1 魔女と絵描き
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 絵を描くのが好きかと訊かれたら、迷わず好きだと答えるだろう。
 けれど。
 好き嫌いだけで言い表せるモノなのか、と問われたら、八純は迷うことなくNOと答える。
 八純ににとって絵を描くという行為は、呼吸をするように当然で、なおかつ呼吸のように必要な行為なのだ。
 生きるために必要な行為。
 昔はそうではなかった。《昔の八純》は、絵を描くのはあくまで趣味だった。そのまま行けば趣味は仕事に変わっただろうが、あくまでも生きるための手段の一つでしかなく、必要であるとはいえなかった。
 必要になったのは、八純が変わってしまったからだ。
 あの日。
 鏡を瞳に抱えたあの日以来、八純啓が変わってしまったからだ。
 否、変わってしまったのは、八純ではない。
 八純を囲む世界が変わってしまったのだ。
 日常と平穏と退屈の世界から。
 怪異が跋扈する世界へと、八純の瞳がいざなった。
 瞳の中にある鏡が、鏡写しの世界へいざなった。
 発狂、するかと思った。
 事実発狂しかけた。
 そうならなかったのは、絵を描いたからだ。怪異を絵に記す。そのことによって、八純は世界とのバランスを取った。一部の人間にしか見えない怪異を受け入れられるようになった。
 だから、八純啓は今日も絵を描き続ける。
 生きるために。狂わないために。
 けれども、ときたま、極稀に、本当にたまにだけれど怪異以外のモノも書きたくなる。
 今日がそうだった。
 幸運なのは、今日に限ってある女生徒が、「絵を描いてくれない?」と美術室に来たことだった。僕は一も二もなく賛成し――


 今、キャンバス越しに向かい合っている。
 静かに椅子に座る、魔女・十叶詠子と。


「少し時間がかかりますけど、大丈夫ですか?」
「いいよ? 私には、たくさん時間があるから」
 少しだけ構わない――どこか食い違った返答を、十叶詠子は返してきた。
 彼女がどういう人間なのか、八純はよく知っている。
 魔女・十叶詠子。魔女と呼ばれる少女。
 昔は、ただの不思議さんかと思っていた。
 怪異を見るようになってからは、その意見はがらりと変わった。
 彼女は正真正銘の《不思議》であり、魔女そのものだったのだ。
 例えば、中庭で、彼女の周りに集う人影。傍から見たら、平凡なお茶会にしか見えないその光景の真実に、八純の瞳は気付いてしまった。十叶詠子以外に、その場に人間がいないことを。人の形をしたソレは、できそこないの人間以外――怪異であるということに。一番驚いたのは、その中で平静としている《人間》である詠子の存在そのものだったけれど。
 ありえなかった。
 自分は、絵を描く事によってかろうじて正気を保っているのに――詠子が、どうやって正気を保っているのかわからなかった。
 あるいは、とも思う。
 あるいは、正気なんてものは、とっくに失われているのではないか。そうとすら思った。
 だから、十叶詠子が絵のモデルとして美術室に来た時、八純は内心で驚き、喜んだ。詠子は造形が整っているし、雰囲気もある。それに、一度は話をしてみたいと思っていた。
 怪異の話を。
「どうして、モデルになろうと思ったんです?」
 キャンバス上に手を動かしながら訊く。
 こちらは会って話したいと思っていたが、向こうがそうだとは思って居なかったからだ。
 詠子は姿勢を動かさずに口元だけで笑って、
「来たかったから、かな」
 そんなことを言った。
 そのことに対して僕が何を言うよりも速く、詠子は言葉を続けた。
「それに、君なら後ろのヒトたちも描いてくれそうだったからね」
 後ろのヒトたち。
 詠子の後ろには、何もない。
 詠子の後ろには、誰もいない。
 ただ――ナニカがいるだけだった。
 ヒトではない何か。モノではない何か。
 壁に浮かび出るヒトの顔だったり、宙に浮かぶ三つの目玉だったり、六本指の泥人形だったり。
 詠子の背後には怪異が――それも、とんでもない量が――いた。
 普通の人間がこの光景を見たら、まず発狂してしまうだろう。
 八純と詠子。この二人だからこそ、この場にいることが出来るのだ。この学校でこの場に平然と入られるのは、《魔王陛下》くらいだろう。彼がこの場にいない以上、ここは二人だけの世界だった。
 二人だけの世界。
 二人のみの異界。
 時間が止まったような世界の中で、赤く染まった美術室の中で、絵を描くおとがやけに響く。まるで、他の音は止まってしまったかのように。
「あなたは――」
 その仮定で、八純は訊いた。
 今まで、ずっと気になっていたことを。
「どうして、《彼ら》と触れ合えるのですか?」
 彼ら、が誰かは言うまでもない。
 それでも、詠子は小さく首を傾げた。その仕草は少しだけ可愛らしくて見ていたかったけれど、八純は構わずに話を続ける。
「どうして、平然と《彼ら》と触れ合えるんですか? 普通のヒトは、大抵拒絶して逃げるのに」
 そういう自分も、絵が無ければ逃げて居ただろうな――と思いながら、八純は問う。
 その問いに、詠子は微笑んで答えた。
「みんな、どうして逃げたがるのかな? 彼らはとっても優しいのに」
 それは、答えにはなっていなかった。疑問文に疑問文で答えるのは、たいていがごまかしのためだ。
 それでも、八純は、それが答であると確信していた。
 詠子は解らない。
 詠子は、どうして逃げたがるのか解らない。
 ――詠子は、怪異を当然のように受け入れている。
 土台が違うのだ、とはっきりと解った。
 だから、訊いた。
「……彼らの姿が見えるようになったのは、いつからですか」
 そうして、詠子は答えた。


「――彼らは、最初からいるよ?」


 八純の予想通りの答えを。
「ずぅっと、ずぅぅっっと昔から。彼らは、わたしといるよ?」
 予想通りすぎる答。
 詠子は、人間と接するのと同じ期間――怪異と触れ合ってきたのだ。
 初めから。
 生まれたときから。
 生まれるまえから。
 十叶詠子は、怪異と共にいる。
 ならばこそ、逃げようとは思わないだろう。
 最初から、それが当然の世界に生きているのだから。
 文字通り、世界が違うのだ。
 詠子と、他の人間は。
 八純は、その世界に、遅まきながら片足を入れたから、なんとなく解るけれど。人と怪異の間に生きるヒト。
 魔女しかり。
 首吊の魔術師しかり。
 人界の魔王しかり。
 怪異の絵描きしかり、だ。
 それが当然の世界にいきる。だからこそ、当然でない多くの人からは狂人扱いされる。
 そのことについて、八純はもう何も思わない。
 だから、平然と自分は異常だったと暴露する詠子に対して、八純はとくに悪感情を抱かなかった。むしろ、ある種の好感情を抱いてすらいた。そのことはとくには言わなかったけれど。
 ただ、黙って絵を描き続けるだけだ。
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙。
 沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙沈黙――――――――――――

「――ねえ」

 意外なことに、沈黙を破ったのは詠子の方だった。
 八純は静かに「何ですか?」と問う。
 詠子は、薄く微笑んで訊く。
「きみは、彼らのこと、好き?」
 彼ら。
 怪異の彼ら。
 異界の住人たち。
 好きか――嫌いか。
 それは、さながら絵を好きか嫌いかと訊かれるようなものだった。
 だから、八純は即答した。
「好きですよ――」
 ちょっとした、遊び心も付けて。
 かすかに感じた好意を、言葉に乗せて。
「――あなたのことを、好きなくらいには」
「そう」
「そう」
 八純の問いに、詠子は満足げに答えて、微笑む。
 その笑顔を絵に描こう、と八純は思った。



 ……。
 …………。
 ………………。
 絵を描き終わる。
 絵の中で、詠子は笑っていた。それはこれ以上なく優しい、まるで子を誉められた母のような、愛情に満ち溢れた笑みだった。
 絵の中の怪異たちも、同じように笑っていた。





                                     END

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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


◆あとがき◆


MISSING短編、久しぶりです。
更新の遅さにも関わらず、詠んでくれる方ありがとうございます。
詠んで、感想をくれるからこそ描き続けられるわけで。
感謝万礼。

本作、珍しいカップリングです。
魔女×絵描き。
とくにどんな行為をするわけでもありません。
好意があるかどうかすら定かではありません。
それでも――カップリングです。
異色ですけど、好きな組み合わせでした。
なんか、平穏というか、変化が乏しい二人ですけれど。



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