1 たいせつなたからもの。
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 宝物は、大事に大事にしまわなければならない。それが大切なものであるならば尚更そうだ。
 だってそうだろう――とアリスは思うのだ。
 幻想郷は、常に生き死にのかかった世界である。それは殺伐としているというよりは、無常観の漂う世界だ。
 なくなるものを惜しまない。
 なくなることを許容する。
 失うことを覚悟する。
 否――覚悟することすらせず、当たり前とする。
 一期一会の世界だ。明日死ぬかもしれないからこそ、今日という日を精一杯生きる。
 それが、幻想郷での常だ。
 それは、アリス・マーガトロイドにもよく分かっている。痛いほどに分かっている。
 幻想郷がそういう世界であることも。
 失う可能性があるということも。
 人間が、容易に死んでしまうということを。
 いつかは――霧雨 魔理沙と離れてしまうということを。
 だからこそ。
 


 大事なものは――大切にしようと思うのだ。



        †   †   †




 霧雨 魔理沙が遊びにきた。
 といっても、それが本当に遊びにきたのかどうか、アリスには分からなかった。
 魔理沙がふらりと立ち寄るのはいつものことであり、そのたびに魔法薬だの魔法本だのを奪っていったり、弾幕あそびをふっかけてきたりする。
 最近では、それすらも魔理沙の遊びだと受け入れるようになった。
 そういうことを置いても――純粋に、訪れてくれるだけ嬉しかった。

「お邪魔しますぜ、っと」

 気軽に挨拶して、魔理沙はアリスの返事も聞かずに中へと入り込んだ。扉を閉めるアリスの横をすり抜け、家の中をきょろきょろと見回す。
 魔法の森の只中にあるアリスの家には、人気はまったくない。
 人形があるだけだ。
 周りは森ばかりで、生活音どころか、生き物の声すら聞こえなかった。
 静かな、静かな、魔法の家。

「今日はなにしにきたの?」

 無駄だと思いつつも、一応聴いた。
 案の定魔理沙は視線で物色を続けながら、「んー、いつも通り」と上の空に答えた。
 アリスはため息をつき、ベッドに座り、その魔理沙の横顔を見た。
 端整な顔。小さな唇、柔らかそうな金の髪を。
 芸術作品のようだ、と改めてアリスは思う。
 その芸術の視線が、ある一点で止まる。
 部屋の中央にある丸机の上に置かれた箱だ。
 それほど大きくはない。手でどうにか持ち上げられそうなほどのサイズだった。
 箱は漆塗りで、外からでは中身が見えなかった。要所に魔法石をはめ込んだ魔法陣の中央に、何の飾りもなくぽつんと置かれている。
 魔理沙はそれを指さしながら、首だけでアリスを振り返る。

「ああ、それ?」

 アリスはベッドの上で体操座りをし、自分の膝の上にアゴを乗せ、何事でもないように答えた。






「――大切な、私の宝物よ」






 ふぅん、と魔理沙が答えた。
 アリスはふぅ、とため息を吐いて、

「いつもの通り、調子を見てあげるから、さっさとこっちに来なさい」
「はいはい、アリスは気が短いぜ」

 肩を竦めながら、魔理沙はベッドに座るアリスに近寄った。そしてそのまま、アリスの前に、背中を見せるようにして床に座る。
 魔理沙を挟むようにして、アリスは両足を降ろし、魔理沙の髪をなでた。
 金色の柔らかな髪を、手櫛ですいていく。

「くすぐったいぜ」
「そう」

 魔理沙の言葉に、アリスは適当に答えた。意識の大半は、思考に跳んでいた。
 魔理沙は――この行為を、どう思っているのだろう。
 アリスは、そう考えずにはいられないのだ。
 不自然には思っていないだろう。不自然に思っていたとすれば、魔理沙はこうやって座ってはいないはずだし、この家を訪れることもないはずだ。
 このことが他の誰かにバレている――ということもないだろう。もしそうなら、魔女あたりが使い魔を飛ばしてくるはずだ。
 魔理沙自身にも問題はない。
 周りにもまた、問題はない。
 あるとすれば、それは、アリス自身にだろう。
 唯一、真実を知る者として。
 それでも、止めるわけにはいかないのだ。

 アリス・マーガトロイドは、霧雨 魔理沙のことが好きなのだから。

 だからこそ、アリスは思う。
 馬鹿馬鹿しい、と。
 世界に二人だけしかいなければ、こんな茶番はせずにすむのに、と。
 けれど広くて狭い幻想郷では、そういうわけにはいかなかった。だからこそ今日も、アリスは茶番を繰り返す。

「魔理沙」

 呼びかけるのではなく。
 名前を口にして、アリスは、魔理沙の髪をなでていた指を、その鋭く伸びた爪を、


 ――魔理沙の脊髄へと打ち込んだ。


 一本だけではない。人差し指と中指の二本。二本の細く白い指を、魔理沙の首筋に埋めていく。肌を爪先で裂くぷちんという感覚と、その先にある筋肉組織をずぶずぶと押し込んでいく感触。指に血管が触れるのが疎ましい。
 神経を切らないように、慎重に、慎重に、指を押し込む。

「あ、あ、あ、あ、あ――」

 魔理沙の口から音が漏れる。
 声ではない。外部からの刺激で、強制的に肺の中の空気が外へと追い出されているだけだ。口端からは涎が床へと垂れたが、自分の家なのでアリスは気にしない。構わず指を押し込み、第二間接まで肌の中まで埋め込み、
 硬い何かに、指の先があたった。
 骨ではない。
 筋肉でもない。
 それは――人体にあるはずのない――ネジだ。
 首の奥に埋め込まれた、魔力を注ぐことで動き出す、歯車仕掛けのネジだ。
 それを二本の指でつまみ、アリスは、魔力を込めながら回した。
 命を吹き込むように――ネジを、回した。

「あ、あ、あ!、ああああああ!」

 魔理沙が悲鳴をあげる。痛みは感じていないはずだ。脳の電気信号がノイズを撒き散らしているだけのことだとアリスは割り切る。
 本当なら、こういうことにはならないはずだった。
 この分野は初めてだったので――エラーが混じってしまったのだ。
 いつか作り変えようと、筋肉と神経をぶちぶちぶちぶちとかき交ぜながらアリスは思う。
 次は、完全自律型にしよう、と。永久機関を取り入れようと、アリスは思うのだ。
 そうすれば、こんな面倒なことはしなくてすむ。

 補給をするためにアリス・マーガトロイドの家へ寄るという無意識下の命令を、魔理沙の脳にすりこまなくてすむ。

 がくがくと震える魔理沙の身体を二本の足で押さえながら、アリスはなんとか、ネジを回しきった。
 時間にして一分にも満たない短い時間。けれど、アリスには、それが永遠にも等しく感じられた。
 
「はい、終わり」

 指を抜き取って、アリスはそう言った。指先についた肉組織と血を、丹念になめとった。
 自分で作ったとはいえ、それは――魔理沙の一部なのだから。
 抜いた指の先、大穴は見る見るうちに埋まっていった。動力を補給されたことによって、新たな肉組織が超高速で創り上げられていく。
 驚きには値しない。
 すべて――アリス・マーガトロイドが、自身でやったことなのだから。

「それじゃ、私は帰るぜ」

 魔理沙が何事もなかったかのように言って立ち上がった。
 何事もなかったかのように、とは少し違うのかもしれない。
 魔理沙にとっては、本当に、何事もなかったのだから。
 記憶はすっぽりと抜け落ちているし、それを不思議に思うこともない。
 そういう風に、作り変えたのだから。
 立ち上がった魔理沙は、すたすたと扉へ歩いていく。
 その背中に、アリスは。

「ねえ、魔理沙」
「んー?」

 無駄だと思いつつも、言った。

「死なないでね」

 その言葉に、魔理沙はきょとんと目を丸くして、それから――笑った。
 楽しそうに笑って、魔理沙は言う。

「心配のしすぎだぜアリス。『また明日』な」

 そう言って、魔理沙は扉を出て――箒に跨り、空の彼方へと跳んでいった。
 また新しい、そしていつも通りの日常を続けるために。

「…………」

 アリスは、その後ろ姿が、消えてなくなるまで見つめていた。やがて彼女が戻ってこないことが確実となる時間を過ごしてから、アリスはおもむろに立ち上がる。
 魔理沙が開けっ放しにしていった扉を閉めた。
 そして踵を返し、部屋の中央に置かれた箱の前に立つ。
 周りに、誰もいないのを確認して。

「ねぇ、魔理沙」

 アリス・マーガトロイドは、箱を開いた。
 小さな箱には。
 人が抱えられる程度の箱には。


 ――人の頭が、入っている。


 首から上がそこにある。
 端整な顔が。小さな唇が。柔らかな金の髪が。
 ついさっきまで見慣れた――魔理沙の顔が。
 箱の中にある限り、永久に変化することのない、魔理沙の顔。
 魔理沙の――全て。
 大切なものは、大事にしまわなければならない。
 アリスは、それを実直に実行した。箱に全てが入らない以上、やることは一つだった。

 霧雨 魔理沙の首を斬り。
 人造の首と、すげ替えた。

 そしてニセモノの魔理沙は外で生き、
 本物の魔理沙は、ここにいる。
 アリスは思う。条件付けをして動く、魔理沙にそっくりな人形よりも。
 まったく動かない、本物の魔理沙の方が、自分にとっては大切なのだと。
 なぜならば――

「魔理沙、愛してるわ」

 そこには、愛があるのだから。
 アリスは、二度と動くことも、変わることもない魔理沙の唇に、そっと自らの唇をつけた。
 魔理沙の唇は、蕩けてしまいそうなほどに、柔らかい。
 そのキスの感触こそが、アリスのすべてだった。
 霧雨 魔理沙は此処にいる。
 たいせつなたからものは、ここにある。




(了)
人比良


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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


■作者からのメッセージ

・あるいは、もしくは――

 紅魔の館の奥にある、人知魔知問わず、本という本を詰め込んだ巨大な図書館。
 その最果てには、魔女がいる。百年の時を変わらぬ姿で生きた魔女が。
 その生活に、最近変化が起きた。
 彼女の愛用する机に、一つの箱が置かれたのだ。
 その箱の中身は、メイドも吸血鬼も知らない。彼女は、誰もいないのを確認して、自分ひとりいるときにしか見ないのだ。
 誰が問おうと、魔女は答えなかったし、見せようともしなかった。
 それもそうだ。
 その箱の中には、たいせつなたからものが入っているのだから。
 今日も魔女は、独りきりになったのを丹念に確かめて、箱を開く。
 手乗りサイズの箱の中には、小さな幽霊が、魔法によって閉じこめられている。
 その魂を丹念に愛でながら、魔女は微笑む。


「肉体なんていらないわ――愛してるのは、貴方の魂よ、魔理沙」


 遠くの人形遣いに聞かせるかのようにそう言って、魔女は静かに笑った。


だがこの世に飢餓と貧困があるかぎり、博麗 霊夢は何度でも蘇るだろう。


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