屋上に揃えた白い上履き




  屋上の端に、脱いだ上履きを揃えて置く。
 一度も穿いたことの無い上履きは、病的なまでに真っ白だった。
 低すぎるフェンスは、私の行動の邪魔にはならなかった。簡単に乗り越えられた。
 下から吹く風が足に寒い。
 下は見ない。気にしない。気にしたら負けだ。
 だから、前を見る。遠くに沈みかけている夕焼けを。
 街も、校庭も、人も――何もかもが赤かった。
 ぎりぎりのところに立っている私の姿だって、全身真っ赤だ。
 手首の傷から流れ出た血が、体中にこびりついたみたいに。
 それは滑稽な想像だった。
 血の色は、こんなにキレイじゃない。
 私の中を流れる血も、こんな赤色だったらいいのに。

     ◆ ◆ ◆

 悪意はブーメランみたいなものだ。
 必ず戻ってくる。
 猫を落とすときのように。
 必ず、戻ってくる。

     ◆ ◆ ◆ 

 猫は好きでも嫌いでもない。
 猫を落とすのは、単に野良で、成長していない奴が多いからだ。
 愛着は無い。執着も。
 猫を袋詰めにするのは難しい。
 彼らは危機との付き合い方を知っているからだ。
 スーパーのビニールが破れないように、彼らの手足を縛らなければならない。
 最初は捕まえるたびに傷だらけになった。
『彼』が廃墟にくるようになってからは、猫を集めるのは彼の仕事だ。
 固く心を閉ざした野良猫たちも、彼には簡単に近づいていく。
 彼は、猫を集めるのがうまい。

     ◆ ◆ ◆

 彼は猫を集めるのが上手い。
 彼もまた、私と同じように滅ぶのだろう。
 必ず、戻ってくるのだ。
 発した悪意は必ず手元に戻ってくる。
 呪いをかけたブーメランは、自分の首を刈り取るのだ。

     ◆ ◆ ◆

 生まれかけのまま死んでしまった××ビル廃墟には、建物の骨組みしか残っていない。
 両足分もない鉄骨の幅を、私は器用に歩いていく。
 靴も靴下も脱いで、裸足で冷たい鉄骨を歩いているとぞくぞくする。
 もちろん、危ない。
 けど、それがいい。一歩間違えれば、落ちて死ぬ。わかりやすい結果だ。
 袋詰めの猫は、疲れきって暴れるのを止めている。
 私は手を離す。白いビニール袋が音を立てながら落ちていく。
 鳩のようにも見える。白く、羽ばたいているように。
 けれどそれは幻想で、猫は羽ばたくことも、逃げることもできない。
 誰も猫を救えない。神様も奇跡も福音もない。
 私たちもそうであるように。
 袋詰めの猫は、やがて夜の闇に溶けるようにして消えてしまう。
 もちろん、ほんとうに消えるはずがにあ。
 少しの間をおいて、バシャ、と潰れる音がする。
 静寂。
 静寂。
 それきり何も聞こえない。ただ、夜の音がするだけだ。
 廃墟の世界に人の姿は無い。
 空には星も月も無い。
 ……今晩は、彼が来ない。
 死で高ぶった身体の疼きは、自分で収めなければならない。

     ◆ ◆ ◆

 モノガタリの中には、カミサマみたいな人間が登場する。
 主人公か、ヒロインか。もしくはその両方か。
 彼・彼女は、うちひしがれた彼女・彼にこう言うのだ。

「お前を守ってやるよ」
「貴方を許してあげる」

 その言葉は福音だ。全ての許しだ。
 理由無く、誰にでも救いを与えてくれる言葉だ。
 登場人物は残らず幸せになり、二束三文の奇跡が起き、モノガタリはハッピーエンドを迎える。
 それは、私たちの願いだ。
 私たちは他人に救いを与えれるほど完璧でもなければ、誰かから救いをもらえると信じれるほど愚かでもない。
 それでも、それが欲しくて願い続ける。

 神様も奇跡も福音も無い。
 けど、救いは必要だ。

 恋愛か、死か。
 身近で卑俗な対象か、隣に佇む終末か。
 そのどれかでしか救いは無い。
 それがニセモノの光だとしても、求めずにはいられない。
 例外は、ない。

 なら――私は、後者を選ぶ。

     ◆ ◆ ◆

 彼もまた、私と同じだ。
 救いを与えることも無ければ、救われることもない。
 ただ傷を舐めあっているだけだ――文字通りの意味で。
 彼は私を救ってくれない。私もまた、彼を救えない。
 私たちに出来ることは、偽者の救いを与えるだけ。
 互いを、恋愛と死で縛るだけだ。
 彼は私の汗を舐め、私を犯し、首をやわらかく締める。
 私たちはひとつになる。
 私の呪いは、彼にも伝染していく。
 彼もまた、私と同じように滅ぶのだろう。

 けれど、私が、先だ。

     ◆ ◆ ◆

 屋上のコンクリートは、廃墟の鉄骨より生暖かい気がした。
 多分、中に生きている人がいっぱいいるからだろう。
 素足から伝わる感触は、生の感触だ。
『終わる場所』に廃墟ではなく学校を選んだのは、彼らへの忠告のつもりだ。
 救いは無い。終わるしかない。
 無様に生き続けるのは嫌だ。ゲロの海でのたうちまわるような人生なら、終わったほうがましだ。
 救いは無い。
 世界には悪意しかない。
 だからせめて――
 私の悪意が、ひゅんひゅんと弧をかいて首を刎ねる前に、私は自分の手で終わらせようと思う。
 綺麗な、夕焼け空の下で。

     ◆ ◆ ◆

 踏み出した先に、救いがあると信じて。
 私は足を踏み出した。




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