1 | 長雨の降る日に |
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長雨が降り続いている。 慧音は雨が嫌いではなかった。今日みたいに、しとしとと静かに降り注ぐ雨は特に。それがたとえ、もう何日も続いていたとしても、だ。縁側から見る雨は風情がある――慧音はそう思っている。 が、そう思わないものも当然いる。 たとえば、今、畳の上でごろごろと転がっている妹紅のように。 「けーねー。暇だよー」 畳の上でごろりと転がって妹紅が言う。 うつぶせになって顔だけをあげて妹紅を見ている。靴下をはかない二本の足が、ばたばたと動く。 「妹紅。行儀が悪いぞ」 たしなめる慧音は、妹紅と対照的に姿勢ただしかった。座布団の上に正座をし、書物に目を落としている。本のタイトルは『遠野物語』。香霖堂から買い取ったものだ。 ぺらり、と頁をめくる。中々に面白い本だった。ところどころに、幻想郷を示すようなことがのっているあたりが。 「それ、面白い?」 慧音の読む本を見つめて、妹紅が問うてくる。眼は眠そうでいまいち開ききっていない。弾幕ごっこの覇気ある仕草とはまた別だった。 日常でしか見れない妹紅の姿。 それがすぐそばにあって、慧音は少しだけ嬉しいと思う。 「面白い。妹紅も読むか?」 「どんな本?」 「歴史と幻想の本だな。素晴らしいぞ」 「……いいや」 ばたん、と顔を伏せて妹紅が動かなくなる。 何をやる気にもなれないらしい。 まあ、仕方がない――とは思う。 今の妹紅の属性は『火』である。消滅と再生の象徴。それは不死となった妹紅そのものだ。くしくも彼女の弾幕が現すとおりに。そのため、水には弱い。こうも雨が続くと、体質的にきついのだろう。死にはしなくても、やる気がでない程度には。 そしてそれ以上に、活発な性格の妹紅は、長く続く雨で暇をもてあましているのだろう。 雨宿りをかねてココまで来たのがいい証拠だ、と慧音は思う。 神社でも魔法の森でも永遠亭でもなく、ここに来てくれたのが嬉しい。 が。 「なぁ、妹紅」 「なーにー慧音」 水が嫌い、ということを思い出してとあることを思い出す。 ここ数日、妹紅は慧音の家にいりびたっている。 入り浸って、慧音の出した飯を食べるとき以外はずっと畳の上でごろごろしている。まるでどこかの主人を思い出させるような、そんな怠惰な日々だった。その様子を慧音はずっと優しく見守っている。 慧音の見ている限り、妹紅は畳の上から離れていない。 つまり、 「……風呂、ちゃんと入ってるか」 返事は、すぐには来なかった。 それどころか、妹紅は畳につっぷしたまま、ぴくりとしか動かなかった。 ぴくり、とは動いたのだ。 効果音をつけるとしたら『ギクッ』といった感じに動いたのだ。 三秒ほど、微妙な沈黙が続く。 妹紅は沈黙したまま動かない。 慧音の中での予感が確信へと変わる。 「妹紅。お前、ひょっとして、」 「ははは、そんな慧音まさか。そんなはずはないよ」 伏せったまま妹紅が答える。顔を上げようともしない。 声は露骨に裏返っていた。 これではもう、自分から返事をしているようなものだ――その馬鹿正直さを微笑ましくも思うが、それとこれとは話が別だと慧音は思う。 ――年頃の女の子が、そんなことでどうする。 本をぱたん、と閉じて、立ち上がる。その音を聞いた妹紅の体がもぞりと動き、逃げ出そうとして起き上がりかけるが時は既に遅い。 慧音はすでに、妹紅の真横にいた。 妹紅の首根っこをつかんで持ち上げる。妹紅の体は軽そうな見かけよりもさらに軽い。きっと無駄なものが何も詰まっていないのだ。 猫のように持ち上げて、ずるずると引っ張る。 にゃー、とぎゃー、の間のような小さな悲鳴を妹紅があげた。 「さ。風呂に入るぞ」 「ままままま待ってー!」 「待たない。妹紅は元はいいんだから、ちゃんと綺麗にするべきだ」 「だから待って慧音待って! 私は五右衛門風呂だけは駄目なんだよ!」 足を止める。 それが言い訳なのか本当のことなのかはわからないが、話だけは聞こうと慧音は思うのだ。問答無用で風呂に突っ込んだりしない分だけ優しいといえる。 「……どうして?」 「その、大昔にな、」 妹紅は口ごもって、畳の上に『の』の字を書く。なにか言いにくい過去なのかもしれない――そう思って、慧音はゆっくり待つ。妹紅が自分から言い出すまで。 散々口ごもって、その末に蚊の鳴くような声で言った。 「――文字通り五右衛門になったことがあるんだ。あのバカのせいで」 「――――」 慧音も口ごもる。 何と言えばいいのかわからない。まさか嘘だとは思わないが、それでもそれを『可愛そうに』というべきか『冗談みたいな笑い話だな』と流すべきなのか、それも判断がつかない。 想像してみる。でっかい桶にぷかぷかと浮かぶ妹紅と、それを指差して笑う蓬莱山 輝夜の姿を。 何かの笑劇のようにしか思わなかった。 体をはった冗談、とはまさにこのことだろう。 何と答えるか、悩みに悩んだ。 結局最良の答えなど見つからず、慧音は、一番単純な答えを選んだ。 「わかった」 慧音の言葉に、妹紅の顔が笑いに変わる。 やった、これで風呂に入らずにすむぞ。やっぱり慧音は優しいな――そんなことを考えているに違いない。 が、その安易な考えを一気に打ち砕く言葉を、慧音は言った。 「なら、私が入れてやろう」 「――え?」 ■ 「なんだ、こういうことかぁ」 「どういうことだと思ったんだ?」 妹紅の呟きに、慧音は答える。 が、妹紅はそれ以上答えない。正面切って言えないようなことを一瞬のうちに妄想していたのだ。 変な奴だな――そう呟いて、慧音は作業に戻る。 妹紅を風呂に入れる作業に。 手順は簡単だ。そう珍しいことではない。遠い昔の遠い国では普通に行われていたことだ。 桶にお湯をはり、綺麗なタオルで体を拭く。 『風呂』というものが存在しなかった時代の知恵だ。 「け、慧音。少しくすぐったいよ」 「ふむ。あんまり弱すぎても駄目か。もう少し強くやるぞ」 少しだけ手に力を加え、慧音はタオルを動かす。 今、妹紅はほぼ裸だった。パンツ一枚で椅子に座っている。その横に座って、慧音は上から下までタオルで拭いていく。 「なぁ慧音」 「なんだ?」 「……これ、恥ずかしくないか」 あさっての方――開け放たれたフスマの奥に広がる、長雨の景色を眺めながら慧音は言う。そちらの方には森しかなく、人から覗かれる心配もない。 が、覗かれなくても、もっとも近くて見ている人が一人いる。それが妹紅には恥ずかしかった。 が、慧音はさして恥ずかしがる様子もなく、淡々と答える。 「大丈夫だ。見ている者もいなし、私たちは女同士だ」 「それもそうだけどさぁ、なんというか……まあいいや」 もともと妹紅は貴族の暮らしであり、人に肌を見せることなどなかった。 見せるとしても、それは長い時間がたった後、弾幕ごっこの最中に服が破けたときくらい。そんなときに恥ずかしいなどと思う余裕があるはずもない。 だから、こうして、親しい人間にまじまじと肌を見られることはなかったのだ。 照れるのも無理はない。 照れるが、悪い気はしない。 「妹紅が悪いんだぞ。普段から風呂に入っていればこうはならないんだ」 「そうはいうけど」 「まぁいい。だが、今度風呂入らなかったまたこうするからな」 妹紅の右手をひょいと持ち上げ、慧音は腋の下にタオルを走らせる。 くすぐったいのか、妹紅はん……、と小さく呟いて眼を細めた。 喉をなでられる猫のようだ、と慧音は思う。 「それとも、今度からずっとこうするか?」 慧音としては、冗談のつもりだった。 だが、妹紅は眼を細めたまま、気持ちよさそうに言う。 「それもいいかなー。ずっと、ずっと慧音にやってもらおうかな」 ずっと。 不死の相手と、人ならざる自分が、ずっとこうやって一緒に―― 「どうしたの慧音?」 「――――」 妹紅の言葉を深読みしすぎた慧音の顔が真っ赤になる。 うつむいて、肌だけを見てタオルを動かす。 自分でいった言葉の意味に気づいて、妹紅も遅れて赤くなる。 再び、場に沈黙が返ってくる。 タオルの動く音と、静かに降り注ぐ雨の音だけが、畳の間を支配する。 嫌な雰囲気ではない。 恥ずかしくはあったけれど、穏やかな雰囲気だと、慧音も妹紅も思うのだ。 ひたすらに無言のまま。 まるで何かの儀式のように、慧音は少女の素肌を拭く。 ずっと、ずっと続けばいい――そう思いながら。 外の雨は、降り止む気配を見せなかった。 |
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