水前寺の夏・前編



 芹沢美由紀の第一印象は、変な女だ、というものだった。
 その印象は、水前寺邦博が彼女と出会ってから別れるまでの間変わることは無かった。
 別に、水前寺のような変人というわけではない。
 見かけとそれ以外はまあ、マトモだった。夜空に向かってきゅるきゅる話すことも無ければ、突拍子も無く夕暮れに叫ぶことも無かった。
 勿論、幽霊でも超能力者でもUFOのパイロットでも無い。
 普通の女の、普通の大人の、普通の教育実習生だった。
 興味の持ちようのない、暴くほどの真実も無い、普通の人間だった。

「あ、邦博くん。何してるの?」

 ――はずなのだが。
 機材とゴミとその中間のものがごろごろ転がる不法占拠した新聞部の部室。その中に入ってくるなり、芹沢はそう言った。
 何もくそも無い、新聞部の仕事に決まってるだろう――そう言いたいのを水前寺はぐっとこらえて説明することにする。着任早々全ての部活を把握しているはずがない。そして相手は一応「教師」であり、臨時とはいえ自分の担任でもある。
 たかだか中学生の作る学級新聞だ。内容も適当に決まってる。そう思われるのは嫌だった。 
「我々太陽系電波新聞部は、太陽系の如き広大なジャンルの知見を電波の如き速効性で読者に提供する少数精鋭のジャーナリズム集団である! ……知っていたかね?」
 年上に対する敬語など微塵も無い、慇懃無礼な口調だが、不思議と水前寺にはよく似合っていた。
 芹沢も気を悪くした風も無く、ううん、と言って首を振る。
「それで、何を書いてるの?」
 ――ちっ。誤魔化されないか。
 水前寺は内心で舌打ち、それを少しも表情に出さずに、
「貴女は守秘義務を守れるのかね?」
 冗談だと思ったのだろう。
 芹沢は口に手を当てて声を出して笑った。屈託の無い、子供のような笑い方だった。
 笑って、水前寺のパソコンを覗き込みながら、
「それで、邦博くんは何を書いてるのかな?」
 赴任してきてすぐに気づいたが、芹沢美由紀という人間は穏やかな雰囲気と幼く見える外見の割りに、辛抱強く粘り強くしつこい。
 そのことを知っていたからこそ、水前寺は小さくため息をついた。
 話すしかないだろう。
 変な女だ、と水前寺は思う。
 今まで自分にこうまでしてついて回った人間がいただろうか。親の仇のように扱う河口泰蔵三十五歳独身や、つい最近部に入った浅羽直之をのぞけば、自分の周りにいる人間というのはほとんどいない。
 真理を追究するものに友人はいらない。必要なのは相棒だけだ。
 それが水前寺の信念だった。
 こうまで、自分のやることに『興味』を持つ人間と触れ合うのは初めてだった。
 変な女だ、と水前寺は思う。
 ――何故、こうまでして自分を構うのだろう――?




 それは、新聞の名称がまだ『太陽系電波新聞』だったころ。
 それは、新聞部にまだ須藤晶穂も伊里野加奈もいなかったころ。
 夏の終わりかけた、十月の出来事。
 ――水前寺の夏の物語だ。



 冬だろうが夏だろうが新聞部の部室が汚いことには変わりない。コタツの代わりに扇風機が置いてあるくらいだ。泊り込みのためのシェラフが部屋の隅に詰まれ、買い溜めした食料やゴミの詰め込まれたビニールが床を埋め尽くしていた。片づける人間がいなければどこまでも汚くなる、という見本そのものである。
 物を適当に押しやって、芹沢は床にちょこんと座った。
 水前寺は半身開いてパソコンと芹沢の中間あたりに身体を向ける。
 ぶっとい黒のゴシック体で書かれた文字を見て芹沢がひと言、
「黒服の男について?」
 そうとも、と水前寺は頷く。妙に偉そうだ。
 のちに水前寺テーマと呼ばれるそれを、水前寺は芹沢に説明する。
「正確には黒服の人間、と記すべきなのだろうがね。女性が居ないとは限らない。まあ、馴染みやすいタイトルを使わせてもらった」
「黒服の男たちって、都市伝説とかにある、人間をさらったり宇宙人と戦ったりする人たちのこと?」
「間違いではない。正解でも無いが。三十点といったところだ」
 水前寺の言葉に芹沢は少しだけ考え込む。
 恐る恐る口を開き、
「えっと……邦博くんの書いてる新聞は、ゴシップ専門誌?」
「失敬な!」
 ダン! と勢いよく床を踏んで水前寺は立ち上がり、部室の外まで聞こえそうな大声で怒鳴る。
 十四にして身長170の長身と態度のでかさのせいで物凄く威圧的で恐い。
「ひゃあ! ご、ごめんなさい!!」
 親に叱られた子供のように芹沢は小さくなる。どっちが年上だかわかりやしない。
 実際、水前寺の方が背がでかく、水前寺の方が貫禄があり、水前寺のほうが老けて見えた。
 縮こまる芹沢のつむじを見て、水前寺は物凄くバツが悪そうな顔をする。
 小さい子供を苛めてしまった気分だ。
 荒れる気持ちを堪え、ゆっくりと座り、なるべく優しい声で説明をする。
「太陽系電波新聞は、あくまでも『真実』を追究する新聞だ。有象無象のデマや虚言に満ちたモノと同じにせんでもらおう」
 全然優しい声には聞こえなかった。
「は、はい……!」
 芹沢はさらに萎縮し、それでも背筋をピンと伸ばして返答する。
 言い方が拙かったのだろうか――と水前寺は考え、結論として放っておくことにした。
 まさか泣き出したりはしないだろう。
 慰める代わりに、話を元に戻す。
「……聞きたいのは新聞の内容かね?」
「う、うん。黒服の男って、具体的には何を書くの? 先生それが知りたいなーって、」
「具体的な目撃情報や遭遇体験等をまとめ、黒服の正体や目的を暴く」
「へえ……」
 感嘆する芹沢の声に水前寺の機嫌が少しだけ直る。
「黒服の男たちって、実在したんだ……」
 その言葉に水前寺は「コイツ何を言ってるのだろう」という顔をする。
 無知をバカにするのではなく、知っていて当然のことをなぜ知らないのか、という顔。
 教師という職業ゆえか、それとも人格か――芹沢はその表情を敏感に読み取り、頬を膨らませて怒る。
 やっぱり何処か子供っぽい。
「もう! 先生にだって知らないことくらいあるんです! てっきりそんな人たちがいるのはお話の中だけと思ってたんです!」
 その言葉を聞いても水前寺の表情は元に戻らない。
 どこか齟齬がある――水前寺はそう考え、其れの正体に思い至る。
「ひょっとして、園原市出身では無いのかね?」
「え? そーですよ? 自己紹介のときにも言ったじゃないですか。市外から来ました、って。先生この町にきて驚きましたよー。軍人さんや外国の方がいっぱい居ますもん」
 ようやく納得がいった、という表情で水前寺は笑う。
 毎年新入生の女の子が騙されて貴重な紙資源をラブレターという名のゴミに変えてしまう、例の笑顔だ。
 芹沢はわけもわからずに笑い返し、


「――新聞のテーマは、『園原市に現れる黒服の正体』なのだよ」


 水前寺のその言葉に、芹沢の笑顔が凍りついた。
「――はい?」
 口をぽかんと開けてアホのように問い返す芹沢の顔を見て水前寺はやっぱり笑う。
 どこか嬉しそうな笑顔。
「外から来たのなら無理も無い。実の所、園原市は貴女がいうところの『お話の中だけの存在』の目撃情報が多々在るのだよ。幽霊、UFO、黒服の男。園原の住人にとっては戦争と同じくらいには馴染み深いものばかりだ」
 水前寺の言葉に嘘は無い。
 事実、園原では「そういう」ものの目撃例や、噂話が他のところに比べて異様に多い。
 曰く、死体洗いのバイトをさせられた、だの。
 曰く、オレンジ色に発光する謎の飛行物体を見た、だの。
 曰く――黒服に身を包んだ人間に記憶を消された、だの。
 一々上げていけばきりが無い。
 何故そんなことになっているのか――その答えは半ば明白であり、水前寺はその証拠を求めて夏休み中園原を駆け回ったのだ。
「ほ、本当?」
「嘘を言ってどうするのかね」
「もう、正体を暴く調査とか、終わったんですか?」
「滞りなく完了している。あとはまとめるだけだ」
 呆けた顔のまま芹沢は矢継ぎ早に質問する。
 水前寺はそのこと如くに簡潔に答える。
 芹沢はその言葉を聞いて放心し――ゆっくりと、震える声で決定的な質問をする。

「――じゃあ、その正体って、何なんですか?」

 水前寺の目の前に居る女性は、もはや教師ではない。
 太陽系電波新聞と水前寺邦博の世界に紛れ込んでしまった一読者に過ぎない。
 水前寺はその質問に対して笑って応える。
 笑いながら、はたして言っていいものか、と水前寺は悩んでいる。
 黒服の正体については、もう見当がついている。

 彼らは恐らく――園原基地の人間だ。

 園原市に多々発生する噂の現況は、山に広がる米軍基地を含む園原基地が原因だ。
 UFOを作っている、などという馬鹿げた噂は論外だが、彼らが何かをしているのは間違いない。
 集めた資料のどれもが、無言で我々は園原基地の人間だぞと主張している。
 白いバン。地下での死体洗い。グレーのテレホンカード。通じない電話。
 摂れない航空写真。時折出没する謎の男。鉄人屋での密かな会話。無自覚のスパイ。
 北≠フ人間。記憶を消された中年男の噂話。オレンジ色の発光体。目に見えない暗号通信の電波。
 この街は陰謀だらけだ――と水前寺は思う。
 何もかもを押し隠して、その上に日常がドンと蓋をしてしまっている。
 それら全てを暴き、真実を白日の下に晒したい。何よりも自分が知りたい。
 それこそが、水前寺邦博が太陽系電波新聞を続ける理由の一つである。
 だが、今ここで話してしまうのはまずい。
 旭日祭の大騒ぎにまぎれて発表してしまう分には問題ない。やってしまえば誰がどうしようが手遅れだ。
 問題は、それ以前。
 今自分が園原基地情報戦四課から盗聴を受けていない、という保障はどこにもない。
 ここで話してしまえば、もし園原の人間が実力で発表を止めにきた場合、芹沢美由紀を巻き込むことになる。
 特派員でも無い人間を途中で巻き込むのは、水前寺は嫌だった。

 ……そんな内心の葛藤は、長くは続かなかった。
 期待に満ちた表情で見つめてくる芹沢の目がはやくはやくとせっついてきたからだ。
 水前寺は思考を表情に出さず、笑ったまま答える。
「勿論、部外者にはまだ秘密だとも」
「あ、酷いです! 先生にそういう意地悪してもいいと思ってるんですか!」
「意地悪ではない! こういうものは、発表のときまで秘密にするものだ」
「ちえーっ」
 芹沢は歳不往相ないじけた顔をして、しかしすぐに笑い、
「その発表のときって、いつ?」
「旭日祭の時に大々的に発表する予定だ。――そのときはまだいるのかね?」
「私? うん。旭日祭の日で臨時教師は終わり。だから、その日は思いっきり楽しめるの。――ねえ邦博くん?」
 邦博くん、と呼ばれるのは少し恥ずかしい。
 姉に呼ばれる「邦ちゃん」よりはマシだが。
 水前寺は頬をぽりぽりと掻きながら、
「何だ?」
「もしかして、発表の準備って一人でやるの?」
「いや、部員はもう一人いる。まだ来ていないが」
 水前寺はまるでそこに誰かがいるように、扉のほうを見る。
 勿論、扉は閉まったままで、そこには誰もいない。
 遅いな――と水前寺は思う。
 もう一人の――残り一人の新聞部部員である、浅羽直之特派員が来ない。
 またどこかで道草を食わされているのかもしれない。優柔不断な男だから。
「顧問の先生は?」
 そうか、それも知らないのか――水前寺はちょっと驚く。
 説明は面倒くさかったが、全て話さねば芹沢は去らないだろう。
「太陽系電波新聞部は、ゲリラ部なのだよ」
「げ、げりらですか?」
「そう、ゲリラだ。学校から認められておらず、正式な「部」ではない。故に部費も無ければ部室も不法占拠、顧問など居はしない」
 そんなものが居れば、学校から干渉を受けてしまう。
 部になってしまえば――部費を受け取ってしまえば、学校の許可がおりないと新聞が書けない。
 真実を追求する水前寺にとってそれは拷問にも等しい仕打ちだ。
 芹沢はその言葉を自らの中で咀嚼し、考え、笑顔を浮かべた。
 名案を思いついた、とでも言いたげな笑顔。
「なら――」
 嫌な予感がする。水前寺は自分の予感に絶対の自信を持っている。この種の予感は必ず当たるのだ。
 芹沢の言葉を遮るには、何もかもが遅すぎた。

「――私、顧問になってあげようか?」

 水前寺は向日葵のような笑顔を浮かべて言う。
「断る」
「な、何でですか!? 先生ちょっと勇気出して言ったのに! そんなにあっさり断らなくてもいいじゃないですか!」
「顧問など必要ない」
「……部員二人しかいなかったら、人手不足なんじゃないですか?」
 ――む。
 痛いところをつかれて、水前寺は沈黙する。
 人手が足りないのは確かだ。
 浅羽特派員は万能は無い。ついでに言えば結構ヘタレだ。
 二人だけでは無理、とは言わなくてもキツイ。片づけすらままならない部室の惨状がそれを物語っている。
 自分の言葉が利いていると見て、芹沢は畳み掛けるように言う。
「ほら、先生一応大人ですし、居たら色々と便利ですよー?」
 口から出たのは、自分でも苦しまぎれだと思える否定の言葉だった。
「……学校の干渉を受ける気はない」
「なら、臨時教師の臨時顧問、ということで。あくまでただのお手伝い、ということなら大丈夫ですよね?」
 ぐうの音も出ない。
 否定材料が見つからない。
 見つかったとしても、相手が納得するとは思えない。
「……車は運転できるかね?」
「一応は。ペーパードライバーですけど」
「破壊工作の経験は?」
「そんなものありません!」
「部屋の片づけは得意かね?」
「大得意です!」
 仕方がないか――水前寺はあきらめたようにため息一つ。
 しかし、その口元は笑っている。
 嬉しそうに。
「よろしく頼む、芹沢臨時顧問」
 水前寺は右手を芹沢に突き出す。
 初めて自分の名前を呼ばれたことに気づき、芹沢は笑顔を浮かべて――

 ――その手を握り返した。


 こうして――芹沢美由紀は、太陽系電波新聞部の臨時顧問となった。






◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

あとがき。
伊里野の空・UFOの夏 アニメ化記念。
水前寺の夏・前編でした。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


四巻ラストでちょっとだけ出てきた芹沢美由紀の名前と、「ファイアーストーム」を使った小説。
舞台となるのは一年前の旭日祭デス。
奇人変人・水前寺邦博の物語。

内容のあとがきは後編で。
そう遠くないうちに、もう一つの夏を。



後編> 

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