兄の行方・前編


 兄が家出をした。
 いきなりのことだった。何の前触れもなく兄は姿を消した。夏休みの頃のように、あらかじめ連絡を入れたり行き先を教えていたり三日ごとに帰って来るわけでもない。
 そもそも、家出ですらないのかもしれなかった。
 第二級警報が園原中学校に鳴り響いたあの日から、兄の行方は忽然と消えていた。
 誰かに誘拐されたのでは、と思ってしまうほどの唐突さだった。
 普通家出をする人間は、一度家に帰ってきて身支度をするものだ。先立つものが無ければ人は生きていけない。財布なり貯金なり着替えなり何なりを持っていくものだ。
 何も持たずに家出する豪胆な奴も世の中にいるのだろうが、兄はそういう類の人間ではない、と浅羽夕子は思う。
 そもそも、『浅羽直之』という人間が家出などという大それたことをするとは、夕子は信じられなかった。
 命を賭けて言える、兄はヘタレだ。十数年一緒に生きてきて夕子はそのことを充分に知っている。
 いい所が無い、というわけではないが、ここ一番で勇気を振り絞れないタイプの人間だ。
 その兄が、よりにもよって家出。
 戦争が始まったことより、そっちのほうが夕子には驚きだ。
 それは家族も同様だったようで、母は慌てふためき混乱し、学校や西久保を初めとする友人たちに連絡を入れ、それでも気が治まらずこのクソ忙しいうえにいきり立っている警察に捜索願を出しに行こうとした。
 比較的楽観していた父が止めなければ、きっと今ごろ園原基地に拘留されていただろう。
 ここ数日で変わったことと言えば、兄がいなくなったこと以外にも山と在る。
 幾つかの店は『臨時休業・疎開中』の札がシャッターに貼られているし、開いている店も単価が上がっている。レンタルビデオの延長料金はさらに上がり、郵便物は満足に届かない。街を歩けば三歩も行かずに軍人の姿を見れる。
 そして、三日に一度の登校日には、黄色いポッドを被った生徒の姿が見られるようになった。
 夕子は自転車を軽快に滑らせて学校の駐車場に入り込む。中学に入ると同時に両親から贈られた自転車はカゴのついたダサいママチャリで、そのカゴに黄色いヘルメットを突っ込んで夕子は校舎を目指す。
 下駄箱にいる人の数は、いつもよりも少ない。
 学校に来ているのは平時の三分の一程度で、後の人間はと言えば疎開したり家でテレビを見てるかゲームしてるか本読んでるかのどれかだ。
 何故学校に来てるんだろう――と夕子は自問してしまう。
 実の所、学校に来る必要はあまりないのだ。
 人数が少ないために授業を進めることができず、プリントをするだけ、しかも午前中で終わりだ。給食が食べれなくなったのが何よりも悲しい。
 行っても行かなくても暇なことには変わりないのだ。
 それなのに、自分も含めて、三分の一もの人は学校に律儀に通っている。
 日常を続けるため、だろうか――そんなことを考えた時、何故かふと、あの男の顔が頭に浮かんだ。
 学校の有名人、兄の先輩、いつかは決着をつけなくてはいけない相手、水前寺邦博の顔だ。
 ムカつくし、嫌いな相手だが、その行動力や思考内容は凄いと夕子は密かに思っている。悔しいので認めないが。
 あの男は、学校に来ているのだろうか。
 水前寺邦博は、この非常時にもなお悠長に学校に来たりしているのだろうか。
 そして、今まで一度も思い浮かばなかった、思い浮かんで当然の考えが頭をよぎった。


 ――兄の行方を、もしかして知っているのだろうか。


 他学年のクラスに行くのは、結構緊張する。
 とはいえ、二年のクラスにいくよりはまだマシだった。夕子にとっての二年は『厳しい』先輩で、三年は『優しい先輩』なのだ。体育系の部活をやっている人間だとしばしばこういう構図が出来上がる。
 三年生、最上級生というのは、夕子たち一年にとっては遥か高みにいる存在なのだ。
 とはいえ、臆する気も、退く気も夕子には無い。
 覚悟を決め、息を吸って、扉をコンコンとノックして「失礼します」と言って扉を開ける。
 中にいる三年の数はやはり少なかった。HR前だというのに、机は半分以上が空だった。
 ぱっと見て、水前寺の姿は無い。
 夕子の同級生より体格のいい男子生徒の中に、水前寺はいなかった。
 そのうちの幾人かが夕子の声に反応して扉の方を見た。
 まばらな視線が向けられてあからさまに夕子は怯む。
 今すぐ逃げ出したいという欲求に必死で絶える。
「……何か用?」
 夕子に一番近かった、水前寺よりも縦にも横にも二回りぐらい大きな男が口を開いた。
 声が野太くて怖い。
「木内ぃー、下級生脅してんじゃねーぞ」
 男子グループの輪にいた一人が、からかうように言う。
 木内と呼ばれた大きな男は頭をぼりぼりと掻き、
「脅してねえよ! ……で、一体何の用だ? 誰かに用事か?」
 外見に似合わず、意外と優しいのかもしれない、と夕子は思う。
 わざわざ声をかけてくれたわけだし。
 夕子は勇気を振り絞り、
「……あの、新聞部の水前寺って人いますか」
 教室の中の空気が、一瞬だけ固まった。
 水前寺という名前に誰もが凍りつき、しかし一瞬後には「私は何も聞かなかった」とでも言いたげに自分たちの会話に戻る。
「……また告白か?」「なんて物好きな」「これで何度目だ、あいつが呼ばれんの」「微妙に時期はずれだな」「あーあ、なんであんな奴がいいんだか」
 唯一木内と話していた男子生徒たちが声を潜めて――しかし夕子には聞こえていた――無責任なことを話している。
 ――そんなんじゃないのに。
 怒りが沸いてきた。
 水前寺が人気がある、というのはクラスの女子から聞いていた。実際夕子の周りにも貴重な紙資源を水前寺に渡したり貴重な食物を水前寺に捧げたり貴重な時間を水前寺と過ごしたいと言う子が何人かいる。
 実態を教えてやりたいと夕子は思う。
 水前寺と言う男は、噂以上の変人で奇人で怪人なのだ。脳みその代わりに水と陰謀が詰まってるに違いない。男子生徒たちの最後の言葉にだけ夕子は内心で同意した。
 夕子が文句をつけようかと口を開き、
「――水前寺ならいないよ」
 何かを言うより先に、木内がそう言った。
「……いないんですか?」
 木内は律儀にももう一度クラスを見回し、
「いない。というか、あの日からあいつ一度も顔見てないし」
「あの日?」
「ほら、殿山で爆発が起きた日、」
 ――UFOが堕ちた日。
 そんなフレーズが、夕子の頭の中に浮かび上がった。
 テレビか何かで言っていた。そんなことだから、と連発する人が印象的だった奴だ。
 殿山の爆発事件は、UFOの墜落事件だと。
 なら、あのUFO馬鹿の男は、もしかしたら兄を連れて、
「――わかりました。ありがとうございました」
「……もういいの? 何か伝言とかあればあいつが学校来たときに伝えとくけど?」
「いえ、結構です。わざわざすみませんでした」
 夕子はぺこりと頭を下げ、木内が止める間もなく踵を返し走り出す。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

あとがき。


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 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


伊里野の空・UFOの夏 第三段「兄の行方」
メイン女子すっとばしていきなり浅羽夕子の物語。
水前寺と浅羽とあともう一人が学校からいなくなったころ、夕子は何をしていたか、という話。
内容のあとがは後編で。

次は猫が出てくる話が書きたいなあ……。


後編> 

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