生贄への幻想




 超常的存在へ生物を捧げる事が生贄の定義であるとするならば、超常的事件の被害者(例を挙げるならば神隠しなど)も生贄の範疇に含める事が可能だ。
 すなわち、それらは超常的存在の求めに応じて黙認され捧げられたものと言え、それは山で消えたのなら山の神に、海で消えたならば海の神に犠牲として捧げられたものと解釈できる。
 同様の思考上にこんな考え方もある。
 街で消えたのならば街の神に捧げられたのだ、と。
 実際山であれ海であれ街であれ、失踪者の大半は何らかの犯罪や人災による失踪の可能性が一番高い。
 けれどもその中にあって、理由なく消えることも往々にして存在する。
 それは街とて同じことだ。
 否――街の方が多くなった、と言うべきだろう。
 山林の神秘が暴かれ、異界の規模が消失した結果、寄せ集めは全て街へと来た。
 人の数が膨大になり、反面人同士の間に隙間が増えた。
 怪異はその隙間に潜むのだ。
 街の裏側、路地裏、自らの影。
 今の時代、怪異は山奥の神社ではなく、そこにいる。

 神社――について興味深い考えがある。
 山頂に立てられた某聖創大学院付属高等学校は、神の為の社であるという考えだ。
 あの山に封じられた神を慰撫するための生贄として学校は存在するのだ、という考えだ。
 もともと学校というものは二面性を持っている。
 極論で言うなら、二元論で語れると言ってもいい。
 人の溢れた昼と誰もいない夜。生と死。
 弱者と強者。妬みと嫉み。
 ルールとモラル。善と悪。
 型に嵌めることによってそれらを浮き彫りにし、世界の縮図を作る。そういう思想が昔は存在した。中国で言う所の大極図を再現しようとしたのだ。
 当然そこにはひずみが出来る。それが精巧に出来ていればいるほど、この世ならざるものが発生する。
 七不思議という名前で一般化したそれらは最も解り易い異端だ。
 幽霊の少女。首吊りの樹。見えない犬。禁帯出の本。合わせ鏡。中庭の魔女。
 常成らざるそれらは、学校という社を利用して現界する。
 
 が、勿論それらを気に入らない人間も存在する。
 そういう人間が何をするかと言えば、昔ならではの方法に頼る。
 すなわち――生贄だ。
 ここで話が最初に戻る。
 山では山の神に。海では海の。街では街の神に。
 聖創では、学校の怪異――そしてその奥にいる山の神へと生贄を捧げる。
 神の為に作られた社において、神の為に贄を捧げる。
 そのための学校であり、そのために生徒である。
 事実、聖創とその近辺では不自然なほどに自殺者、行方不明者が多い。
 一説では、文字通り――生きたまま神の贄に――生贄にされたのだ、というものがある。
 それらを示す文献もかつては存在したが、黒い服の集団によって大半が焼失してしまっている。

 さて、そろそろこの話も終わる。
 最後に皮肉なオチが一つあることを書かねばならない。
 生贄のために用意された生徒たちを、撒き餌として――山の神を起こすために使っている存在がいる、という噂話である。
 これが本当なら馬鹿げた話だ。
 生贄になど意味は無く、幻想を追い求めるかのように捧げ続けるのだから。

 故に、この本のタイトルは――生贄への幻想である。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
ミッシング小説・空目恭一の物語でした。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

予告どおり生贄――神隠しへと走りました。
……今回は色々とアレですね。
何がアレかって、キャラクターが一人も出てこない。
固有名詞と代名詞がいくつか出てくるだけで。
そもそも空目が出てこないー。
これは……あり、なのかなあ。
まあいいや。書いてしまったものが仕方が無い。
そもそもキャラクター在りで生贄の幻想書くとしたら、あやめ話になります。
しかも30P強。長すぎ。

内容についてのあとがきはなしで。
完全に蛇足だから。だってこれ、内容しか無いから。解説の意味なし。

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