1 いないはずの少年が鏡に映る
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 夕暮れ時。窓から差し込む斜陽が、部屋の中を赤く染めた。
 いやな色だ、と八純 啓は思う。
 いやな色だ。自分では出すことのできない赤い色。自然の赤、天然の赤。わずかにくすんだ、原色の赤とは違う夕日の赤。
 血の紅とも違う、黒ずんだ赤。
 本当にいやな色だ。人が好きでいていい色ではない。こんな色をすきなのは、人以外に片寄ったものだ。
 だから。
 このいやな色を好きな自分は、とうに人以外なのだろうと、八純は思うのだ。
 怪奇が見える。それだけなら、そう珍しいことではない。怪奇の世界をかいま見るものは時折あらわれる。多感で世界から踏み外しかねない、自分たちのような年頃ならばとくに。
 けれど、それを受け入れるかどうかは、また別だ。
 たいていは受け入れられずに狂う。受け入れられたものは、帰ってこられなくなる。
 受け入れて普通に生きるものが、もっとも少ない。
 自分のように。
 人界の魔王のように。
 魔女のように。
 世間から逸脱し、世界の外に出ることもなく、自らの場所を作りそこでいきる。
 それがいいことなのか悪いことなのか、自分にもよくわからない。ただ、それ以外に道がないことも確かだ。
 さて。
 そこまで考えて、八純は思う。
 目の前の少女は、はたしてどう生きるのだろうか。
「……変なものを見るの」
 ぽつりと漏らすように、少女は言った。
 声は思いつめた果てにこぼれ出たような、そんな響きだった。言うべきか言わざるべきか、悩みに悩みぬいた声。事実、美術室にきてから十五分、彼女は黙りっぱなしだった。八純もまた、何も言わず、ただ黙って少女が喋り始めるのを待った。
 彼女が喋ることは、八純には分かっていたから。
 どんなに時間がかかろうと、少女は必ず喋りだすだろうと確信していた。そうでなければ、美術室になど来るものか。それも、絵を見るためではなく、『怪奇の絵』を描く自分のところに。
 少女が怪奇の世界を覗いてしまっていることは、八純にはすぐにわかった。
 八純の目は、ソレらを見る目なのだから。
 少女から視界をずらす。窓から夕日とともに、得体の知れない《目》が覗いていた。空から覗く目。充分な怪異だ。
 幸いな事に、少女はソレに気づいていない。
 ……少女は《彼》しか見えていないのかもしれない。
 少女の横に立つ《彼》をちらりと見て、八純は椅子を立つ。少女はけっしてそちらを見ようとはしない。きっと、《彼》のことは見えている。見たくないだけで。
 《彼》――幼い男の子の怪異を。
 窓まで近寄り、カーテン閉める。
 これで、怪異も、赤い光も入ってこない。
 椅子に戻り座ると、少女が顔を上げて八純を見る。
 ――そういえば、この子の名前はなんだろう。
 この学園の生徒ということはわかる。学年と、性別も。
 名前だけがわからない。
 それはさして重要なことでもないのかもしれない。
 どの道を選ぶにしろ、もはや名前は、記号程度の意味しか持たなくなるのだろうから。
 そのことは、勿論、少女には言わないけれど。
「私たちが呼び出してしまった。《向こう側》に連れ去られた子を、引き戻してしまった」
 彼女の声には恐れがある。
 彼女の声には畏れがある。
 けれど。
 その声に混じって、微かな、本当に微かな、誇りがある。
 私はこんなにすごいことをしたのだぞ、と。
 私はこんなにすごいものを呼び出したのだぞ、と、彼女は密かに、思っている。
 八純はそのことについて、特に感慨はない。
 ただ、『本当に、どれだけすごいものを呼び出したのか、彼女は自覚しているのだろうか?』と思うだけだ。
 見る限り、少女の呼び出したソレは、間違いなく本物だ。
 桜の下の少女や。
 見えない黒犬や。
 首吊りの木々や。
 そういったものと変わらない、本物の怪異だ。
 すくなくとも、一介の人間の手に負えるものではない。
 八純自身にもどうにかできるものではない。ただ、彼は見るだけだ。見て、描くことしかできない。
 鉛筆を右手に持ち、八純は少女の話を聞きながらノートに絵を描き始める。 
 少女の隣にいる、固く目隠しをされた子供の絵を。
 そこでようやく気づく。少女の制服には、きちんと名前が書かれていることを。
 注意力が足りないな、と八純は自重する。
 最近は、人間よりも、人間以外のものにばかり目が行っている。
「見えないけど、見えるの」
 そう言って、長い髪の少女は――雪村月子は、再び顔を伏せた。


 隣で、少年がくすくすと笑った。


 月子の身体が微かに震えた。少年の声は聞こえているのだろう。
「……それは、君の隣にいる男の子のことかい?」
 描く手を止めないままに月子へと尋ねる。
 八純の質問に、月子の呼吸が一瞬だけ止まった。
 当たりか、と八純は納得する。もっとも、そうでなければここにはこないのだから、当たり前のことなのだが。
「《これ》は――」
「《彼》は目隠しをした男の子だ」
 わざと遮る。多少の遊び心だ、これくらいは許されるだろう。
 これ、と言うか彼、と言うかは人次第だ。
 怪異をどう捉えているかで変わってくる。
 八純は男の子を《これ》とは言わないだろう。《彼》は変わってしまった、人とはまったく別の怪異だけれど、それは八純とて同じことなのだから。
 雪村月子は、《これ》と言った。
 それは、自分とはまったく違うものだと思っている証拠だ。
「そうです。目隠しをされて攫われ、バラバラになって死んだ幽霊の子。……でも、でも!」
 八純は何も言わない。聞きながらも手を止めない。
 ノートの絵は、もはや完成間近だ。
「でも、こんなものだとは思わなかった!!」
 月子が叫ぶ。
 少年の口元が歪む。笑みの形に。
 八純の絵が完成する。
 絵の中の少年は笑っていた。眼がへこむほどにきつく目隠しをされ、それでも楽しそうに、心のそこから楽しそうに笑っている少年の絵。
 手には、赤いクレヨン。
 学校の怪異――と《名づけられた》向こう側の存在――《そうじさま》が、八純の絵の中にいた。
 この絵はとっておこう、と八純は思う。
 今度の学祭で、学園の七不思議の絵を描く際に使おう。他の、怪異たちの隣にならべよう。
 これは、学園に巣くう怪異だ。
 けっして――月子の怪異ではないのだろうと、八純は思うのだ。
 今、たまたま、彼女の隣にいるだけで。
 《彼》は遊びにきているだけだろう。本当の憑き主から離れて。
 それが誰なのか、八純には分からない。八純は見るだけだ。怪異を。向こう側の世界を。
 そして、雪村月子は向こう側には行っていない。向こう側を覗いてしまっただけだ。
 それを乗り越えるために、八純は絵を描いた。
 月子は何をするのだろう、と、八純はぼんやりと思案した。同時に、ここに何をしにきたのだろう、とも。
「貴方に訊きたいことがあるんです。美術部の、八純部長に」
「答えるよ。僕に答えられることなら」
 その言葉にウソはない。
 八純はどんな質問にも、真面目に答えるだろう。答えられる限り。
 その答えが、相手の望む答とは限らないが。
「貴方は、怪異を見て、絵にすると聞きました」
 誰に、とは聞き返さなかった。
 そのことを知っている人間……人間以外に、八純は心あたりがあった。
 怪異の絵を描く、だけなら知っている者は多数いる。
 だが、怪異を見るということを知っているのはそういない。
 たとえば――人を外れた、中庭の魔女。
 彼女に関わってしまった時点で、月子に命運はないとも言える。彼女は、ヒトを向こう側へと誘うものなのだから。
「《彼》は――」
 月子はそこで言葉を切る。
 言いよどむ。それは、何よりも重要な、ここに来た理由ともなる言葉を発そうとしている逡巡だ。
 だから八純は待った。
 ただ静かに待った。
 夕暮れの美術室に聞こえるのは、誰かの笑い声だけだ。
 学園にふさわしくない、子供の笑い声だけだ。
 笑い声を聞きながら、月子はぽつりと、呟くように言った。


「私だけに、見えているわけじゃないんですよね?」


 ――なんだ、つまるところ。
 八純は心の中でため息をつく。
 ――彼女は、自分が狂っているのかどうか、確かめにきただけなのだ。
 狂っていると思われている人間のもとに、私は狂っているのか、と尋ねにきただけなのだ。
《彼》が自分にしか見えない幻覚ではないかと、尋ねに来たのだ。
 それは質問ではなく、確認なのかもしれない。彼女の中ですでに答えは決まっている。
 ただ、最後の一押しが欲しいだけだ。
 それなら、答えは簡単だ。初めから決まっている。
 だから八純は、いっぺんのためらいもなく、心の底から答えた。


「僕にも見えている。《彼》は、そこにいるよ」


 君は狂っているよ、と。
 何の感情も込めずに、八純は言った。
 そして、心の中で付け足す。
 ――僕の言う狂気と、君の言う狂気は、違うものだろうけど。
 月子はいう。自分は狂っておらず、選ばれたからこそ、《コレ》を見るのだと。 
 八純はいう。自分らは狂っていて、狂っているからこそ、《彼》を見るのだと。
 その差は些細なようで決定的だ。
 そのことに気づくのは八純だけだ。言葉に込められた裏の意味に、月子は気づかない。
 その証拠に――月子は、安堵の笑みを浮かべたのだ。
《コレ》が妄想ではない、と言われたと思って。
 八純の言葉の意味を理解していれば、月子はけっして笑いはしなかっただろう。
 妄想であったほうが、どんなに幸せなのか、月子は知らないのだ。
 月子はその返答で満足したのか、それ以上は何も言わず、だまって美術室を出て行った。
 八純も止めることはなく、それを黙って見送った。
 少年だけが笑っていた。
 笑って、笑いながら、月子の後を追いかけて出て行く。
 美術室を出て行く寸前。
 目隠しをされた少年が、振り返って八純を見て、笑った。
 それがどういう意味なのか、八純には分からない。
 が、それを八純は気にしなかった。気にせずに、絵を描く作業に戻った。
 分からないものを受け入れることが、八純には出来るのだから。
 それきり、美術室にはいつもの平穏が戻る。

 陽が暮れる。
 夜が来る。
 世界に怪異が満ちる。



 ――どこかで、誰かが、怪異と遭った。 



        ◆




 翌日。
 授業中、窓から空と、空以外の何かを見ていた八純の目の前で、何かが落ちた。
 何かは、屋上から飛び降りた、誰かだった。
 誰かは、地上へとぶつかって、赤い華を咲かせた。
 紅華は、元は人だった。昨日あったばかりの少女だった。
 少女は、名を、雪村月子といった。



 放課後。陽は落ちかけ、窓からは赤い斜陽が入り込んでくる。
 いつもと変わらない美術室。
 昨日と少しだけ違う美術室。
 違いは明白だ。昨日はいた少女が、今日はどこにもいない。
 どう、どこにも。
 世界のどこにも、もう月子はいない。
 そのことについて、八純はとくに何も感じない。
 人が死んだことに関する憤りや悲しみはない。
 やっぱりな、と思うだけだ。
 遅かれ早かれそうなることはわかりきっていた。
 彼女は、受け入れることはできそうになかった。この結果は、ある意味では当然のものだ。
 そして、八純は疑問を思う。
 ――僕が絵を描くことで乗り越えたように。


 ――彼女は、死ぬことで、恐怖を乗り越えたのだろうか。


 それとも、恐れたまま死んだのだろうか。
 怪奇を受けいれることもできず、乗り越えることもできず。
 ただの逃避として、彼女は死んだのだろうか。
 過程としての死と結果としての死。
 同じ死だ。違いは些細だ。
 けれども、些細な違いは致命的だ。
 月子は死んだ。死んだだけだ。世界は回り続ける。怪異は出続ける。
 ――さて。
 椅子から立ち上がり、カーテンをしめる。
 赤い色はいやな色だ。
 こんなにも世界が赤いと――怪異の世界との違いが分からなくなる。
 ヒトであることを、忘れそうになってしまう。
 ――僕も、やるべきことをやろう。
 キャンバスを取り出して、絵を描き始める。
 学祭は近い。絵を完成させなくては。
 絵のタイトルは、そう――



 ――いないはずの少年が鏡に映る――



 キャンバスを見る八純の瞳。
 瞳に埋まった鏡の中。
 いなくなった少年が、そこで哂っていた――













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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


◆あとがき◆





ひさしぶりのミッシング作品、いかがでしたか。
リハビリを兼ねているので結構不安定。
同じような描写を二回使っちゃダメだよなあ、とか思いつつ、使ってる箇所があったりと、色々不満のある部分もありますが、雰囲気は好きだったりします。
珍しいカップリングだな、と自分でも思いますが……
というか、本当に久しぶりです。
ミッシングは大好きなので、ちまちま書いていきたいですね。

……これ、多分シリーズにするんだろうなあ。
七不思議シリーズで。








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