教室の少女




 僕は夕暮れの学校を彷徨う。
 彷徨うんです。彷徨います。
 教育実習のために大森となえのところに通って煙草を吸う毎日。
 教育実習のために高島瀬美奈のところへ通って日記を書く毎日。
 教室と屋上と中庭と図書館と弓道場へと通って少女と会う毎日。
 不安はない。
 不安はない。
 僕は満たされている。
 天使さまに会わない限りは大丈夫だ。
 僕が怪物にならない限りは大丈夫だ。
 不安はない。
 不安はない。
 僕は――満たされている。とても。
 僕は壁に設置された消火器を窓に投げつけながら教室へと向かう。
 授業を始めなければ。
 教育実習生なのだから。
 そのために僕は図書室に行って標本をばらばらにしながら社会の資料を集めたのだ。
 僕の足は迷うことなく階段を登って登って降りて降りて登って降りて降りて登って登って教室へ辿り着く。
 窓から入ってくる光は赤い。
 ……教室の中に、天使はいるだろうか。
 いるだろう。夕暮れなのだから。
 教室にいるから天使であるからこその教室なのだ。
 弓道場に放置された人形をうつのと同じだ。
 僕は教室の扉を開けて廊下に出た。
 僕は教室の扉を開けて教室に入る。
 中には少女がいた。
 天使はいなかった。
 いつか来るだろう。
 天使なのだから。
 僕は少女に声をかける。彼女は生徒だ。僕の生徒。天使の少女。
「……やあ」
「……こんにちは、先生」
 巣鴨睦月はぺこりとお辞儀をした。
 夕日に赤く染まった長い髪が揺れ動く。
 ……天使はここにいない。
 ……怪物はここにいない。
 ここにいるのは教育実習生と教師だけだ。
 何も怖くはない。
 僕は満たされている。
「じゃあ、授業を始めようか」
「……? はい、お願いします……」
 僕は黒板に向かい合って白いチョークを手に取る。
 どこかで猫が鳴いた。
 車にでも轢かれたのだろうか。
 僕は黒板に社会の記号の暗号となる天使と怪物の文字を書き込んでいく。
 これさえわかればどんな受験にも通用するだろう。
 白いチョークを握りつぶしながら僕はそう思う。
 白がなくなったので黄色を使う。
 灰色のチョークがないのが残念だ。
 黄色のチョークで地図によく似た形の天使と怪物の文字を書き込んでいく。
 黒板が文字で埋まりきって僕は満足した。
 教育実習生として僕は立派に役目を果たしたのだ。
「先生……それは?」
 彼女が言うそれが何かわからないけれど僕は彼女にわからないままに答える。
「大切なものだよ」
「大切……ですか」
「そう、大切だ」
「先生は……怖くないんですか?」
 どこかでカラスが鳴いた。
 屋上から落ちていっているのかもしれない。
「怖い……のかな?」
「ええ……とても……」
「そうか……」
 怖いなら仕方がない。
 僕だって怖い。天使様に飲み込まれるか天使様を飲み込んでしまうかわからない。
 けど、今は大丈夫だ。
「怖いけど……今は、大丈夫かな。ここにはいないから」
「……そうですね。ここには……怖い人はいません……」
 そう言う巣鴨睦月の貌はどこか悲しげだった。
 何が悲しいのかわからない。
 わからいけど僕も悲しい。
 悲しいんです。
「……僕はそろそろ行くよ」
 大森となえのところに行かなくては。
 高島瀬美奈のところに行かなくては。
 他の少女たちも救わなくては。
 儀式には順番があるのだ。
「わかりました。それじゃあ先生――」
「ああ――」


 ――さよなら。


 どこかで、天使様が笑ったような気がした。





あとがき。
さよならを教えてより、巣鴨睦月小説。
突発的に書きたくなったのでストーリーも何も無し。
というより、あれは元から何も無いか。
夕暮れを彷徨うだけだし。
……けど、大好きなんだよなあ……。
となえ先生が一番好きかもしれません。次点は天使。

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