■ハロウド=グドバイ海へ行く■




 さて、この手記を読んでいる諸兄らは、探検というものに如何なるイメージを持っているだろうか?
 心躍る冒険か? 竜族との戦いだろうか? 伝説の勇者との遭遇だろうか? あるいは、町が滅びる瞬間に立ち会うことだろうか? 偶然遭遇したゴブリンと決死の死闘をすることだろうか。それとも、黄金財宝を求めて地価迷宮を探索することだろうか。
 どれもが正解であり、どれもが外れた。
 少なくとも、この私ハロウド=グドバイと、その友人たちである魔物生態学者にとっては、違うのだ。
 たしかに、それも事実ではある。しかしそれは事実のほんの一片であり、真実には程遠い。
 なぜ探検するのか? なぜ魔物たちに出会うのか?
 美しいからだ!
 素晴らしいからだ!
 それ以外に何の理由が必要だと言うのだ? 魔物が美しいから、世界が美しいから。知らない魔物に会いたいから、美しい魔物を会話をしたいから。生命の神秘の欠片を覗き、人間には到底たどり着けないところにいる彼らを知る。
 知識! 美!
 そんなもので腹は膨れないと誰かが言うだろう。王宮にいる誰かは、そんなものが権力の役にたつとも、国のためになるとも思わないだろう。大富豪や商人たちは、それが金になるのかと問うだろう。図書館にこもるものたちは、知識は本で集めるものだと憤慨するだろう。冒険者たちは、魔物など殺すだけの存在だと主張するだろう。
 我々はこう答える。――美しい。それだけで何が悪い? それだけが理由でなぜ悪い?
 我々は、美しいものを、ただ美しいと感じられるからこそ人間なのだ!
 ……というわけで、皇国×××年度(詳しい年度は、今回ばかりは秘させていただく。これを明かしてしまうと、大変まずいことになるからだ。どうしても知りたい人は――もっとも、知りたがるのは我が友人くらいだろうが――こっそり会いに来るといい。『星の降る場所で13時に』だ)、私はあの伝説の生物、シー・カテドラルに会いに行った。
 小船で。
 木の船で。
 ……ああ、言いたいことはわかっている。なんて無謀なんだろう! あの遥か南海、南洋の島国、サータナ諸島に小船で行くだなんて! 気候ゆえに巨大生物が育つあそこは、豪華客船でさえ五分で沈む。そこに、木っ派のような船で行くなんて、自殺したいとしか思えない!
 そう思うだろう。私も昔はそう思っていた(愛しの母の腹の中にいるときは、だ)。
 だが、実際は違う。巨大海洋生物にとって巨大船は『敵』だが、小船は海の一部にしかすぎないのだ。わざわざ狙ってくることもない。それどころか、種族によっては保護してくれたりもする。海の生物だからとて、知識がないわけではないのだ。ときには友好的な関係だって気づける。こちらから刺激しないかぎりは。
 もっとも、小船で行くと、餓死や遭難の危険もあるが、まあそれは些細なものだ。死んだ後を恐れては冒険などできはしない。死んだあとに神の国に行ったなら、私は神をぶん殴って『魔物の世界に連れて行け!』と叫ぶことだろう。
 閑話休題。
 この島々には、美しく稀少な水棲種が存在することで有名――ではない。
 なぜか?
 だれも近寄れないからだ。一部の魔物生態学者以外は、絶対に近寄らない場所だ。水竜や魚竜に囲まれた水域に近寄る愚か者はどこにもいない。自称勇者の人々でさえ、近寄らないほどだ(海では動きにくい、という理由で。いかに強大なものとて、絶海の孤島に放り出されればそのうち餓死する。餓死しないとしたらそいつは本物の勇者だ)。
 ゆえに、ここはリアス高原にも匹敵するほどの稀少な土地だった。
 リアス高原は、ぎりぎりまで『魔物』が圧縮した生物が存在する。
 それに比べ、ここは、可能な限り『魔物』が拡大された生物が存在するだ。重力から解き放たれた巨大生物の楽園! なんて素晴らしい、私もここでくらしたら巨人族になれるだろうか? ああ、そのテーマはいつか論文にしたいところだ。しかし進化の系統を調べるのが、私よりも我が親友である『彼』の方が得意である。今度、彼の魔物生態研究所に資料を送りつけてやろう。きっと喜ぶに違いない。
 私が近辺の(数少ない島人の協力を得て)海に出て三日。
 さすがに南の暑さに参っていたころ、私は、『あれ』に出会ったのだ。
 であえたのは、ほとんど偶然だった。
 魚類最大種のウージー・サーベント――そいつに、私の船は一撃で木っ端微塵にされたのだ。不運な事故、ではない。あきらかに悪意を持っていた。
 それもまあ、仕方の無い事だと私は思っている。すべての魔物が人間に友好的なわけではない。むしろ、敵意のある魔物がいるからこそ、世界のバランスは成り立っているのだ。だから私はあいつを赦す。その代わり、私が失った貴重な資料のツケは、いつかかならず払わせてやる。
 とにかく、私の船は壊れた。欠片も残らなかった。
 不運はそれにつきなかった。私は必死に防水手帳だけを抱えていたが、それでもどうしようもなかった。私の身体はぽんと放り投げられ、どんと水中に落ちた。そしてぶくぶくと沈んでいく。海の底へと。
 実を言えば、私はその瞬間、歓喜に満ちていた。
『今、空を飛んだぞ! 翼人種はこんな気持ちよく風を切るのか! 今、深い海の世界を見ているぞ! 水棲種は、こんな美しい世界を見ているのか!』
 自分の現状を考えるよりも先にそんな思考が浮かぶのだから、私もいっぱしの魔物生態学者だ。変人、奇人、狂人、なんでも受け付けよう。それが、それこそが私だ。ハロウド=グドバイとは、ようするに人と魔物の境界線上に位置する者なのだから。
 私は深く沈みつつある中で、ウージー・サーペントの巨体を見た。全長60メートルほど。『目』の部分だけで私の身長ほどもある。流線型の美しい身体。その目が、私を狙っていた。
 私は思った――ああ、ついにこの時がきたのだ。私は魔物に食われて、世界の一部になるんだ。弱肉強食、などというモノではない。自然のサイクル、生命の輪だ。食べ、食べられ、食べられ、食べ。その繰り返し。それこそが世界だ、いつかはたどり着く瞬間だ!
 美しいアレに食べられて、私は世界へと返る。
 恐怖はなかった。
 そして。
 どんなに待っても――その瞬間は、来なかった。
 私は、見ていた。ウージー・サーペントが、私から全速力で逃げさる瞬間を。
 なぜだろう、と考えている暇は、全く無かった。
 私の足元をぬうようにして、『あれ』が現れたからだ。
 美しい(そう、美しいとしか言えない! それ以外の言葉を、私は持たなかった。そのとき、私は涙すらした。その美しさに)魔物。
 水棲生物の奇跡。
 大洋の大聖堂――シー・カテドラルに、私は遭遇したのだ。
 ……できる限り、その身体を私は記録したいと思う。海の中にいたことは幸運だった。目から、心から、魂の奥そこから湧き出てくる涙が、視界を遮らなかったのだから。
 美しかった。その巨体は(ウージー・サーペントの身体すら軽く凌駕していた)ひと言で言えば、くらげときのこの中間だった。大きすぎる体で、早く動くことなく、浮き動くのに最適な身体。美しい傘と、そこから伸びる節のなめらかさときたら! 傘の部分だけで、直径は150メートルはありそうだった。全長を含めれば、きっとさらに凄いに違いない。しかし、体積はなさそうだった。
 彼は(そう、彼)と言わせていただく。その美しさに敬意を表してだ。よけいな重さなど持たず、その存在が奇跡のように、まるで幻想のように質量を持っていなかった。海の中に、巨大な羽毛が存在しているような気さえした。ひょっとすると、私の方が縮んだのではないか。そんなことすら考えてしまった。
 彼は、口も、目も、何も持っていなかった。節の部分から、直接、水中の排泄物や魚の死骸を取り込んでいるのだ。
 私には判った。彼は、そうすることしかできないのではない。そうすることを選んだのだ。本当はウージー・サーペントを食べることすらできるのに、彼はそうしないのだ。
 なぜならば、彼が通ったそこは、まさしく美しい海と化していたからだ。美しい彼が、海の汚れをすいながら、海を美しくしていく。
 それこそが、まさに、私の望む生命の神秘だった。生命の輪だった。
 命は循環する。
 彼の手によって、美しい海は保たれる。
 そして、何万年、何億年、何兆年後に彼が死んだとき、その彼の身体を食べて、魚たちは何万年、何億年、何兆年を平和に過ごす。そしてその平和な間に、新たな彼が生まれてくるのだ。
 美しい、生命の輪廻。
 それこそはまさに、一つの生態系の縮図であり、一つの世界だった。
 彼こそは、海という名、恐ろしくも美しい、素晴らしい世界だったのだ!
 私のことを知らぬ顔で放って、彼はまた遠い海へと去っていった。去り際に、彼が、私の方を見たような気もした。それは気のせいではないだろう。彼が笑ったように見えたのも。きっと、彼には知性がある。誰よりも賢く、誰よりも優しい心が。
 去っていく『世界一巨大な宝石箱』を、私は、姿が完全に見えなくなるまで、息も忘れて眺め続けたのである――




 ハロウド=グドバイの手記より
(■別紙・ハロウド=グドバイのスケッチを参照のこと)




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■あとがき■



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