1 赤味噌と白味噌とあわせ味噌と。
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 ちゃぶ台をはさんで、向かい合って座る。
 真正面に座する妹紅の姿を見て、慧音は内心で感嘆する。妹紅の正座が、歪みのない綺麗なものだったからだ。慣れていなくてはこうはならない。
 箸の持ち方しかり、座り方しかり。
 立ち振る舞い、仕草一つで性格はわかる。
 あぐらをかく者。机にひじをつく者。
 嫌いな食べ物を最後に残す者。好きな物をとっておく者。
 食事の場では、そういった性格や、育ち、生活環境、そういったものが色濃く現れる。時には、本人の意識していない深いところまで。
 慧音の見るかぎり、妹紅は『育ちのいいお嬢様』だった。
 本人の性格は、どうお世辞を尽くしたところで『お嬢様』とは言えない。そういう堅苦しさは、今の妹紅には存在しない。
 けれども、深い深い、本人ですら忘れてしまっている部分で、行儀の正しさが妹紅の中にはあるのだと慧音は思う。
 だから、

「慧音〜。……お腹すいた」

 ピリ、としていた妹紅の顔がへにょりと和らぎ、姿勢がゆるゆると崩れたとき、慧音の中でもまた『妹紅像』とでも言うべきものがガラガラと崩れていった。
 あまりの変化に、言葉も出ない。
 つい先程までとはうって変わって、今の妹紅は完全にくだけていた。両膝にそえられていたはずの両手は畳へと逃げ、正座はあぐらへと変身した。ため息までつき、目は細く閉じられている。
 緊張の『き』の字も残っていなかった。
 そこにいるのは、ただのお腹をすかせた一人の少女だった。

「妹紅。お腹がすいたのはよく判ったが……それはちょっとアレじゃないのか」

 言葉を濁す。直接『行儀が悪いぞ』と言うのはなんとなくためらわれた。別に悪い、というほどでもない。全身の力を抜いてふにゃんとリラックスしているだけだ。その前までとの差が、少しばかり気になっただけで。
 責めているつもりはない。
 が、責めているように聞こえてしまっただろうか。気を悪くしなければいいけのだけれども――相も変わらず糸目のままの妹紅を見て慧音はそう思う。
 妹紅は、別段気にしたようすもなく口を開く。

「いやね、こう……」

 妹紅はそこで言葉を切り、まぶたを少しだけ開き、言葉をさがすように視線をさ迷わせた。
 視線は天井の辺りをうろつき、降りてきて慧音の頭を見、胸元へと降り、さらに降りて食べ物のあたりを見て、もう一度天井へと戻る。
 散々言いあぐねた末に、どこか遠くを見るような目で、妹紅はぽつりともらすように呟いた。

「あったかい汁物って、久しく食べてなかった……って思って」

 涙を禁じてない。
 思わず泣きそうになるのを、慧音はぐっと我慢した。
 よく考えればわかったはずなのだ。妹紅の今の生活は野宿であり、当然食事の大半は野で取れるもののみとなる。腹が減っても死にはしないが、腹が減ったら力はでない。しかし食べれるものといったら、キノコや野草、ウサギやいのししだ。調味料も調理法もないので、その食べ方は炎を使った丸焼きか、死なないことを逆手にとって生食いということになる。
 味噌汁を食べる機会など、皆無に違いない。
 竹林の奥、独り寂しく月をみながらタケノコをかじる妹紅の姿を想像して、慧音は本気で泣きそうになってしまった。不憫極まりない。そんなことがあってもいいのだろうかとすら思う。
 心温まるみそ汁の匂いをかいで、心と体を緩ませ相好を崩すのも、仕方のないことだ。
 腹いっぱい食べさせてやろう、と慧音は思う。
 せっかくの手料理だ、残さず食べてほしい。そうも思った。

「妹紅。遠慮することはない、どんどん食べていいぞ。米もある、いくらでもお代わりするといい」

 いそいそとお櫃から茶碗に米をそそぎ、慧音の前へと置く。
 茶碗と、味噌汁のおわんからは、温かそうな湯気が立っていた。
 朝食のメニューは、魚の塩焼きに大豆の煮物、沢庵、豆腐とエノキと白ネギの味噌汁に米というオーソドックスなものながら、充分に食欲を誘うものだった。

「いいの? あの子たちの分は、」

 妹紅は言って、そこでふと気づいたように視線を左右に走らせる。
 さっきまでいた、子供たちの姿はない。
 男の子も女の子も、どこにもいなかった。
 やはり妹紅は優しいな――内心でそう思いながら、慧音は返事を返す。

「構わないよ。あの子たちは、今は各々の家に帰ってる。朝遊びに来ているだけさ。今は私たち二人だけだ」
「そうか、なら遠慮はいらないな。では遠慮なく、いただきますっと!」
「はい、召し上がれ」

 パン、と手を鳴らし、妹紅は箸を手に取る。
 同じように、慧音も一礼し、箸を手に食事を始める。
 米の焚き具合も、魚の塩加減も、味噌の辛さも過不足なし。充分に美味しい朝食だ。
 が、それを妹紅が気に入ってくれるかどうかは、一抹の不安があった。
 不安をなるべく顔に出さないように気をつけて、慧音は顔を上げて妹紅を見る。


 妹紅は――食べていなかった。


 一口も、食べてはいなかった。
 それどころか、箸を走らせてさえいなかった。
 箸を手に持ち、しかし動かすことなく、不思議そうな顔をして、かすかに口元をつり上げて箸を見ている。
 自虐げな笑みだった。
 見ているだけで、悲しくなってしまいそうな、そんな笑みだった。

「妹紅……? 食欲がないのか?」

 それとも――

 私の作ったご飯なんて、食べたくないのか。

 ――そう聞きたいのを、慧音は必死でこらえた。もしそれで『YES』と言われたら、きっと自分は立ち直れまいと思ったから。聞く事さえ怖くて、慧音は言い出せなかった。
 妹紅が何と返してくるのか。
 それだけを、戦々恐々と待った。
 死刑を待つ囚人のような心持で。
 妹紅は、自重げな笑みを浮かべたまま、ゆっくりと答えた。

「箸がな、うまく掴めないんだ」

 何を言っているのか、すぐにはわからなかった。
 思わず問い返す。

「どういう、ことだ?」

 はは、と声に出して妹紅が答える。
 そこに湿っぽい色はない。むしろ乾いた、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしたとでも言いたげな声だった。

「疲れが完全にとれてないのさ。筋肉痛、だな。まぁ仕方がないことだよ」

 ようやく判った。
 筋肉痙攣で、うまく箸を掴めないのだ。
 不老不死とはいえ、激しい戦いの後は疲れもする。肉体が完全に消滅した後復帰しても、魂に疲れは残っている。精神的な疲れ、というものが肉体に及ぼす影響は意外と強いのだ。
 第一、箸は日本が生んだ文化であり、繊細な作法を必要とする。指先が微妙に痙攣などしていたら、持てなくて当然だ。

「なんだ……良かった、そういうことか」

 ホッとした。
 致命的な問題ではなかったからだ。
 妹紅の疲れは、永遠に残るものではない。早ければ、あと一、二時間もすれば治るだろう。
 それに、自分が嫌われたわけではなかったのだ――そのことが判って、慧音は何よりも安堵した。
 目の前の少女に嫌われるのは、耐えられなかったから。
 別に好かれたい、と思うわけではない。
 ただ、嫌われるのは嫌だと、慧音は思うのだ。

「ム、慧音良かったとは何だよ良かったって。これで私はメシ抜きだ。せっかく作ってくれたのに悪かったな」

 ふくれたように妹紅が言う。
 まるでふてくされた子供のようだと慧音は思う。
 慧音は、子供をあやすような優しい声で言う。
 事実、微笑ましかったのだ。
 すねて顔をそらす妹紅が、歳相応の少女に見えて。

「気にすることはない。ほら、こうすればいい」

 言って、慧音は手を動かす。
 自らの箸で米をつかむ。
 自分の米ではない。妹紅の茶碗の米を器用につかんだのだ。
 そして、左手を添えて、慧音の口元に運び、言う。

「はい、あ〜ん」
「…………」

 口元に突きつけられた箸を見て、妹紅が一瞬言葉を失う。
 しばしの沈黙。
 一度瞳を閉じ、しばらく瞳を閉じたまま考え込み、再び瞳を開き、
 妹紅は、唾がとぶ勢いで叫んだ。

「できるかそんなこと!?」

 さ、と箸を素早くどける。言葉の勢いで米が撒き散らされるのを防ぐためだ。
 妹紅が叫び終わったのを見計らって、慧音は再び箸を口元へと持っていく。
 満面の笑みを浮かべて、言う。

「言っただろう? 二人だけなんだって。気にすることはない。それに、」

 続きを言いかけた瞬間。
 丁度はかったようなタイミングで、妹紅のお腹が、くぅ、と鳴いた。
 恥ずかしさのあまり、妹紅は顔を臥せってしまった。が、たちまちのうちに妹紅の顔が真っ赤になるのを、慧音は見逃さなかった。
 さすがに恥ずかしいらしい。
 慧音の顔に微笑みが浮かぶ。妹紅の行為をあざ笑って、ではない。お腹をならす妹紅が微笑ましかったからだ。

「お腹すいてるんだろう?」

 一瞬だけ間をおいて、

「……うん」

 幼い子供のように、こくんと妹紅はうなずいた。



 開いた口に米を運ぶ。慧音はソレを口に含み、租借する。
 一度食べ始めたらあとは早かった。二人の呼吸はかみ合い、箸をかむことをもなく食事を続けることができた。寄り添うように隣に座り、味噌汁を器ごと口元まで運ぶことすらした。
 世話をやくことを、慧音は楽しいと感じた。
 世話を焼いてもらえることを、妹紅は嬉しいと感じた。

「美味しいか?」
「ん」

 もきゅもきゅ、と口を動かしながら妹紅はうなずく。
 その表情は、本当に美味しいと物語っていた。
 箸を動かしながら、慧音は、心の底からの言葉を言う。
 全感の思いを込めて、慧音は言う――


「そう、良かった――――」


 言葉はそれに尽きた。
 それ以上は言葉もなく。
 慧音は手を動かし、妹紅は口を動かす。
 家の外からは生活の音が聞こえてくる。人間の村の、朝特有の活気に満ちた音。生活を始める音、農業を始める音、家事を始める音。
 慧音の家に近づいてくる、子供たちの賑やかな声。
 慧音は思う。

 ――もう少しだけ。

 妹紅と二人きりの家。
 二人きりでの、穏やかな朝食。
 穏やかな時間。
 穏やかな世界。
 不老不死を与えられた少女と、半分人を外れた少女。
 けれど、今ここにいるのは、歳相応の二人の少女だった。
 煌びやかな、そして穏やかな世界に生きる、少女たちだった。



 慧音は、思うのだ。




 ――もう少しだけ。





 ――この穏やかな時間が、続きますように と。







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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



◆あとがき◆


『豆腐とエノキと白ネギと』の裏面です
もっとけねもこした! ……黒ストは星義。






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