■それもまた一つのお終い■





 地下室は暗い。
 そんな当たり前なことを、彼は今更ながらに知った。今までは、地下室や地下に行くときには魔法の光や松明があったからだ。
 今はない。
 鉄格子の窓から差し込む月の光だけが、唯一の光源だった。その窓も、彼が座っている場所からは届かないほど高いところにあった。肩車してジャンプすればなんとか届く――それほどまでに高いところにあった。当然、彼が座っている一番下まで、光は満足に届くことはなかった。
 それでも、彼は不便に思うことはない。そもそも、彼は目を開いていなかった。彼は目を閉じ、月の光すらも遮って、完全な闇の中にいた。
 何も考えてはいない。
 ただ、思い返しているだけだ。
 今までのこと。今まであった様々なことを。今までの人生と、出会った人々と、そして別れた人々のことを、ゆっくりと思い返している。誰一人として忘れていない。一度だけ会った人も、最後まで隣にいた相手のことも、等しく彼は覚えていた。忘れられなかった。忘れられるはずがなかった。
 たとえ、忘れたいことがあったとしても。

「…………ハ」

 ため息と呟きの中間が漏れた。
 声は鉄格子まで届くことはなく、反響するまでもなく消えていった。
 彼は思う――本当に忘れたいことは、自らの名前であり、自らの存在であり、自らの過去であり、自らの未来であることを。
 自分が生まれてこなければ、世界は平和だったのだろうか。
 それとも、もっと不幸な世界になったのだろうか。
 生まれてこようがこまいが、何も関係なかったのだろうか。
 そんなとりとめのないことを彼は考える。とりとめのあることは考えようとしない。答えが出ることを考えるのは怖かった。答えを出さないといけないのが怖かった。
 なぜ、自分はこんなところにいるのだろう。こんな地下室で、何もせずに、膝を抱えて座っているのだろう。
 答えを出す必要はなかった――本当は、答えなど最初から出ているのだ。気づかないふりをしているだけで。

「…………ハ」

 今度のはため息でもなんでもなかった。
 彼は意識して、自嘲の笑みを出したのだ。
 その笑みが出るとほぼ同時に、

 ――ギ、ギギギ、と。

 立て付けの悪いドアが開くような嫌な音が地下室に響いた。
 彼は振り返らない。何がおきようと興味はなかった。それは全て『外側』のことで、自分の『内側』に興味はないと、そう思っていたからだ。
 ついで、コツ、コツという足音。誰かが入ってきたのだと、彼の鋭敏な耳はとらえていた。誰が入ってこようと興味はなかった。が、誰かが入ってくるとは思わなかった。
 この地下室に入れられて三日間。誰一人としてこなかったからだ。
 このまま飢え死にさせられるものとばかり思っていた。
 コツ、コツ、と小さな足音は、徐々に大きくなり、やがて彼の正面でコッ、と小さく音を鳴らして止まった。
 彼はそれでも顔を上げない。音の主をぼんやりと想像する。
 足音からするに歩幅は三十ないし四十センチ、身長は百二十から百四十。体重は三十前後、革靴と履いている。かすかな衣擦れの音はロングスカートで、手になにかを持っている。女の子供だ。
 ――ついに、直接殺しにきたのか。
 一瞬だけ彼はそう思ってしまう。

「お、お食事を……お持ちしました」

 声は、かすかに震えていた。
 彼はそこでようやく顔を上げた。自分の目の前に立つ少女を見る。
 音から想像していたとおりの少女がそこにいた。付け加えるのならば、茶色の髪が肩の下あたりまで乱雑に伸びており、瞳の色は金色だった。靴は履いているものの、服装は全体的にボロボロで、のみ市で投売りされている服のほうがまだ上等に見えた。
 その少女に、彼は見覚えがあった。彼は街の外で、山奥で、高原で、その少女とよく似た種族を幾度となく見てきた。
 ももっちと呼ばれる、絶滅種だった。
 珍しい、とは思わなかった。彼がいまいるこの街は、かつてももっちが住んでいたとある高原地帯のそばにある街であったからだ。
 そして、昔は「見たら狩れ」とまで言われていたももっちを、殺さない理由が、今は存在するからだ。
 そのことを考えないようにして、彼は問い返す。

「……食事?」

 つまり、『上』にいる連中は自分を殺す気はないのだと彼は悟る。あるいは、いまだに生かすか殺すか対処に悩んでいるのかもしれない。とりあえず死ぬ前にぎりぎりのところで飯を与えよう――そんなところなのだろう。
 ため息が出た。
 が、それは意識してのものではなく、ただ口から息が漏れた程度だった。
 なのに、

「ひ……っ」

 目の前のももっちは、過剰におびえた。
 まるで、彼の吐く息に、猛毒でも混じっているかのように。あるいは、目の前に座る男が、凶悪な邪神であるかのように。
 彼はため息を吐きかけ、それをこらえた。もしもう一度ため息を吐けば、目の前のももっちはトレイに乗せた食事をすべてひっくり返すだろう。
 それは避けたかった。彼は生きるのも死ぬのも面倒になっているだけで、腹はたしかに空いていたのだ。惰性で生きているようなものではあったが、積極的に死ぬつもりもなかった。

「なにもしねぇから、ソレ」

 彼はももっちの持つトレイと、その上に載るシチューとパンを指差して、

「食っていいか」

 ももっちは一瞬固まった後、こくこくこくと勢いよく首を縦に振った。その勢いで食器ががちゃがちゃと揺れる。 
 まさか溢すんじゃねぇだろうな――彼はそう心配したが、それでもももっちは何とか、トレイを彼へと引き渡した。
 湯気が出るスープには肉も何も入っておらず、ぱっと見野菜しかなかったが、それでも美味しそうだった。
 彼はスプーンでそれを一口すする。
 三日ぶりの食事は、喉と胃に深く染み渡った。
 彼は心の底から思う――

「……美味ぇ」

 彼の言葉を聞いて、さっきからずっと彼の前に立ち尽くしていたももっちが、ようやく少しだけ微笑んだ。
 その仕草が気になったが、それよりも今は食事が優先だった。スプーンを使うのももどかしく、食器を直接持ち上げて口につける。
 そのまま、一気に飲んだ。
 食器の向こう、ももっちの目がまん丸に見開かれているのが見えた。
 一気に全部飲み干して、彼は食器を置いた。一個だけ置いてあるパンは、手にもって膝の上に移す。今食べる気はなかった。あとで食べようと思ったのだ。
 トレイをももっちに付き返す。

「ごちそうさん。美味かったぜ」

 ももっちは付き出されたトレイを受け取り、しかし立ちさろうとはしなかった。
 両手でトレイを持ったまま、じっと彼を見つめている。
 彼はその仕草を不審に思ったが、とくに問い詰めることも視線をそらすこともなく、まっすぐに少女を見返している。
 口を開いたのは、少女の方だった。

「……美味しかった?」

 なぜそんなことを聞く――と彼は思ったが、いちいち問い返すのも面倒だった。
 正直に答える。

「美味しかった」

 その言葉を聞いて、ももっちの頬が緩んだ。
 心のそこから嬉しそうに、ももっちは笑った。
 おびえのない声で言う。

「それね、わたしが作ったの」
「へぇ」

 嬉しそうに笑うももっちに、彼は言う。
 皮肉も悪意もない、単純な感想を。

「それはありがとうな」

 えへ、とももっちは笑う。照れくさそうに頬をかいた。行動が機敏でなかったり、いまいち生気がないのは、彼女もあまり食べていないからなのだろうと彼はアタリをつけた。
 今のももっちに似た症状を、遠い昔に見たことがある。
 地下迷宮で迷い、餓死しかけた少女によく似ていた。栄養失調で手足が細くなり、エネルギーを確保するために徐々に脂肪が減ってく身体。頬がこけはじめたら最後だ、最悪臓器に障害が残ってしまう。目の前の少女はそこまで酷くはなかったが、放っておけばいずれそうなるのは目に見えていた。
 服装からしても、満足な生活をしていないのは、よくわかった。
 これ以上ここにいなくてもいいだろう――彼はそう親切心から声をかける。

「……上。戻らねぇの?」

 彼の言葉に、ももっちは首を横に振る。力なく、かすかに、ゆっくりと。
 そして、座り込む。
 足を八の字に開く女の子すわりで、レンガのむき出しになった冷たい床に座り込む。手にもったトレイを、壁に添えるようにしておいた。

「戻らなくて、いいって。お前は、ここにいろって、言われたの」

 彼は理解する。ももっちがここにいる理由を。ももっちがここに来た理由を。そして、返らなくていいと言われた理由を。
 つまり、それは

「――エサか」
「う?」
「なんでもない……なんでもねぇよ、なんでもな」

 呟いてごまかす。
 エサ。つまりは、生け贄だ。
 飯を運ぶ、という名目。
 そして、知らされてはいないが――このももっち自体が「飯」なのだ。捧げ物。生け贄。食べてもいいですよ、好きなように扱っていいですよ。ただし、そこから出てこないでくださいね。
 反吐を吐きそうになった。
 そういう行為事態に、ではない。へりくだるような、街人の精神にだ。
 そんなことをするくらいなら、いっそ殺せと、彼は思うのだ。

「……おなか」
「あ?」
「おなか、痛いの?」

 何を言っているのか、すぐにはわからなかった。
 分からずに彼が呆けていると、ももっちはぼそぼそと、自信なさげに続けた。

「顔がね、何か、こらえてるみたい。……だったから」
「…………」

 図星をさされて、彼は何も言えない。
 感情が表情に出やすいほうだと――そして感情が多彩なほうだと――思っていたし、それでいいと思ってもいたが、こういうときには困り物だった。
 子供に心配されては、立つ瀬がなにもなかった。

「大丈夫……心配してくれてありがとな」

 くしゃ、と彼はももっちの頭を撫でる。
 ももっちは一瞬だけ、ビク、と震え、身体に力をこめて緊張したが、彼が危害を加えないとわかると、安心したように力を抜いた。
 ――それはつまり、彼女が危害を加えられるような立場にいたのだ。
 そのことに、彼は勿論気づいていた。少し前までは、彼も危害を加える立場だったのだから。
 だからこそ彼は、優しく、傷つけないように最新の注意をこめて、彼女の頭を撫でた。あまり整えられていない――それでも、磨けば奇麗になることがありありとわかる――髪の毛を、手ですくようにしてなでる。髪の毛が揺れるたびに、ももっちは気持ちよさそうに目を細めた。
 撫でてもらうことなど、なかったのだろうと彼は思う。
 人の子供が当然のように与えられたものを、彼女は与えられなかったのだ。
 そんなことを、彼は今更ながらに思う。

「……気持ちいいか?」
「……ん」
「……もっとするか?」
「ん」

 呟いて、頭を小さく縦にふるももっち。
 その頭を、彼は、優しく撫で続ける。

 ――ももっちという種族があった。

 大量の魂の欠片を保持した、エルダーデーモン種族の末裔。非力な身体と少女の容姿に大量の経験地を与えられた、アンバランスな存在。そして、同時にそれは可能性の塊だった。
 ある日――とある『勇者』が、魔王を殺した、その日までは。
 魔物の頂点に立つ『魔王』。彼は統率者であり、総統であり、象徴であり、魔物たちにとっての全てだった。一部の魔物や邪神を除いて、すべての魔物は彼の下で生きているようなものだった。
 その彼が殺されたとき、世界のバランスは大きく崩れた。
 人の方へと。
 魔王の死と同時に人魔の政治バランスが崩壊、近隣諸国の軍隊が直接攻め込んだ。なにせ、もう魔王の反撃を恐れる心配もないのだから。各地で革命が起こり、決起が行われた。魔物と共存していた土地でも、迫害や追放が始まった。魔物たちは、じょじょに姿を消していった。
 また、同時に。
 魂の欠片が、一斉に消滅するという不可思議な出来事があった。これは生態学者たちは、もっとも大きく、基盤となる『魂の欠片』を持つ魔王が死んだからだと見ている。
 しかし、そんな理由とは関係なく、事態は動いた。
 魔物の数は減り、殺しても経験値を得る事はできなくなった。そして、一部の強力な邪神たちだけがこの世に残った。経験値なくして、レベルを上げることをせずに、彼らを殺すことはできない。
 人は、冒険者たちは、どうしたか?
 決まっている。
 お互いで殺しあったのだ。人同士で殺し合い、既にある経験値を奪いとる、血で血を争う戦が始まった。戦が戦争になるまで時間は必要なかった。
 一時の平和を得た世界は――瞬く間に、前以上の戦乱をもった。
 魔物と人の、緊張をはらんだ平和はなくなり。
 人同士の、終わることのない戦争の時代が始まったのだ。
 そして、そのさなか。
 彼は、魔物の最後の砦、リアス高原ふもとのトューリューズにいた。
 ここでなければ、このももっちはとっくに死ぬか、性欲の捌け口となっていただろう。ここだから、かろうじて最低限の扱いをされていたようなものだった。
 そのことについて、彼はとくに感慨をもたない。
 感慨を持つまいと、心に決めているのだ。
 彼はただただ、優しく、ももっちの頭を撫でた。
 猫のように目を細めて、ももっちはただただ、その感触を楽しんでいる。
 かすかな月の光だけが、彼らを見守っている。

 く〜、と。

 その月の光の見守る中、小さな、可愛らしい音が響いた。
 音の主は、ももっちだった。
 ももっちのお腹が、小さな自己主張をしていた。

「――はは」

 彼は笑い、笑われたももっちは恥ずかしそうに顔を赤くした。
 別に、彼にバカにする気は少しもなかった。
 ももっちの仕草を、純粋に可愛らしいと思った。

「これ、食べろよ」

 彼は、手にもったパンをももっちに差し出した。
 全部あげても構わないと思ったのだ。
 自分が食べるよりも、少女が食べたほうがいいと、そう思ったのだ。
 が、

「……半分」
「あ?」
「半分こ」

 パンを受け取ったももっちは、少しだけ考えて。
 手にもったパンを、半分にちぎった。
 そして、その片方を、彼へと差し出したのだ。
 彼も悩む。
 が、受け取らないのは、失礼な気がした。

「あんがとよ」

 半分受け取って、彼は食べる。
 その彼に、ももっちは、よりそうようにして座った。
 その姿を見て、彼は少し思う。ももっちの身体は、手足がむき出しになった、寒そうな格好であることを。
 そして、石の壁は、人の体温を容赦なく奪ってくことを思い出す。
 迷った。
 パンを食べ終わるまで、ずっと悩んだ。
 そんなことをする義理が、必要が、自分にあるのか。彼は考え、考えても答えは出ず、結局感情のままに動いた。
 ももっちの両脇に、手をかけたのだ。

「……?」
「寒いだろ」

 不思議そうに見上げてくるももっちの身体を、彼は手の力だけで持ち上げる。
 そして、自分の膝の上へと置いた。
 小さなからだは、すっぽりと、彼の上に乗った。
 胸の中の少女は、少しだけ考え込んで――それから言った。

「ありがとう」

 お礼の言葉を、言ったのだ。
 まさか礼を言われるとは思っていなかった彼は、すこしだけ返答に困る。結局、無難な言葉を返した。

「気にすんな」

 言って、彼は、ももっちの身体に手を回し、優しく抱きしめてやった。
 ももっちは――それを、拒まなかった。
 むしろ自分から、彼の身体に身をひっつけたのだ。猫のように。
 お互いの体温を、本当に間近で感じあう。
 彼は、少女の小さな身体を、温かいと感じていた。 
 何も言わない。
 ただ、お互いの体温を感じるだけ。穏やかな時間。
 ももっちは彼に甘え、彼は、ももっちを抱きしめながら、その頭をなでつづけてやった。
 小さな寝息が聞こえはじめるまで、時間はかからなかった――



 ――そして、夜が過ぎていく。


 優しく夜を照らす月は、少しずつ地平へと沈んでいく。
 もうすぐ、朝が来る。昼間の足音が近づいてくる。
 人の時間が近づいてくる。
 穏やかな夜は、もうすぐ終わるのだ――
 そのことを、彼は自覚していた。
 夜から昼に変わる瞬間。
 町の外で生きる人間は、その時間に敏感だからだ。人と魔の勢力バランスが変わる時間帯。夜と朝、夕と夜。その時間を見極めることが、冒険者には必要だったから。
 だが、今は、その特技も必要なかった。
 こんな、地下室にとらわれている間は、時間を気にする必要など、ないのだから。
 彼は外を気にすることもなく、ただ、自分の胸の中にいるももっちを撫で続ける。

「……んっ」

 そのももっちが、ふと身じろぎした。
 起こしてしまったのだろうか――彼はそう心配するが、ももっちが起きる気配はなかった。身じろぎし、彼の胸の中で態勢を変えて、寝やすいようにもぞもぞと動く。そしてまた、小さな寝息を立てた。
 彼はほっ、と息を吐いて、撫でていた手を背中に回し、彼女を優しく抱きしめてやる。
 こんな時間が、いつまでも続けばいいのに。
 彼は、心の底から――初めて、そんなことを考えた。


 だが――


 ガガガガガガガガガガガガガ、と。


 その平和を壊すような、まるで嵐の到来を告げるような、恐ろしい音がした。力ずくで何かを壊すような音。平和的な行為など少しも考えない、攻撃的な音。
 当然のごとくももっちが起きた。跳ね起き、蹴り飛ばされた猫のような素早さで周りを見回した。
 この子は、常におびえて生きているのだ。
 そのことが彼にはすぐにわかった。音の主にたいする敵意まで浮かんだ。わずかな、ほんのわずかな、泡沫の夢のような時間を壊された事に対する怒りもあった。
 彼は立ち上がり、ももっちを背中に隠すようにして、扉と向き合う。
 その彼が見ている前で――

 バガン、という音を立てて、扉が跳ね飛んできた。

 彼は眉一つ動かさなかった。質量そのものを武器とかして飛んでくる扉を、右手ではたくようにしてはじいた。扉はそこで真っ二つにわれ、地下室の端へと飛んでいった。
 彼の手には、傷一つなかった。
 そして、扉のなくなったそこには、男が立っていた。
 黄金色の鎧に身を包んだ、長身の男が。
 男の名を、彼は知っていた。男は、かつての仲間だった。かつての友人だった。生死をともにした頼りのある相手だった。
 別れたはずの、相手だった。
 彼は、声を荒げて、その男に問う。

「なにしにきた!」
「我助。君助」

 男は、地の底から響くような、低い声で呟いた。
 その声を聞いたももっちがおびえ、彼の背中にしがみつく。
 
「――誰が助けにこいって言ったか?」

 彼は怒鳴り、感情のままに怒鳴り続ける。
 三日間。
 ここに閉じこめられて――否、閉じこもり続けて。
 その間一度も口に出さなかった、本音のすべてを、今、彼は男に向かってぶちまけていた。
 ももっちに優しくした彼とは違う。
 荒々しい、本性をむき出しにした、敵意と害意に満ちた彼を、表面にありありと出して。
 
「あ、言ってみろコラ! 誰がこんな辺境にまで助けにこいって言った! 誰が家ぶっこわして壁ぶちぬいてオレを助けろって言った!」

 彼の言葉に、男は淡々と答える。
 淡々とした言葉の中に、男の持ちえる、最大限の感情を込めて。

「否言。我思。我動。我君、仲間」
「仲間、仲間、仲間! 仲間(パーティー)は解散だ! お茶会(パーティー)はお開きだ! ぜんぶ終わったんだよ、オレたちがやることなんて全部終わっただろうが!」

 そして――『彼』は――

「魔王は殺した! オレが、オレらが殺したんだ! 世界は平和になって、ンで戦争が起きた! もう『勇者』の出番なんざ、どこにもねェよ! 終わったんだ! 何もかも、何もかもがだ!」

『彼』は。
 魔王を殺し伝説となった『勇者』――ガチ=ペドは。
 まるで泣き喚く子供のような声で、叫んだ。

「あとはオレたちが死ねばそれでお終いだ! 『世界は平和になりました』。ああそうかよこれがオレの手にいれた平和か! 魔王を殺して! 世界を平和にして! オレたちは『いらないモノ』になった! そうだろうが、ロリ=ペド!」

 ガチ=ペドは叫びながら、一度、壁を軽く殴りつけた。
 本当に、軽くだったのだ。
 なのに――壁が、めこりとへこんだ。彼が殴りつけたところを中心に。ばらばらと、砕けたレンガが地面に落ちる。
 もしガチ=ペドが本気になれば、こんな地下室など、三秒とかからずに壊すことができるだろう。
 ももっちを撫でたその手で、ももっちの首をはねることだって、できただろう。

「見ろ! こんなことしかできねぇ、魔王でさえ殺した手だ! 今度はコレで人を殺すか? 戦争に参加して! クソッ垂め、誰が、誰が!
 ――なあ、教えろよ。答えろよロリ=ペド!
 殺すことしかできねぇオレらに何の意味があるんだよ!!」

 彼の――悲痛な、泣きたくても泣けない子供のような、その言葉を聞いて。
 怯えるだけだった、ももっちが動いた。
 一歩、前へと踏み出して。
 ガチ=ペドとロリ=ペド。世界を一つ滅ぼしかねない、二人の男の間に、たったのだ。
 その手は震えていた。足も。恐怖と、緊張で。目の前にいる男たちは、その気になれば、一秒と必要せずに自分を殺せることを、ももっちは悟っていた。
 それでも、ももっちは言わずには、行動せずにはいられなかった。
 なぜなら。

「それは、違うよ」

 ももっちの声は震えていたけれど――それでも、しっかりと言った。
 ついさっき、壁を殴り壊したガチ=ペドの手を優しく握る。
 小さな手で、彼の手を、ぎゅっと包み込む。

「撫でてくれたよね」

 そう――撫でた。
 夜中。悪夢にさらされないように。優しい気持ちになれるように。ももっちが独りでないと、寂しくないと思わせるために。
 そして、それ以上に。
 一度として撫でられることも、撫でることもなかったガチ=ペドは、それをしてみたかったのだ。

「抱きしめてくれたよね」

 そう――抱きしめた。
 夜中。温かく眠れるように。どこにも行ってしまわないように。誰かに傷つけられることのないように、優しく抱きしめた。
 そして、それ以上に。
 一度として抱きしめられることも、抱きしめることもなかったガチ=ペドは、誰かを抱きしめて見たかったのだ。

「殺すだけじゃ、ないもん」

 殺さなかった。
 優しく、ももっちを愛した。
 ガチ=ペドは、誰かに愛されたことも、愛したこともなかったから。すべてを失って、生きる目標すらも失って、ガチ=ペドは、生まれて初めてソレをっしたのだ。
 誰もが、当然のように与えられるものを。
 生まれた瞬間、両親からもらえるはずのそれを。
 ついぞ、持ち得なかったガチ=ペドは――恐る恐る、それをしたのだ。
 ももっちの頭を撫でたとき。
 ももっちは怯えた。
 けれど。
 本当は、それ以上に、ガチ=ペドの方こそが、怯えていたのだ。受け入れられなかったらどうしよう、と。彼は傷つけることしかしなかった。与えることなどしたことがなかった。与えられたこともなかった。
 怖かったのだ。
 寂しかったのだ。
 世界を救った勇者、外道な勇者、ガチ=ペド。
 最強のかれとて――人間なのだから。

「殺すだけじゃ、ないもん……っ!! 守ってくれたもん、優しかったもん!!」

 どこにそんな力があったのか。
 ももっちは、地下室に響くような声で、必死に叫んだ。
 これが本当のことだと。
 全身をもって、ももっちは主張した。
 たった一晩だけだったけれど、優しくしてもらったから。ガチ=ペドにパンをわけてもらって、撫でてもらって、一緒に寝て。
 とても、悪人だとは思えなかったから。
 ももっちには、迷子になって、泣いている子供のように思えたから。
 だから、彼の腕をしっかりとつかんで、叫んだのだ。
 そんなことはない、と。
 地下室に沈黙が満ちる。
 ももっちの声の反響が消え、静まり返る。
 誰も何も言わない。
 ももっちは、ガチ=ペドを見ていた。
 ガチ=ペドも、ももっちを見ていた。 
 その二人を、黄金鎧のロリ=ペドは、じっと見つめていた。
 最初に動いたのは――ロリ=ペドだった。
 何も言わずに、踵を返し、出ていったのだ。
 振り返ることはなく。
 大丈夫だろう――その後姿が、そう言っているように見えた。
 ガチャガチャと音を立てて、ロリ=ペドは去っていく。
 戻ってくることは、なかった。


「……殺すだけじゃねぇ、か」


 呟いたのは、ガチ=ペドだった。
 二人だけの地下室で、自分の胸元までしかない小さな少女を見つめて、彼は言った。
 小さな声で、訊ねたのだ。

「本当に、そう思うか?」

 ももっちは、即答した。
 ぶんぶんと、頭を縦に振ったのだ。 
 そして、笑った。
 ももっちが。優しく。微笑むように。
 それを見て――
 ガチ=ペドもまた。
 ほんの少しだけ、照れくさそうに、笑ったのだ。

「……やってみっかな……。何ができるか、分かんねェけど」

 死に沈む気配は、もう、なかった。
 夜明けのような、不安と、それでも希望がかすかにこもった、そんな顔をしていた。
 ガチ=ペドは、つないだ手の先、ももっちを見て言う。

「……一緒に来るか?」

 ももっちは、今度こそ。
 幸せそうな、満面の笑みを浮かべて、答えた。

「――うん!!」
「よしッ……んじゃあ、ちょっくら頑張ってみっか!」

 彼は気合を入れる。
 そこにいたのは、もう、勇者ではなかった。
 新しい旅立ちを迎える、一人の男がいるだけだった。
 ガチ=ペドは、つないだ手をひっぱり、ももっちを抱き上げた。

「ひゃっ!?」
「暴れんなよ、おちっぞ」

 お姫様だっこをするようにして、ももっちを抱える。
 そして、歩き始めた。
 扉の外へ。
 外の世界へと。
 地下から、上へ――
 地上の世界へと――


「――――――――――――――――――――――――――――――――は」


 外の世界。地下からあがった外。その風景を見て、ガチ=ペドは小さく声を漏らした。それくらいしかできなかった。
 そのとき、彼の心にあった感情を、言葉に表すことは、誰にもできない。

 外は、美しかった。

 大地の彼方から昇ってくる太陽。ゆっくりと照らしだされる大地。朝霧に反射してきらきらと光る山。生活の音が、世界の動きはじめる音が聞こえてくる。空は青く、吸い込まれそうなほどに蒼かった。
 世界は、美しかった。


 世界を美しいと、彼は、生まれて初めて思ったのだ――


 言葉はない。
 ももっちも、ガチ=ペドも、何も言わない。
 高地の町から、魅入られたかのように、どこまでも続く世界を見続けている。
 何も言わない。ただ、見続ける。
 ガチ=ペドの頬を涙が濡らしていることを、彼らは気づかない。
 生まれて初めて見る美しい世界に、生まれて初めてガチ=ペドは、静かに涙を流していた。
 ただ、静かに、彼は泣き続けていた。


 世界に生きていることを、感謝しながら。



 優しい少女だけが、それを、じっと見守っていた。





 完。




感想や叱咤、誤字などがあったら気軽に伝えていただけると幸い。


■あとがき■



 <トップへ戻る



広告 [PR] 再就職支援 スキルアップ アルバイト 無料レンタルサーバー