W-Day
[亜紀]






 実のところ、期待していなかったと言ったら嘘になる。
 そんなことはありえないと理性と理知は声を揃えて否定していたが、感情や情緒といった亜紀の『人間らしさ』の部分や、本人としては否定したい少女としての部分は必死で願っていた。
 すなわち、今日、三月十四日に起こるであろう奇跡を。
 ――馬鹿げている、とは思う。
 お菓子会社の陰謀に乗るような、何の意味もない行事行為。世間様とメディアの洗脳によって行われる空騒ぎ。本当に馬鹿げた行為。
 けれども、その馬鹿げている行為を、亜紀は一ヶ月前にしてしまった。
 バレンタインデーに、空目にチョコレートを渡したのだ。
 そして、意外なことに――空目はそれを受け取った。
 有り難く頂戴する、とまで言って。
 それ自体、奇跡のようなものだと亜紀は思う。
 あの空目恭一が、あの『魔王陛下』が受け取ってくれたのだ。
 ならば、もう一度くらい奇跡が起こってもいいのではないか。
 もう一度だけ奇跡が起きて、空目がホワイトデーにお返しと、何らかの言葉をくれないだろうか。馬鹿げていて、虚しいとは思いつつも亜紀は心の底でそう願わずにはいられなかった。
 空目は、きっとホワイトデーの存在など、気にしていないだろうけど。
 今日という日は、空目にとっては三月十四日以上の意味を持たないのだろうけれど。
「……ふぅ」
 部室で本を読みながら、亜紀はため息を吐いた。
 部室内に誰もいないからこそ吐ける深い深いため息だった。亜紀の性格からして、そういう類のため息は人前ではできない。いかにも悩みがあります、と言っているようなものだからだ。その行為を、亜紀のプライドは許さない。
 ため息の原因は、他にもあった。
『魔王陛下』にチョコレートを渡すなどという酔狂なことをするのは、自分一人だと亜紀は思っていた(俊也は意外と貰っていたが、対人性が皆無で人となりが知れ渡っている空目に近寄る者は文芸部員以外にはいない)のだが、他にもう一人いることを、亜紀は綾子から聞いていた。
 否――一人、ではない。
 ソレは、人ではないのだから。
 人間を止めたヒト型――あやめ。
 あやめも亜紀と同様に空目にチョコレートを渡したと聞いた瞬間、亜紀の心の中にあったのは、自分でも認めたくない類の感情だった。
 即ち、殺意に近い嫉妬。
 そんなものが自分に在るとは思っていなかったが、否定することはできなかった。
 そして――
 ホワイトデーが近づくにつれ、亜紀の中には別の不安が渦巻きはじめた。
 不安は、『あやめにだけお返しをやるのではないか』というものだった。
 自分は貰えず、あやめだけに空目はお返しをするのではないか――そんな不安が、亜紀の中にはあった。
 三月十四日が近づくにつれ、その不安は無視できないほどに膨らんでいた。
 もしも本当にそんなことになれば、自分の精神は真っ当でいられないだろう、と亜紀は思う。
 空目の性格からしてそんなことは無いだろう、とは思いつつも、心の中ではやはり否定できなかった。一度心に芽生えた猜疑心と不安はそう簡単には消えないのだ。
 亜紀の心はそんな風に乱れていて、とてもではないが、読んでいる本の内容など頭に入りすらしなかった。
 文芸部のドアが開いたその瞬間、心臓が口から飛び出そうなほどに驚いたのもそのせいだ。
「あれ……一人?」
 入ってきたのは、予想に反して――近藤武巳だった。
 軽い失望と、少しだけ安堵した。
 心構えなど、できていなかったから。
「私が二人に見える?」
 亜紀の皮肉に、武巳は嫌そうに顔をしかめ、それを取り繕いつつも部屋に入ってきた。後ろには綾子もいる。村神と空目は――いない。
「陛下たちは?」
 椅子に座りながら武巳が問うてくる。
 そんなこと私の方が聞きたい、と亜紀は思う。
「知らない。あんた達と一緒じゃなかったの?」
 武巳と綾子はまったく同時に首をかしげ、
「いや……俺たちよりかなり先に、陛下のクラスはHR終わってるはずなんだけど……ひょっとして帰ったかな?」
 武巳のその言葉に、亜紀は軽い、どころではない落胆を憶えた。
 武巳の言葉が本当ならば、空目はもう学校にはおらず、ホワイトデーなど全く覚えていないことになる。
 解ってたこととはいえ、落ち込まずにはいられない。
 亜紀のその変化を鋭く察したのは、やはり綾子だった。
「亜紀ちゃん、魔王様と何か――」
 そう言いかけた、まさにその瞬間。
「俺がどうかしたか?」
 三人の意識を貫いて、空目の言葉が部室内に響いた。
「――ひっ!」
 と、叫び声を思わず上げてしまったのは武巳だった。
 当たり前だ。気配もドアの開く音も前触れもなく、いきなり声がしたのだから。
 三人が振り返るとそこには、村神俊也と、空目恭一と――
 ばつの悪そうな顔をした、あやめの姿。
「へ、陛下……何時の間に?」
「ついさっきだ。気付かなかったか?」
 誰も気付かなかった。
 その原因を、三人はわかっていた。
 空目に従うようにして立つ少女――あやめが、空目たちの気配を掻き消していたのだ。
 いくらなんでも心臓に悪いし、悪趣味だ、と亜紀は思う。特に、本人にそんな気がないのが特に質が悪い。あやめとしては、好き好んでそんなことをしているわけではないのだから。
 乱れる心を抑えて、亜紀は言う。
「別に、なんでもないよ」
「そうか」
 それきり興味はないとばかりに、空目は話をきった。
 そしてずんずんと歩み――席に座るかと思いきや、亜紀の目の前に立った。
 座ったまま、空目を見上げるようにして亜紀は言う。
「……何?」
 限りなく感情を抑えた、つもりだった。
 上擦ってはいないだろうか、と亜紀は思う。
 平気平差なふりをしてはいるが、内心ではそれどころではなかった。
 もしかしたら、もしかして。
 亜紀のその思考を裏付けるように、空目は鞄からラッピングされた何かを取り出して、言った。
「お返しだ」
「……お返しって……?」
 問い返さなくても、解っていた。
 お返し。
 バレンタインの、お返し。
 ホワイトデーの、プレゼント。
 亜紀の感情は表情にこそ出さないものの、歓喜の色が内心で最大限に膨れ上がり――

「――ホワイトデーに菓子を返すのが、『礼儀』なのだろう」

 ――一瞬で、萎んだ。
 その変化を見極めれたのは、亜紀自身と、綾子くらいなものだろう。
 そのくらいに、亜紀は心の有様を外には出さなかった。
 あまりにも、落胆しすぎたから。
 期待していた自分が、馬鹿みたいに思えた。
 ――ああ、なんだ。そういうことか。
 つまりは、特別な感情なんて何もなく。
 ただの『礼』のしての行為。
 お歳暮を送り返すのと、何も変わらない行為。
 好意の存在しない、行為。
 そんなものに、自分は一瞬でも期待してしまった――その事実が、亜紀の心を悲しくさせた。
 お返しをもらえるだけ、嬉しいと思っていた。
 けれども、こんな思いをするくらいなら、貰わない方がよかった――とすら思う。
 その様子を見かねて、に綾子が何か言いそうに立ち上がり、
「――木戸野」
 亜紀は不機嫌さを隠さずに、脅すように応える。
「……何さ? 言っとくけど、今の私は――」
 その、言葉を遮るようにして。
 空目はそれが当然の如く、ぽつりと一言だけ呟いた。
「美味かったぞ」
 ――。
 何も言えずに固まる亜紀に、空目は更に言う。
「嬉しくもあった」
 ――。
 綾子も、何も言わなかった。
 武巳が意外なものを見るような目で、空目を見ていた。
「だから、それも含めての――日頃の礼も含めての――お返し、だ」
 それだけ言い捨てて、空目は席についた。
 照れている様子もなにもない。
 ただ、当然のことを当然のように言っただけのように。
 亜紀の心は……物凄く複雑だった。
 そういうのは、手作りチョコの時に言えっつうの……とは思うし、ひょっとしたらただの社交辞令なのかも……とも思う。
 それでも――
 それでも――
「――そうかい」
 それでも、嬉しくて、そう言って貰えたことが嬉しくて、亜紀は優しい笑みを浮かべた。







◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 
あとがき。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

えーどなたかのリクエストにしたがい、『ホワイトデー』のお話であり。
たくさんのかたのリクエストに従い、亜紀の物語でした。
……本当に亜紀人気あるなあ。
うちのサイトの登場回数で言えば八純部長以下なのに……それもまたおかしいけれど色々と。
まあ、いいです。
きちんとリクエストにお答えしましたし。
というわけで、V-Dayに対称するW-Day『亜紀』でした。
基本的に、うちのサイトの空目は無情人間です。
ヒトの情などを一切解さない人間です。
今回のことだって、村神あたりに言われたから――という可能性も有ります。
ただ――
それでも――
亜紀は幸せなのではないか、と
ふと思うわけです。



……なんていいつつも、次はW-Day『あやめ』で甘々話を書こうと思っているわけですが。
というわけで、『あやめ』編は近日公開。
では。

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