目隠しの怪





 怪異は人を選ばない。条件さえ合えばどこにだって現れる。
 そこに「個」は必要ない。ただ「現象」があるだけだ。
 例えば――そう、目隠しの怪。



        ◆



 雪村月子は逃げていた。
 何から?
 ――何かから。
 何処へ?
 ――何処かへ。
 雪村月子は、半ば思考停止に陥りながらも必死で逃げて続けていた。
 自慢の髪は乱れに乱れ、狂乱に陥りながらも、つまづきながらも――月子は逃げていた。
 校舎の廊下は静かで、人の気配は無い。
 それどころか、何の音もしない。
 そのことの不自然さに気づく余裕は、月子にはなかったけれど。
 聞こえるのは、自分の足音と――

 ……ひた……ひた……

 やはり不自然な、自分のものではない足音。
 のんびりと歩いているとしか思えない足音なのに、いつまでもどこまでも月子の後ろをついてくる。
 どう考えても、この世のものではない。
 足音の主は、現実のものではないに違いない。
 月子は振り向けなかった。あまりに怖くて。
 振り向いた先に何かがいるかもしれないのが怖いのではない。
 きっと、振り向いても何もないのだ。
 それが怖かった。
 目隠しの世界のモノが迫ってくるのが、怖かった。
 月子は廊下を走り、つきあたりになぜか存在する鏡を走りながら覗き込む。
 鏡の中には少年がいた。
 目隠しをされた少年が、走る自分と変わらない速度で歩いていた。
 歪な笑いを顔に貼りつけて、目隠しをした少年が近づいてきていた。
 月子は廊下の角を曲がる。曲がる際にちらりと廊下の後ろを見る。
 そこには誰もいない。
 鏡の中には映っていたはずなのに。
 ――そうじさまだ。
 月子は確信する。あれは、あの子どもはそうじさまだ。
 こっくりさんで呼び出してしまったそうじさまが、私の目を取りに来たのだ。
 思い出す。つい先日の、降霊会という名の<儀式>を。
 雪村月子は頭となった。
 そうじさまの頭の代わりになった。
 そうじさまは現れた。
 だから、少年は欲しがっているんだろう。頭を。無くしてしまった目を。
 ……その考えは、恐ろしいものだった。
 その考えでいくのなら、そうじさまは月子の頭を奪い、中市久美子の左腕を、森居多恵の右腕を、日下部綾子の左足を、近藤武巳の右足を奪うのだ。
 そうして、そうじさまは完全にこの世に蘇る。
 そんなことをさせるわけにはいかなかった。
 雪村月子は、自分の霊能に誇りを持っている。
 その誇りが、そうじさまを放り出すことを拒んでいた。
 けれど――人の本能が、少年に近寄ってはいけないと必死で命令していた。
 二つの思考が衝突した結果、月子は逃げ出した。
 そうじさまを元の異界へと戻す方法を考えながら。
 そうじさまにつかまらないように逃げ続けた。
 けれども――月子の体力は無限ではなかった。
 精神と肉体の両方からくる疲労で、脚はもう悲鳴をあげていた。
 ……もう、走れない。
 月子は自らの限界を悟り、誰もいない教室に入り込む。
 追いつめられた精神は気づかなかったが、そこは皮肉にも<儀式>を行った教室だった。
 その教室の鍵を全て閉め、月子は床にうずくまる。
 両目を閉じ、耳を塞いで、外界の情報を全て遮断して。
 それでも――

 ……ひたっ、ひたっ……

 それでも、足音は止まなかった。
 閉まったはずの扉をすり抜けて、足音は一歩一歩背中へと近寄ってくる。
 必死で目を閉じる。
 それだけでは安心できない。月子は制服のスカートから布を取り出して、自らの目に固く縛りつけた。
 目隠しをしなければ。
 目を隠さなければ。
 そうじさまに取られないように。

 ……ひたっ、ひた、ひた。

 足音が、止まった。
 月子のすぐ真後ろで、足音は完全に止まった。
 いる。
 振り向かないでも、自分のすぐ真後ろに少年がいるのが解った。
 
 ……ふーっ、ふーっ、……

 その荒い息遣いが自分のものとは、月子には思えなかった。
 自分の口から勝手に漏れだすその吐息に、少年の息が混ざっていることに気づきたくはなかった。
 すぐ後ろに、少年がいることに月子は気づいてしまった。
 錆びた鉄と枯れ草の匂いが、耳に、首に、髪にかかる。
 息と匂いが全身に絡み付いてくる。
 月子の体が意志とは無関係にびくんと震えた。
 それでも、月子は動けない。
 怖くて、動いてしまったら決定的なまでに「何か」が終わってしまいそうで。
 そうじさまは月子の反応がないことに怒ったのか、それともびくんと震えるその仕草を気に入ったのか、月子にさらに近づく。
 子どもの細い手で、月子の首を触ったのだ。
 触れられた瞬間、体が震える。とりはだが立った。 
 人の手ではありえない、ぶよりとした感触だった。
「いや……いやぁ……っ」
 月子は弱々しい悲鳴を上げる。大声を出す勇気など、無い。
 霊能者としての尊厳はそこにはなかった。
 怪奇に晒され、脅えた少女がいるだけだ。
 そうじさまが笑う。目隠しに隠された貌で。
 笑って――

 ――笑ったまま、その体が崩れた。

 月子の肩に乗っていた肉がどろりと溶けた。手の先の全ての肉が溶け、人の形を保てなくなった肉の塊に変わった。
 純粋な恐怖で、震えることすら出来なかった。
 溶けた肉は、親に甘える子どものようにまとわりつく。
 頭を髪を耳を首をうなじを鎖骨を肩を二の腕を手首を甲を指を制服の下を背を胸を臍を腹を脇を腿を尻を股間を膝を脛を足首を指先を柔らかな肉の触手が這いずり回り、絡め取ってゆく。
 肉の触手が肌に絡みつく嫌悪感に、月子は必死で耐えた。
 口から漏れだそうとする絶叫まで堪えて。
「やぁ……いや、いやぁ……」
 駄々をこねる子どものように、それだけしか言えなかった。
 まるで体を乗っ取るかのように体中の穴から侵入しようとする肉片を、止めることすら出来なかった。
 そして、肉の触手の一端が――

 月子の、目隠しにかかった。

「――嫌ッ!」
 恐怖による硬直が、さらなる恐怖で掻き消された。
 月子は立ち上がり、目隠しをしたまま勘だけで扉の方へと駆けた。 
 さんざん嬲られたはずなのに、制服は乱れすらしていなかった。
 幻覚――かと思った。
 違う。未だ、肉の欠片になったそうじさまからは息遣いが聞こえていた。
 ヒトの形にもどろうとしている。
 追いかけてくるために。
 恐怖に駆られて――そして、使命を果たすことを思い出して、月子は動き出す。
 鍵のかかった扉を手探りで開け、壁を触りながら歩き出す。
 目隠しをしたまま。
 雪村月子は目隠しをしたまま、屋上へと向かう。
 ――そうじさまを、元に返さなければ。
 自分の霊感の責任を取らなければならない。全ての不幸の元凶を終わらせ泣けr場ならない。
 責任を持って、終わらせなければならない。
 月子はそう自責し――その特異感に興奮し――屋上へと向かう。
 死をもって終わらせるために。





 尤も。
 そうじさまの感染者は近藤武巳であり、この雪村月子の行動は何の意味もなかった。
 彼女が霊感を持っていたことは確かだろうが――そんなものは、怪異には関係なかったのだ。
「雪村月子」などという「個」は、結局の所、必要でもなかったのだ。
 最後まで、彼女は道化だった。
 尤も。
 人生なんて、そんなものでしかないのだが。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
ミッシング小説・雪村月子の怪奇でした。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

誰かイラスト描いてください。微妙に15禁ですから(挨拶)
まあ、そのシーンを思いついたからこそ書いたわけですが。
目隠しの物語の冒頭の、少し前、です。
『〜〜の怪』シリーズはもう少し続きます。

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