――ある時、都市伝説を聞いた。
 犬の鳴き声には気をつけなければならない。
 もし、真夜中に誰もいない道で犬の鳴き声を聞いたのなら、周りを見渡してはいけない。
 鳴き声だけの、姿のない犬がそこにいるかもしれないから。
 その声を聞いた人は、犬に食われて、その果てに犬になってしまうという。




       追憶/都市伝説(犬)




 誰もいない道、なんてものは存在しない。
 百メートルも歩けば、どこかに人はいる。こと日本においては、あまりにも場所が狭すぎるため、少し歩くだけで他の人間とぶつかる。

余程の山奥か――あるいは外界とは隔離された場所ではない限り。四方を壁で囲まれた場所は、もはや普通の世界ではない。外の世界と完

全に切り離された、一種の異界であるものだ。家に然り、学校に然り。それは、世界の中にあって尚異界と呼ぶべきものだ。
 ならばここが異界か――と言われれば、亜紀には答えようがない。
 亜紀が歩いているそこは、両側を背よりも高い塀で挟まれた、車がぎりぎり通れないほどの細い道だ。両隣は防がれている。もしも、前

と後ろが何かで塞がれたら、ここも異界になるのだろうか、と亜紀は思った。
 じじ、と蛍光灯が瞬いた。寿命が近いのかもしれない。
 月の隠れた夜だった。
 満月か三日月か新月か。亜紀にはそれすら分からない。ただ、空には雲が満ちていて、月も星も同様に隠していた。塀の向こうには民家

も何もないのか、薄明かりすら漏れていなかった。
 世界を照らすのは、不安定な蛍光灯の光だけ。
 一定感覚で続いてる蛍光灯が、暗く細く長い道を不安定に照らしている。
 そのせいで、道がどこまでも続いているように見える。
 勿論それは錯覚だ。
 けれども――
 錯覚だと笑い飛ばすことは、亜紀には出来なかった。
 何が真で、何が嘘か。
 何が現実で、何が幻想か。
 どこまでが世界で、どこからが異界か。
 あの夜を体験した亜紀には、もはやその区別はつかなくなっていた。

 だから――亜紀は彷徨う。

 真夜中の道を、亜紀は彷徨う。
 行く先はない。
 行く当もない。
 行きたい場所はない。
 行きたい世界はない。
 生きたい場所はない。
 行きたい世界はない。
 ただ――流されるように、彷徨っている。
 暗い道を、ただ歩く。
 じじ、と再び蛍光灯が瞬いた。
 全ての蛍光灯が、全て同時に瞬いた。
 世界に、一瞬だけ――闇が混じる。
 何も見えない、完全な闇。
 夜色の、闇。
 そして、蛍光灯の光が戻ったとき――
 闇よりも尚深い、黒のスーツに身を包んだ男が、いた。
 正確には男達、だ。
 亜紀の行く手を遮るように、二人の屈強な黒服の男が立っていた。
 その表情は、サングラスに隠れていて見えない。
 まるで、個性というものを完全に消し、「機能」として存在するような――そんな男たちだった。
 見えはしないが、どうせ後ろにも同じようにいるのだろう、と亜紀は思う。
 慌てはしなかった。
 恐れもしなかった。
 いつかこうなることは分かっていた。
 いつかくるだろうとは思っていた。
 ただ、少しだけ早かっただけで。
 ただ、少しだけ遅かっただけで。
「何」が「如何」なのか――今の亜紀には分からない。
 分からないままに、亜紀は口を開いた。
「基城」
 黒服の一人が、その名前を聞いて態度を変えた。
 口元が僅かに、引き締まった。
 なんだ、感情はあるのか――そんな見当違いのことを、亜紀は考えていた。
 自分がどうなるのかなど、考えたくもなかった。
 彼らがどうなるのかなど、考えたくもなかった。
「彼は、もういません」
「そう」
 感想は、それだけった。
 空目に巻き込まれたか。
 あやめにさらわれたか。
 俊也にころされたのか。
 魔女にのろわれたのか。
 魔王に呑み込まれたか。

 ――異界に行ったか。

 どれかだと、思った。
 あの事件に関わった者で、無事に済んだものなど、一人もいないのだから。
 誰かしら、何かの傷をおった。
 それ以上の数が、傷ではなすまないモノを負った。
 それ以上の数が、傷を負うまでもなく消え去った。
 その一人に、黒服の男がいたとしても、亜紀は驚かない。
 その一人に、自分の名前があがったとしても、亜紀は驚かない。
 そんなことは、覚悟済みだ。
 消えることなど、最早恐れていない。
 そんなものを恐れるほど、今の亜紀に余裕はない。
「――消すのね?」
 殺す、ではなく、消す、と亜紀は言う。
 その言葉に答えるように――
 二人の黒服は、懐から拳銃を取り出した。
 無骨な、人を殺すためだけの、オカルトなど這入る隙間もない近代的な武器。
 二挺のそれを向けられて――それでも尚、亜紀は逃げようとしなかった。
 うろたえることもなかった。
 ただ、それを虚ろな目でみていた。
 自分の命を奪うかもしれないそれを見ていた。
 彼らの命を奪うかもしれないそれを見ていた。
 黒服は何も言わない。
 最初の一言がむしろ例外だったのだろう。
 異界と接するときの大前提。
 魔女の言葉に耳を傾けてはいけない――
 彼らはそう訓練されているはずだ。
 だから、亜紀に構うことなく、引き鐘を引くのだろう。

 黒服の指に力がこもる。

 亜紀が口を開く。

 電燈が再び消える。

 闇が満ちる。


 ――キャン、という、姿の見えない犬の声。


 二発の銃撃音。
 不自然なまでに何も音の聞こえない世界に、その音はよく響いた。
 無音世界に、人の作り出した音は、雑音にしか聞こえなかった。
 今の世界に相応しいのは――びゃんびゃんびゃんという、犬の声だけだろう。
 弾丸は――亜紀には届かなかった。
 闇の一点で『何か』にぶつかって弾丸は止まった。
『何か』は――

 ――目に見えない犬たちは、黒服目掛けて駆け出していた。

 悲鳴をあげる暇すらなかったと、亜紀は思う。
 思うだけで、何も感慨はない。
 目の前で黒服たちが犬に食い殺されても――亜紀は動じない。
 それは、見飽きた光景だった。
 あの夜以来。
 赤城屋の言うとおり、亜紀は変わった。
 ガラスノケモノの中にある、犬神の『鋳型』。
 そこに埋まり形を得た『デキソコナイ』は、確かにあの夜に消えた。
 空目と――大勢のものとともに、全て消えた。
 残ったのは、鋳型だけだ。
 そう。
 鋳型は残っていた。
 それは、初めから亜紀の中にあるものだから。
 亜紀の中にある、血に刻まれた犬神の血統。
 それだけは、消えなかった。
 そして――
 そこに埋まりたいと思うものは、どこにでもいた。
 世界は異界に満ちていた。
 異界は世界を目指していた。
 世界はデキソコナイで満ちていた。
 異界にデキソコナイは帰れずにいた。
 自分の場所を探していた。
 自分の姿を捜していた。
 自分の形を捜していた。
 そして――

『都市伝説』と化したデキソコナイたちは、亜紀の鋳型に飛び込んだ。

 だから、亜紀はこうして彷徨っている。
 一箇所にはいられない。
 世界に溢れる異界を、その身に受けているのだから。
 とどまれば――犬が暴れる。
 歩けば――犬が増える。
 その繰り返し。
 黒服にすら、止められない。
 犬達は、姿を失いたくない。
 鋳型ごと消そうとするものを、殺してしまう。
 だから、亜紀は彷徨う。
 犬を消す方法を求めて。
 鋳型を消す方法を求めて。
 安らかになる方法を求めて。
 死ぬ方法を求めて。


 ――願いを叶える闇夜の魔王を求めて。

 あるいは。

 ――異界に渡った人界の魔王を求めて。

 亜紀は彷徨い続ける――





 ……再び電燈が瞬いた。
 世界が闇に包まれ――闇が去る。
 そこにはもう、何も無い。
 黒服の姿も。
 亜紀の姿も。
 犬の姿も。
 なにもない。
 ただ、闇が広がるばかりだ。




 ……どこかで、犬が鳴いた。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
追憶者「による」物語――というか都市伝説シリーズ第一弾でした。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

物語は終わってしまったので、ある種の追憶中。
今までと同様に短編連作になるかな……次は恐らく……誰でしょう。
まだ先は未定ですね。

ウェブ拍手で「書いて〜」と言われるとやっぱり嬉しいです。
比例してやる気がでますし。
亜紀が一番なのもそのお陰かな……報われない、という意見はなしで。
正直、「黒服に殺された」という皆共通ネタを使ってもよかったけれど。
それではあまりに愚直すぎる、ということで。

作品について。
ごらんの通り、亜紀の都市伝説です。
犬をそぞろ従える少女のお話。
貴方の街にも出るかもしれまんよ――などと言いつつ。

では。

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