嵐ヶ丘を越えて・後編








 厄介事どころの話ではなかった。


 これが「やっかい」ですまされるようなことなら、世の中にある大半の出来事はあっさりと解決するに違いない。
 今のこの状況に比べれば、ジェーンと二人きりで居た方がまだマシだ。
 燔祭堂――運転席に座り、マスコンの表示に目をやる。
 青と白が侵食し、赤と黄色が減ってきている。
「――スラーヴァ! 石炭ガンガン燃やせ! 火が足りない」
 怒鳴りつけながら俺は黄色のマスコンを思い切り奥へと押し込んだ。
 両手で思い切り引かなければ動かないほど硬い。
 膝の上に座ったエマが、不安げに俺を見上げてくる。
 ……大丈夫、大丈夫だ。
 ゆっくりと、黄色のマスコンが動く。
 表示の中の色合いが徐々に戻っていく。
 が、青色が相変わらず強い。
 青が示すのは水。
 水が多すぎる――雨のせいだ。

 ――「橋」以外で、マスコンを手に取るとは思わなかった。

 そう、これは「橋」の試練ではない。
 プレステ・ジョアンが走ってるのは魔想鉄路ではなく、あくまでも普通の線路だ。
 ジョエルの言う厄介事とは、勿論ゴーレム機関に関することだった。
 ……尤も、それ以外のことでジョエルに呼び出されるとすれば、ジェーンが問題を起こしたときくらいなのだが。
 寄り添うような大嵐のせいで、プレステ・ジョアンのバランスが崩れた。
 土砂降りの雨と強風のせいで青と白が増え、相反するように黄色と赤が減っていった。
 マスコンで調節しなければ、ゴーレム機関が崩れてしまう。
 長旅でボロボロになってしまったプレステ・ジョアンには、単独で嵐に耐える力が残されていなかった。
 プラハについてオーバーホールを終えていればまだ違ったのだろうが。
 ……まあ、無理なことを望んでも仕方がない。
 せっかく覚悟が決まったのに、橋の試練でなく自然災害で旅が終わるのはあまりに悲しすぎる。
 橋もないのに転落したらお笑い種だ。
「…………」
 エマが下から覗き込んでくる。
 大丈夫? と無言で聞いてくる。
 俺はその問いに答えるように、全力で青のマスコンを握り、手前へと引いた。
 ――重い!
 黄色のマスコンよりも遥かに重い。
 全力で引いているのに、じりじりとしか動かない。
 それでも成果はあるのか青が薄まり――代わりに白が増えてくる。
 雨と風。
 両方を減らしていかなければならないのは、さすがにキツい。
 会話用の配管に向かって俺は叫ぶ。
「車長! 風で列車が横転、なんて間抜けなことにはならないだろうな!?」
 配管の向こうでけーこ車長が同じく叫ぶ。
「心配すんな! いくら強風ったって、まっすぐ走ってる限りは――」
「ポッポー、キャプテン! この先はカーブが続きます!」
 割り込んできたスラーヴァの声に、車長の声が一瞬途切れた。
「……大丈夫だクゥ・クラン! 頑張れ!」
「あんた今考えこんだだろう!?」
 エマに触れ合っているおかげで心の声は聞こえないが、それでも車長の心中は充分にわかった。
 つまりは、自分でどうにかするしかない。
 スラーヴァが石炭を燃やし続けてくれている以上、赤のマスコンは放っておいても大丈夫だ。
 問題は、青と白。
 青が強ければ機関車の命たる熱が消える。
 白が強ければ列車が転倒してしまうかもしれない。
 死にかけのプレステ・ジョアンなら、どちらも有り得そうだ。
 心の声が聞こえれば、今ごろプレステ・ジョアンは悲鳴を上げているだろう。
 救いがあるとすれば、「橋」特有の怪奇現象が起きないことくらいだ。
「……ちっ……プレステ・ジョアン! しんどいだろうが頼むぞ!」
 俺は自らを鼓舞するように機関車に語りかけながら、白と青のマスコンを引く。
 まるで俺の声に応えるかのように、マスコンは少しだけ緩くなったような気がした。


         ◆

 
 いくつのカーブを越えたのか――
 いくつの危機を越えたのか――
 思い出すのも億劫なほど、俺は疲れていた。
 十分ほどだったのか――
 一日だったのか――
 時間もわからないほどに、俺は疲れていた。
 両手が痺れるように痛い。マスコンを大量に操ったのだ、当たり前だ。
 七本のマスコンなんて常識外――いつかおにうがそう言ったことを思い出す。
 確かに、その通りだ。
 一本でも精一杯なのに、七つもあったら身が持たない。
 赤白青黄色の四本を今扱えたのは、奇跡にも等しい。
 エマが傍にいなければ、きっと力尽きていただろう。
 あるいは、決意が萎えて、諦めてしまったか。
「……ありがとな」
「…………」
 エマは膝の上で笑う。
 旅を始めた頃に比べらば、俺も、エマも、だいぶ変わったものだ。
 目の前にある表示を見る。
 若干青と白が多いものの、席についたころに比べればだいぶ安定していた。
 この調子なら、マスコンを操作しなくても自然に戻る。
 現に、ゆっくりと赤のゲージが増え始めていた。スラーヴァが頑張っているのだろう。
 ひと段落、か。
「……ふぅ!」
 吸った息を思い切り吐き出す。息でエマの髪が少し揺れた。
「橋」と違い怪異な出来事こそなかったものの、明確な「試練」というものがないせいで、いつ終わるかわからないというのはさすがに堪えた。
 身体以上に、精神が疲れた。
 ……プレステ・ジョアンもよく保ったな。
 俺は今すぐゴーレムの核にキスしたいぐらいに、『彼』に感謝していた。
 マスコンを扱い、心の声を聞いていると解るのだ。
 プレステ・ジョアンが、もうぼろぼろだと言うことに。
 傷だらけで、疲れきって、もう動くだけで辛いだろうに――プレステ・ジョアンは走り続ける。
 俺たちを乗せて。指名を果たすために。
 多くの橋を乗り越えて。
 そう考えれば、矢張り俺たちは誰もがプレステ・ジョアンに感謝すべきなのだろう。
「――何を考えている、クゥ・クラン」
 俺の思考は、その声で中断させられた。
 いつのまにか猫のように音もなくしのびよったジェーン・ドゥが開いた扉の壁に寄りかかるようにして立っていた。
 風呂に入って着替えたはずなのに、全身びしょ濡れだった。
 頭からつま先まで濡れていないところはなく、疲れきった笑みを浮べていた。
「ずいぶんといい女になったな、ジェーン」
「ぬかせ。私はもとからいい女だ」
 ジェーンが笑いながら言う。
 その心は、エマが膝に乗っているせいで読めない。
 が、ジェーンに限って言うならば、長い付き合いのおかげで何となく程度なら解る。
 本心から笑っているわけではない、ということが。
「危機は脱せたか」
 本題を避けるかのように、ジェーンが言う。
 俺もまた、それに応える。
「なんとかな。よく保ったよ、この列車も」
「魔法と科学の集合体だ。そう簡単には壊れないだろう」
「誰かのせいで所々に穴が開いてるけどな」
 ジェーンが薄く笑う。
 こういう哂いをするときは、怒っているときだ。
 俺は話をそらすために、無理矢理『本題』を持ってきた。
「なあジェーン。何を考えてる、って俺が聞きたいくらいだ。お前、何か変だぞ?」
 俺の言葉に、ジェーンは露骨に目を避けた。
 きっと心の中では下手糞な唄を歌っているに違いない。
 その態度も、俺からしてみれば不思議なものだった。
 到底言い難いものとは思えないのだが――
 そう思った瞬間だった。

 ガタン、と列車が跳ねた。

 たいしたことない揺れだった。
 カーブしたか、道が悪いのか。その程度の揺れだった。いつもより少し大きいというだけだ。
 そして、その程度の揺れが――今の列車には、致命的だった。
 重ね積もった小さな傷が、決壊するダムのように一気に崩れ落ちた。
 最も脆い部分――プレステ・ジョアンと、列車の連結部分が壊れたのだ。
 ゴーレム機関車と客室を繋ぐものは、嘘のように何も無かった。
「な――っ!!」
 俺は、ただ見ていることしかできなかった。
 少しずつ離れていく列車を。
 そして――

 自らの身体を、連結代わりにしたジェーンの姿を。

「馬鹿野郎!」
 俺は、ようやく動けた。
 右手でプレステ・ジョアンを、左手で列車を掴んだジェーンの身体は、限界すれすれだった。
 当たり前だ。いくら列車部分に慣性が残っているとはいえ、無謀すぎる。
 反射的に漏れた叱咤と共に俺はジェーンに駆け寄る。膝の上にいたエマは、俺より一瞬早く俺の上からどいていた。
 壁にかけてあった予備の連結機を、俺は急いで繋いだ。
 時間にして、数秒足らずのことだ。
 その数秒間は、プレステ・ジョアンを操縦していた何時間かよりも、よほど怖かった。
 ジェーンが、今度こそ死ぬかと思ったからだ。
「おい、ジェーン! ジェーン・ドゥ!! 大丈夫か!?」
 俺は列車の壁に寄りかかって座り込むジェーンに駆け寄る。
 いくら馬鹿力とは言え、まったくの無事で住むはずがない。
 俺を姿を目視したジェーンが、不安げに言う。
「列車は……大丈夫……か?」
「ああ、お前のおかげでな! なんであんな無茶したんだ!?」
 俺の問いに、ジェーンは、笑った。嬉しそうに。
「ふむ。よかった……」
 最後にそう言い置いて、ジェーンは気絶した。



        ◆



 雨は未だ止まず、窓の外に見える光景は暗い。
 それに比例するように、俺の気分は憂鬱だった。
 それもこれも――目の前で眠る、ジェーンのせいだ。
 気絶したジェーンを、俺は奴の部屋まで運んだ。
 後のことは、全てスラーヴァたちに任せた。
 エマは部屋で待機している。ジェーンと二人きりになりたかった。
 皆の手前平静を装ったものの、心中は穏やかではなかったからだ。
 色々な事柄が混ざり合って、頭の中がぐちゃぐちゃしていた。
 だから――ジェーンが目を覚ました時、俺は何も言えなかった。
「……目ぇ覚めたか」
 そう言うのが、精一杯だった。
 ジェーンはしばらく虚空を眺め、ゆっくりと焦点を俺にあわせて言う。
「最悪の目覚めだ」
 俺は笑う、
「それだけ言えるなら大丈夫だな」
「私は……倒れていたのか?」
 首を傾げて問うジェーンに俺は応える。
「ジョエルがぼやいてたよ。いくら頑丈でも、一日中雨に打たれてたらぶっ倒れて当然だってな」
「そうか……それもそうだな」
 ジェーンはぎこちなく笑って、窓の外を眺めた。
 窓の外は生憎の雨。
 いつ降り止むのか知れない雨は未だ降り続けている。
 ジェーンは何も言わない。
 俺も、何も言わなかった。
 ジェーンが再び口を開いたのは、しばらく経った後だった。
「――クゥ・クラン。私は、貴様が幼い頃から貴様の側にいた」
 どう反応すればいいのかわからなかった。
 俺は黙って話の続きを待つ。
「狗だったお前をよく知っている。狗になる前のお前も知っている」
 ジェーンはそこで言葉を切って、小さく息を吐いた。
 もしかすると、それはため息だったのかもしれない。
「……今のお前は、そのころに比べると、だいぶ変わった」
《エマに会ってから》
 心の中で、ジェーンは付け加えた。
 それは、否定できない。
 エマに会って――プレステ・ジョアンに乗って――俺は間違いなく、変わった。
 エマと――乗客たちと――橋を渡り続けて、俺は変わり続けた。
 自分でも自覚できるほどに。
 おにうあたりはそう思ってもいないだろうが……常に側にいたジェーンからすれば、その変化は大したものなのだろう。
 けど、それが何だというのか、わからない。
「私はな……」
 俺の疑問を解消するかの如くジェーンが言う。

「それが、少しだけ羨ましい。私は変わらない。お前を変えることも出来なかった。エマには、それが出来た」

 ……そう言ったジェーンの心を、俺は否応なしに読んでしまった。
 言葉にならない、どろどろの感情を煮詰めたような、ジェーンの心。
 それら全てが、ジェーンの言葉は本音だ、と語っていた。
 俺は何も言えない。
 ジェーンもまた、何かを言って欲しいとは思っていないだろう。
 また、しばらくの沈黙があった。
「……見ろクゥ・クラン。晴れてきたぞ」
 窓の外を見ながら、ジェーンが唐突に言った。
 俺も窓の外を見る。
 あれだけ降っていた雨は、あっけなく止んだ。
 雨雲が後ろに取り残されていく。
 窓の外に太陽の光が見えてくる。
 嵐の丘を完全に越えたのだ。
「今日の私はおかしいな……雨のせいだ。忘れろ」
 ジェーンは振り向き、寂しそうな笑顔を浮べて言う。
 ――忘れることなど、できるものか。
 俺はジェーンの言葉に応えず、ただ窓の外の光景を見続けた。
 

 列車は走り続ける。
 七つの橋のその向こう、旅の終わりのその先に。
 見果てぬ望みを目指して。







SEBEN-BRIDGE二次創作嵐ヶ丘を越えて、後編でした。
ジェーンラブ。活躍ないケド。最後空気でしたけど。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

セブンブリッジは……ほんとにアレです。
もったいない。
それが如実に出ているのがこのジェーンというキャラ。
設定、性格、声とどれもいいのに、出番だけがありませんでした。
特に後編。
一章やった時点では、絶対最後まで関わると思ってたのに……!
このキーパースンめ! とか思ってたのに……。
というわけで脳内補完でした。
一番補完が必要な『カイ』『六番目』が書きたいデス。

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