トオリモノ






 死ぬことばかり考えていた。
 いつ死ぬか。どこで死ぬか。どうやって死ぬか。そんなことはどうでもよく、死んで全てが終わってしまうことを願っていた。
 それ以外のことなど考えたくもなかった。
 考えたくなくても、考えてしまう自分の脳を嫌悪した。
 未だ直らない右手の傷はじくじくと痛みを訴え、緩やかに血は流れ出て包帯を赤く染めていく。首の傷もまだ完治していない。細かい擦り傷はいくらでもあった。
 傷の痛みは、自分が生きていることを否応無く実感させた。
 隣りを歩く伊里野は物珍しそうな顔をしてきょろきょろと周りを見渡している。土花木草しかない線路の上でもそれは変わらない。目に映るものが全て新鮮なのか、それとも意識を一箇所にとどめておくことができないだけなのか、浅羽には解らない。
 放っておけばそのうち草でも食いそうな気がする。
 ため息をついた。
 線路上で「浅羽」がいなくなったあの日から、状況は一変した。
 伊里野の病状が悪化した。目が見えなくなるときが増え、鼻血を出す回数も増えた。
 伊里野が謎の言語をささやき始めた。前触れも無く空気に向かってきゅるきゅる言う姿は壊れているとしか思えなかった。
 そして、伊里野にとっての「浅羽」がいなくなってしまった。
 再びため息をつく。
 なら今ここにいる自分は誰だと言うのだろう。浅羽はそう自嘲する。
 伊里野にとっての「浅羽」というのはきっと、自分を救ってくれた神様みたいな奴で、何でも出来てへこたれなくていつまでも自分を助けてくれて一緒に逃げてくれて優しい心を持っているスーパーマンみたいな奴なのだ。
 そんな奴、初めからどこにもいなかった。
 もうため息をはく気にもなれなかった。
 黙って足を進める。枕木を一歩一歩踏みしめて歩く。前を行く伊里野の後ろ姿を見すらしない。
 どうして歩いているのか、浅羽にもわからない。
 完膚なきまでに終わったはずなのに、八月三十一日のあの夜を最後に夏休みは終わったはずなのに、自分はまだ歩き続けている。指名も目的も金も行く当てもなく慣性のままに。
 晶穂ならきっとこう言うだろう。
 ――バッカみたい。
「馬鹿だよな、ほんと」
 伊里野は応えなかった。
 なあっ
 校長が代わりに応えた。
 猫に同情されても、嬉しくもなんともない。
 浅羽は微かな哂いを顔に貼りつけて歩く。
 歩いているうちには何も考えずにすむ。ただ無心で枕木の数を数えていればいい。たとえ考えてしまっても、左足と右足を交互に差し出せば何を考えていようが前に進める。行くあてなどなかったとしてもだ。
 どこに行きたいのか、なにをしたいのか。
 ひたすら南へと歩きながら浅羽はそんなことをぼんやりと考える。
 あの日、伊里野は死んだ。
 あの日、伊里野にとっての浅羽は死んだ。
 そして、自分は死にぞこなって今もこうして歩き続けている。
 他に手がないわけじゃなかった。
 家に電話を入れてもいいし、近くの交番に駆け込んでもいい。そうすれば十分としないうちに白いバンが迎えに来てくれる。
 そうすれば今度こそ全て終わりだ。伊里野は園原基地か病院に搬入され、自分はもとの日常に戻れる。花村と西久保と晶穂と清美と遊ぶ毎日が帰ってくる。部長と晶穂と部活に勤しむ日が戻ってくる。
 けれど、そこに伊里野の姿はない。
 あるいは――
 なあっ
 枕木を見ながら不吉なことを考えようとした瞬間、校長が鳴いた。
 その一瞬後に、どた、と何かが倒れて地面にぶつかる音。
 顔を上げる。
 伊里野が倒れていた。
 白い髪を鉄道の上にばら撒かせて伊里野が倒れていた。ぜんまいの糸が切れたような唐突さだった。
 校長が心配そうに伊里野に近づく。
 浅羽は慌てることも近づくこともしない。
 ここ数日で伊里野のこの奇行にも慣れた。
 伊里野は「浅羽」を待ち続ける。「浅羽」は次の町にいるよ、と言えば歩き出す。
 伊里野は「浅羽」を求めて歩き続け、休むことも寝ることもなく歩き続け、あげくに力尽きて倒れるのだ。
 その繰り返しだった。
 その繰り返しを、浅羽は何度も側で見ていた。
 だから、実を言えば、機会はいくらでもあった。
 やろうと思えば、いつでも出来たのだ。
 しなかったことに理由はない。そして、今に限ってしようと思ったのにも理由は無かった。
 浅羽は無言で伊里野に近づき、無言で倒れた伊里野を仰向けにした。
 眠っている――というよりは気絶していた。
 綺麗な顔だった。鼻血が出てもいなければ口から血を吐いてもいない。傷跡があるわけでもない。
 白い髪を除けば、普通の少女だった。
 まだ宇宙人だった方がマシだと浅羽は思う。そうすれば、余計な同情を持たずにすんだ。猫に餌をやる奴はいても、宇宙人に餌をやる奴はどこにもいない。
 宇宙人と友達になりたがっていた人は、いなくなってしまった。
 浅羽は最後まで無言のまま、伊里野の首に手をかけた。
 両手で包み込むようにして掴む。
 伊里野は起きない。当然だ、限界だからこそ倒れてしまったのだから。
 いつでも出来たのだ。
 伊里野が寝てしまったときに、やろうと思えばやれたのだ。
 校長の声で中断された暗い炎が再び燃え上がる。心の中で燻り続けていたソレは紛れも無い本音だった。
 殺せば終わる。
 殺してしまえば、それ以上伊里野のことを心配する必要はない。今何しているのだろう、生きているのだろうか、幽霊戦闘機で闘い続けているのだろうか――そんなことを考える必要が無くなる。
 伊里野を殺して、そして自分もここでゆっくりと死んでいけばいい。
 何もせずに線路の上で朽ちていけばいい。
 それで終わりだ。長かった夏も、手に力を込めるだけで簡単に終わる。
 今までお守りを欲しいなどと思ったことは無かった、と伊里野はいった。
 つまり、「浅羽」がいないときは、いつ死んでもよかった――伊里野はそう告白した。
 なら、別に、今ここで殺した所で伊里野はなんとも追わないだろう。
 浅羽はそう思う。
 もう、「浅羽」に会うことは二度とないのだから。
 ここで死んだ方が、伊里野にとっては幸せなのかもしれない。そんなことすら思う。
 浅羽は、手にほんの少しだけ力を込める。
 白い首に指が微かに食い込む。
 その瞬間、浅羽の頭の中にあったのは、辛く苦しく楽しかった逃避行の思い出ではなく、それ以前――いつまでも続くと思っていた、いつまでも終わらないと思っていたときの記憶だった。
 椎名真由美の吸っていた煙草。誰も無い公園の静けさ。二人乗りのスクーターで走った道の景色。路上を占める戦車の群れ。頭上を飛ぶヘリの群れ。ボウリング球に蹴散らされて倒れていくピン。ファーストフードの不味い味。下駄箱に入っていた猫。名前も知らない少女と泳いだプールの冷たさ。
 幽霊戦闘機の翼の上で死んでいたセミの姿。
 いつの間にか無くなったしまったセミの墓。
 手を離した。
 白い首に残った赤い跡を、浅羽は乾いた哂いを浮べながら見た。
 伊里野が眠ったまま、苦しそうに咳き込んだ。
 浅羽はそれ以上伊里野を見ることはせず、伊里野を線路から土手にどかしてその横に寝転がる。
 仰向けになって空を見ると、星が見えた。
 いつか見た星空と、同じくらい綺麗だった。
 





◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
伊里野の空より浅羽の物語でした。


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 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。

時空列的にはコンビニにたどりつく前あたり。
あの日浅羽と別れてから、伊里野が独りで歩き続け始めた数日後。
『浅羽』でなくなってしまった浅羽の物語でした。
……いやーでも実際この状況は普通に辛いよなあ。
浅羽は自分のこと散々責めてるけど、実の所最後まで猫に餌をやり続けたし。

伊里野のアニメはまだ見てません。
クオリティ高いらしいので見たいかも。
しかし、絶対難しいと思うんだよなあ、文章以外での表現って。秋山氏の作品の場合。

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