マスカレヱドは都市伝説だ。
 大正というどろどろと腐れ落ちた時代に蔓延する、数多の都市伝説の一つ。
 そして、一部の人間のみが――それが伝説ではない事を知っている。





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 マスカレヱドは、要するに秘密倶楽部だ。
 倒錯した性を売り物にする秘密倶楽部。
 過激で異常な性のパーティ。様々な人間の欲望を飲み込む、酸鼻極むる狂態の世界。
 その性質上、秘密厳守になっており、極少数の会員のみで閉鎖的に運営されている。
 他人の素性も詮索も禁じられており、人格や身分の優れた人間しか会員になれない。
 市蔵がそこを知り、そして会員になれたのは、運と偶然によるものだ。
 市蔵が――勿論父の金で――通う古物商の店主が、マスカレヱドの会員だったのだ。
 古物商店主に市蔵は頼み込み、会員規約に同意するなら会員になれることになった。
 一も二も無く賛同した。
 今市蔵が郵政局に投函した手紙は、古物商店主に宛てた入会希望の手紙だ。

 ――これで、数日後には俺もマスカレヱドの一員だ。

 そのことを思い、市蔵は立ち止まって笑みを浮べた。
 袖を掴んで歩く小梅が、市蔵を見上げた。笑い声が漏れていたらしい。
 周りにいる人間は、一見不審げな市蔵を見ようともしない。
 それもそうだ。
 彼らは皆、生きるのに忙しい。
 帝都大通りには、昼間ということもあり道幅一杯に人が行き交っている。
 行き交う人が浮べるのは乾いた笑い。出口の見えない不景気を忘れる笑い。
 行き交う人の靴音は、ジワリと近づく軍靴の響き。
 そのことを忘れるかのように、街は喧騒で満ちている。
 芝居小屋の呼子が声を張り上げている。お役人か華族を乗せた馬車が走る。
 壊れた街灯を修理する男がいる。花魁崩れの娼婦が街角に立っている。
 散切り頭の青年が本を勝っている。洋服に身を包んだ幼い少女が駆けている。
 街は賑やかだった。裏側に何が満ちていても、表向きは活気に満ちていた。
 だからこそ、市蔵は街が嫌いだった。
 否――人が嫌いだった。
 帝都中央に住む父に用事が無ければ、態々街に出てきたりはしない。
「小梅、行くぞ」
「…………」
 無言で微笑む小梅を引き連れて、市蔵は再び歩き出す。
 陰うつな気分を、胸に押し殺しながら。




          ◆




 市蔵の実家――北見家は広い。
 帝都の中央部に住居がある、というだけでも凄いのだが、屋敷の規模はそこいらの家とは比べ物にならない。
 旧家という血筋と、父の会社による財力が合わさった当然の結果でもあるが。
 市蔵は父の会社が何をしているのか知らない。抑々興味すら無かった。
 市蔵にとっての父とは、金を出してくれるだけの存在でしかないのだ。
 密かに愛していた母が死んでからは、家族ですら無い。
「……また金か」
「ああ。一寸入用でね」
 単眼鏡をつけた不機嫌そうな男――父、健蔵の呟きに、市蔵は軽く返す。
 健蔵は書類から視線を放し、膝の上で両手を組んで市蔵に対している。
 一方の市蔵は、客用のソファにだらしなく腰掛けている。
 対照的な親子だったが、皮肉なことに容姿だけは似ていた。
 小梅は市蔵の傍に立ち、二人のやりとりを黙って聞いていた。
「金を要求することは構わん。が……いい加減、家に戻ってこないか? お前は北見家の長男だ」
 幾度目か解らない健蔵の要求を、市蔵は取り合わない。
「御免だね。俺は気楽に生きるんだ……父上の会社になんざ、興味は無い」
「……西洋の医学をしていると聞いたが」
「してるさ。精神医学だ。人の観察は面白いぞ? 一皮向けば誰も彼も――」
 健蔵は顔を顰めて、市蔵の言葉を遮る。
「それ以上は言うな。――で、幾ら欲しい」
「そうだな――」
 市蔵の提示した値段は途方もない物だった。
 一般家庭であれば、一年は遊んで暮らせる。
 普通に生きる分にはまず目に掛ることのない金額だ。
 が、健蔵は事も無げに答えた。
「――解った。帰る際に執事から受け取れ」
「ハ、毎度在り難いことだ! 父上殿のご好意が無ければ、今ごろ俺など飢え死にしてるな!」
「……そう思うのなら、私の会社に来い」
 その言葉を、市蔵は鼻で笑った。
 黙っていれば端整な顔を嫌悪に歪めて言う。
「判然言っておくが、俺はあんたが嫌いだ。あんたの所で働く気は、無い」
 健蔵は、無言だった。
 悲しげに目を閉じて、市蔵の言葉を聞いていた。
 心中ではため息を吐きたいのだろう。そんなことをすれば市蔵にまた何か言われると解っているからしないだけで。
 ――健気なものだ。
 市蔵はそう思う。
 ――そうまでして、息子に好かれたいかね。
 市蔵にとっての健蔵は、パトロンでしかない。
 しかし、健蔵にとっての市蔵は、あくまで息子なのだ。
 その事実が市蔵をさらに苛立たせる。
「――小梅」
 健蔵がいきなり話を変えた。
 矛先を向けられた小梅は姿勢を正す。
 健蔵は情愛すら篭った口調で言う。
「何か、困ったことはないか。あるのなら遠慮なく言いなさい」
 小梅は微笑み、黙って首を横に振る。
 健蔵が小梅を構うのには理由がある。
 小梅は元々は、健蔵が雇った女中のひとりだ。幼い頃からずっと市蔵の傍におり、家を出た際も市蔵についていった。
 それでも、雇主は健蔵のままだ。
 毎月、相応の金が小梅の元へと流れ込んでいる。
 ――そういえば。
 市蔵はふと思う。
 ――こいつ、給金何に使ってるんだろう。
 市蔵の知る限り、小梅が金をほとんど使っていない。
 着るものは支給されたメイド服のみで、お洒落や食べ物に金を使う様子は無い。
 盲目の少女の金の使い道。
 微笑む横顔から、それを察することは、市蔵には出来なかった。
 ――どうでもいいことだ。
 市蔵は視線を健蔵へと戻す。
 健蔵は二、三の質問を小梅にし、小梅は黙って首を振り続けた。
 口が利けないわけではない。無口なだけだ。
 喋ることを避けるかのように。
「……そうか、何かあったら言いなさい」
 健蔵は言葉をそこで切り、市蔵に向き合った。
 何か言いたげだった。
 だが、市蔵は構わなかった。黙って椅子を立つ。
「また金が必要になったら来る」
 市蔵は振り返りもせず、扉に向かって歩く。その後を小梅が続く。
 健蔵は顔を伏せ、搾り出すような声で言う。
「お前がその金で、人様の役に立つことをしてくれることを祈るよ……」
 その言葉に。
 市蔵は振り返って、にやりと笑う。
「父上、安心しな。俺だって、少しは真面なことをやってるさ」
「――――」
 健蔵が何か言うよりも早く、市蔵は扉から外に出た。

 小梅だけが振り返り、小さく一礼した。


 一人だけになった部屋で、健蔵は小さくため息をついた。



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 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



大正時代の何が好きって色々なものが混ざり合って混濁とした雰囲気そのものです。
『とんび』や『懐中時計』も好きですし。
懐古主義なんですよね、元々。
あとは、僕天の概要に書かれている時代説明がそのまんま趣向に。
淫靡で淫蕩で倒錯した世界万歳。





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