1 フォーン・ブースへ散歩に行こう
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『――私、メリーさんよ。今あなたの後ろにいるの』
「奇遇ね、私もメリーさんなのよ」
 そう言って、メリーさんこと、マエリベリー・ハーンは、家の電話をがちゃんと切った。自分が先に切ったので、ツー、ツー、というなじみのある電子音は聞こえない。あとにはただ、常通りの静寂があるばかりだ。
 念のために、後ろを振り向いてみる。
 そこには――誰もいない。自分の部屋があるだけだ。
 後ろに誰もいないことを確認して、メリーはさっき切ったばかりの電話を手にとった。そして、すっかり暗記してしまった番号をプッシュする。
 三コールの後、親友の声が、受話器の向こうから聞こえてきた。
『……もしもしぃ? はい、宇佐見です……』
 寝ぼけたその声に、メリーは微笑みつつ答える。
「もしもし、私、メリーさんよ。今暇かしら?」





   ◆ フォーン・ブースへ散歩に行こう ◆






「……と、そういうことがあったのよ」
 一時間後。行きつけの喫茶店のテーブルにメリーは座っていた。目の前には、髪が一箇所だけピンと跳ねた蓮子が座っている。直しても直しても直らなかったのだろう、自分でも気になっているのか、時折無意識に手櫛を伸ばしていた。
 蓮子は砂糖もミルクも入れずにコーヒーを呑みつつ、
「イタズラ電話じゃないの?」
 至極まっとうな返事を返した。
 彼女にしてみれば、早くから気持ちよく就寝したところを、メリーの電話で叩き起こされたのだ。何かと思えば『メリーさんから電話がかかってきた』との事。いくら秘封倶楽部の活動は夜が主だといっても、叩き起こされて機嫌よく対応できるはずもない。
 そして、適当な対応をする理由は、もう一つあった。
「もうっ、蓮子、真面目に聞いてる?」
「聞いてるわよ、もちろん。大体メリー、あなたの能力は――『見る』ことでしょうに。いつから耳まで特異になったのよ」
 そう――マエリベリー・ハーンが持つ特技、能力とは、結界を見る能力だ。決して、怪異を聞く耳を持っているわけではない。蓮子が時間と場所を知るのに目を使うように、メリーもその能力を使用するには目が必要なのだ。
 だから、『聞く』は、本来秘封倶楽部の活動内容には含まれていない。
「それは――ほら、能力が進化したのよ、きっと」
「へぇ、それはそれは」蓮子は笑い、「対メリーさん用必殺兵器メリー。すてきな駄洒落ね」
「蓮子……今日のあなたは意地悪だわ」
「私はいつも通りよ。眠いだけ」
 ふぁぁぁぁ、と手に持った本で口元を隠して、蓮子はでっかいあくびをした。聞いているほうが恥かしくなるようなあくびだった。
 あくびが移ったのか、メリーも口元を手で押さえて申し訳ない程度にあくびをした。頼んでいた紅茶に口をつけ、
「まあ、少しは真面目に聞いてあげるわよ。――店員さん、チーズケーキ一つ。メリーのおごりで」
 さりげなくそう頼んで、蓮子は机の上に本を置いて両肘をついた。組んだ両手の上にアゴを乗せ、「さ、話してごらんなさいな」という目でメリーを見た。
 メリーは、「なんで私が奢らなくちゃ……」という目で蓮子を見つつ、
「とにかく、メリーさんから電話があったのよ」
「あなたもメリーさんよね」
「蓮子……」
 じと目で睨んでくるメリーに、蓮子は苦笑いで答えた。
「冗談よ、冗談。家の方に電話があったのよね? 携帯じゃなくて?」
 ええ、とメリーは頷く。
 と、同時に――入り口の扉が、からんと鳴った。
 蓮子は口を噤み、何気なく扉を見遣る。丁度、扉の向こうにコートの男性が出て行ったところだった。
 扉の外は、暗い空。
 夜だから――ではない。夜に加えて、空には雲が出ている。雨は降っていないものの、下手をしたら降り出してしまうかもしれない。そんな天気だった。
「……メリー、傘持ってきた?」
「いいえ。蓮子は?」
「私もよ。ま、最悪店主に借りましょ」
 レジを打っていた店主に――小さな店なので、店主があらかたのことをやっているのだ――にちらりと視線をやって、蓮子はそう言った。視界の端で、開いていた扉がゆっくりと閉まる。外の音が隔絶され、店の中に流れる穏やかな音楽が耳についた。
「ちゃっちゃと話をしましょうか――番号通知は?」
 メリーはふるふると首を横に振り、
「私の、古い電話だもの」
「あー……そうだったわね。携帯だったらそういう時便利なんだけど」
「携帯だったら、すぐに私の方からかけなおして、『私もメリーさんです』って言えるんでしょうけど」
「駄目よメリー。昔からそういう詐欺があるんだから、気軽にかけなおしたりしちゃ。それに――」
 蓮子はそこで言葉を切って、何かを考えるかのように視線をさ迷わせた。
 その間、メリーは紅茶を飲みながら待った。ちびちびと飲んでいるので、おかわりをする必要がない。猫舌気味なので、温めのほうが好きなのだ。
 あちらへこちらへと飛んでいた蓮子の視線が、ぴたりと一点、メリーの瞳の辺りで止まる。口元に楽しそうな笑みを浮かべて、
「電話は異界に繋がるものだから。あなたなんかが迂闊にかけると、向こう側に繋がるわよ」
「わたしが迂闊だっていいたいの?」
「全然違うわよ」
「冗談よ、蓮子」メリーは微笑み、「違うと言ってくれて嬉しいわ」
「それはどうも。メリーは迂闊というよりは、のんびり屋だもの」
「……それは褒められてるのかしら?」
「褒められてると思えば何事も幸せよ」
 古典的にも、頬に手を当てて考え込んだメリーに対し、蓮子は笑ってそう言った。自分のコーヒーに口をつけ、
「元から電話って、『どこかと繋がるモノ』だから。そうね……都市伝説のメリーさんあるでしょ? あれだって、死んだ人間と回線が繋がってるわけじゃない」
「回線が――繋がる」
「チャンネル、かな。こちら側の世界、向こう側の世界。宇宙人と会話するのにだって電波を使う時代よ」
「返事はまだ返ってきてないみたいね」
「いつかは返ってくるわよ。それこそ、私たちが全部滅んで、地球が緑の星になった頃にでも。電話の速さが光速を超えたら、過去や未来へも繋がるわ」
「夢の世界とも、電話できるかしら?」
 何気なく言ったメリーの言葉に、蓮子は「うーん」と考え込み、
「そうね。目は受動器官だから――夢の世界の電波を、耳ではなく目で受け取っているとも考えられるわね」
「蓮子の目は、星や月の電話を受け取ってるのかしら?」
「あるいは、伝言を、ね。ま、会話をしたかったら、こっちも口から電波を発さないといけないけれど」
 その言葉に、メリーは脳裏で想像してみた。アニメに出てくる怪獣のように、口からビビビビビビビと電波を吐くメリーの姿を。あるいは、ロボットのように、額に生えた角から月へと電波を発射するメリーの姿を。
 ――あやうく紅茶を吐き出しそうになった。
「ちょっと、メリー? 今なにか失礼なこと考えたでしょ」
「そ、そんなことないわよ、蓮子……ふふ、あはっ」
 笑いは堪え切れなかった。手で隠したメリーの口から笑みがこぼれる。蓮子はあからさまに頬を膨らませたが、想像の中での蓮子が可愛くて、メリーはなおも笑ってしまう。
 結局、店員がチーズケーキを持ってくるまでメリーは笑っていたし、チーズケーキを食べ終わるまで蓮子は頬を膨らませていた。
「……そろそろ落ち着いたかしら?」
 空になった皿の上にフォークを置き、皮肉たっぷりに蓮子は言った。
 メリーは目元に浮かんだ涙を指でふき取り、
「ええ、蓮子。世はすべて事もないわ」
「使い方間違ってるわよ、それ」
 ため息をつき、蓮子はコーヒーを飲み干した。気合を入れるかのように、椅子に深く座りなおし、机の上に置いていた本の表紙を指で撫でる。
「それで――メリーはどうしたいのかしら」
「どう、って?」
「メリー、メリー! 貴方まさか私をここへ呼んだ理由、すっかり忘れてしまったの?」
「ああ、そうだったわね! あまりにもおかしくて――ごめんなさい。メリーさんのことね?」
「そうよ、ハーンさん家のメリーさん」
 ありったけの皮肉を込めて蓮子は言うが、メリーは変わらずにこにこと笑っている。相手にするだけ無駄、とはわかってはいるのだが、残念なことに腐れ縁は切れないからこそ腐れ縁なのだ。
 こういうとこもメリーのいいところだ――と思えば、我慢できないこともない。というより、嫌いではないのだ。たまに頭をハリセンで叩きたくなる衝動に襲われるだけで。
 そんなことを少しも表情に出さず、蓮子はできる限り淡々と話を続ける。
「秘封倶楽部の活動に、ってこと? それとも本気で怪現象に悩んでるの?」
「一応、そのつもりだったんだけど」
「どっちよ?」
「前者」
 ふぅん、と蓮子は相槌を打った。
 メリーは人差し指でウェーブのかかった髪の先を弄くりながら、
「最近、秘封倶楽部としての活動ってなかったから――まあ、話のタネにと思ったのよ」
「そうね、確かに最近は何もなかったもの――というか、単純に大学が忙しかったんだけど。まあ、もうすぐ暇になるから、そしたらまたどこかに行きましょ」
「そうね」
 頷いて、メリーも紅茶をすべて飲み干した。赤い液体が消えうせ、白い底が見える。
 紅茶のカップを皿に置くと、かちんと小さな音がした。
 その音に重なるように――

 トゥルルルルル、と。

 電話の音が聞こえた。
「…………」
「…………」
 二人の言葉が途切れ、反射的に互いの顔を見合わせる。携帯に伸びかけた手は途中で止まった。携帯の着信音は、この古く懐かしい電子音ではない。
 そもそも、音の発信源は、二人の席から離れていた。
 店の入り口傍。カウンターから、その電話の音は届いていた。
 二人の視線が電話に釘付けになる。その間にも、電話はトゥルルルルと呼び出し音を鳴らし続ける。
 その音が――止んだ。
「はいもしもし、こちら喫茶店――」
 店主が受話器を取ったのだ。
 二人の見る中、店主は電話の相手に喫茶店の名前を告げ、まだ営業していることを伝え、喫茶店の住所を詳しく教えてから、最後に「ありがとうございます」と、見えないだろうに電話に向かって頭を下げてから受話器を置いた。
 その時になってようやく、二人に見られていることに気付き、店主は愛想笑いをした。
「…………」
「…………」
 蓮子とメリーはやはり無言のまま、店主から慌てて顔をそらし、お互いを見合った。
 もう電話の音は聞こえない。喫茶店の中に流れる音楽だけが、二人の耳に届いた。
 しばらくの間、二人は、何も言わずに互いだけを見ていた。やがて蓮子が恥かしそうに頬を掻き、それを見たメリーが微笑んだ。
「……考えすぎね、どうも」
「そうね」
 照れくささを隠すためか、蓮子は「ごほん」とわざとらしく咳をして、
「とにかく。たぶんイタズラ電話だろうから、二度とかかってこないだろうけど――変に相手しないこと。……というか、相手がメリーだと知ってかけたなら、あなたの知り合いがやった可能性もあるけどね」
「! まさか蓮子、貴方が……」
「しないわよ!」
「冗談よ」
「笑えないわよ。あと、電話のしすぎで破産しないように気をつけてね」
 そう言って、蓮子は本を手に立ち上がった。話はこれで終わり――ということだ。二人とも頼んでいたものは食べ終わり、帰るには丁度良いタイミングだったのかもしれない。
 メリーも遅れて立ち上がり、蓮子の後に続く。きちんとチーズケーキ分まで代金を払った蓮子を見て、メリーは思わず笑んでしまう。
 メリーも自分の紅茶代を出し、店長に挨拶をして、二人は外へと出た。
 店の外は、先よりも暗くなっている。雲が濃くなってきたのだろう、今にも雨が降り出しそうな空だった。
 いっそ降っていればいいのに――メリーはそう思う。思いっきり降ってくれれば、店長に傘を借りるくらいはできたいのに。降りそうな天気、では借りることすらできない。
 蓮子は気にしていないのか、ニ、三歩歩いて空を見上げた。そこには月も星もない。時間も場所も、空を見ても分からなかった。
 見なくても――帰り道くらいはわかる。
 蓮子はくるりと反転し、本を抱えなおして、メリーの顔を見て笑った。 
「久しぶりに話せて楽しかったわ。それじゃ、おやすみなさい」
 そう言って、蓮子は背を見せて去っていった。帽子をかぶった小さな背中が、あっという間に夜の中へと消えていく。
 その後ろ姿を見ていたメリーの顔に、自然と深い笑みが浮かぶ。
 蓮子が口にした別れの挨拶。
 それこそが――彼女が蓮子を呼んだ、本当の理由だったからだ。
 変な電話がかかってきた。それ自体は、珍しいことであってもわざわざ秘封倶楽部の活動に取り上げるようなものでもない。たとえそれが、都市伝説をもとにした『メリーさん』からの電話だったとしてもだ。その電話がイタズラかもしれないと考える程度の分別は、メリーにだってある。
 だからそれは、口実だ。
 ――久しぶりに、蓮子と会うための。
 電話がイタズラであれ、本物であれ、そんなことは関係がなかったのだ。こうして会って、話ができた。それだけで十分だった。
「――ン……ンン――♪」
 懐かしい、歌詞さえも思い出せない古い歌のメロディを口ずさみながら、メリーも歩き出す。蓮子が去った方と逆へ。己の家へ。
 空は闇。
 時は夜。
 歩けば歩くほど、辺りからは明かりが消えうせ、段々と暗くなっていく。
 メリーは歩く。
 マエリベリー・ハーンは、独り夜の中を歩く。
 かたん、とたん。
 ついてくるのは、自らの足音と影だけだ。
 影と。
 足音と。
 夜の闇を引き連れて、メリーは歩く。
 視界の端に公衆電話のボックスがあるのが見えた。また電話が鳴るのではないかと思ってしまったが、メリーが近づいても、電話ボックスは無機質な光を返すだけだった。
 かたん、とたん。
 静か過ぎる夜が、メリーの足音を際立てていた。
 自分自身に追われているような気がして――あるいは、公衆電話を通り過ぎたくて――からメリーは少しだけ足を速めようとし、
 その瞬間に――

 ――雨がきた。

 いきなりだった。
 何の前ぶれもなく――正確にいえば、空そのものが前触れだったけれども――豪雨がきた。雨と呼ぶのも生易しいほどの勢いで、滝のように水が落ちる。降る、というよりは、叩きつけると言うほどの雨。視界が一瞬で濁り、暗さが急激に増した。
 服どころか、下着まで瞬く間に濡れてしまう。
 足もとすら見えないような、雨の幕。
 その中で、電話ボックスの明かりが、鬼火のように浮かんで見えた。
 ――一瞬だけ、迷った。
「……背に腹は――」
 変えられないわね、と言って、メリーは電話ボックスの中に飛び込んだ。横開きの扉を開け、狭い個室の中に身を投げ込む。扉を閉めると同時に、横殴りの風が吹いて電話ボックスを揺らした。
 半透明のガラスに、雨が次から次へとぶつかる。 
 とはいえ――多少なりとも防音効果があるのか、閉めきった電話ボックスの中は少しばかり静かだった。雨の音が遠退いた気がして、メリーはガラス板に背を預けて一息ついた。
 外は暗く、中は明るい。
 安っぽい蛍光灯に照らされた電話ボックスの中は明るかった。ガラス一枚向こうは、もう何も見えないくらいに雨が降っている。濡れる濡れない以前の話で、こんな雨の中、無事に帰りつけるとはメリーには思えなかった。
 雷はなく、あくまでも外は――暗い。
 ――少しの間、雨宿りしていこう。
 メリーは自分の心にそう言い聞かせる。さいわい電話ボックスには壁の天井もあるから濡れることはない。降ってきたのが唐突なら、止むのも唐突だろう。最悪電話して誰かに傘を持ってきてもらえばいい。
 そう。
 それを口実に、蓮子に電話をしてもいい――メリーはそう思い、


 トゥルルルルルル、と。


 意識を掻き消す、電話の音が響いた。
「………………」
 メリーは何も言わない。
 メリーは何も言えない。
 視線を向けることすらできない。意識は凍結し、身体を動かそうにも、指一本とて動かなかった。その間にも、トゥルルルルルルルと電話の呼び出し音は鳴り続ける。
 雨の音すら、聞こえない。
 電話の音だけが、狭い電話ボックスの中に響く。
 固まった思考が明るい声で言う。何を驚くことがある、電話ボックスの中で電話の音が響くのは当然のことだろう、トイレで電話の音が鳴ったら怪奇だが、電話ボックスの中なら当たり前のことだ。
 そんな頭の悪い、楽観的な意見を、メリーの冷静な部分が一言で切り捨てる。
 ――かかってくることなんて無い。
 電話ボックスは、電話をかけるためのもので。
 その電話ボックスに電話がくることなど、あり得ないのだから。
「…………でも、たしか、番号とか、あったはずよね。登録番号とか――」
 溶け始めた意識が勝手にしゃべり出す。たしかに番号はある。公衆電話に電話をかけることだって、やろうと思えばできる。
 やろうと思えば、できる。
 なら――何をやろうと、思ったのだろう?
 そんな疑問がメリーの頭に浮かぶ。その間にも音は鳴り続ける。トゥルルルル、トゥルルルル、トゥルルルルルルルルルルルルルル――――――
 怖かった。
 かかるはずのない電話が怖くて、それ以上に、鳴りやまない電話が怖かった。
 そして――なによりも怖かった。
 もしこの呼び出し音が止まってしまえば、どうなるのかと。
 ――トゥルルルルル。
 その音に吸い込まれるように、メリーは音の発信源へと手を伸ばす。
 公衆電話の受話器を、手に取った。
 受話器を取った瞬間、当然のように呼び出し音は止まった。スピーカー部分から突然奇声が響く――などということはなかった。あくまでも、メリーが耳に運ぶまで、スピーカーは沈黙している。
 受話器を耳に当てるのが、怖くてたまらなかった。
 それでもメリーは、ふらふらと、ふらふらふらと、受話器を耳へと運び――


「私、メリーさん。今あなたの傍にいるの」


 マエリベリー・ハーンは、自分の口で、そう告げた。
「………………え?」
 今度の言葉は、自分の意志で出した。驚愕というよりは、ただの疑問符。
 分からなった。
 どうして自分の口が勝手に動いたのかとか。 
 どうして自分がこんなことを言ったのかとか。
 どうして。
 どうして――自分は、受話器を持った手と反対の手、左手で、自分の携帯電話を握っているのだろうとか。
『私、メリーさん。今あなたの傍にいるの』
 左右の耳に、どこかで聞いたような声が響く。電話越しに聞く自分の声は、自分の声とは思えなかった。
 右の耳につけた公衆電話の受話器から、そして、左の耳につけた携帯電話から、自分自身の声が届く。
「……どうして?」
 どうして――その一言にすべてをこめて、メリーは言う。
 わずかに遅れて、二つの電話から、『どうして?』と自分の声が響く。
 メリーは理解する。
 自分自身の携帯で、公衆電話に電話をかけたのだと。
 左手が勝手に動いて、公衆電話や自宅に――自分自身に電話をかけたのと。
 そして、それ以外のことは、何一つとしてわからなかった。
 そして、それ以上のことが、次の瞬間に起きた。
『さぁ――どうしてでしょう?』
 携帯電話と公衆電話、両方のスピーカーから、話してもいない自分自身の声が聞こえてきたのだ。口が勝手に動いたわけでもない。今度こそ、何も喋っていないのに――『メリーさん』の声が聞こえた。
 マエリベリー・ハーンの声が。
 あるいは――同じ声を持つ、誰かの声が。
 受話器の向こう、見知らぬ自分は、見知った誰かは、くすくすと笑った。両耳にそえた受話器から聞こえてくる笑い声が、今はどんな音よりも怖かった。
 もう、ガマンの限界だった。
 メリーはたまらず悲鳴をあげようとして、


「私はメリーさん。今、あなたなの」


 そう言って、マエリベリー・ハーンは、携帯電話の電源ボタンを押した。
 通話が途切れる。
 公衆電話から、ツー、ツー、という、聞き慣れた音が聞こえてくる。
 マエリベリー・ハーンは。
 マエリベリー・ハーンの姿をした、誰かは。
 マエリベリー・ハーンの姿をした、メリーさんは。
 くすりと笑って、右手を開いた。つかんでいた受話器が落ち、コードに引かれて上下に揺れた。くるくると回転しつつ、ツー、ツー、と垂れ流し続ける。
 メリーはポケットに携帯電話をしまい、普段のメリーからは想像もできないほど妖艶な笑みを浮かべて、電話ボックスの扉を開けた。
 外は雨。
 踊り出してしまいたくなるほどの、豪雨。
 メリーはどこからともなく、鮮やかな紫色の傘を取り出し、軽やかな足取りで電話ボックスから飛び出した。そのまま、振り返りもせずに、傘をくるくると回しながら去っていく。
 紫が遠ざかっていく。
 雨が強くなっていく。


 無人の電話ボックスで、受話器はいつまでも鳴いている。






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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


■作者からのメッセージ
こんこん、とノックして。
「入っていますよ」
と返事がきた。
さて。
中に入っているのは、誰だろう?
だがこの世に飢餓と貧困があるかぎり、博麗 霊夢は何度でも蘇るだろう。


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