八純啓は彷徨い歩く





 赤く染まった校舎を、八純啓は彷徨い歩く。
 彼は、夕暮れが好きだった。
 紅色の校舎を、ゆっくりと見て回るのが好きだった。
 ……夕暮れ時は、この目と同じだ、と彼は思う。
 昼と夜の挟間の時間。
 人の世界と、人に在らざるモノたちの世界との狭間の時間。
 それは、自分そのものだ。
 右の目は変わらない日常の姿を見る。
 左の目は日常の裏、怪異の世界を覗き見る。
 鏡の向こうの世界を左の目は見る。
 日常と、怪異と。
 八純啓は、その間にいる。
 どちらか片方ではなく、その中間に八純はいる。
 だから、夕暮れ時が好きだ。
『此処』こそが、中途半端な自分の居場所のような気がするから。
 八純啓はそんなことを考えながら、校舎の中を彷徨い続ける。
 その足が、ふと、止まった。
 別に何があるわけでもない。
 変哲の無い、ただの廊下だ。足を止めるようなものがそこにあるわけではない。
 事実、彼の向かい側から歩いてきた女生徒は、平然と彼の横を通り過ぎて行った。
 彼は少女の姿を、左の目で追った。
 何も無い、はずだ。
 しかし、彼の左目は確かに見ていた。


 ――少女の周りにいる、小さな黒犬の姿を。


 奇妙な犬だった。
 形は成犬そのものなのに、大きさだけが小さい。
 その上、誰もその存在に気づいていないのだ。
 彼の耳には犬の足音は聞こえない。
 彼の鼻には犬の匂いは届かない。
 彼の左目は、見えない犬の姿を見ている。
 ……数が減ったな、と思う。
 ずっと前は、もっと多くの犬がいた。
 ちょっと前には、校舎を埋め尽くすほどの数の犬がいた。
 最近では、数匹しか見かけない。
 何かが、あったのだろう。
 何があったのか「見えない」けれど。
 恐らくは、犬の中心にいる少女に関することなのだろう――と思う。
 それ以上は、何も判らない。
 彼に出来ることはただ「見る」だけなのだから。
 彼は左目を黒犬から外す。
 とたんにその姿は消え、日常が戻ってくる。
 彼は再び、夕暮れの校舎を彷徨い始める。



 ……。
 …………。
 ………………。



 赤く染まった校舎を、八純啓は彷徨い歩く。
 彼は、夕暮れが好きだった。
 夕暮れ時に出会う『怪異』たちが好きだった。
 グロテスクで、人の世から外れた彼らのことが好きだった。
 彼らは奇異で異端だが、それは八純にとってあまり意味を成さなかった。
 むしろ、その方がいい。
 彼は『絵描き』だから。
 見えた当初は恐怖そのものでしかなかった『怪異』たちは、今では彼のモデルに過ぎない。
 絵を描くことで、彼は恐怖を乗り越え、自分だけの世界を彼は手に入れた。
 狭間の世界にいる彼にとって、『怪異』は隣人に過ぎないのだ。
 彼は今、図書室にいる。
 静謐な世界。もうほとんど生徒の残っていない図書室に。
 ミナカタ先生が亡くなってからは、どこか閑散とした図書室に。
 彼の右目は、静かな図書室を見ている。
 彼の左目は、賑やかな図書室を見ている。
 カウンターの後ろ――それから、図書室の最奥。
 そこに見える景観は、彼にとっては賑やかなものだった。
 何せ――


 ――『禁帯出』の本の間からは、夥しい数の手が伸びているのだから。


 絡み合う蔦のシールが張られた本からは、手が伸びている。
 白い手が。
 もし本を手にとって読めば、其の手は読者を引きずりこむだろう。
 だから八純は見るだけだ。
 見て、絵に残すだけだ。
 ……誰も気づいてないのかな、と思う。
 この学校は、どこもこんな感じだ。
 日常のすぐ裏側に、怪異たちが蠢いている。
 八純自身も、左目に鏡の破片が入るまでは知らなかった。
 この学園の、異常さを。
 不思議なことに、誰もそのことには気づいていない。
 いや――気づいているはずなのに、そ知らぬ顔をして共存している。
 噂や占い、失踪者など、明確な形を持っているはずなのに――誰もそのことには触れない。
 おかしな学園だ、と八純は思う。
 だからこそ、気に入っているのだが。
 彼は手達に別れを告げ、踵を返す。
 視線を外したとたん、そこにあるのは、閑散とした図書室の日常だ。
 彼は再び、夕暮れの校舎を彷徨い続ける。



 ……。
 …………。
 ………………。



 赤く染まった校舎を、八純啓は彷徨い歩く。
 彼は、夕暮れが好きだった。
 赤を基調としたこの世界が好きだった。
 沈む夕陽、うつろう時間。
 刻一刻と変動し続けて、一秒と同じ色を持たない。
 この時間は、最も『怪異』たちが映える、と八純は思っている。
 揺れ動く不安定な――
 否応なしに死を連想せざるを得ない――
 夕暮れ時に、怪異たちはよく見える。
 昼は駄目だ。
 昼は、人が強すぎる。
 夜は駄目だ。
 夜は、魔女や魔王の世界だ。
 昼も夜も、『怪異』たちは脇役だったり、手段にしか過ぎない。
 怪異が怪異として過ごせる時間。
 それが、夕暮れだった。
 例えば――
 八純は廊下の横に視線をずらす。
 窓の向こう、立ち並ぶ樹木の一本、見えざるその木を、細めた左目で見る。


 ――葉の生い茂る樹に、まるで果実のように、哂う老人が首を吊っていた。


 老人の身体は、ときおり風も無く揺れる。
 八純は時折、彼と目が合う。
 彼は首を吊るされ死んでなお、『終わって』はいないのだ。
 収穫されるときを待っている――八純はそう思う。
 遠くから眺めるだけだ。
 収穫する気は、彼には無い。
 彼は見るだけだ。
 楽しげに哂う老人の姿を見るだけだ。
 首吊りの樹は、ほかには誰も見えない。
 ただ時折、老人以外のモノがそこにいるような気がする。
 八純の左目でも見えない何かが、時折そこにいるような気がするのだ。
 其のとき、きっと老人は口も動かさずに何か話しているのだろう――と思う。
 左目を閉じると、そこには何も無い。下校する生徒が存在する日常があるだけだ。
 彼は再び、夕暮れの校舎を彷徨い続ける。



 ……。
 …………。
 ………………。




 赤く染まった校舎を、八純啓は彷徨い歩く。
 彼は、夕暮れが好きだった。
 この時間は、怪異がよく映える。
 この色彩は、怪異がよく映える。
 この世界は、怪異がよく映える。
 そして何より――八純が最も気に入っている『怪異』は、この時間が一番似合うと、彼は思うのだ。
 彼は校舎を彷徨いながら、その足は東館へと向かっていた。
 七不思議を巡るときは、いつもそこが終点だ。
 寮に帰れば、ベットの下で待つものにあえる。
 運がよければ、時折目隠しをした少年とすれ違う。
 どれも彼が好きな存在だが――一番ではない。
 八純は最も気に入る『怪異』目指して歩く。
 尤も――常にそこにいるというわけではない。
 昔は確かにそこにいたが、最近は違う。
 最近では校内を歩き周り、時には学校外にまで出ることがあるようだ。
 見つけるのは難しくない。
 その『怪異』は、八純にとっては非常に探しやすい集団――怪異に囲まれた集団と共にあるのだから。
 今日は、運が良かった。
 東館の奥、森に『怪異』はいた。
 彼は左目を細め、魔王の如き少年に寄り添った『怪異』に注視する。


 ――緑に茂る樹の中。

 ――白く咲く桜の中。

 ――臙脂色の服をきた、幽霊のように希薄な少女がそこにいた。


 ……『其れ』は、少女だった。
 古臭い服を着た、どこにでもいそうな、しかしどこにもいない少女だった。
 腰まである髪を風に流し、景色を透過して、寂しげに立っていた。
 意思のある怪異。
 ヒトの形をした怪異。
 怪異の形をしたヒト。
 怪異をもつヒト。
 ある意味、八純よりも――
 ――人と怪異の間にいるもの。
 そして、怪異そのものである少女。
 その在り方が、八純は好きだった。
 純粋に見目麗しいということもある。
 が、それは些細なことだ。
 少女の存在の仕方に比べれば。
 絵に書き記すのは、恐怖を乗り越えるためだけではない。
 其の存在を、自分の手で残しておきたいからだ。
 怪異に惚れるなんて、バカなことだと八純は思う。
 けれど――胸の内側に潜むこの思いを、どうして否定できるだろうか……?
 ジレンマは無い。
 彼は、自分のなすべきことを知っている。
 絵を描こう――
 そう考えながら、彼はその場を後にした。




 八純啓は、延々と、夕暮れの校舎を彷徨い歩く。






◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
Missing短編第四段。
いきなり脇役登場。八純啓参上。
彼はけっこう好きデス。自覚して怪異に触れてるから。
多分死ねたのも本望。今頃怪異になってます。
彼は絶対に『見る』だけしかしないしなあ……
後輩の好意にも気づいていて、それでいてなお放ってそうです。
……あ、これで短編書けるかも。
あやめラブは相変わらず、ということで。
では。


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 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



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