1 | ある門番の一日 |
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紅 美鈴の朝は早い。館の主人たちが眠りに付くのが日が昇る前だからだ。つまり、彼女の仕事は日が昇るよりも早く始まることになる。主人たちの夜型生活について特に思うところはない。 吸血鬼ならば――当然のことだ。 特に不満を漏らすこともなく、夜明けよりも早く仕事につく。日が昇る頃には、既に紅魔館の門は彼女によって守られている。力ずくで入ろうとするものがいればすぐさま襲い掛かるという手筈だ。もっとも、紅魔館の主を知っているものは下手に近寄ってこないし、知っていて近寄ってくるような相手はあっさりと紅 美鈴をいなして入ってしまう。 そのことで叱られたことはあまりない。 吸血鬼の彼女はそれすらも、楽しんでいるふしがあるからだ。機嫌が悪いときや眠い時に通すと雷が落ちるが、それ以外ならば特に何を言われたりもしない。本棚を荒された魔女から小言と魔法が跳んでくるだけだ。 平和である。 朝の光を浴びながら、はぁぁぁぁ、と奇妙な声をあげつつ紅 美鈴は奇妙な踊りをしている。傍から見れば頭がおかしくなったのか心がおかしくなったのかどちらかにしか見えないが、無論両方違う。朝のラジオ体操でもない。近いが、違う。 太極拳である。 気分を高めるためか、腹式呼吸を使っているのか。ほあぁぁぁぁぁぁぁ……、とやっぱり奇妙にしか聞こえないうめきを漏らしながら紅 美鈴は太極拳の練習をする。朝の健康ダンスと大して差はない。ゆるやかな円の動きを基本として、規則的な呼吸を続けながら身体を動かす。 深く吸い、深く吐く。 肺の中の空気を残らず吐きながら「ふぁぁぁぁぁ……」と声を出すので異様に響く。朝の紅魔館前を散歩する老人が聞いたらショック死するかもしれない。なにか不気味な妖怪が仲間同士で交信しているようにも聞こえた。 いや、紅 美鈴は妖怪には違いないけれど。 不気味でも――怪しくもない。 ただの、門番だ。 しかし――門の前でくねくねと太極拳を披露する紅 美鈴の姿は、お世辞にも怪しくないとはいえない。どちらかといえば、怪しさよりも間抜けさが目立つが。 誰もいない朝霧の出る紅魔館前で、紅 美鈴はいつまでもくねくねとしている。 平和である。 太陽が東の果てから昇ってきた。幻想郷といえども太陽は東から昇ってくる。ごく稀に西の果てから昇ってくることもあるが、基本的には変わらない。その太陽が幻想郷の内側から昇ってくるのか外側から昇ってくるのか、紅 美鈴は考えたことはない。ああ新しい朝がきた希望の朝だと笑うだけだ。 朝の空気を大きく吸って、大きく吐いた。見方によってはため息をついているようにも見える。長い長い仕事の一日が始まるのだから仕方がないのかもしれない。 紅魔館前の湖が、朝の光を反射して少し眩しい。目を細めながら、紅 美鈴は中国風の服のポケットに手を突っ込む。そのままごそごそとポケットを漁り、しばらく漁り、さらに漁り、慌てたようにポケットに両手を突っ込んだ。突っ込んでからようやく目的のものを発見できたようだが、両手を突っ込んだせいで取り出すことができない。やけになって無理矢理取り出そうとしたが、びりりと小さな音が鳴ったあたりで諦めた。 ポケットから片手を抜き、それからもう片手を出す。 手は、長細いコッペパンをつかんでいた。 ポケットから取り出したコッペパンを嬉しそうな顔で見つめ、紅 美鈴はもぐもぐと口に含む。紅魔館から支給されている朝ごはんだった。栄養的で衛生的であり、取り扱いが容易で経費が安く、何よりも毎日食べても飽きないものだ――と言われてありがたく食べている。米が主食な幻想郷では中々珍しい高価な食べ物なのかもしれない。 はむはむと、無言でコッペパンを口にする紅 美鈴。 辺りには誰もいない。近寄ってくる人間も、門の内側から様子を見に来る主人も、メイドも、妖怪も、辺りにはいない。一人で一心不乱に紅 美鈴はコッペパンを食べる。 どこか近くで小鳥が鳴いた。 平和である。 門番の仕事とは、門を守ることである。 従って門を破ろうとするものがいなければ本来の仕事を果たすことはできない。吸血鬼の館に好きこのんで入ろうなどというものはいないので、たいていは暇である。暇すぎて昼寝することも多々ある。 今日のように、天気の良い日は特にそうだった。 とはいえいつも寝てばかりではしまりがないので、時折門の前の掃除をすることになる。放っておけば門は汚れるし、落ち葉などがたまることもある。観光客などは来ないので、人工的なゴミが出ないのが救いである。 本格的にやろうとするならばともかく、日常的な掃除ならばそんなに気張ることもない。よっ、ほぁっ、と威勢のよい声をあげながら、棒術のように箒を振り回す。特訓でもしているのかもしれない。 ほぁぁぁぁ! と気合一閃、箒を袈裟懸けに振ったら壁にぶつかってめしりといった。慌てて箒を手元にたぐるとちょっとへこんでいた。 右を見る。 左を見る。 もう一度右を見る。 もう一度左を見る。 ついでに上と下も見て、誰も見ていないことを確認してから掃除に戻る。さっさっさっと箒を振い、いつもよりもちょっとだけ丁寧に掃除を行った。 平和である。 陽が真上にきた頃、紅 美鈴がふああぁぁぁと大きな欠伸をしたとき、遠くに黒い塊が見えた。 昼間の闇である。 あーまた来たなーと内心思いながら、とりあえず放っておく。一日に一回は遠くで見かける。球体の闇が、あっちへこっちへふらふら跳んでいるのだ。 言うまでもなく宵闇の妖怪ルーミアである。 今日は珍しいことに、紅魔館の方にルーミアが飛んできた。すわ侵入する気か、と紅 美鈴は身構えた。本来の仕事をできるにこしたことはない。久し振りの弾幕遊びに心躍らせながら待っていると、ルーミアはずんずんと紅魔館へと近づき、 そのまま門にぶつかって、ぽとりと地面に落ちた。 一瞬、沈黙。 二瞬沈黙。しばらく沈黙しても、ルーミアは起き上がることはない。闇が出っぱなしになっているので中がどうなっているのか分からないが気絶したのかもしれない。痛みに堪えているだけかもしれないが。 そりゃあ前が見えないなら壁にもぶつかるよね――そう思いながら、紅 美鈴はふぅ、と深くため息を吐いた。 平和である。 午後になって氷精チルノが遊びにきた。 紅魔館前の湖を根城にしているせいか、しょっちゅう遊びにくる。一度無理矢理館に入ろうとして痛い目にあってから、紅 美鈴に襲い掛かろうとはしない。もっともあまり頭が賢い方ではないので、たまに忘れたように館に入ろうしては弾幕で落とされる。 が、そのことすら忘れてしまうので、結構仲が良い。互いが互いを体のいい暇つぶし相手にしているのだろう。 その日の遊びは釣りだった。 天気が良いので湖のほとりに座ってぼーっと糸をたらす――のではない。そこまで生ぬるい遊びで時間は潰せないし、待つ間を楽しむという芸当がチルノにできるとは思えない。 ほぁー! と気合を入れながら紅 美鈴が気を湖に叩き込む。静かな湖に波紋が広がり、気を叩き込まれた魚が失神してぷかりと浮かび上がった。気を使う妖怪ならではの釣り方だといえる。 ほ、ほぁー! とチルノが真似して氷柱を打ち込む。水を押し分けて進む氷柱を、魚はすいすいと避けた。あっさりと避けられてしまい、チルノは地団太を踏んだ。そして自分に触れたものが凍りつくものを思い出し、満面の笑みを浮かべて、水面に飛び込んだ。 止せばいいのに。 そう紅 美鈴が忠告するよりも早くチルノは頭から湖に飛び込み、当然のように触れた水面が一瞬にして凍りついた。 かくして、犬神家の一族の出来上がりである。 腰のあたりまで水面に突き刺さり、凍り付いてしまったせいで逃げ出すこともできないチルノが、どたばたと足を振り回した。重力に従ってスカートがめくれあがっているせいで、湖から足が生えているように見える。中々シュールな光景だった。 妖精だから死にはしないだろうが、放っておくわけにもいかない。 はぁ、とため息を吐いて服を脱ぎ、紅 美鈴は大きく息を吸って、湖に飛び込んだ。 下着くらいはけばいいのに、と思う。 平和である。 目を覚ましたルーミアと、くちゅんとくしゃみをしたチルノと、三人で釣った魚を分けて食べた。二人は炎の眩しさと熱さが嫌なのか、焼いている間は近づこうともしなかったが、焼き終わると同時に飢えた子供のように飛びついてむしゃむしゃと平らげてしまった。釣ろうと試みたチルノはともかく、倒れていただけのルーミアが食べるのは何となく納得がいかないが、とても二人で食べきれる分量ではないので分けて食べた。 美味しかった。 そうこうしている間に陽が暮れてきた。宵闇の妖怪は嬉しそうに、氷精は眠そうに去っていった。 遠くで誰かが「遠き山に日は落ちて」を唄っている。プリズムリバーかミスティアが近くを飛んでいるのかもしれない。 良い子も悪い子も帰る時間だった。 太陽の時間が、ゆっくりと終わっていく。 西の空に沈む太陽を見ながら、紅 美鈴は大きな欠伸をした。朝早くから働いているので、この時間には眠くなる。だがあともう少しの辛抱だと、眠そうに目をこすりながら門の前を守る。 平和である。 今日も、侵入者は現れなかった。 紅白の巫女も黒白の魔法使いも現れなかった。巫女の方はともかく、魔法使いの方は一定周期で現れるので油断はできない。いままでの経験から考えるに、明日か明後日あたりにはやってくるだろう。 だが、それはまだ先の話だ。 まだ今日は終わっていない。 もうすぐ、今日は終わる。 陽が完全に沈む直前にメイド長がやってきてご苦労様と労いの言葉をかけた。いえいえ貴方も頑張って、と紅 美鈴は挨拶を返す。 これで、仕事は終わりだ。 陽は沈み――吸血鬼の時間がやってくる。 仕事から解放され、紅 美鈴は大きく伸びをした。背が高いせいでそれなりに様になっている。ん、と疲れたように笑って、今から仕事に入るメイド長に手を振って歩き出す。 紅魔館を離れ、湖に沿うように歩き、自分の家へと帰る。 その日の晩飯は紅魔館で支給された食べ物とチルノが氷付けにしてくれた魚だった。解凍して食べるとそこそこ美味しいが、やっぱりとりたてには叶わないと思う。 ご飯を食べ終えて、すぐに蒲団に入った。明日の朝は早く、また仕事の一日が待っている。疲れたし、早く寝よう。 枕に頭を埋めると、瞬く間に夢の中へと入れた。 平和だった。 今日はとても良い日だった。 明日もきっと良い日だろう。 (了) |
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