロは手を離す。

「だ・れ・が・ウソつきだって?」
「そ、そんなこと言ってないよっ」
「そうか。ならいいや」
「……ヒロくんのバカ」
「なにか言ったか?」
「ううん。何にも」

 暗闇の中、モモはじと目でヒロを睨む。
 暗いせいでヒロはそのことに気づかない。
 気づかないまま、さっきまでつまんでいた手で、モモの頬を撫でた。
 いたいのいたいの飛んでいけ、とでもするように。
 その行為でモモのふくれっ面が治る。
 ――ヒロくんは卑怯だ、とモモは思う。
 いっつもイタズラしてくるのに、いっつも意地悪してくるのに。
 そのくせ、ふいって、優しいところを見せるのだ。
 おかげで嫌うこともできない。モモが自分から好きだと言い出さないのは、そういうのも関係しているのかもしれない。
 小さな、本当に小さな、自分にも聞こえないような声でモモは言う。

「……早く言ってよ、ヒロくん」
「ん? 何か言ったかモモ」
「ううん、なんでもないの」

 常に意識を向けていてくれるのだ、とモモは思う。
 もう少し素直になれれば両方とも幸せになれるのに――と、上空を旋回する竜は思っている。


 光が近づく。
 出口から、モモとヒロは、手を繋いだまま、飛び出した。

 ――眩しい。

 暗い場所になれた目には、それが、光の洪水のように思えた。
 手でサッシを作って、モモは太陽の光を遮り、前を見る。
 そこにあったのは、一面に広がる、花畑だった。
 リアス高原のように、盆地状に広がる花畑。大きさこそそう無いものの、陰を遮るような山はなく、どこもかしこも陽の光が注いでいる。
 直径30メートルほどの、周りを丸くガケに切り取られた、他の場所からぽっかりと別離した花畑。
 赤白黄桃紫橙。色を選ばず、種類を選ばず、花たちはそこに咲き誇っていた。
 人も魔物も立ち寄らない場所で、ガケのぎりぎりのところまで花は咲いている。
 花の楽園。そうとしか思えない場所だった。
 心を奪われる美しい光景にモモは放心する。そのモモを、ヒロは楽しそうに見つめている。

「どうだ、すごいだろ。この前親父と一緒に出かけたときに見つけたんだ。大人でも限られた人しか知らないんだってさ」

 自慢げに語るヒロの言葉を、モモは半分も聴いていない。
 意識は完全に花畑へと向かっている。
 花畑を美しい、とモモは思う。
 しかしそれ以上に、何よりも嬉しかったのは、ヒロがここに連れてきてくれたことだ。以前、モモはヒロに話したことがある――わたし、花が好きなの、と。
 それは会話の流れで出た、何気ないひと言だった。 
 そのひと言を憶えていて、ヒロはここに連れてきてくれたのだと、モモは分かった。それが何よりも嬉しかった。

「――ヒロくん」
「……? なんだよ」
「ありがとうっ!」

 叫んで、モモはヒロに体ごと飛びついて抱きつく。
 衝撃はない。モモの身体はそれくらいに軽かった。
 が、ヒロはあっという間に赤面した。肌が触れ合うようなスキンシップがないわけでもないが、モモの方からこうも積極的にしてくれることは無かったからだ。
 ありがとう、本当にありがとう、と言いながら、ぎゅう、と抱きついてくるモモ。
 そのモモの背中に、ヒロは抱きしめ返すべくそろそろを手を伸ばし、

「ほんっっっとにありがとう!」

 それよりも一瞬早く、ひょい、とモモはヒロから離れた。
 行き場をなくした手が空中を泳ぐ。
 ぴょんこぴょんこと幸せそうに跳ね、時折くるくると回りながら、モモは花畑の中央まで歩んでいく。
 一度だけため息を吐いて、ヒロもそのあとに続いた。
 花畑の真ん中で、モモはしゃがみ込む。
 そして、自分の名前と同じ、桃色の花を覗き込む。

「キレイね。これ、なんてお花かしら」
「さーな。まだ誰も名前付けてないかもしれないぜ。なんたって、秘境リアス山脈のそのまた奥地、リアス高原のそばに隠れて咲く花なんだからな」
「そう……そう、そうね! なら決めた。このお花は、『モモ』よ」
「モモ? またえらく安直だな……」
「そう? わたしは好きよ。お母さんから貰った名前だもん」

 モモはちょこんと視線をずらし、その隣に仲良く並ぶ、藍色の花を見る。
 それを小さく細い指で指示し、

「で、これが『ヒロ』。ヒロくんの髪の毛と同じ色だから」
「オレ!? こんなちっちゃな花が? そうじゃなくて、もっと、こうカッコいい花が……」
「あら。このお花、キレイだと思うけど。茎がまっすぐ伸びてるところなんてヒロくんそっくり」
「そうか……それは褒めてるのか?」
「ふふ、ヒミツ」

 楽しそうに笑うモモを見て、ちぇっ、という顔をするヒロ。しかし嫌そうではない。これもまた、彼女たちのいつもだった。
 そして。


「――――オイオイオイ、楽しそうなことしてんじゃねぇか!」


 そのいつもを破る、荒っぽい声が、二人の耳に届いた。
 弾かれたように二人は立ち上がり、声のした方を同時に見る。
 そこには、三人の男がいた。
 右側に立つ男は、目深にローブを被り、長く凶々しく歪んだ杖を持っていた。
 左側に立つ男は、金色に輝く鎧で全身を包み、白金色の剣を持っていた。
 そして、真ん中に立つ、さっき声を張り上げた男。
 男は、何も装備してはいなかった。麻で作られたシャツとズボン。どこにでもいそうな風体だった。
 手に鈍く赤い色の剣を持ち、全身から危険な雰囲気を出していなければ、だが。
 二人はすぐに気づいた。

 ――これは人間だ、と。

 親たちから聞いていた。自分たちを問答無用で殺しにくる恐ろしい存在。魔物の天敵、ももっちを喜びながら殺すもの。
 そして、この最果ての地まで来たということは。
 モモには分からないが、ヒロには分かっていた。『ももっち』を守る種族として、親からその存在を聞いていた。
 在ったら最後。逃げることも戦うこともできない存在。会わないようにするしかない、人類の希望、そして魔物にとっての『死』そのもの。
 ――こいつらは、『勇者』だ。
 逃げよう。ヒロはそう思う。震えそうな膝に力をいれ、モモの手を掴み、

「サンライトッ!」

 詠唱無しの、一言発動無詠唱呪文(ワンワード・スペス)が、二人の耳に届いた。
 それと同時。
 比喩ではなく、光の速さで。
 太陽光線を収束し、陽の当たるところならばどこでも高温で焼き尽くすことのできる攻撃が、空から幾重にも降り注いだ。
 ヒロとモモに、ではない。
 二人が来た細い道、勇者たちと反対側の逃げ道が、一瞬で焼き尽くされた。
 岩がまるで泥のように溶け、完全に道を塞いでしまう。

「おいヘイ=スト。てめぇの魔法は強すぎんだよ。あのガキらまで焼き尽くしたらどーすんだよ」

 真ん中に立つ男が、大魔道師へと言う。
 ヘイ=ストと呼ばれた大魔道師は、勇者の言葉に笑って応える。

「ハハハハハハ、何をおっしゃいますか。私の魔法が外れたことが、かつて一度でもあったことでしょうか。それよりもガチ=ペド様。アレを逃がしてしまっては元も子もありませぬぞ」
「わーってるよ。おいロリ=ペド。いつも言ってるように勝手に殺すなよ。アレ、全員で殺さねーと経験地バラけねーんだからよ。順番に分解してくぞ」

 ロリ=ペドと呼ばれた、黄金鎧が、ガシャン、と音を立てて頷く。
 返事を満足げに聞いてから、勇者ガチ=ペドは、真正面へと向き直った。
 退路を断たれて呆然とする、モモとヒロの方を。

「と、いうわけだガキども。大人しくしなくてもいいからイイカンジに泣き叫んで死んでいけや。抵抗すんのは構わねーけどジサツだけはすんなよ、そんなことしたら蘇生かけて犯しながら殺してやっからな」

 舌なめずりをする勇者。その姿は悪人にしか見えない。
 いや、事実悪人なのだ。
 彼らは人類を救うだけで、個人を救うわけでも魔物を救うわけでもない。
 種族全体を守るために個を遠慮なく殺せる存在。それこそが勇者なのだ。
 その勇者に真っ向から睨まれ、怯え、もはや震えることしかできないモモ。
 そのモモをかばうように、ヒロは前に立つ。
 恐怖で膝は笑っていた。今すぐに逃げ出したかった。
 それでも。
 モモより先に逃げてはいけないと、ヒロは思うのだ。
 モモを守らなければいけないと、ヒロは思うのだ。

「あ? お前は――ああ、ひろっちか。経験地がクソ程度にしかないザコ」

 そう言って、勇者はため息を吐き、

「殺せ、ヘイ=スト」
「面倒ですな――サンライト・ワン」

 叫ぶような声ですらない、呆れとともに吐き出される、呟きのような魔法。
 それでもそれは、ヒロを殺すのに充分以上の力を持つ魔法の言葉だった。
 一筋のみ、ヒロの頭部だけを目指して、収束した光が降り注ぎ――

「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 空から舞い降りた竜が、その光を翼で打ち消した。

「――!?」

 ヘイ=ストとロリ=ペドが突然現れた竜に驚き、一斉に戦闘態勢に入る。
 勇者ガチ=ペドだけが動かない。
 だらけたような、斜に構えた態度のまま、竜の奥にいるモモだけを睨んでいる。
 獲物はお前だけだ、とでも言うかのように。
 その視線から隠れるかのように、モモはヒロの後ろに隠れる。
 勇者の視線を受けてなお、ヒロは一歩も引かない。

「貴様らァァァァァァァァッ!!」

 竜が叫ぶ。その叫びを聞いて、ヘイ=ストとロリ=ペドは一歩下がる。
 人語を解する竜は、齢を重ね、強大な力を持つ。幾度も竜と戦ったことがある彼らからだこそ、その叫びを聞いて一歩後ろへと下がった。もっとも、彼我の距離は30メートルたらず。竜を相手にするには狭すぎるくらいだった。
 ガチ=ペドだけが、やはり動かない。
 竜は――上空でモモとヒロを優しく見守っていたあの竜だ――翼を横に思い切り開く。それだけで突風が巻き起こり、勇者たちは吹き飛ばされるのを堪える。
 真後ろにいるモモとヒロだけが、安全に立っていた。
 周りの花が吹きすさぶ風に根元から引っこ抜かれ、当たり一面を埋め尽くすかのように花びらが舞う。

「――――――――――――――――――ッ!!」

 音にならない、衝撃波にしかならない雄叫び。
 その叫びとともに、竜は、弾かれたように突撃した。発生した衝撃波の余波をくらい、モモとヒロは地面を転がる。正面にいたロリ=ペドとヘイ=ストは目も開けられない空気の流れに必死で堪える。
 零から一瞬で高速に突入する、竜ならではの攻撃。30メートルの距離など、竜にとっては零も同然だ。瞬きをする間もなく勇者たちへと迫り、


「遅ぇよ」


 その首を、ガチ=ペドが斬り飛ばした。


 ――ゴトン、という大きく重い音。
 それは、切り離された頭と、頭からの命令を失った身体が、慣性を殺すことができずに、反対側の壁にぶつかる音だ。
 血が吹き出る間もない。花も、ガチ=ペドの身体も、少しも汚れてはいない。
 ようやく斬られたことを思い出したかのように血が吹き出る竜の体。しかし、もはや翼が動くことはなく、崖下へと落ちていった。何秒か遅れて水音が聞こえた。
 ヒロは、今さらながらに理解する。
 ガチ=ペドが持っている剣。あの赤錆は、さびではなく、染み付いて取れなくなった血の色であることに。そして、最悪の人間であっても、ガチ=ペドは、間違いなくトップクラスの実力を持つ勇者なのだと。
 勇者の動きはヒロにも見えた。それくらいにゆっくりとした動きだった。竜が低く構えた時点で軽く跳び、何もないところを目掛けて剣を振った。
 そこに、丁度竜が突っ込んできたのだ。
 自ら首を跳ねられにきたかのように。
 そんなことをどれだけ戦えば、どれだけ強くなればできるのか、ヒロには想像もつかない。
 どう足掻いたって、勝てる相手ではない。
 立ち上がり、モモの手を掴む。そして、後ろに一歩、

「で、お前はどこに逃げる気だ?」

 下がれなかった。
 ヒロとモモの立っている場所。
 そこは、すでに、崖の端だった。一歩後ろに歩けば、落ちてしまう場所。
 もう、逃げ場所などなかった。

「――ッ」

 ヒロは唇を噛む。
 あんな奴に殺されるのはごめんだった。殺されたくなかった。死にたくなかった。
 それ以上に、モモを殺させたくなかった。
 繋いだ手の先から、モモが震えているのが分かる。

「……ヒロくん……」

 震えた手。震えた声。
 その先にいるのは、分不相応な十万の経験地を持っただけの、幼く弱い少女だ。
 その震えた手を。
 その震えた声を。
 恐怖に怯えたモモを。
『ひろっち』は、『ももっち』を守る種族である――そんなこととは関係なく、ヒロは思う。

 ――オレは、『モモ』を守りたいんだ!

 震えるモモの手を引っぱり、無理矢理モモを抱きかかえる。きゃ、というモモの小さな声。
 眉をひそめてヒロを見る勇者。こいつは何をやっているんだ、という顔をしている。
 見れば見るほど、憎らしい顔だ。
 ――こんなやつに、殺されてやるものか。
 ヒロは、精一杯の虚勢を張って、皮肉げに笑って、言った。

「こいつはオレのだ。……お前になんかやるかよっ!」

 そして、言うと同時に――


 ――思い切り地面を蹴り、後ろへと飛びのいた。


 そこに地面はない。切り立ったガケしかない。
 ウソのように、なにもなかった。
 ガチ=ペドの驚愕した顔が見える。けれど、もう遅い。
 引力に引かれて、モモとヒロは落ちていく。

「きゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 崖間に響くモモの悲鳴を聞きながら。
 ヒロは、こわばった顔で、それでも最後まで皮肉げに笑っている。


             ◆


 崖の上。
 飛び降り、がけ下へと落ちていく姿を見られたのは、ガチ=ペドだけだった。
 他の二人は竜の死体に注意していた。種族によっては、死んだはずの竜が蘇ることがあるからだ。それで不意打ちをうけた冒険者はいくらでもいる。
 そうでなければ、魔法の矢が、空中でモモを貫いていただろう。
 ガチ=ペドは、聞こえよがしに舌打ちをして、踵を返す。
 崖に近寄ろうともせずに、仲間の下へと向かう。

「お前ら、帰んぞ」

 黄金鎧が首を傾げ、大魔道師が反論をする。

「しかししかしですぞ勇者どの、この近くには恐らくヤツラの群れが、」
「いいから帰んだ」

 その言葉を、ガチ=ペドは途中で遮る。
 そして、親指で後ろの空を指差して言う。

「あいつらと一戦やらかしてぇんなら別だがな。俺ァ面倒だからパスな」

 指差す向こうの空。
 そこには、空を埋め尽くしかねない、竜の大群がいた。



             ◆


 死ぬ。
 本気でそう思った。殺されるよりはマシだとはいえ、苦しいことには変わらない。
 水中でもがきながら、ヒロはそう思う。
 生き残る算段はあった。
 前に父親と来た時、崖の下に川があることを知っていた。どれほど下かは分からなかったが、あの竜が落ちてから、水音が鳴るまでの時間で、だいたいの高さは分かった。
 それでも、落ちた衝撃で死ぬかどうかは、賭けだった。
 そしてヒロは賭けにかった。モモの身体を抱きかかえ、自分に衝撃が加わるように水中へと落ちた。人よりもほんの少しだけ頑丈な身体が幸いした。
 落ちた衝撃だけで、死にたくなるほど痛かったけれど。
 その上、水中で上手く動けなかった。落水の衝撃でモモが意識を失って、支えなければならなかったからだ。川の流れが早ければ間違いなく死んでいた。
 竜がいなければ、そもそも、川にとびこむチャンスすらなく、切り殺されていただろう。
 幸運が重なって生きているようなものだ。

「……っ、はっ、は、げ――ッ」

 岸までどうにかたどり着き、ヒロはたらふく飲んだ水をすべて吐き出す。出そうで出ない胃の中身が気持ち悪かった。
 片腕に抱きしめていたモモを地面に寝かせる。

「おい、モモ……よかったな、助かったぞ……っ……つか、つかれた……」

 返事はない。
 モモは何もいわない。
 水を吐くことすらしない。

「…………モモ? おい、モモ――」

 モモは返事はしない。
 その胸は上下に動かず、唇はぴったりと閉じている。
 モモは返事をしない。
 モモは動かない。
 ようやく、ヒロは気づく。
 モモは――

 ――すでに、息をしていなかった。 

「――モモ!?」

 ヒロは飛びついて肩を揺さぶる。
 がくんがくんと、力がなく肩が揺れた。瞼は開かなかった。脱力しきっていて、自発呼吸は途絶えていた。
 ――まさか、死んで、
 頭に浮かんだその考えを、ヒロは必死で否定した。
 まさか、ここまできて、こんなことがあっていいはずがなかった。

「モモ、モモ! しっかりしろ!」

 声をかけて、さらに激しく肩を揺さぶろうとして、止めた。
 頭を打っていた場合、取り返しがつかなくなることを思い出したからだ。
 そして――
 モモの心臓が止まっていないことに気づいたからだ。
 ショックで息が止まっている。
 それだけのことだ。脳波が切れているわけでも四肢がちぎれたわけでも心臓が止まったわけでもない。
 助かる。
 このまま放っておけばモモは死ぬだろう。けれど、放っておかなければ、助けることはできるのだ。
 いや――その考えを、ヒロは心の中で否定する。

 ――助けるんだ。こんなところで、モモを殺してたまるか!

「死ぬな、死ぬな――モモ、死ぬなッ!」 

 ヒロは叫び、モモのアゴをあげて気道を確保する。
 恥ずかしいなどと、思ってる暇もなかった。
 死なないで欲しい。それだけしかヒロは考えられなかった。まだ一度もキスをしたことのない、それどころか触ったことすらないモモの唇に、自らの唇をつける。
 水の味しかしない。
 歯が当たって痛い。痛いと思っている時間がもったいない。吸った息を思い切り吐きこむ。息が肺に強制的に吹き入れられ、モモの胸板が膨らむ。
 一度では復帰しない、一度で諦める気もない。
 二度、
 三度、
 四度、
 五度目で劇的な反応があった。
 息を吹き込もうとしたその瞬間、モモが身体に電流でも走ったかのように跳ね、

「――ゲッ、ガ、がはっ、はっ!」

 口の中のものを、全て吐き出した。
 勢いよく吐き出る水と吐瀉物。避ける間もなく、それはヒロの身体にかかる。
 それを、汚いとは思わなかった。
 ただただ、モモが死ななかったことだけが嬉しかった。

「……モモ」

 身体をくの字に折り、苦しそうに胃の中の物を吐くモモ。
 その背中を、ヒロはゆっくりとさすってやる。
 ひとしきり吐き終わってから、モモは再び仰向けになった。
 荒い呼吸が、静かな呼吸になるまで、ヒロは静かに見守った。
 息が大分落ち着いてから、モモがゆっくりとまぶたは開ける。
 どこか虚ろな、夢を見るような目をしている。まだ意識がはっきりしていないのかもしれない。
 けれど、その視線は、たしかにヒロへと向いていた。

「……あれ、……? ヒロくん……?」

 涙が出た。
 モモが生きていることが、また話してくれることが、嬉しくてたまらなかった。
 嬉しすぎて、涙が出そうになった。堪え切れなかった涙が、数筋頬を伝って零れ落ちる。
 死ななくてくれてありがとう――とすらヒロは思う。
 そのヒロの頬へと、ゆっくりと、モモの手が伸びた。
 流れる涙を、モモの手が救う。

「ヒロくん……泣いちゃ、だめだよ……男の子、なんだから」 

 ヒロは涙を堪えながら答える。

「……べ、別に泣いてなんか……ねえよ……っ」

 間の伸びた声。意識が覚醒しておらず、霧のかかった思考のまま、モモが答える。

「ヒロくんは、つよいもんね……いっつも、いっつも……わたしをたすけてくれる、もん」

 モモは言う。
 自分で何を言っているかもわからない。
 まるで夢の中にいるような感覚だった。目の前にいるヒロが、本物かどうかも分からない。こんなに気持ちいいんだから、これは夢なんだろうとモモは思う。
 だから、言った。
 夢なら、普段からいえないことを言ってもいいに違いないと思って。

「……だからね……、わたし、そんな……ヒロくんのこと、大好きなのよ……ずっと、一緒にいてね、……死んじゃやぁよ……」

 そう言って、モモは微笑む。
 ――こんなこと、夢じゃなかったら言えないなあ。
 そんなことをそのモモは思っている。


 そのモモに見守られて。
 今度こそ、堪えきれずに、ヒロは泣き出した。




           ◆




 空の上。
 フトンとタオルとミルクを持ってきたとある竜が、割って入るタイミングを失って、ただただその光景を見ている。




                      〜完〜





感想や叱咤、誤字などがあったら気軽に伝えていただけると幸い。


■あとがき■


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