1 | うちにはクーラーがないんです。 |
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梅雨が終われば、待っていたのは夏だった。 「けーねー。暇だよー」 畳の上をごろりと転がり、仰向けになって妹紅がぼやいた。 声は高い天井に跳ね返り、部屋の真中、座椅子に座って本をめくる慧音のもとに届く。 「そうか。暇なのか。それはよかった、平和はいいことだ」 頁をめくりながら慧音は答える。妹紅の方を見ようともせずに、一心不乱に本を読んでいる。和綴りの表紙には達筆な筆で『羅漢真影図』と書かれていた。文字数が多いのか、それともじっくりと読み込んでいるのか、頁をめくる手はゆるやかだ。 開け放たされた障子の向こう、庭の彼方からはセミの鳴き声が響いてくる。幻想郷中で大合唱があってるのではないかと思うくらいの鳴き声だった。雨があがり、本格的に夏に突入した途端――これだ。 夏の風物詩なので、今更文句を言っても仕方がない。 が、妹紅は横になったまま、 「あー。外の世界ではセミが幻想になったのかもなー」 「そうかもな」 ぱらり、と頁をめくる音。 「セミって焼いたら食べれるんだぞー」 「そうかもな」 セミの鳴き声が少し弱まる。 「……全部焼いてくるか!」 がば、と身を起こした妹紅に、慧音は淡々と、 「山火事になって余計に暑くなるぞ」 「…………」 起こした背が、ばたんと音を立てて畳に沈んだ。 あああああーと妹紅が小さく唸る。セミに対抗しているのかもしれない。 慧音は再び頁をめくり、 「竹林は少しは涼しいだろう?」 「この時機は人が多いんだよー」 完全にだれた声で妹紅が答える。 その意味を慧音は、本を読みながら夢想し、すぐに思い至る。 ――なるほど、肝試しか。 あるいは暇をもてました特殊な人間や、永遠亭の人間がちょっかいを出してくるから、余計に暑くなる、というのもあるのだろう。 「心頭滅却すれば火もまた涼し、ではないのか?」 「暑い日に火を使って料理したくないのと一緒」 「成程、それも一理あるな」 答える、頁をめくる、読む。 妹紅はさらに半回転し、うつ伏せになり、両手を組んでその上に顎を載せた。 黙々と本を読む慧音をじっと見ながら、妹紅はぽつりと、 「慧音は暑くないの?」 「暑いから、こうして着替えてる」 妹紅の見る先、慧音はいつもの服装ではない。家の中、しかも妹紅しかいないということもあり、朱色の色無地――和服に身を纏っている。その下には何も着ていないので、たしかに涼しそうだった。 妹紅に背を見せて本を読んでいるが――その髪はまとめてあげられていて、白い首筋が覗いていた。 が、涼しさでは妹紅もそう変わりはない。いつものもんぺにシャツ、ただしボタンは一つをのぞいて全てを開けている。この場に他の誰かがいれば、思わず目を逸らしてしまいそうな格好だった。 本人はまったく気にしていないのか、膝をたて、楽しそうにゆらしている。 「それにしては涼しそうだよなー」 「妹紅が暑がりなんだろう?」頁をめくり、「それに、この家は風通しがいいからな」 慧音の言葉どおり、たしかに風通しはよかった。幻想郷内ということもあり、襖や扉はすべて開け放している。ゆるやかな風が熱気を押し流してくれる。 それでも納得がいかないのか――あるいは単に暇なのか――妹紅はもう一度転がり、さらに一度転がってうつ伏せに戻り、 「あっついっなー」 ほふく全身を始めた。 ずりずりずりずりずりずりずりずり、と両腕だけを使って慧音に近付く。 背を見せて本を読んでいる慧音は、妹紅の突然の奇行に気付かずに本を読んでいる。 目標を見定めた妹紅の瞳があやしく光る。口元には微かに笑み。 蛇のように近付き、慧音の真後ろで上体を起こし、 「あっついよな――なぁ、そう思うだろ慧音」 言いながら、座る慧音に、後ろから抱きついた。 「――ぅわ!?」 突然の奇行に慧音は慌て、輪綴りの本を畳に落す。妹紅は構わず、慧音のむき出しの首筋に頬を寄せ、 「やっぱ思ってた通り冷たいなー。体温低いっていいなー」 蕩けた声で言いながら、妹紅はさらに抱きつく。座椅子の背がわずかに軋み、顎を慧音の肩に載せて、妹紅は脇の下から手を伸ばして抱き寄せる。 「も、もこ――待て、何をする気だ!、いや、何をしてる!」 「つーめーたーいー。あー夏場の氷精が人気の理由が私今すっごいわかったわ。これはいいー」 言いながらも妹紅は動き、体制を崩して慧音ともども座椅子から崩れ落ちる。手が別の生き物のように動き、めくれた和服の向こう、むき出しになった素足へと届き、 「あ。足もひやっこい」 「ちょ、妹紅! 足を撫でんじゃない足を!」 「すべすべして冷たいー」 肩に乗せていた妹紅の顔が動く。一度退き、脇の隙間から再びもぐり、シナを創って崩れた慧音の素足に抱きついた。 むき出しの足に抱きつくようにして妹紅は横になる。 「――うん、おやすみー」 「……は? 今なんていった妹紅?」 「だから、おやすみ。膝枕でお昼ね」 子供のような笑顔を浮かべ、足に抱きついたまま妹紅は本当に目を閉じた。 すぐ下にある頭を叩くべきか――真剣にそう悩み、慧音は右手を振り上げて、 「なぁ慧音、知ってたか?」 「何をだ?」 足により一層抱きつき、目を瞑ったまま、妹紅は言う。 「優しい人って足が冷たいそうだよ」 言って、今度こそ本当に、妹紅は眠りについた。ウソ眠りか本当に眠ったのかはわからないが、規則正しい息が漏れる。 振り上げた手の行き場を、慧音は、少しの間悩み―― 「――馬鹿。それを言うなら手だろう」 そう、優しく呟いて。 冷たい手で、そっと、眠る妹紅の頬を撫でた。 (了) |
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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑ ◆あとがき◆ クーラーもないけど、冷やしてくれる人もいません。 タ |
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