村神俊也は迷わない






 村神俊也は迷わない。
 意思無き番犬は、主人の敵を倒すだけだから。



        ◆



 ――アレは危険な存在だ。
 俊也はそう確信していた。
 そばにいるだけで、強烈な空目の気配が霧散してしまう。まるで空目の存在を『向こう側』へと引きずり込もうとするかのように。
 死に等しい――死よりもなお質の悪い、神隠しに逢うかのように、空目の全てが消えそうになる。
 そんなことを、俊也は許すわけにはいかない。
 小学生の頃、同級生に空目が殴り殺されかけた時に。
 あるいはさらに昔、神隠しから還って来た空目と初めて出遭った時に。
 こいつは何人にも殺させないと、俊也は自らの深いところで誓ったのだ。
 自分では気づくことはなかったが、『番犬』になりたかったのだろう。
 空目という主人を、全ての害意と敵意から守る番犬に。
 そして、犬の本能が警告を打ち鳴らしている。
 アレは危険だ、と。
 ヒトの形をしていても、あれはもう人間ではない。
 疑似餌と同じだ。無害な少女の外見を装って、異界へと人を引きずりこむ罠に過ぎないのだ。
 たとえ感情が残っていたとしても――残っているからこそ、アレは『罠』として起動する。
 空目はそれを理解したうえで傍に置いているのだろうが、俊也の考えは違う。
 アレは危険であり、一刻も早く排除すべきだ。
 アレの傍には常に危険があり、遠からぬ未来全てが崩壊してしまうだろう。
 俊也は拳を握り込む。
 鍛え上げたそれは、時として何かを破壊することを為しえる凶器になる。
 アレは危険だ。
 だから――



 ――俺は、『あやめ』を殺さなくてはいけない。




 決断してからは、あっという間だった。
 空目の豪邸には空目の他に誰も住んでおらず、高級住宅街であるそこは隣の家との距離が広い。
 多少の騒ぎを起こしても、誰かが介入してくることはないだろう。
 尤も、騒ぎが起こる前に全てを終わらせるつもりだが。
 セオリーなら裏庭の塀越えといったところだが、幸いにも合鍵があるのでそれを使って俊也は玄関から入った。
 扉の向こうは完全な闇で、明かり一つ無い。
 午前二時。
 空目は、間違いなく寝ているだろう。
 玄関で靴を脱ぎ、足音を忍ばせて俊也は歩く。電気をつけなくても空目の家の構造は全て知っていた。
 闇の中を止まらずに歩き、居間に出る。
 空目の部屋があるほうに視線を向け、

 ――闇の中に、何かがいた。

 居間の壁に寄り添うようにして、何かが佇んでいた。
 闇の中、電気もつけず、月のわずかな光を瞳で反射して、その何かは俊也を見ていた。
 臙脂色の少女。神隠しの少女――あやめだ。
 俊也はほんの少しだけ恐怖した。
 真っ暗闇の中無表情で立つあやめの姿は、まるでホラー映画のようだったからだ。
 恐怖を決意で覆い隠し、俊也はいっぽ足を踏み出す。
 口を利く気はなかった。
 会話は人間同士の意思疎通に使うものだ。人間じゃない少女に言葉を使うつもりは無かった。
 殺す、と宣言する気も、命乞いをしろ、と言う気もない。
 無言でやることをやるだけだ。
 あやめの瞳が不安げに揺れる。突然の見知った闖入者に驚きを隠せないのか、視線が彷徨っている。
 その、あまりにも人間くさい動作が、俊也の癪に障る。
 お前は人では無いだろう、と叫びたくなるのを堪える。
 叫んでしまえば空目が起きてくる。
 自分がいかに決意しようと、空目のがひと言「止めろ」と言ったら、決意など萎えてしまうことを俊也は充分に知っていた。
 だから、最後まで静かに、迅速に遣り通す必要がある。
 三歩であやめとの間を詰め、あやめが何をするよりも早くその首に手をかけて押し倒した。
 長い黒髪が床に広がり、小柄な身体に覆いかぶさって俊也は両手で首を絞める。
 かは、とあやめが苦しげに息を吐いた。
 本気で力を込めれば、窒息する前に首の骨を折ることが出来る。
 が、俊也はそうしなかった。
 長く苦しめ、と建前で思う。
 どう建前で思っても、それ以上指に力が入らなかった。


 ――命乞いをしてくれればよかったのに、と俊也は思う。


 そうすれば、遠慮なく殺せたのに。
 死にたくないと、お前が言うのかと、理不尽な怒りに身を任せて首を折ることができたのに。
 首を絞められたあやめは、命乞いをしなかった。
 死にたいとも言わなければ、苦しいと訴えもしなかった。
 悲しげな顔をして、ただ俊也をじっと見つめていた。
 今殺されかけているにも関わらず、憐憫の情を持って俊也を見つめていた。
 殺されても仕方がない――本気でそう思っている顔だった。
 あやめの口が動く。

 ――やっぱり、私は死ねないのかな。

 それ以上、首を絞めることなど出来なかった。
 俊也が思っていたよりも、あやめはずっと怪異的な存在だった。
 俊也が思っていたよりも、あやめはずっと人間のままだった。
 殺すことなどできず、殺したいとも思えなかった。
 死に掛けてもなお揺るがない悲しい瞳が、死に面してもうつろうことの無い空目の瞳と重なった。
 空目を殺せないように、あやめを殺すことなど出来なかった。
 死を覚悟して受け入れ、その上で生きようとする少女を、俊也は殺せなかった。
 いつ死んでもしょうがないと受け入れているくせに、死にたくないだなんて思わないほど異常な世界を生きてきた少女を、俊也は殺せなかった。
 それが、いずれ害を加えるものであれ、だ。
 無言で、俊也は首から手を放した。
 けほ、とあやめはちいさく咳き込み、しかしそれ以上苦しげなそぶりはしなかった。
 痛みはあるだろうに。
 急に馬鹿らしくなった。
 何もかもが。
 今この瞬間、他人の家で人間じゃない少女の首を絞めて殺せなかった自分自身が物凄く馬鹿のように思えてきた。
 空目はきっと、このことに気づくだろう。
 あるいは、初めから自分がこういう行動に出ることを予想していただろう。
 それでも、きっと何も言わないだろう。
 空目恭一は迷わないからだ。
 自分の目的を達するために、迷うことも躊躇うことも善しとしないからだ。
 俺はどうなのだろう――組み伏せた少女の顔を見ながら、俊哉はそんなことを思う。
 わからない。
 迷いたくない。
 だから今は、空目についていくだけだ。
 ぎりぎりのところで、外敵から空目を守るだけだ。
 あやめは何も言わず、俊也を見る。
 俊也も何も言わず、あやめを見る。
 この少女が空目の敵となったとき、自分は今度こそ殺せるだろうか――俊也は迷う。
 これ以上、迷いたくは無いのに。
 俊也が口を開く。
「――俺は、お前が嫌いだ」
 あやめが口を開く。
「――ごめんなさい」


 ――謝るべきは、俺の方だ。



       ◆



 村神俊也は迷わない。
 迷うことを恐れた番犬は、決断を選ばないのだから。





◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
Missing短編第……何段だろう。
○○は〜の連作なら六番目の物語。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

六番目といえば小夜子デス。ドラマ見たい。
時を駆ける少女も読みたいなあ……映画は色々とアレだったけど。
……あれ、話脱線してる。
前編通して裏ヒロイン、村神俊也の物語でした。
番犬のころより、狼になった俊也が好きデス。
迷うことを放棄してふっきれた俊也は色々と活躍してくれそう。
まあ、相手が怪異である以上決定打にはならないけど。
普通の小説なら伝説の剣なり薀蓄なりが出てきて俊也がパワーアップ、異界殺しになるんだろうけど……
そうじゃないからこそ、ミッシングが好きデス。



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