V-Day




 あやめはモノを食べることが出来ない。
 一度異界に渡り、しかしすぐに還って来た空目と違い、あやめは完全に『向こう側』のものになってしまっている。
 食事は出来ない。何も食べなくても死なない。
 空腹になることもなければ、眠る必要もない。
 そのことを今更どうこう思うつもりは無いが――誰かが物を食べていたりするのを見ると、少し羨ましかったもする。
 それに睡眠はともかく、物を食べられないのは色々と不便だ。
 現在、空目の家の家事はほとんどあやめがしており、料理もその例外ではない。
 綾子あたりから習うのはいいものの、味見が出来ないので今一自信が持てない。
 肝心の空目はというと、どんなものが出されても食べる。聞かれない限り美味いとも不味いとも言わない。
 自宅ではほとんど何も食べない空目の不健康な生活は、あやめが家に住むようになって大分改善されたものの、未だにあやめが作らなかったらカロリーメイトあたりで済ませてしまう。
 それが、少しだけ悲しい。
 今作っている「これ」にしたってそうだ。
 空目はきっと、嬉しいともいらないとも思わないだろう。
 ただ無表情に受けとって無表情に食べるだけだ。
 それでもいい、とあやめは思う。
 ――私が出来ることは、そんなことくらいしかないから。
 あやめは市販の板チョコを湯煎し、型に流し込んでいく。
 いつもの臙脂色の服の上にエプロンを着ている。服には不釣合いなのに、奇妙に似合っていた。
 チョコの作り方と、バレンタインという「風習」は綾子に教わった。
 自分が生きていた時代には、こんな習慣は無かった。
 二月十四日――そもそも年月すら定かではなかったけど――にチョコレートを渡す、なんていう習慣は。
 チョコレイト、というものも、あの時代には無かった。
 神隠しにあって数十年。世界は、物凄く変わったとあやめはつくづく思う。
 あと数十年もすれば、もっととんでもない世界になるんじゃないだろうか。怪異が昼間から街をうろつくとか、人間が四つんばいで空を飛ぶとか。
 その光景を想像して、あやめは声もなく微笑む。
 型に全て流し終えたチョコレートを、あまり物の入っていない冷凍庫に入れる。
 完成。
 エプロンを脱いでカウンターに掛ける。
 あやめは音も気配もなく歩き、台所を出て居間へと向かう。
 居間では空目がソファに座って本を読んでいた。いつもと変わらぬ黒一色の格好で、背を深く預け片手で本を持ち、時折もう片方の手で頁を捲っていく。
 あやめの知る限り、空目は家にいる間はほとんど本を読んで過ごしている。
 まるで、時間の許す限り知識を詰め込もうとするかのように。
 事実、空目は知識を――異界に関する様々なことを知りたがっている。
 今読んでいる本も、著者『大迫栄一郎』の忌憚書だ。 
 人によっては怪異を呼びかねないソレを、空目は平気で読み続ける。
 怪異に対抗する力があるから、ではなく。
 どうなってもいい、という無気力ゆえに。
 それが、あやめには悲しい。
 あやめが空目に抱いているのは、純粋なる好意だ。それが奇憚化に繋がるとしても、あやめはその気持ちを抑えきれない。
 数十年にわたる孤独から、救い上げてくれた相手。
 ぬくもりをくれた相手。
 たとえ空目がどう思っていようと、あやめのその気持ちは変わることはなかった。
 モノとして扱われようが、なんとも思われてなかろうが……そばにいれるだけで、幸せだったのだ。
 それでも、あやめは『元』がつくものの、少女だ。
 好意を向けてもらいたい、と思う事だってある。
 バレンタインというイベントは、普段は言い難いその気持ちを、形にできる唯一のチャンスだった。
 だからこそ、綾子に作り方を教わったのだ。
 あやめは空目の隣に座り、空目の横顔を見ながらそんなことを思う。
 ……いつか、振り向いて欲しい。怪異としてじゃない『私』を見て欲しい。
 それが叶わない願いだと、あやめは知っている。
 それでも願わずにはいられないのだ。
 いつか、怪異では無く、『人』になれたらいいのに、と。
「どうかしたのか?」
 本を読みながら、空目が突然そう言った。
 見られていることに気づいたらしい。
 あるいは最初から気づいていて、気まぐれで声をかけたのかもしれない。
 どちらだとしても、あやめは少し嬉しい。
 が、何と返事をすればいいのか、思いつかなかった。
 仕方なく、
「……なんでも、ありません……」
「そうか」
 空目はそういい捨て、しかし本の頁をめくらず、何かを考え込むように目を閉じた。
 あやめは恐る恐る、
「……何でしょう?」
 空目は目を瞑ったまま口を開く。
「あれは」
「……?」
「俺のか?」
 あれ、が何なのか、すぐにはわからなかった。
 自分が作っていたチョコだとわかって、何故かあやめは恥ずかしくなってしまい赤面する。
「……そう、です」
 その言葉を聞いた時、空目の気配が若干揺らいだような気がした。
 しばし、沈黙。
 やがて空目は目を開き、あやめの方を見てゆっくりと言う。
「いつもすまんな」
 それが、日頃の家事に対してなのか、それとも怪異との対決に対してなのか――あやめにはわからない。
 どちらでもあるような気がする。
 その言葉が、あやめには辛い。
 涙が流れなくなった身体でも、泣きたくなる。
 ……謝らないでください。
 そういいそうになるのを堪える。
 こんなこと、大変でも何でも無いんです。謝らなくていいんです。いくらでもします。だから、私を――
 そこから先を、あやめは考えないようにした。
 そんなことを言える立場では無いのだと、あやめは自覚している。
 だから、その願いを胸の奥に隠し、あやめは目を閉じた。
 チョコが固まるのはまだ先だ。
 それを渡した時、空目は美味しいといってくれるだろうか……?
 あやめはそれを想像して、薄く微笑みを浮かべた。
 これ以上の幸せはないとでも思っているかのような笑みを。



 ――願わくば、人界の魔王の愛を得られますように。






◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 
あとがき。
あやめ可愛いよあやめ。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

Missingの○○は〜ないシリーズとは違うお話。
亜紀に続いてV-day第二段。あやめ話第二段。
Vの三段は多分綾子。あやめ三段は睡眠話。
あやめは好きデス。大好きデス。主に全部。
空目と絡むとさらにスキ度数が上がりますが。
臙脂服の少女が現れたら思わず声を掛けてしまいそうです。
声が綺麗で謡ってくれたなお善し。
あやめの唄は毎回気に入ってるんで、次回にも期待。

広告 [PR] 再就職支援 スキルアップ アルバイト 無料レンタルサーバー