1 咲き誇る桜、眠るわたし。
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自分が生まれた瞬間を、わたしは覚えている。
 色々なことがあって、色々なことを忘れてしまったけれど、始まりの記憶だけは、色褪せることもなく、心の中に残っている。
 記憶は、桜色だった。
 記憶は、紅色だった。
 桜色の花びらと、紅色の血。
 春の目覚めと、人の終わり。
 生と死に挟まれて、わたしは生まれた。
 生まれたときから、わたしははっきりとした意識を持っていた。
 お陽さまが気持ちいい。
 温かい液体が美味しい。
 花びらがきれいだ。
 そんなことを、とめどなく思った。
 たのしい。うれしい。おいしい。きれい。そんな、踊りたくなるような温かい気持ちが、泡のように浮かんでははじけ、はじけては浮かんできた。
 春。季節は春。空には雲もなく、お陽さまが花びらの隙間から顔を見せていた。
 生まれてきたことを、祝ってくれるかのように、世界は温かかった。
 けれど、温かくないものが、一つだけあった。
 わたしのすぐそばにいるヒト。そのヒトだけが、少しずつ、冷たくなっていった。
 きっと、温かい血を流しているからだ、と思った。温かいものが身体から抜けて、どんどん冷たくなっていくんだ。それは悲しいことだ。冬はさむい。冬は冷たい。わたしは、温かい春のほうが好きだ。みんなそうに決まってる。
 だから、わたしはそのヒトに聞いてみた。

 ――あなたは、冷たくなっちゃうの?

 桜の枝が、ざわざわと揺れた。はらり、はらり、ゆらゆらと、桜の花びらが舞い散った。そのヒトの上にも。
 ヒトは、ゆっくりと、ゆっくりと口を開く。
 わたしはのんびりと待った。急ぐことなんて、なにもなかったから。こんなに温かいんだから、のんびりと時間を楽しむべきだとも思った。
 ヒトは、ゆっくりと、ゆっくりと言う。
「……ああ、美しいなあ」
 答えになっていない。
 そう思ったが、言うのは止めた。舞い落ちる桜の花びらを、わたしも美しいと思ったからだ。
 桜は咲くが定め。散るが掟。咲いて散るからこそ、桜はきれいなんだと、生まれたばかりのわたしはぼんやりと考えていた。それほどまでに、落ちる桜の花びらは美しかった。
 もっと咲くのを見たいと、わたしは思った。
 もっと散るのを見たいと、わたしは思った。
 散りかけているヒトに、わたしは言う。

 ――桜は、美しいね。

 枝が揺れる。桜が散る。はらり、ふらり、はらはらと。
 ヒトも、わたしも、咲き誇り散り誇る桜の花びらを見る。
「ああ、美しいな……悪くない、願い、どおりだ」
 やっぱり、冷たくなっていくヒトも、そう思っていたんだ。
 嬉しくなった。みんな、桜が好きなんだ。
 もっと咲くのを見たいと、誰もが思うのだ。
 もっと散るのと見たいと、誰もが思うのだ。
 わたしも思うし、誰もが思う。
 なら――


 ――咲こう。散ろう。
   春が来るたび。季節が巡るたび。    わたし
   誰もが望む、満開の桜を咲かせ散ろうと、 桜 は思った。


 わたしがそう思うと、桜の花が、さらに咲いた。
 ……さっきまでのは、まだ、【咲いた】とすらいえない、五分咲きだったらしい。今の桜は、比べものにならないほど、美しかった。
 満開の、桜の花。
 わたしと、ヒトの、視界の全てを遮るように、桜の花は咲き誇った。
 ヒトは、満足げにそれを見て。
 ヒトは、満足げに笑って。
 ヒトは、満足げに何かを言って。
 ヒトは、満足したまま、動かなくなった。


 ――彼も散ってしまったのだと、わたしはようやく気づいた。 


 悲しかった。美しい桜を、もっと見て欲しかった。もっと一緒に見たかった。
 けれど、もう遅い。彼は散ってしまった。
 そして、桜も散る。満開まで咲き誇ってしまったら、後は散るだけなのだ。
 満開の桜が散り始める。
 動かなくなったヒトを覆いつくすように、春のすべてを薄紅色に染めるかのように、桜の花が舞い落ちる。
 それを悲しいとは思わない。
 ヒトも、桜も。
 咲き誇り、散り誇るからこそ美しい――



          ◆



 それから、いくつもの季節が過ぎた。
 春以外の季節を、わたしは寝て過ごした。
 葉生い茂る夏も。
 実り豊かな秋も。
 草木人眠る冬も。
 わたしは、すべてを寝て過ごした。
 身体は勝手に葉をつけ、葉の色が変わり、葉が散ち裸木になるという変化を繰り返したが、わたし自身は、なにも変わりが無かった。
 誰よりも、何よりも美しい満開の桜を咲かせ、見事に散る。
 それがわたしの願いで――きっと、【ヒト】の願いで――わたしの全てだった。
 その願いの通りに、わたしは春が来るたびに、桜を咲かせた。
 他のどんな木よりも、見事な桜を。
 そして、満開を迎えるたびに、散っていった。
 春が終わった。
 夏が過ぎた。
 秋が過ぎた。
 冬が過ぎた。
 春が来て、満開の桜を咲かせ、散り、春が終わる。
 夏が過ぎる。
 秋が過ぎる。
 冬が過ぎる。
 春が来て、満開の桜を咲かせ、散り、春が終わる。
 その繰り返し。
 飽きることなく、何年も何年も、わたしは花を咲かせ続けた。
 そのうちに、少しだけ変化が起こった。わたしではなく、周りに。
 桜を見にくる人が増えたのだ。
 夏と、秋と、冬はそうでもない。が、春になるたびに、多くの人が集まるようになった。
 とある場所に見事な桜がある――そういう噂が、人の中で伝わっているらしい。
 その噂は年々広まって、時が経つごとに、人の数は増えていった。
 嬉しかった。
 わたしが生まれたあの日、散っていったあのヒトのように、満開の桜を一緒に見てくれる人がいるのは、とてもとても嬉しかった。
 生まれたとき、わたしは独りではなかった。
 生まれてすぐ、わたしは独りになった。
 けれど今、わたしは独りではないのだ。
 わたしと共に咲き誇る桜を見て。
 わたしと共に、散り誇る。
 こんなに嬉しいことが、他にあるだろうか?
 わたしは今まで以上に、花を咲かせた。満開の桜を、全ての人に見せるように。
 そして、美しく散っていった。
 わたしも――人も。
 春が終わった。
 夏が過ぎた。
 秋が過ぎた。
 冬が過ぎた。
 春が来て、わたしと人は満開の桜を見て、わたしと人は散り、春が終わる。
 夏が過ぎた。
 秋が過ぎた。
 冬が過ぎた。
 春が来て、わたしと人は満開の桜を見て、わたしと人は散り、春が終わる。
 夏が過ぎた。
 秋が過ぎた。
 冬が過ぎた。
 春が来て、わたしと人は満開の桜を見て、わたしと人は散り、春が終わる。
 その繰り返し。
 飽きることなく、何年も何年も、わたしは花を咲かせ散り終えた。
 そのうちに、また少しだけ変化が起こった。わたしではなく、周りに。
 桜を見にくる人が減ったのだ。
 夏と、秋と、冬はそうでもない。が、春になるたびに、わたしの周りには人が集まらなくなった。
 とある場所に見事な桜がある――そういう噂が、人の中で伝わっているらしい。
 その桜は、人の命を奪うのだ――そういう噂が、人の中で伝わっているらしい。
 その噂は年々広まって、時が経つごとに、人の数は減っていった。
 悲しかった。
 どうして人が減るのか、分からなかった。
 わたしはただ、満開の花を咲かせて、散り誇っただけなのに。
 もっと咲くのが見たいと、わたしは思った。
 もっと散るのが見たいと、わたしは思った。
 もっと咲くのを見たいと、あのヒトも思った。
 もっと散るのと見たいと、あのヒトも思った。
 だから、咲いて、散った。
 咲き誇り散り誇るものこそが、美しいのだから。
 わたしは春が来るたびに咲き、散る。
 人も春が来るたびに生まれ、死ぬ。
 ただ、それだけのに。
 悲しかったけれど、わたしは満開の桜を咲かせ、散った。それこそがわたしの望みで、ヒトの望みで、わたしの全てだったから。
 春が終わった。
 夏が過ぎた。
 秋が過ぎた。
 冬が過ぎた。
 ふたたび春が来て、わたしは桜の花を咲かせた。
 人は少ない。が、完全にいないわけでもない。
 わずかな人が、時折来てわたしと一緒に桜を見て、一緒に桜の下で散っていった。
 それを何年も何年も繰り返して、わかったことが二つある。
 一つめ。
 どうも、人は、散るのが嫌いらしい。
 おかしな話だった。生まれ死ぬ。咲き散る。それは当然のことで、誰にも避けられないことだ。
 その過程すべてが美しいというのに、多くの人は、生まれることだけを大切にするらしい。
 多くの、というのは他でもない。例外もいるからだ。
 あのヒトのように。
 生まれ死に、咲き誇り散り誇る。それを美しいと思える人が、少なくともいたのだ。
 彼ら、彼女らは、春が来るたびにわたしの元にきて、わたしの元で死んでいく。
 ほんのわずかな、満開の桜と、舞い散る桜を見て、彼ら彼女らも散っていく。
 そういう人がいるのが、わたしには嬉しかった。
 独りではないのだから。
 独りはさびしい。独りきりで咲いた桜は、誰にも見てもらえない。それは悲しいことだ。
 だからわたしは、少なくても見てくれる人のために、満開の桜を咲かせ、共に散り終えるということを、何年も何年も何十年も繰り返した。
 そして、もう一つ。
 春が来るたび。桜が咲き、散るたび。人が来て死ぬたび。
 わたしの中に、生気が満ちていくのだ。
 年を重ねるごとに、桜が、より見事になっていくのだ。
 きっと、わたしの元で散っていった人たちが、わたしの中で花を咲かせているのだ。そんな気がした。
 事実、散る人の数が多いほど、満開の桜は見事になった。
 もっと咲くのが見たいと、わたしは思った。
 もっと散るのが見たいと、わたしは思った。
 もっと咲くのを見たいと、あのヒトも思った。
 もっと散るのと見たいと、あのヒトも思った。
 美しい、とあのヒトは言った。
 美しい、とわたしも思った。
 だからきっと、これは正しいのだ。人と桜の共存関係。
 誰もが心魅かれる、満開の桜を咲かせ散ることは。


 それから、覚えきれないほど、季節が巡った。
 咲いて、散り、眠る。
 そんなことを、何年も繰り返した。
 そんなことを、何十年も繰り返した。
 そんなことを、何百年も繰り返した。
 飽きることも、変わることもなく、ただただ満開の桜を咲かせ、見事に散っていった。その繰り返し。
 きっと、こんな日々が、永久に続くのだろう。そう思っていた。


 独りの少女が、わたしの元に来るまでは。


        ◆ 


「美しいわね、貴方は」
 少女の第一声はそれだった。
 春の中ごろだった。わたしの桜は、満開めざして徐々に咲き続けているところだった。五分咲きほどの桜を見て、今年も見事に咲き散るだろう、そんなことを思っていた。
 最近では、わたしを見に来る人も少なくなり、すこし寂しかった。
 そんな折にやってきた来訪者は、わたしにとっては歓迎すべきものだった。
 高貴な和服に身を包み、どこか上品な雰囲気をともなって現れた少女。
 少女は、美しかった。
 なぜ美しいかは分かりきっていた。全身から、その気配がにじみ出ていた。
 わたしと同じなのだ。
 彼女はきっと、いや、間違いなく、多くの散る人と接している。多くの人の生き様と死に様に面している。
 咲き誇り、散り誇る。
 そんな、わたしにとっては当たり前で、人にとっては難しいことを、彼女は幼い体で身につけていた。
 だからこそ、その少女は、誰よりも美しかった。
 まるで、満開の桜のように、美しかったのだ。
「始めまして、西行妖」
 西行妖。
 はじめて聞く言葉だった。けれど、聞き覚えがあるような気がした。
 わたしの中で眠る誰かが、その名を知っているような気がした。
 西行妖とは何なのか。
 わたしは、なによりも先にそのことを少女に問うてみた。
「西行法師の命を吸って、妖怪になった桜。それが貴方、西行妖。人を死に誘う、美しい桜」
 それは、永い時間を生きてきて、初めて知ったことだった。
 名前。
 わたしの名前。
 西行妖がわたしの名前。
 西行法師の血を吸って、妖怪になった桜がわたし。
 ……そのことについて、とくに感慨はない。
 妖怪だろうが何だろうが、わたしが桜であることに変わりないように、名前が何であろうと、わたしのするべきことにも変わりはない。
 咲いて、散る。それが全てだ。
 あのヒトの名前がわかったのは、少しだけ嬉しかったけど、それもいずれ忘れてしまうだろう。
 永く生きるとは、そういうことだ。
 人よりも木は永く生きる。妖怪桜ともなれば、きっと何倍も永く生きるに違いない。
 永く生き、咲き、散り、眠る。
 その繰り返し。それがわたしの全てだ。
 わたしがそう答えると、そうね、と少女は頷いた。
「でも、それは私も変わらない。人を死に誘うのは、私も同じことなのだから」
 どういうことだろう。
 わたしは人を死に誘うことなどできない。わたしにできることは、咲き、散ることだけだ。それを見て、心魅かれた人や、共感した人は、わたしと同じように散っていく。
 少女に死の気配があることには気づいている。けれど、誘う、ということがよく分からない。
 私は尋ねる。
 少女は話す。
 元々は死霊を操る程度の能力をもった人間だった、と。それがいつしか、人を死に誘う程度の能力へと変わってしまった。気分次第で、簡単に人を死に追いやることができる能力。人に強制的に死を与える能力。
 そんなものは、もはや人間ではない。
 それが――私には、辛く、苦しい。
 私は、誰も殺したくないのです。
 そう、彼女は言葉を紡いだ。
「貴方が羨ましい。私も、貴方のように生きられたら、きっと苦しむことはなかったのにね」
 苦しむと、少女は言う。
 分からなくもない。わたしにはない考えだが、人は苦しむ。散ることを拒むのが人だと、わたしは永い時間をかけて学んだ。
 けれど、少女は、違う。
 彼女は散ることを拒んでいるのではない。
 咲き続ける生を拒んでいるのだ。
 それは――わたしと、そう変わらないものだ。
 咲き、散るからこそと思う私と、なんら変わりのないものだ。
 違うのは、ただ一点。
 きっと、彼女の方が、優しいのだ。
 自分以外が散るのを悲しむのだから。
「でも、それももう終わり。妖怪の友達に手伝ってもらって、私は終わる。全て忘れて、白玉楼で永久を過ごすの」
 トモダチ。
 それが何なのか、わたしは知ってる。
 仲間だ。大切なものだ。何かを共有するものだ。何かを同じとするものだ。
 桜を美しいと思ったあのヒトは、きっとわたしのトモダチだった。
 美しい桜のように生きる少女は、きっとわたしのトモダイなのだろう。
 わたしがそう言うと、少女は、嬉しそうに笑った。
「そうね。貴方も友達。出会ったばかりで、もうすぐ終わりだけど、私と同じように生きて、私と同じように散る、私の友達」
 嬉しい。
 わたしにもトモダチができたのだ。わたしは、わたしの元で散っていった人たちをトモダチだと思っていたけれど、散っていった人たちは、わたしのことをトモダチとは呼ばなかった。
 正面から、わたしをトモダチと呼んでくれたのは、この少女だけだった。
 それが、たまらなく嬉しい。
 わたしは喜びを、桜の枝を振ることで表現する。
 こぼれ落ちる桜の花びらを、少女は憧憬の瞳で見上げていた。
「また会いましょう、私の友達。そのときが、お別れの時でしょうけど。
 私は、願うことなら――――――」
 最後に、どこかで聞いたような事を言い残して。
 少女は、わたしのトモダチは去っていった。
 振り向くことなく。
 迷いなど無い、とでも言いたげに。


        ◆


 そうして、今年も時期が来た。
 わたしはもう八分咲きを越え、今夜には満開となるだろう。
 そして、散る。
 これまでそうだったように。
 これからもそうするように。  
 満開の桜は散り、その場にいた人も、同じように散る。
 ……彼女は、来るのだろうか。
 もうすぐ満開を迎える桜のような、生と死の匂いが色濃い少女は。
 きっと、来るのだろう。
 彼女は言った。願うことなら桜の下で死にたいと。
 わたしとしても、来てほしかった。
 彼女はもう、散り時だ。これ以上咲き続けたら、花の重さに枝が折れてしまうに違いない。
 満開を迎え散るからこそ桜は美しい。それは、あの少女も同じことだ。
 咲き誇り、散り誇る。
 どこかわたしに似た、あの少女には、そう在ってほしいとわたしは思うのだ。
 陽が傾く。
 少女は来ない。
 陽が沈む。
 少女は来ない。
 月が登る。
 少女は来ない。

 遅々と登る満月を、わたしはぼんやりと眺めた。
 花は、もう満開直前だった。なにかきっかけがあれば、すぐにでも満開を迎えるに違いない。
 少女は、すぐにでも来るだろう。
 こんなにも月がきれいだから。
 こんなにも桜がきれいだから。
 きっと、少女は来るだろう。
 月が昇る。
 桜が咲く。
 そして――

「綺麗ね、散る間際の桜は」

 ――月の下。
   満開が迫り、散るのを控えた桜のもとに。
   生と死に満ちた、少女はやってきた。

 少女は、以前とは違う格好だった。
 白装束。
 死を覚悟した格好。そのくせ、少女の表情は、以前よりも生き生きとしていた。
 きっと、散る間際だからだ。
 桜も、少女も、散る寸前が、いちばん美しいのだ。
 こんばんわ、とわたしは言う。
 揺れる枝とこぼれる花びらを見て、彼女は薄く微笑んだ。挨拶が伝わったのだろう。嬉しい。
 少女はわたしの元までやってきて、わたしの身体にそっと触れた。
 今のわたしは、人を死に招く。それでも、少女は平然と立っていた。
 白い肌。紅の抜けた桜の花びらのような美しさ。
 散る桜の美しさ。
 散る人の美しさ。
 それは、咲いてきた時間があるからだ。見事な花を咲かせるからこそ、散る桜は美しい。
 少女の生きてきた時間も、きっと見事だったに違いない。
 人の生と死にかこまれた人生。
 それは、わたしにしてみれば、世界の全てだ。
「……美しいわね」
 少女は、ゆっくりと、ゆっくりと言う。
 わたしは頷く。枝が揺れる。
 今年の桜は、今までで一番見事だ。
 永い永い時間を生きて、多くの人の散りざまを見て。
 そのたびに、桜はきれいになった。
 満開へと迫る桜を見ながら、わたしも言う。

 ――桜は、美しいね。

 枝を振るう。花びらが舞う。はらり、ふらり、はらはらと。
 少女も、わたしも、咲き誇り散り誇る桜の花びらを見る。
「ええ、美しいわね……悪くない、どころか最高ね。願いどおりだわ」
 言葉は少ない。本当は、少しもいらないに違いない。
 わたしたちは、今、限りなく同じ時間を生きているのだから。
 私は満開の桜を咲かせ、散る。
 少女は生き、ここで死ぬ。
 なら――

 ――咲こう。散ろう。
   少女ともに、咲き誇り、散り誇ろう。    わたし
   誰もが魅かれる、満開の桜を咲かせ散ろうと、西行妖は思った。

 わたしがそう思うと、桜の花が、さらに咲いた。
 ついに、満開を迎えたのだ。
 さっきまでの桜とは、もう別物だった。三分でも五分でも八分でも九分九厘でもない、満開の桜。
 心奪われ、魂を奪われるほどに、美しかった。
 言葉は、もういらなかった。
 満開の、桜の花。
 わたしと、少女の、全てを覆い隠すように、桜の花は咲き誇った。
 少女は、満足げにそれを見て。
 少女は、満足げに笑って。
 少女は、最後の最後に、心から満足して。


 少女は、ためらいも逡巡もなく、あっさりと、自らを死に誘った。


 ――彼女も散ってしまったのだ。


 悲しくはなかった。美しい桜を見て、美しい彼女は散ったのだから。
 彼女は散った。そして、わたしも散り始める。
 満開まで咲き誇ってしまったら、後は散り誇るだけだ。
 満開の桜が散り始める。
 動かなくなった少女を覆い隠すように、春のすべてを薄紅色に染めるかのように、桜の花が舞い落ちる。
 はらり、ゆらり、ゆらゆらと。
 それを悲しいとは思わない。
 ヒトも、桜も。
 咲き誇り、散り誇るからこそ美しい――


「――美しいわね」


 突然、声がした。
 わたしでも、少女でもない、第三者の声。
 見れば、紅の桜に混じって、黄と紫の色をした少女が立っていた。
 いつの間にそこにいたのだろう。まったく気づかなかった。
 少女の後ろには、刀を手にした男もいた。彼は桜を見ず、ただただ少女の亡骸を注視していた。
 彼女たちも、花見に来たのだろうか。
「本当に、美しいわ」
 少女がもう一度言う。心からの感嘆を声にこめて。
 なにが、とわたしは問うた。
 枝がゆれ、桜の花びらが舞う。
「桜が。そして私の友人が、よ」
 そう言って、少女は微笑んだ。底の知れない、妖しげな笑みだった。
 新しく現れた少女を、わたしはよく見る。
 それは、人ではなかった。
 満開の気配も、散る気配もない。永遠に咲く花のような、花以外の何かのような、そんな気配。
 少女は、妖だった。
 きっと、わたしのように、永く永く生きている妖だ。
 少女の言っていた、【妖の友人】だろう。
 妖は、わたしが納得したのに気づいたのか、独り喋り始める。
 わたしと、少女の亡骸と、散り誇る桜の花びらを見ながら。
「あの子は、死を誘う能力を持ってしまった。それを疎ってここで自尽した」
 知ってる。
 そのことは誰よりもわたしが知っている。
 わたしと変わらぬ少女の心は。
 彼女は、人に生まれるべきではなかった。
 桜に生まれるべきだったのだ。
 そうすれば、彼女は、独り泣かずにすんだだろうに。
「たとえ生まれ変わっても、あの子の苦悩は終わらない。あの子の力は、魂が持つものなのだから」
 知ってる。
 花が咲く。散る。ふたたび咲く桜は、前の桜とは別のものか?
 違う。わたしは、わたしだ。幾たび咲こうとも、幾たび散ろうとも、それはすべてわたしだ。
 本質は変わらない。世界は、きっとそういう風に出来ている。
 だから、彼女が生まれ、苦しみ、死に、再び生まれたなら――きっと、また同じように生まれ、苦しみ、死ぬのだ。
「だから、私たちはあの子の魂を結界で縛る。生まれることなく、すべてを忘れて死の国で幸せに生きられるように。けれど――」
 妖は、そこで一度言葉を切った。
 なにか、言いにくいことがあるのだろう。
 なにが、と考えて、すぐに気づいた。
 彼女がここに現れた理由に。
「そのためには、西行妖を封印する必要がある」
 西行妖――それは、わたしだ。
 少女に教えてもらった、わたしの名前だ。
「あの子の亡骸を西行妖の元に埋め封印と成す。そうすれば、あの子は救われる。けれど、封印がある限り、西行妖の桜が咲くことはない」
 西行妖の桜が咲くことはない。
 それは、わたしが、咲くことはないということだ。
 封印がある限り、咲き誇ることも、散り誇ることもできなくなるということだ。
 ……そうか。だから、この妖は言いよどんだのか。
 一も二もなく、わたしは即答した。
 当たり前の、返答を。


 ――いいよ。


 妖が少し驚いていた。
 が、わたしにしてみれば、それは驚くことでもなんでもない。当然のことだ。
 少女は言った。わたしの生は永い、と。
 なら、たまには休むのもいいだろう。
 咲き誇り、散り誇る。ふたたび咲く日まで眠る。その期間がほんの少しだけ長くなるだけだ。
 咲く日を夢見て眠ればいい。
 何年か、何十年か、何百年か。眠り続ければ、いつかは咲く日が来るだろう。
 それだけのことだ。
 それになにより、

 ――彼女は、わたしのトモダチだから。

 わたしの言葉に、目の前の妖は頭を下げた。
 帽子に隠れて表情はわからない。けど、泣いているような気もした。
 この妖には、散る気配が見えない。満開の気配もない。
 それでも、この妖は、少女のトモダチなのだ。
 少女は、独りじゃなかった。
 これまではこの妖がいたし、これからはわたしがいる。
 それが、少しだけ嬉しかった。
「……ありがとう。貴方が、彼女の友人でいてくれて、私は嬉しく思うわ」
 妖が手に持った扇を、顔の前にかざす。同時に、後ろで侍が剣を抜いた。
 始めるのだ、と直感で分かった。
 封印を。咲き誇ることも、散り誇ることもなく、永い永い眠りが始まる。
 わたしは見納めとばかりに、散り誇る桜の花びらを見る。
 わたしの心が願ったせいか、桜はよりいっそう散り始めた。
 ふるり、はらり、ゆらゆらとふるへ。
 世界が紅色に染まっていく。
 妖が舞う。
 剣客が舞う。
 祝詞を唱える。
 意識が遠くなる。
 深い眠りに沈んでいく。
 最後に、思ったのは、変わらぬわたしの思い。



 ああ――なんて美しい、散り誇る桜。




        ◆



 何年も過ぎた。
 春が過ぎて。
 夏が過ぎて。
 秋が過ぎて。
 冬が過ぎて。
 何年も過ぎた。
 何十年も過ぎた。
 何百年も過ぎた。
 その間、わたしは一度も咲くことがなかった。
 わたしを見にくる人は、一人もいなくなってしまった。
 当然だ。桜は咲いて散るから美しいのだ。咲かない桜は木でしかない。
 それを寂しいとは、思わなかった。
 満開の桜を見られないのは悲しかったけど、満開の桜が散るのを見られないのは空しかったけど、寂しくはなかった。
 桜が咲かなくても、わたしは独りじゃなかったから。
 わたしの元で、あの少女は眠りについた。
 永い永い、醒めることのない眠りに。
 あの日、わたしが生まれた日に散った、あのヒトと同じように。
 眠り、散る。
 それは、眠り散っただけでしかない。
 それは、悲しむことではないのだ。
 あのヒトも、あの少女も、悲しいとも寂しいとも思わなかったに違いない。
 少女は言った。
 きっと、あのヒトも、同じように言ったに違いない。



 ――願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ。



 だから、寂しくなんてないのだ。
 あのヒトも、あの少女も、願い通り、桜の下で眠っている。
 それは、寂しいことではないのだ。
 わたしは独りじゃない。咲くことのない桜は、眠るだけだ。
 いつか咲く日のことを夢見て。
 再び満開の桜を得て――見事に散り誇ることを夢見て、わたしは眠り続ける。







                  (東方妖々夢 〜 Perfect Cherry Blossom. へ続く、のかもしれない。)










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・後書きに代えて、【六十秒の春】。
――春が来た。
 永い永い眠りから、わたしは一気に目覚めた。
寝てなどいられなかった。
 わたしが寝ている間に花が咲いていたのだ!
 それどころか、わたしはすでに八分咲きを迎えていた。
 薄紅色の世界。咲き誇る桜の花びら。
ああ――本当に、美しい。
 そして、懐かしい顔がいた。
わたしの元で散った、あの少女の顔が。
 驚きはしなかった。
桜は咲き、散り、季節が巡ればふたたび咲く。
そんな人がいてもおかしくはない。
 目があった気がした。
少女が、少しだけ微笑んだような気もした。
 ……わたしを眠りから醒ましたのは、彼女なのだろうか?
 まあ、いい。わたしの願うことは、一つだけ。
それだけがわたしのすべて。
それ以外はすべて些事だ。
 美しい桜を咲かせよう。

 誰もが望む、満開の桜を咲かせ――見事に散り誇ろう。
 

                         BGM. ボーダーライフ 


END

↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



◆あとがき◆




 ……最後まで読んでいただいて、まことにありがとうございました。
 こう長いものは久しぶりです。大体23kくらい。
 幻想郷のレギュラー、準レギュラーのキャラが独りも名を出さない、西行妖の話という、はたしてどうなんだろうと想ってしまう作品です。受け入れられたら幸い。

 作品について。
 一人称の主人公に「西行妖」を持ってくるという、すこし変わったモノとなっております。
 彼女以外には、名前が出てきません。スキマの妖怪も、春の亡霊も、剣客も、歌聖も、名を名乗りません。
 桜にとっては、きっと、そんなことはどうでもいいことでしょうから。
 見事に咲き、散る。それが、妖怪になった桜の全てなのでしょう。

 繰り返す文章や表現があるのが、【わたし】が日付ではなく、季節の繰り返しの中を生きているからです。
 散り誇る、は造語です



……とまあ、ここまでが某所に投稿したときのあとがきで。
ここでは追記で好き放題書かせていただきます。
いつもどおりに。

西行妖格好いいよ西行妖。
初め見たときの衝撃はすごかった……
幽々子様の扇が開くところや、黒染めが流れるところもそうですが。
ゆゆ様を必死で倒して、ENDか……? と思った瞬間。
咲き誇る桜。
散り誇る西行妖。
アレはまさに衝撃でしたね。心貫く。
その印象が強すぎて、突発的に西行妖SSなどを書いてしまいました。
おきにめしたら幸い。

次はたぶん香霖話か、妖忌話。
……あれ、ワタシそんなのばっかり?
ギャフン。



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