――幻影

世間から逃げ込む退廃と堕落の虚飾の世界。




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 その手紙は、冬の寒さが足音もなく忍び寄る頃に来た。


「小梅、これを頼む」
 市蔵は、手にした手紙をメイド姿の少女――田辺 小梅に手渡す。
 少女は黙ってその手紙を受けとり、両手で握って市蔵から一歩下がった。
 その瞳は、まっすぐに市蔵を見ている。
 尤も、小梅の瞳はとうに機能していない。盲目の少女は市蔵の方を向いているだけで、市蔵を見ているわけではないのだ。
 それはむしろ、市蔵にとっては好都合だった。
 家事さえこなしてくれれば、目が見えようが見えまいが構わない。
 否、見られては拙いものが多い為、盲目の方が好ましいくらいだ。
 たとえば、今手渡した封筒のように。
「大事なものだ、気をつけろ」
 小梅は微笑んだまま一礼する。
 必要以上に喋らず、年に似合わず姦しくない小梅を市蔵は気に入っていた。
 家政婦であると同時に、妹のようなものでもある。
 小梅は一礼して、そのまま市蔵を待ち続ける。
 市蔵は小梅に声もかけず、次の手紙に手をかけた。
 清楚で丁寧な文字で、宛名と送り名が記されている。
 ――孤児院ロザリオ園・丘 百合乃
 市蔵の顔が一瞬だけ、苦々しく歪む。
 気配の変化を視覚以外で感じ取ったのか、小梅の身体がわずかに揺れた。
 市蔵はそのことに気づかずに、封筒を開けて中の手紙を読む。


『 たいそうご無沙汰いたしておりました。
 おじ様、覚えていらっしゃいますか?
 孤児院・ロザリオ園の百合乃です。
 わたしはあれからすっかり身体も丈夫になりました。
 おまけに先月から、ロザリオ園の正式職員として、働かせてもらっているのです。
 うれしい! すべて、おじ様のおかげです。
 ほんとうにありがとうございました。
 このたびはご報告とお礼まで。――百合乃。 』


 市蔵の心の中に残っている一抹の良心が、一瞬――本当に一瞬だけ――かすかに痛んだ。
 その手紙は、市蔵が寄付を続けている孤児院の少女からの感謝状だった。
 元々父へのあてつけで始めた寄付だったが、この手紙――この少女のおかげで、うやむやながらも未だに寄付を続けている。
 少女、百合乃の拙いながらも穢れない誠意に満ちた手紙が無ければ、そんなことはとうに止めていただろうが。
 ――そうとも、馬鹿げたことだ。
 市蔵は自嘲する。
 ――自堕落な生活を送るだけの俺が、善人のフリなどとは。
 寄付を打ち切れば……いや、そんなことじゃなくてもいい。
 返信の手紙で、自分の本性を書けば、この少女との付き合いも終わる。真人間な紳士だと思っているであろう少女の幻想を、手紙一枚で市蔵は打ち壊せれる。
 先程の所に送った手紙の内容を記すだけでもいい。
 しかし、市蔵はそうはしなかった。
『事情があって自分の招待は明かせないが、百合乃の今後の活躍を期待する』
 という旨の紳士的な手紙を書き下ろした。
 勿論、少しもそんなことは思っていない。
 市蔵はそんなに真面な人間では、無い。
 だが――
「足長おじさんを気取ってみるってのも、まんざら悪くないものだ」
 わざと声に出して言い、市蔵は自嘲げな哂いを浮べる。
 小梅が微笑んだまま微かに首を傾げたが、市蔵は特に何も言わなかった。
 市蔵は書き記した手紙を封筒に入れ、机の引き出しを開け、
「――しまった。金が無いな」
 机の中に入っていた金銭は、迚もではないが寄付に足りる金額ではなかった。
 それどころか、孰れ食うにも困るようになる。
 金が無ければ飯も食えぬ、飯が欲しけりゃ働け――
 その言葉を市蔵は嫌っていた。働くのは下民だけでいい、本気でそう考えていた。
 ――ナァニ、金が無くなれば父上殿に無心すればいい。
 ――この世の誰よりも軽蔑する父親から、金を毟りとればいい。
 市蔵の家は豊かな旧家で、その上入り婿の父が起業した会社が戦争で大儲けした。
 母の他界後、市蔵は父を嫌い家を出たが――
 結局は、父の金でダラダラと隠匿生活を送っている。
 それを罪悪だと市蔵は感じない。
 真っ当に生きるつもりなど、市蔵には無かった。
「小梅、その手紙は俺が出す。序でに父上の所に行くから、着いて来い」
 小梅は手にした手紙を市蔵へ手渡し、踵を翻して扉へと駆ける。
 小さな背についた小さな頭についた大きな二つのポニィテェルが、上下に揺れた。
 市蔵の外出準備をしに行ったのだ。
 扉の向こうに消えた小梅を見届けてから、市蔵は手に持った封筒へと視線を落とす。
 そこには、こう書かれていた。



『古物商店主宛 マスカレヱドの件』




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/1は書き出し。
現状と手紙投函。小梅。
次は街デス。作者の最も好きな大正時代です。



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