兄の行方・後編




 殴り込みをかける鉄砲玉のような勢いで、夕子は新聞部が不法占拠している部室に転がり込んだ。
 鍵はかかっておらず、中に人の姿は無かった。
 夕子は落胆し、深いため息を吐く。
 新聞部に何人部員がいるのか、夕子は知らない。それでも誰かはいるかもしれないし、その誰かなら水前寺や兄の行方を知っている人がいるかもしれない、そう思っての行動だったのに。
 夕子は顔を回し、部室の中を見渡す。
 何度見ても、誰もいない。
 部室の中は、思っていたよりもずっと汚かった。
 目につく所全てに物とゴミが転がっており、床は見えている面積の方が少ない。
 ここで本当に部活などできるのだろうか、と夕子は疑問に思う。
 混沌のゴミ山のあちこちに隠されている暗号のことなど、夕子は知らない。
 ただ触れるだけで体が汚れそうで、それ以上一歩も部室の中に入ることなどできなかった。

「――ねえ、何してるの?」

 その背中に、いきなり声がかかった。
 心臓が口から飛び出るかと思った。
 でかかった悲鳴を飲み込んで、夕子は後ろを振り向く。
 見知らぬ女性がそこにいた。
 多分上級生で、髪の短い、活発そうな女生徒。
 その人は夕子が何を言うより先に、
「……まさか、入部希望?」
 入部希望者は普通歓迎するはずなのに、女生徒の声には不審が満ちていた。
 そんなものがくるはずがない、とでも言いたげに。
 放っておけば考え直せ、今ならまだ遅くないぞ、とでも言いそうだった。
 慌てて、
「い、いえ! あの、その、あたしは――あたしは、そう、兄の、じゃなくて浅羽直之の妹で、」
「――浅羽の?」
 そう言う女生徒の声には、かすかに親しみが混じっていた。
 ――兄の知り合い、なんだろうか。
 今ここにいるということは、きっと新聞部の部員なのだろう。
 兄や水前寺の行方を知っているかもしれない。
 ふーんと呟いてじろじろと観察するように見てくる女生徒に向かって浅羽は、
「あの……」
「私? 浅羽のクラスメイトの、須藤晶穂。一応新聞部員」
「そうじゃなくて……」
 水前寺の仲間ですか、って言ったら怒るだろうか。
「……須藤先輩は、兄が何処に行ったか、知りませんか?」
 晶穂の表情が目に見えて暗くなった。
 そんなこと私が聞きたいくらいだ、やっぱり家にもいないのか――顔にはっきりとそう書いてあった。
 晶穂はそれを振り払うようにため息を吐いて、
「浅羽のお母さんから電話きたけど、やっぱまだ帰ってきてないんだ。連絡とかは無いの?」
「いえ、そういうのもまったくありません」
 晶穂と夕子は同時にため息をつく。
 晶穂は夕子の頭越しに部室の中を見て、
「まさか誘拐ってことはないと思うけど。……部長と一緒に殿山にでも篭ってるのかもね」
「……あの男もずっといないの?」
 夕子はつい素の口調に戻って尋ねてしまう。
 部員なら知っているかと思っていたのに。
 晶穂は腕を組み、やはり素の口調で、
「部長は浅羽よりずっと前から失踪中。どーせ今ごろ殿山かどっかでUFO取材に勤しんでるわよ。案外浅羽と一緒にUFOに攫われちゃったのかもね」
 笑えない冗談だった。
 晶穂にとってはただの冗談に過ぎないのだろうが、夕子はそれを笑い飛ばすことは出来なかった。
 忘れられないあの日、水前寺のバイクに二ケツしてスクーターを追いかけたあの日、泥まみれ水びたしになって土手に座って聞いたあの時のことを思い出したら、笑えなかった。
 UFO云々が本当だとは夕子は信じていない。
 けれど、誰かが――映画館で見た二人組とその仲間が――兄を、そして鼻血女こと伊里野加奈を監視していたことは間違いないのだ。

 ――伊里野加奈。

 その存在が、唐突に頭の中に出てきた。
「――伊里野加奈は」
 気がついたら、口からその名前は漏れていた。
「伊里野加奈は、学校に来てるんですか?」
「……伊里野?」
 晶穂は突然出てきた友人の名前に眉をひそめ、あらぬところに視線をさ迷わせながらしばし考え込み、やがてある考えにたどり付いて愕然とした。
 その表情で、夕子にはわかった。
 伊里野加奈は、学校に来ていない。
 恐らくは、兄がいなくなったその日から。
「……あの子、いっつも学校休みがちだし、」
「来てないんですね」
 言い訳がましい晶穂の言葉を、夕子は一刀両断した。
 出揃った情報は、ところどころ抜けてしまったパズルのピースみたいな、穴だらけの情報だ。
 それでも、ある程度の予想は出来る。
 兄と伊里野加奈が同日に姿を消し、それ以降何の連絡も無い。
 まさか、とは思う。
 あの兄に限ってありえない、とも思う。
 そんなことをする理由も無い、かどうかは判らない。
 けれど――ただ単に家出をした、というよりは、やむをえない事情で逃避行――駆け落ちしたと考えた方が、夕子にとっては自然だった。
 例えば、例の二人組から逃げ出した、とか。
 兄はたしかにヘタレで、腰抜けで、ここ一番で勇気が出せない人間だが、八月三十一日のあの夜、殿山から帰ってきてから、兄は少しだけ変わった。
 夕子の兄に対する評価が変わったように、兄自身も少しだけ変わったような気がする。
 あるいは――と思うのだ。
「……有難うございました」
 未だ呆然としている晶穂に一礼して、夕子は駆け出す。
 スキップをしたい気分だった。
 兄がいなくなって不安だった気持ちは薄れ、むしろ誇らしげな気分だった。
 水前寺にざまあみろと言いたいくらいだ。
 浅羽夕子は跳ねるように歩き、窓の外に死にかけた夏の空を見ながら、こんなことを思う。


 ――やるじゃん。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

あとがき。
伊里野の空・UFOの夏 第三段「兄の行方」、後編。
いなくならなかった者たちの物語。


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 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


以前の夕子ならば兄が居なくなってせいせいした、とでも思うんでしょうが、
三巻以降だとまた違うんじゃないかな、と思いまして。
家出したことをむしろ誇らしげに思うんじゃないかな、と。
晶穂は無意識のうちに伊里野と?げていなかったんだろうけど。
だから浅羽が還って来たとき、伊里野が帰ってきていないことに驚く気がします。

次の伊里野の創作は多分、猫のお話か、敗残兵のお話です。

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