優しい夜





 あやめは睡眠を必要としない。
 神隠しにあい――山に奉じられて――人でなくなったあやめは、外見こそヒトのそれであっても、中身はまったく別のものになってしまっている。
 睡眠を必要としないし、そもそも眠いと思うこともない。
 何よりも残酷なのは、それでいてなお、精神が壊れていない、という点だ。
 自分が人間じゃないと知るのはどんな拷問よりも辛い。
 数十年の時の間で慣れたとはいえ、辛いことには変わりない。
 特に、夜になるとそれは増してくる。
 闇の帳が落ち、誰もが寝静まりったとき――ひた、ひたと足音が聞こえるような気がする。
 向こう側から追いかけてくるように。
 生活の音が消え、静寂に押しつぶされそうになったとき――誰かの声が聞こえるような気がする。
 向こう側の住人が、そして過去に自分が「神隠し」にさせた人間の声が。
 何故お前だけがそちらにいる、と。
 何故お前だけが人の姿と心を持てる、と。
 何故お前だけが幸せそうにしている、と。
 ……いっそ狂えてしまえたら楽なのに、と思う。 
 狂って壊れて何も考えられなくなれば、きっと楽になれる。
 あるいは、死ぬことが出来たら。
 ――けれどそれは叶わない願いだ。
 死ぬことも狂うことも出来ない。
 ただ、夜の怖さに脅えながら、朝が来るのを待つだけだ。
「…………」
 あやめは気配を忍ばせ――尤も、意識せずとも足音も気配も無いが――ソファの横に立つ。
 ソファには、空目が寝ていた。人が横になるには充分な大きさを持つソファだが、空目はタオルケットも毛布もかけていなかった。左手に本を持っているところを見ると、読みながら寝こけてしまったのかもしれない。
 電灯はすでに切れ、窓から差し込む月の明かりで表情が見えるくらいだ。
 寝ている時でさえ、空目の険しい表情は解けない。
 黒一色の衣のままだ。
 喪に服し続けるのは、それが夜だろうが変わらない。
 寝ている時でさえ、安息は無い。
 あやめにはそれが痛々しく思えた。
 空目は生きていない。
 死に向かい続けているだけだ。
 あやめは――文芸部の面々も――それを知っている。
 それを止めたいと思っても、空目を止められる理由も根拠も無い。
 彼の決意は変わらない。
 だからこそ、あやめは辛い。
 死ぬとわかっていて、空目の傍にいることが。
 一度幸せを知ってしまった以上、元の場所には戻れない。前よりも深い闇と寂しさに包まれるだけだ。
 だから、あやめは空目の傍を離れられない。
 空目もまた、自らの理由から手放そうとはしない。
 それが嬉しくて――悲しい。
 あやめはそっと手を伸ばし、細い指で空目の頭を触る。
 母が子を撫でるかのように。
 途端――
「どうした」
 予備動作も無く、空目が眼を開いた。
 一瞬前まで寝ていたとは思えないほど機敏な反応。
 空目の眠りは浅い。熟睡することを避けるかのように、何かがあればすぐに眼を覚ます。
 あやめはそれを知っていた。
 知っていたのに、何故か手が伸びた。
 理由など、自分ですらわからななかった。
「……あ……なんでも、ありません……」
「そうか」
 空目はそれ以上追求しない。
 ソファから状態を起こし、部屋の中を見渡す。
 月明かりの中で空目はどうにか時刻を確認し、自分の持っていた本とソファに眼を落とし、うたた寝していたことを自覚する。
 空目は、無言であやめを見た。
 元々悪い目つきが、寝起きのせいでよけいに悪い。
 ほとんど睨むような形で見られ、あやめは竦んでしまう。
 ――機嫌、悪いのかな……。
 一緒に暮らすようになってしばらくが立ち、あやめは空目の機嫌を大分わかるようになった。
 常に無表情で一見感情がないように見えるが、よく付き合ってみれば微細な変化はある。
 半分は勘のようだものだが。
 その勘が今、空目は機嫌が悪いと告げていた。
 それも起こされたから、ではなく、他の理由で。
 どんな理由かはわからないが。
 空目は再びソファに身体を沈め、
「あやめ」
「は、はい……」
「隣りから、掛け布団を持ってきてくれ」
「……はい」
 ……珍しいな、と思った。
 どうにもこれ以上動くのが億劫らしい。二階の部屋に戻るのも面倒で、今日はこのままソファで寝る気だ。
 風邪引かないかなと、少し心配だったが、あやめは結局言う通りにした。
 隣りの部屋へと小走りで行き、小さい身体で毛布を抱きかかえて戻ってくる。
 空目はソファに横になったまま動いていなかった。左手を枕代わりにして、あやめの来るのを見ている。
 その瞳からは、不機嫌さは消えていた。
 代わりに何か、違う感情があった。
 それが何なのかは、やっぱりあやめには判らない。
 とにかく布団をかぶせよう、と思い空目の元へと急ぐ。
「……持ってきました」
 そう言って空目に毛布を差し出し、

 ――ぐい、と。
 差し出したその手を引かれた。

 ――!?
 咄嗟のことにあやめは反応できず、引かれるがままになる。
 空目は横になった姿勢のまま手を引き、あやめをソファの上に引きずり上げる。
 結果、あやめが空目にのしかかって寝る姿勢になる。
 あやめは何が起きたのかわからずに、
「あ、あの……」
「あやめ」
 空目の言葉に疑問を遮られる。
 左手で空目はあやめを抱いて身体の上からソファに下ろし、残った右手で器用に毛布をかける。
 ……まるで添い寝だ、とあやめは思う。
 あやめの疑問に、空目はひと言で答えた。
「今日はお前もここで寝ろ」
「――!」
 まるでもなにも、添い寝そのものだった。
 こんなことを言われるのは初めてだった。
 まるで事情が判らない。
 が、断るわけにもいかず、あやめは只無言で首を振る
 狭いソファの上で密着しているせいで、嫌でも空目の体温を感じてしまう。
 抱きすくめられて、心臓の音すら聞こえる。
 恥ずかしくて、空目の顔を見られない。
 空目もあやめを抱いたまましばらく何も言わなかったが、
「夢を見た」
 ぽつりと、そう呟いた。
 平静な声。けれど、どこかに不安が混じっている。
 寂しげな、声。
 まるで、あやめのような。
「懐かしい夢だ」
「……?」
 空目の言いたいことが判らず、あやめは首を傾げる。
 恥ずかしさはだいぶ減ってまともな思考が戻ってきたが、何故空目がこんなことをするのかがわからない。
「目隠しをされて、異臭漂う森を歩いた、懐かしい夢だ」
 ――。
「誰かに手を引かれて延々と歩いた。お前に呼ばれたような気がして目が覚めたが――」
 あやめは顔を上げ、空目を見る。
 空目は、目を閉じていた。
 眠っているかのように。
 泣いているかのように。
 かれどその瞳に涙は泣く、夢に逃れてもいなかった。
 空目の腕に力が入る。
 痛いほどにあやめを抱きしめて、空目は懺悔するように言う。
「――俺は、此方側に戻ってこれて、嬉しかったのか悲しかったのか――安堵したのか悔やんだのか――それが、自分でもわからない」
 空目の言葉はあやめに言い聞かせているというよりは、むしろ独白に近かった。
 ……ペットに話しかけるようなものなのかもしれない。
 不安になって、誰かに聞いてもらいたくなって、けれど周りには誰もいなくて。誰でもいいから聞いて欲しくて。
 それでもいい、とあやめは思う。
 ペットだろうが物だろうが、空目が相手をし、話しかけて頼ってくれている。その事実が何よりも嬉しかった。
「けど、俺は――」
 その先を、あやめは言わせなかった。
 迷子になった子供のような空目を、それ以上あやめは放っておかなかった。
 そっと、その頭に手を伸ばし、撫でる。
 空目は一瞬だけ驚き、そして――安堵したように、小さく微笑んだ。
 あやめは撫でる手を止めない。
 空目はそれ以上、何も言わなかった。
 小さな寝息が聞こえ始め、空目が完全に寝てからも、あやめはソファを離れることをせず、頭を撫で続けた。
 撫でながら、あやめは願う。


 ――どうか、いい夢を見れますように。








◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
Missing短編第何段目か忘れたけどとにかく短編。
別名あやめシリーズの三作目。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



あやめ可愛いよあやめ。
……人の名前呼ばないから絡めづらいけど。
あ、でも「袖を引く」で一本かけるかも。
……四作目はそれだな。
連作の続編は、多分『赤城屋は――』あたり。魔女団の誰か。
あるいは聡子お姉ちゃん。
番外で武巳再び。

作品の感想も描かねば……
あやめと寝る陛下を描きたいがための作品。
ただそれだけを思いついて描きました。
まあ、魔王だって人間だってことで一つ。
……いいなあ。



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