V-Day


 馬鹿げてる、と亜紀は思う。
 バレンタインなんてお菓子会社の陰謀だ。セント・バレンタイン神父は愛を説いたのであってチョコを溶いたわけではない。二月十四日にチョコレートを渡すのは日本だけだ。皆世俗に躍らされているだけの馬鹿だ。行事自体馬鹿げてる。
 中でも一番馬鹿げているのは――
「ありがとうございました――!」
 営業スマイル全開の店員から釣銭を受け取り、亜紀は店を出た。
 店はお菓子屋であり、店頭には大きなポップが飾られており、そこには可愛らしい絵と共に『バレンタインフェア』と書かれている。
 馬鹿げてる、と亜紀は本気で思う。
 何が馬鹿げてるって、その馬鹿げた行事に躍らされている自分が一番馬鹿げている。
 誰かに見られていやしないだろうか――不安になって亜紀はきょろきょろと周囲を見回す。
 こんなところを見られたら、もう二度と学校になんて行けない。尼になるしかない。
 見知った顔が周囲にいないことに安堵し、亜紀は足早に店を前を去る。
 バッグの中には、六個詰めのトリュフチョコが入っている。
 何がいいかなんてわからなかった。店員の進めるままに、気づいたらそれを買っていた。結構高かった。それだけは覚えてる。
 亜紀は深いため息を吐いた。
 二月の冷たい空気を吸って、頭の中に溜まった靄を消そうとする。
 が、出来なかった。
 ――なんで、こんなことしてるんだろう。
 自分でもわからない。
 バレンタインにきゃーきゃー騒ぐなんて、そのへんの馬鹿みたいなこと、するつもりは無かった。
 自分は――何よりも魔王°目恭一は、その類のことに興味を持たない、はずだった。
 こういうのは、綾子や、近藤のすることだ――亜紀はそう思っていた。
 なのに、気づいたら足はお菓子屋へと向かい、無意識のうちにチョコを買っていた。
 馬鹿げてる。今からでも遅くない、捨ててしまえ。亜紀の自制心は必死にそう叫ぶ。
 が、手がバックに伸びることは無い。
 足は文芸部に向かうことを止めない。それどころか速度を増しつつある。
 一刻も早く、渡したいと足は主張する。
 ……本当はわかっているのだ。
 亜紀にだって、自分の本心がどこにあるかぐらいはわかっている。
 けれど、十数年かけて溜めてきた自制心と見栄とプライドは簡単には崩れない。
 それでも――こういうきっかけが無ければ、好意を示せないのは確かだ。

 ――ま、仕方ないか。

 亜紀はもう一度だけため息をつき、今度は自分の意思を込めて歩く。
 何も気負うことは無いのだ。今日バレンタインだから。いつものお返し。色々有難う。そう言って渡すだけでいい。別に告白しようというわけじゃないのだ。気楽に行こう。
 そう考えても、亜紀の動悸は収まらない。
 こんなに緊張するぐらいなら、怪異と直接対決したほうがマシだ。そんなことさえ思う。
 文芸部の扉の前に立つ。
 壁一枚越しでもはっきりと解る、空目の強烈な存在感。
 ――いる。
 ごくん、と唾を飲み込む。
 ノックをしようとして、止めた。今までノックなどしたことがないことにようやく気づいたからだ。
 どうかしてる、と思う。
 必死で平静を装って扉を開けた。
 中にはいつもの面子はいなかった。
 綾子も、近藤も、俊也もいなかった。
 空目とあやめがいるのみだった。
 ――よし。
 他に誰もいないほうが渡しやすい。
 あやめは空気みたいなものだ。亜紀はそう割り切り、空目の前に立つ。
 本を読んでいた空目が、顔を上げた。
 無愛想な顔の中、全てを見通すような瞳が亜紀を覗き込んできた。
 決意が萎えそうになるのを必死で堪える。
 なんの用だ、ともどうかしたのか、とも空目は言わない。
 ただ黙って亜紀を見上げ、何かを言ってくるのを待っている。
 ――なんて言おう。
 亜紀は悩む。このまま何も言わなければ空目は再び本を読むのに戻ってしまい、急がなければ他の誰かが来てしまう。
 そうすればアウトだ。自分はきっと、二度と渡すことなど出来なくなる。
 決意が固まっている、今しかなかった。
 散々考えていた『渡し言葉』は、頭の中でぐるぐると渦巻くだけで、何一つ形を為そうとしなかった。
 とにかく、何か言わなければと思い、口を開いた。
「――恭の字」
「なんだ」
 そっけのない、空目の声。
 誰に対しても空目はそうだ。他人に期待も興味も抱かない無機質な声。
 ……受けとってくれるだろうか。
 ふと、そんな心配が亜紀の頭に浮かぶ。
 ……受けとってくれなかったら、無理矢理食べさせてやる。
 左手をぎゅっと握り、右手をバックに突っ込み、ラッピングされたチョコを取り出して、
 言った。
「――あげる」
 違う、そうじゃない! 今日はバレンタインだから、いつものお礼に、好きとかそんなんじゃなくて――!
 百を越える言い訳は、言葉にならなかった。
 それ以上は、何も言えなかった。
 チョコを突き出したまま、亜紀は完全に固まっていた。
 空目は眉をひそめて亜紀を見、それから壁にかけてあるカレンダーを見て日付を確認し、突き出されたチョコを眺め、再び亜紀の顔を見上げて言う。

「……有りがたく頂こう」

 少しだけ、空目は笑った。


 ――それだけで充分だった。


 遠くから足音と賑やかな声が聞こえてくる。
 綾子たちの声。文芸部のメンバーが戻ってくる。
 帰ってきたなら何と言われるだろうか。恭の字が持ってるチョコに気づいてからかわれるだろうか。
 別にそれでもいっか――亜紀はそう思う。
 亜紀は椅子に座り、いつもと変わらぬ様子を装って、机に積んであった本を読み始める。
 幸せそうな笑みを浮かべながら。





あとがき。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


Missingの○○は〜ないシリーズとは違うお話。
日付がアレだし、単純にこういうのを書きたくなって発作的に。発作的突然変異。
こういうの、あんまり書かないんだよなあ……。
亜紀は好きでも嫌いでもないキャラクター。終末の某彼女を思い出すし。
ガラスノケモノは砕けて死ぬのが運命なので、最後に期待。
ぜひとも粉々になって欲しいものです。

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