嵐ヶ丘を越えて・前編








 車窓の外の天気は、生憎の雨。
 通り雨ならともかく、朝からこうだとさすがに気分が萎える。
 窓の外の景色が灰色に染まってしまう豪雨のため、乗客たちの雰囲気もどこか湿っぽくなる。
 そもそも、列車は高速で移動し続けているわけだから、雨が続くということは雨雲に追いかけられているということになる。
 不運なのか、試練なのか。あるいは運命か。
 ……スカサハに天気予報でも聞いてみようか。
 そんな馬鹿げたことすら考えてしまう。
 魔女に頼むにしては、あまりにも馬鹿げた質問だ。
 いくらなんでも鼻で笑われる。
「クゥ・クラン。暇か。暇だな?」
 こんなときに限って厄介ごとというのは舞い込んでくる。原因は大抵ジェーンだ。今のように。
 今ままでだってそうだし、今この瞬間だってそうだ。
 ということは、この先もそうなるわけだ。
 ……最悪だ。
 ジェーンとの腐れ縁が切れない限り、厄介ごとからは離れられないらしい。
「別に暇じゃねえよ。見りゃ判るだろ」
 というものの、俺はといえば、一目でわかるくらいに暇を持て余していた。
 日が昇って――尤も太陽は見えないが――しばらく立つというのに、エマの膝を枕代わりにソファに寝そべっていたからだ。
 酒を飲んでないのが唯一の救いだ。
 エマに触れていれば、心の声が聞こえない。頭痛がこなければ酒を飲む必要もない。
 膝はあまりに心地よく、これから毎日枕代わりにしようかと思うくらいだ。
「ああ判る。暇なんだろ? なら少し付き合え」
 繰り返し断ろうと思ったが、止めた。
 暇だったからだ。
「わかったよ……で、なんだ?」
「とりあえず起きろ。まったく、だらしの無い……」
「はいはい」
 俺はエマの膝から身を起こす。名残惜しかったが仕方がない。
 途端に、ジェーンの心の声が聞こえてくる。
《まるでヒモだな。朝から女の上でごろごろと》
 うるせえよ。
 痛烈で的確な批判から逃げるように俺はエマの頭に手を置く。
 ジェーンの心の声が断線したラジオのようにぷつん、と消えた。
 いい気味だ。
 エマを見ると、手の先にある俺の顔を不思議そうに見つめていた。
 何がしたいのかわからない、とでも言いたげに。
 そんなこと俺にだってわからないので、俺はごまかすようにエマに笑いかける。
 エマも笑い返してきた。
 ……コミュニケーションが出来るのはいいことだ。
 初めて出会ったころには、こんなふうに心通じるとは思わなかった。
 一つ目の橋を超える頃に、エマがこんな風に笑うだなんて思いもしなかった。
 残る橋は二つ。この先、どうなるのかは判らないが――
 この笑顔が見れただけで、俺は幸せだと思う。
「おい、クゥ・クラン。私を無視するな」
 ジェーンの声に現実に引き戻され、エマの頭から手を放し向かい合う。
《のろけるなよ》
 心の声が聞こえるようになるタイミングを見計らって思いやがった。
 長い付き合いとはいえ……そこから先は考えないことにした。
 これ以上放っておけば、まず間違いなくジェーンは暴れだす。
「それで? 用って何だ。文句言いに来ただけか?」
「こんなもの文句にも入らん。――手伝って欲しいことがある」
「――ほう」
 ジェーンが俺に頼みごととは。
 過去にジェーンがした頼み事を俺は思い返す。
 十のとき、博打でイカサマの手伝いをさせられた。
 十一のとき、犬の心を読む訓練をさせられた。
 十二のとき、心霊術ごっこをさせられた。
 ……ろくな思い出がないな。
 もっとこう、組織時代の格好いい思い出や陰湿な思い出もあるはずなのに。
 雨のせいで頭が上手く働いていないような気がする。
 脊髄反射だけで答えることにする。
「何を手伝えばいい?」
「とりあえず私の部屋に来てくれ」
「……わかった」
 どうせろくなことじゃないだろうとは思いつつも、俺は首を立てに振った。
《意外と素直だな》
 ほっとけ。暇なんだよ。


        ◆


 本当にろくなことじゃなかった。
「おい、ジェーン!」
「なんだ、クゥ・クラン!」
 俺が大声で怒鳴ると、ジェーンも怒鳴り返してきた。
 別に怒っているわけじゃない。
 大声で言わないと、声が届かないからだ。
 外は雨と風が強くて、普通に話したらまったく会話が出来ない。
 ――そう、外。
 何の因果か――あるいは試練か。やはりこれも試練なのだろうか。ジェー・ドゥ橋の試練。
 嵐のような雨の中、俺とジェーンは外に――列車の屋根の上に居た。
 当然横殴りの雨に身体を殴られ、カッパを着ているとはいえ寒いし辛い。さすがに危なすぎるので、エマは客室内で待機している。
 馬鹿げた話だ。
 何を好きこのんで雨の中外に出なければならないのか。
 ――列車がボロくて、雨漏りが酷いから。
 やっぱり馬鹿げた話だ。
「ジョエルはどうした! これはパーサーの仕事だろうが!」
 俺の問いに、ジェーンは思考で返す。
《奴も仕事だ。客室中を這い回ってる。自分の所は自分で治せと言われてな》
「スラーヴァは! あいつならこれくらい簡単にこなすだろう!」
 俺は手を動かしながらもさらにジェーンに向かって叫ぶ。
 叫ばないで無心に手を動かしていた方が楽だとは判っていたが、叫ばずにはいられない。
 やはりジェーンは思考で返す。
《スラーヴァは列車の運転中。ついでにいえば車長がこんな些事に手を出すはずはないな》
「くそっ……!」
 俺は悪態をついてトンカチを力任せに振り下ろす。
 客室の天井の雨漏りが酷いから修理をする――それは判る。
 問題は何故それを俺がしなければいけないかということだ。
 ジェーンの力なら、雨の中だろうが風の中だろうが、一時間くらい延々と作業すれば終わるはずだ。
 ……俺なら一時間でもやらないな。
 本音を言えば止めたかったが、そうはいかない。
 一度手伝うといった以上、断ったら酷い目にあうことを俺はよく知っている。
 これでも、ジェーンとの付き合いは長いのだ。
《まあそうぼやくな。お前と私二人がかりなら、そう時間はかからないだろう》
「俺以外に誰か出切る奴はいなかったのかよ!!」
《グラナダは手伝わんし、ナンシーらが役に立つとも思えん」
「おにうは!」
《吹き飛ばされるのがオチだ》
 それは同感だ。
「……は!」
 俺は呆れて笑い、トンカチを振るう。
 結局、自分の手でどうにか終わらせるしかないらしい。難儀なことに。
 狗の仕事や、「試練」よりはまだマシなのが救いだ。
「……くそっ!」
 俺は二度目の悪態と共に、力任せに補修を始めた。

 雨漏りがとりあえず直る頃には、全身びしょ濡れになってしまった。


        ◆


 一等客車の個室にはシャワールームが備えつけられている。
 縦横ともに狭い、棺桶を縦にしたような形のものだ。
 狭いことは狭いが、熱湯にすれば冷え切った身体を温めてくれるのが有り難い。
 プレステ・ジョアン万歳、技術の進歩万歳、という奴だ。
 これで客室の天井も自動で治ってくれたら文句のつけようがないのだが。
 いくらなんでもそれは贅沢すぎるか。
 俺は嘆息してシャワーの湯をさらに熱くする。
「タオルはすぐ外に置いてるぞ」
《勝手に使え。お前用の服は無いがな》
 口で親切なことを言いつつ、ジェーンは心の中でなんとも酷いことを言った。
 ……しまった。
 修理が終わったあと――卑怯にも一足先に終わらせ、シャワーを浴び終えた――ジェーンが、『好意』でここのシャワールームを使え、と言って来た。
 疲れていたためジェーンの心に気を配ることもなく、ふらふらと服を脱ぎふらふらとシャワーを浴びたわけだが――
 着替えのことなど、すっかり忘れていた。
「……ジェーン。頼みがあるんだが」
「何だ。言ってみろ」
《服は貸さんぞ》
 借りねえよ、と怒鳴りたいのを堪える。
「俺の部屋から、服とってきてくれ」
《……ふっ》
 返って来た返答は、言葉でも思念でもなく、無言の笑いだった。
 嫌な予感がするが、どうしようもない。
 ジェーンは楽しげに言った。
 わざわざ、口に出して。
「なに、気にするなクゥ・クラン。貴様の裸など飽きるほど見ている。服など無くても別にいいだろう?」
 扉の向こうで、激烈な気配の変化が起こった。
 部屋の中にいるエマの声鳴き悲鳴が聞こえ、それからどたどたとジェーンに詰め寄る音。
 心を読まなくてもわかった。
 ……ジェーンの奴、からかってやがる。
 今頃、にやにやしながらエマの顔でも見てるに違いない。そしてやっぱりエマはべそをかいているのだ。
 運が無い――というか、やけに絡まれる。
 雨のせい、だろう。
「そりゃガキの頃だろう! いいから――」
 そこでようやく気づいた。
 頼むなら、エマでもいいではないか、ということに。
「エマ! 俺の着替えを取ってきてくれ!」
 エマのたてる物音が一瞬止まる。
 が、
「ほう? 私とクゥを二人きりにさせておいていいのかな?」
 そのジェーンの言葉で再び動き出した。
 物凄い音を立てて走り出し、蹴破るような勢いで扉を開いて去っていった。
 全速力で駆けていく。
《可愛げがあっていいな》
 ジェーンが心で呟く。
 明らかに、変だった。
 いつものジェーンなら、こんなことはしない。
「……お前、どうしたんだ?」
 シャワーを止め、そう尋ねる。
 扉をあけた先の脱衣所には、律儀に畳んでタオルが置いてあった。
「どう、とは?」
 身体を拭きながらジェーンに応える。
「なんか今日おかしいぞ、お前」
「私はいつも通りだ」
 ――嘘吐きめ。
 俺は意識を集中してジェーンの心を覗き聞こうとするが、聞こえてくるのは下手糞な歌だけだった。
 隠してやがる。
 こうなったジェーンから何かを聞き出すのは不可能だ。
 再びため息を吐いて、下着を履いた。服はどぶ鼠のように濡れていて着るのはとてもじゃないが無理だった。
「……強いて言うなら、雨のせいだ」
 ――。
 俺は扉を開け、脱衣所から出る。
 泣いているような気がしたが、ジェーンは泣いていなかった。
 無表情で、窓の外の景色を見ていた。
 俺に出てきたことに気づいたジェーンが振り向く。
 笑いながら、
「裸を見られていいのか?」
「もう見飽きてるだろ」
 軽口を叩きながらも、ジェーンの心は歌で満ちていた。
 気まずかった。
 早くエマが戻ってきて欲しい――そう願った時に、どたばたと足音が聞こえてきた。
「エマ――」
 が、期待は一瞬で裏切られた。
 それどころか、ますます状況は悪くなった。
 入ってきたのは、ジョエルだった。
「クゥ・クラン! いるんだろ……って、あんた何さ、その間抜けな格好」
 間抜けな加工――と言われても否定は出来ない。
《まさかジェーン・ドゥと密会中? かっわいそうなエマ》
 違ぇよ。勝手に恐ろしいこと想像すんな。
 言い返したいのは山々だが、説得力が無い。
 仕方なく悪態をついてごまかす。
「お前の代わりに客車の修理をしてびしょ濡れになったんだよ」
「……ジェーン・ドゥにやらせなかったの? あいつが暴れて壊したのに」
「――何!?」
 俺が振り向くと、ジェーンは露骨に顔をそらした。
 老朽化や、度重なる「橋」のせいだ、と思って手伝ったのに……
 なんで俺がジェーンの後始末をしなきゃならないんだ、と憂鬱な気分になる。
 遠くから再び足音が聞こえてくる。
 今度こそエマが返ってきたのだろう。心が読めない誰かが近づいてくる。
 俺は自制心を最大まで働かせて、ジェーンのことを無視してジョエルに尋ねる。
「で、何の用だ?」
 ……なんとなく嫌な予感がした。
 既知感があった。ついさっきも同じ問いをし、ろくな目にあわなかった気がする。
 出切ることなら聞きたくない。
 が、もう遅い。
 ジョエルはきっぱりと断言した。


「――厄介ごとだよ」











あとがきは後半で。
とりあえず拍手ボタンだけ設置。
後半はなあ……途中まで書いてるけど最後が。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


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