近藤武巳は眠らない





 近藤武巳は眠らない。
 寝床に伏せてもなお、怪異と向き合う羽目になるからだ。


       ◆


 羽間の夜に、星の光が見えることはない。
 武巳の頭上に広がる空は闇に塗りつぶされ、深い夜に呑み込まれているからだ。
 無論、それは何処でもというわけはない。
 星の見えない場所は、魔術師の根城か――さもなければ、異界だけだ。
 その星一つ瞬かない空の下、近藤武巳は目の前の部屋を見つめた。
 上羽間の土地にあるマンションの、四〇四号室。
 標識には、何の名前も書かれていない。
 当たり前だ。ここにいたはずの『占い師』はとうに引き払っているのだから。
 それでも、武巳はここにきた。


 何故なら――誰かがいるという確信が、今の武巳にはあったらだ。


 それは占い師かもしれないし、異界に飲まれた黒服かもしれないし、そうじさまかもしれない。
 が、必ず誰かは出てくる。
 数々の異界に触れ、人間の身としてそれに向き合う武巳は確信を持っていた。
 異界は、望めば現れるのだ。物語と役者が整えば。
 それは別に四〇四号室じゃなくてもいい。
 裏庭の池でもいいし、校舎裏の花壇でもいい。屋上でも焼却場でも、何処にも存在しない喫茶店でもいい。
 異界はすぐ傍にあるのだ。彼らは日常の裏側に潜んでいる。
 誰もそのことに気づかないだけで。
 その証拠に、この場はすでに異界だった。心の隙間に忍び込むほの暗い空気の気配。胸の打つ側によどむ暗闇の気配。
 夜中とはいえ、住宅街のはずなのに、何の物音もしない。
 嫌と言うほど体験しても、慣れることのない怪異≠フ気配だった。
 武巳は左手で腰に挟んだ硬いモノの感触を確認する。
 シャツに隠れていて見えないが、そこには小崎魔津方から譲り受けた魔術の短剣≠ェある。
 もし何かがあればそれを使えばいい。
 最も、武巳はそれを使うようなことは無いだろう、と思っている。
 この先にいるのは自分に危害を加える存在ではないだろうし――
 考えながら、武巳はちらりと横を見る。


 ――コイツがいる限り、心配するだけ無駄だろう。

 武巳の隣にいる目隠しをした少年が、笑って武巳を見ていた。


 そうじさまと共存する方法を、武巳は何となく理解してきていた。
 魔王陛下に助けを求められず、黒服に頼るなど論外な以上、それは自分でなんとかするしかない。
 毎晩のように現れるそうじさまは、武巳を向こう側へ引き込もうとはしない。
 武巳は思う。この子供は、喜んでいるのだ。この世界に戻れたことを。カタチが創られたことを。
 そして知っているのだ。宿り主を連れて行ってしまえば、自分も戻らざるを得ない、ということを。
 だからそうじさまは何もしない。武巳がひとりきりになったときや、怪異に触れたときに顔を見せるくらいだ。
 今は、武巳が買い与えた赤いクレヨンを嬉しそうに握っている。
 口の先が歪に歪んだ表情だったが、紛れも無い笑顔だった。
 そうじさまに構う必要は無いと武巳は判断し、404号室の扉に手をかける。
 ノブの異常な冷たさが指先から伝わり――


 ――りん、と鈴の音が鳴った。


「…………」
 鈴が鳴る以上、紛れも無い怪異だ。
 亜紀の言葉を信じれば、この場では携帯は通じない。
 通じたとしても、誰にも助けは呼べない。
 自分だけでやるしかないのだ。
 震える指先と心を押し隠し、武巳はドアをくぐる。
 部屋の中に、廊下の蛍光灯の光が差し込む。
 玄関にほど近いダイニングを光が照らす。殺風景なダイイングの闇の中を、一筋の光が走る。
 部屋の中には、誰もいない。
 無人のダイニングの中央に、座るもののいない二つの椅子とテーブルが置いてあるだけだった。
 拍子抜けして――それでも緊張は解かずに――武巳は部屋から一瞬だけ意識をそらし、ドアを閉めた。


「……それでは願望と宿命についての話をしよう」


「…………!」
 光の失った部屋の中に、男がいた。
 部屋の中央に置かれた椅子に、さっきまで誰もいなかったはずのそこに、男は座っていた。
 人の気配のまるでしない、闇よりも暗い夜色のコートを羽織った男だった。
 薄い唇は両端へ引き攣れ、酷く楽しそうな笑みを浮かべていた。
 その貌すらなければ、空目と間違わんばかりの雰囲気だった。
 武巳は、男の名前を知っている。
「……神野、陰之……!」
「その通り。私が神野陰之。久しぶりだね、人間の少年」
 神野は笑いながら答えた。
 ある意味、予想外な展開だった。
 武巳が考えていたのは、ここにくれば基城に――占い師に会える、ということだった。
 それよりも上であろう存在が現れるとは、思ってもいなかった。
 ある意味、好都合だ。
 武巳が何を言うよりも早く神野が口を開いた。
「幻想については以前話しね? しかし、『私』は君の話は聞いていない。君の宿命の話を『私』はしていない。
 君がそれを『望んでいる』以上、私は聞かなければならない。……君は、『超常現象』を信じるかね? 信じないかね?」
 以前も聞かれた――そしてそのときは俊也が答えた――その質問に、武巳は答える。
「……体験してしまった以上、信じざるを得ません」
「ふむ、成る程。では君は、其れに対して何かができると思うかね? 思わないかね?」
「……出来る出来ないにかかわらず、やらなければいけないことはあります」
「成る程。実に判りやすく面白い。人界の魔王や神隠し、魔女に魔術師に霊能者。君はそれら囲まれながらも、あくまで『人間』なのだね。だいぶ迷ったようだが、それもまた人間の印だ」
 神野はくつくつと笑う。
 以前とは違い、武巳はその言葉の大半を理解していた。
 今の自分がどういう存在か、武巳は重々に承知していたからだ。
 何も出来ない無力な人間として――故にどんなことでも出来る人間として、武巳はやらなければならないことがあることがあるからだ。
 怪異に立ち向かう必要はない。
 綾子を守るという、その誓いを適えるために。
 その為に、今、武巳は自ら怪異の場へと足を踏み入れたのだ。
「小崎魔津方が気に入るのも判る気がするよ」
「……あの人を知ってるんですか!?」
「旧知の仲だよ。彼もまた、『私』と同じところに来る資格があるのだから。最も、彼はそれを拒んで、人の世に戻ってしまったけれどね。君の持つその短剣も彼のものだろう?」
 武巳は短刀を隠し持っていることを見破られても別に驚かない。
 彼なら知りえないことくらい知っているだろう、とどこか達観した感慨があるのみだ。
 目の前にいるのは、人の形をした怪異≠サのものなのだから。
 武巳は決意を固めるため、自らの誓いを口にする。
「……確かに、おれは人間だ……けど、やらなきゃいけないことがあるんだ」
「宜しい。では宿命の話は終わりにしよう。次は願望の話だ」
 神野はテーブルの上で腕を組み、顎を乗せた。
 その言葉に武巳は小さな疑問を持つ。
 以前来た時に、神野は言った。
 願望の話には移れない、と。
 ……今は、違うのだろうか。
 武巳のその疑問を表情から読み取ったのか、神野が口を開いた。
「そう、願望だとも。綾子という少女を守りたい、という君のその願いは、ある意味では誰の願いよりも強い。古来より脈々と連なる願いだ」
 ……そう言われると、悪い気はしない。
 緩みかけた気持ちを引き締めて、武巳は神野の言葉に意識を向ける。
「何よりもその願望は魔女≠フ願望とも重なる。彼女が君たちの生を望んでいる以上、そして君が『私』を頼った以上、私は君の願望をかなえることができる」
 唐突に出てきた魔女の名に驚くが、別にそれは不思議なことではないことにすぐに気づく。
 そもそも、この男を紹介してくれたのは、その魔女本人なのだから。
 裏でどんな交流があったとしても、おかしくはない。
「さて、では『私』は君の願いを聞き、そして叶えよう」
 笑いながら神野は言う。
 武巳は思う。この男は、もしかしたら自分の願いを判った上で、こんなことを言っているのではないかと。
 それでも構わない。アドバンテージは向こうにあるのだ。怯む意味も理由も無い。
「おれの望みは……知ることです」
「如何ような?」
 武巳は覚悟を決めるのに一秒かけた。
 そして、言った。


「――おれは、この先、死にますか?」


 神野は、変わらず笑っていた。
 武巳の中には、誓いの後でもある感情が消えることが無かった。
 恐怖と、不安だ。
 それは人間だからこそ持ちえるものであり、それがあるからこそ怪異に対抗できる術を考え出せる。
 恐怖も不安も怒りも、負の感情でも動く理由にはなり得るのだ。
 ……そのことを判っていてもなお、武巳は知りたかった。
 この先、自分は間違いなく怪異に巻き込まれ続ける。小崎魔津方が自分と鈴を欲しがっていることにも気づいていたし、綾子を守る以上――そしてそうじさまにつかれている以上、怪異から逃げ出すことは出来ない。逃げる気もない。
 だからこそ、武巳は知りたかった。
 自分は死ぬのか。
 自分は怪異になるのか。
 知ってさえいれば――自分がいなくなってしまっても、綾子を守る方法を考えることができるから。
 そうじさまが現れてから、武巳は死を意識しない日は無かった。
 死を恐怖しない日は無かった。
 そしてそれ以上に、綾子を失うことが、何よりも恐かったのだ。
 神野はわずかに時間を空けて、武巳の問いに答えた。
「異界に触れる以上、人であることを止めなければならない。それでもなお人であろうとするのなら、『何か』を諦めなくてはならない」
「……言っている意味が、よく……」
「死ぬ可能性は高い、ということだ。そして運良く死ななくても――元いたところに戻ることは、適わないだろうね」
 やっぱりな、と武巳は思った。
 それは覚悟していたことと同様だった。今更昔の文芸部の関係に戻れるとは思えないし、沖本ら友人とも決定的な距離が開いている。
 それに――あの学校は、遠からず崩壊するだろう。小崎魔津方と共に見た校舎は、この世のものではなかった。
 今にきっと、致命的な出来事が起こるに違いない。
 自分か、世界か。どちからは、確実に壊れてしまうに違いない。
 武巳は、自分でも意識しない心の奥で、そのことに気づいていた。
 だから、ここに来たのは確認だ。
 誰かに、お前はもう引き返せないんだぞと、そう言ってもらうためだけに、武巳はここにきたのだ。
「……わかりました。有難うございます」
「ふむ、それだけでいいのかね?」
「ええ」
「……では最後に贈り物をして『私』は消えよう。人間の身で怪異に立ち向かうにはコツがいる。何だと思うかね?」
「……わかりません」
「思考すること。それに尽きる。今のような思考停止をしていては、怪異に呑み込まれてしまうよ?」
 ……神野のその言い草は、まるで空目のようだった。
 懐かしい、と武巳は思う。あの頃は良かった――などと思い返す気はないが、平穏だったのことは確かだ。
 怪異、などというものを知らなかったのだから。
「たとえば、こんな風に」
 神野が扉のほうを指差す。
 しかし、武巳はそちらを見ない。指を突き出す神野の姿を凝視している。
「……何故見ないのかね?」
「見たら貴方、消えるでしょう」
 さすがに前と同じ手を食らう気は、武巳には無い。
 武巳の言葉を聞いて神野はくつくつと笑う。
 屈託の無い、今までとは違った楽しそうな笑いだった。
「見事なものだね。しかし、詰めが甘い。意識を向けるときは、一方向ではなく周囲全てに向けるべきだ。一つのほうばかり見ているときほど惑わされやすいときはない。君の持つ怪異が、今なにしているのか、君は気づいているのかい?」
 ――!!
 話に夢中でそうじさまのことを忘れていた武巳は、バッと隣を見る。
 隣にそうじさまは立っていた。赤いクレヨンを持って。
 別になにをするまでもなく、ただ立っていた。
 いつもと、何の違いも無い。
「……?」
 意味がわからず、武巳は神野の方を再び向き直り――


 ――そこに、神野陰之の姿は無かった。


 やられた、と思った。
 ようするに、また同じ手にひっかかったのだ。
 武巳の頭の中からは、神野に関する記憶がどんどんあいまいになっていく。
 前と同じだ。
 だが、今度は忠告が残った。願望も叶えられた。
 奇妙な充実感が、武巳の中にあった。

 ……記憶の中で神野が哂っていた。


        ◆


 近藤武巳は眠らない。
 眠りについてもなお、彼の意識は怪異と向かい合っているのだから。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
Missing短編第三段……というにはちょっと長いかも。
10kbほどありますし。
ただ、結構すらすら書けました。
武巳くんは好きデス。唯一『人間』として頑張ってますから。
小崎魔津方に何と言われようが頑張って欲しい……。
もう少し振り切れればヘルシングなみになれそうな少年ですが。
怪異を払うのはいつの世も人間である、みたいに。

……カップリングとしては致命的なことですが。
綾子があんまり好きじゃなかったりするのは秘密です。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


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