1 昔々、あるところに――――――好奇心はウサギをも殺す。
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 それから、三百と余年が過ぎた。


        ◆


 鈴仙・優曇華院・イナバはもちろんウサギで、雌で、人の形をしていた。ただ一つ他のウサギたちと――永遠亭で暮らすウサギたちと――違うところがあるとすれば、彼女は月生まれであり、細長い耳を持ち、おまけに脱走兵だということだ。
 月のウサギが杵を振り下ろす先は臼ではない。彼女たちは一人残らず宇宙の戦士である。地球から三十八万キロ離れた月の果てで、野蛮な侵略者たる地球生まれの人間たちと杵を持って戦う、過酷な宇宙の戦士なのだ。アームストロング船長が旗を突き刺した瞬間から始まった戦争は、今もなお終わる気配を見せずに続いている。地球人が月のすべてを征服し、月のウサギを根絶やしにするまで。その果てに人類が自滅し、月に誰もいなくなる瞬間まで、戦いは続くのだ――
 などということは、幻想郷の片隅、永遠亭に住まうウサギたちにとっては、もはや何の関係もないおとぎ話だった。博麗大結界により月と永別したことを知ってしまえば、それこそ遠いお空のおとぎ話、後に残るは宴会だった。
 まぁ、無理もないのだ。
 いつ来るかいつ来るかと待ち続けて約千年。その間外に出ることは叶わず、竹林の中でひっそりと暮らすしかできなかった。いくら使者を撃退したとはいえ、輝夜と永琳はお尋ね者の罪状持ちであることには変わりなく、姿を現せば幾度となく追討劇を繰り広げることは眼に見えていた。
 当然――ヒマなことこの上ない。
 千年前はよかったと輝夜は思う。贅沢な暮らしに優しい義父母。寄って集った美男どもに難題を押し付けて楽しみ、墜落した先の地球で人生を謳歌していた。
 が、それも使者に見つかるまで。
 それ以来、妹紅とのいざこざを除けば、暇なことこの上ない千年だった。
 そんな折に現れた、宇宙からの脱走兵・レイセンは、ある意味で好ましい来客だった。輝夜と永琳は彼女を快く迎え入れた。
 そして、レイセンは、鈴仙・優曇華院・イナバと名を変えた。
 そして、三十と余年が過ぎた。
 そして――


 ――永夜の騒ぎが始まった。


「……終わってみれば、呆気のないものだったわねぇ……」
 永遠亭の最奥。畳の上で居住まいを崩し、楽な姿勢で杯を傾けている。淡く透けた液体に映るのは、窓から差し込む欠けた月。月の欠片の沈む酒を、輝夜は静かに味わった。
「どのようなものでも――終わってみれば、そういうものですよ」
 相槌をうつのは、彼女の従者たる八意 永琳だ。主と違って姿勢を正し、手からとっくりを放そうとしない。輝夜が杯を開けるたびに注ぎ足すので、永琳自身はほとんど飲んでいない。
「終わるまでが大変なのですよ」
 言って、永琳は更に酒を注いだ。輝夜はそれを啜ることなく、底に映る月を見ながら、
「その点私たちは楽ね……終わらないもの」
 そう呟いて、顔をあげた。
 小さな部屋は静かだった。いつもは騒がしいウサギたちは、この奥までは寄ってこない。つい先日奥まで辿り着いた珍妙な闖入者がいたけれど、今は影も形もない。夜が終わると同時に、それぞれの生活に戻ってしまった。輝夜や鈴仙にとっては一生事の事件でも、彼女たちにとっては、『たまに起きる大事件』程度でしかないのだろう。
 月差し込む部屋に賑やかさはない。あるのはただ、静かな宴会と、少女の喋り声だけだ。
 部屋にいるのは四人。
 蓬莱山 輝夜と、八意 永琳。
 そして、鈴仙・優曇華院・イナバと、因幡 てゐだ。
 もっとも、てゐは早々に酔い潰れて隅で転がっている。てゐのことだからひょっとすると嘘寝かもしれないが、誰も確かめようとはしなかった。
 ただただ、静かに酒を飲む。
 終わってしまった事件を思い返しながら。
「貴女はどう思う、鈴仙?」
 両手で杯を抱え、ちびちびと、舐めるように酒を飲む鈴仙に声をかける。いきなり話を振られたことに鈴仙は驚いて顔を上げる。
「どう――ですか?」
「そう。今回の事件は、貴女が中心だったんだから」
 面白がるような輝夜の言葉に、鈴仙は慌てた。中心、とは言われても、いまいち実感がない。たしかに事件の発端は自分自身だったものの、結局のところ、永夜の事件の真ん中にいたのは、輝夜と永琳だった気がする。
 自分としては――三十数年前に、自分の事件は終わったようなものだと、鈴仙は思う。
 あの日、月から逃げてきた自分を匿ってくれたあの日に、自分自身の事件は終わっているのだ。永遠亭にこもり続けた日々は、何もなかったとはいえ――その何もなさが、穏やかな日々が、鈴仙にとっては何事にも変えがたいものだった。
 死の心配がない日々。
 穏やかな日々。
 だから――幸せだった。
 永遠亭で過ごした日々は、鈴仙にとっては、幸せ過ぎるほどに幸せだったのだ。
 そんな折に起きた事件は――
「……確かに、あっけなかった気もします」鈴仙はそこで少し考えこみ、「いえ――あっという間だった、ですね」
「そうね。考えてみれば『一晩』だもの」
「長い――永い夜でしたけれどね」
 そう言って、鈴仙と輝夜は顔を見合わせて笑った。追従するように永琳も微笑を浮かべ、自分の杯に酒を仄かに注ぎ足した。
 外は無風。開け放たれた窓からは、夜の音すら届いてこない。
 あるのはただ、三十八万キロの真空を隔てた、遠い故郷の光だけだ。
「夜は明けるものですから――時間がかかったとしても」
 永琳が月を見ながら、落ち着いた声で言う。
 声に哀愁の響きが含まれていたかどうかは、本人にすら分からないことだ。
「私の夜は明けるのかしら?」
 輝夜は笑い、
「あるいは――あの子の夜は?」
 あの子。
 それが誰のことを指すのか、鈴仙には分かっていた。遠い昔、『おつかい』にいった先で会ったことがある。遠い昔、輝夜がこの地球に来たときからの因縁の相手。蓬莱の薬を飲むことで、永遠の時間を得てしまった少女。
 ――藤原 妹紅。
 その少女のことを口にした輝夜の顔には、はっきりと懐かしさがこもっていた。
 きっと、自分には想像もできないような、複雑な感情がそこにはあるのだろう――と鈴仙は思う。
 永遠を共に生きる相手というのは。
「明けてもまた来るものでしょう――夜というものは」
「リザレクション……生と死、ね。繰り返し繰り返す。月が沈んでも、また昇るように、ね」
 永琳の言葉に、ふんと笑って輝夜は答えた。繰り返すことで、結果的にいつまでも続く――二人はそう言っているのだ。
 ただ。
 ただ――鈴仙には、そうは、思えなかった。
 いや、思えなかったのではない。思いついてしまったのだ。
 思い出して、しまったのだ。
「そうでしょうか――」
「え?」
 意外なところから出てきた反論の言葉に、輝夜が首を傾げた。鈴仙は構わず、
「沈んでも――本当に、また昇ってくるんでしょうか」
「…………」
「…………」
 その言葉に、輝夜と永琳は顔を見合わせた。突如として語り出した鈴仙の意図が判然としなかったからだ。
 鈴仙は、何かに憑かれたかのように、杯にうつる偽の月を凝視する。
「人は、人間は、月まできました。その人間が――いつか月のウサギを滅ぼして、最後には月まで壊してしまわないと、どうして言えるんでしょうか――」
 憑かれたように――けれど、何に憑かれたというのか。
 月の狂気か。
 月に置き去りにしてきたものたちの怨念か。
 それとも――水面に映る己の瞳にか。
 それすらも分からずに、鈴仙の言葉は迷走を続ける。
「月が昇ってくることなんてなくて、ぜんぶ、ぜんぶ無くなってしまって、私たちは――」
 止まりどころを失いかけた鈴仙の言葉を。
「――レイセン」
 輝夜が、快活な声で遮った。
 懐かしい発音での名前を呼ばれ、鈴仙は急激に我に返った。
「……っ! すいません、私、」
 鈴仙は慌てて顔を上げる。今、自分で言ったことは、ある意味では失礼な言葉だった。
 永遠を生きる、永遠亭の主を前にしては。
 けれども、その言葉をけらけらと笑い飛ばすかのように、輝夜は微笑んでいた。常よりも優しい声で彼女は言う。
「鈴仙・優曇華院・イナバ。貴女の心配は分かるわ。永遠ならざる貴女の――貴女たちの不安は」
 貴女の。
 貴女たちの。
 永遠を得ることのできなかった者たちの。
 有限を捨てることをしなかった者たちの。
 彼女たちの不安を、そして、輝夜にとっては恋焦がれるものを。
 いつかは終わってしまうのではないかという、誰しもが思い悩み、そして輝夜が悩めなくなってしまった事。
 それが怖いと、鈴仙は言う。
 それが分かると、輝夜は言う。
「月の不安はなくなった――けれど、貴女の不安はなくならない。ならば私は、永遠亭の主として、客人から家族へとなった貴女へ――」
 そこで言葉を切り、輝夜は。
 永遠を生きる罪人、蓬莱山 輝夜は。
 笑って。


「貴方に永遠を生きる覚悟があるのなら――」


 笑って――告げた。
 

「これをあげるわ」
 言葉と共に、いつのまにか輝夜の手には、一振りの枝が握られていた。いくつもの輝かしい玉がついたその枝に、鈴仙は見覚えがあった。つい先日、侵入者相手に使った輝夜の持つ秘宝。五つの難題の一つ。
 それの名を、鈴仙は半ば無意識に口にした。
「……蓬莱の玉の枝」
「そう、その通りよ」
 言葉を吐く輝夜は、あくまでも笑っている。
 けれど――隣に座る、従者の永琳は別だった。穏やかだった相好を崩し、慌てた声で、
「姫、それは――!」
「黙って」
 従者の制止を、輝夜は一言で切り伏せた。
「永琳。今はね、私が喋っているの」
「…………」
 その言葉に、永琳はぐっと言葉に詰まる。
 彼女にとって――輝夜の言葉は絶対だ。輝夜のために月の従者を追い払い、輝夜のために蓬莱の薬を作り、輝夜とともに地球へと堕ちた。そんな永琳に、輝夜の言葉を止められるはずがなかった。
 鈴仙には、輝夜が何を言おうとしているのか分からない。
 けれども――輝夜が何を言おうとしているのか、永琳が分かっていることだけは、鈴仙にも分かった。
 この永遠亭の頭脳と呼ばれる永琳は、輝夜の意図を正確に察し――察した上で、止めようとしたのだろう。
 つまり、今から輝夜が言おうとしていることは、永琳にしてみれば止めるべき何かなのだ。
 不安はあった。
 けれど、好奇心が勝った。何よりも、輝夜が家族と呼んでくれたことが、嬉しくて仕方がなかった。帰る家を得れたことは、帰る家を失った鈴仙にとっては、何よりも望むことだったから。
 輝夜は笑って頷き、
「そう、蓬莱の玉の枝。そしてこれが――蓬莱の、玉」
 言って、輝夜は何事でもないかのように、無造作に枝についた玉をもぎ取った。鈴仙は、その行為そのものよりも、玉が取れるという事実の方に驚いてしまう。
 取れた玉は、赤い玉。
 血のように。
 鈴仙の瞳のように――赤い赤い、綺麗な蓬莱の玉。
 それを、輝夜は笑ったまま鈴仙へと差し出した。
「……これは……」 
「夢色の郷。貴女の不安を解消するもの」
 輝夜の言葉を意識半分に聞きながら、鈴仙は差し出された玉を受け取る。
 ――熱い。
 指先が触れた一瞬だけ、そう感じて、手を離しそうになった。
 思わず引きそうになる指を堪えて、玉をしっかりと受け取る。今度は熱くはなかった。むしろ、石固有の心地良い冷たさがあった。
 もっとも――それが石なのか、金属なのか、あるいはそれ以外の何なのかは、触っただけでは判別がつかなかった。
 玉を掲げて見てみる。赤い玉は、当然ながらどこから見ても赤かった。見る角度、見る瞬間によって、その赤さを変える不思議な色合いではあったが、赤から変わることはない。ガラス球みたいだ、と鈴仙は思うが、ガラス細工と違って、反対側がすけたりはしない。手の平サイズのそれの中がどうなっているのか、鈴仙の瞳をもってしても見えなかった。
 不思議な玉に感嘆の吐息を漏らす鈴仙を、二人は黙ってみている。
 輝夜は楽しそうに。
 永琳は、先の動揺を完全に押し隠して、微笑み。
 蓬莱の玉を見る鈴仙は、そんな二人の様子に気付くことはない。蓬莱の玉を、大切そうに握りしめた。
 その鈴仙に対し、輝夜はどこか優しげな笑みと共に、告げた。
「幸せな永遠を得たくなったら、その玉を開きなさいな」
「開く……ですか?」
 鈴仙は首を傾げる。
 玉を、開く。
 球形の箱――ということなのだろうか。
 もう一度、それを意識して蓬莱の玉を見る。赤い玉は完全な球形で、どこにも開けられそうな継ぎ目などなかった。
「ひょっとして、壊すんですか?」
 恐る恐る問う鈴仙に、輝夜は笑み、
「その時がくれば、分かるわよ」
 それで話はおしまい、とばかりに、枝を脇に置いて杯を手にとった。そのまま、ひと口で空にしてしまう。美味しそうに息を吐き、輝夜は空に輝く月を見上げる。
「満月ほどではないけれど――月が綺麗ね」
 永琳が、「そうですね、姫」と頷き、輝夜の杯に酒を注ぎ足した。
 言葉が切れ、沈黙が落ちた。
 鈴仙は静かに、輝夜と同じように月を見上げた。少しばかり欠けた月は、今を生きる者たちが忘れてしまった本物の月だ。
 あの果てに――捨ててきた故郷が、捨ててきた仲間がいる。
 いつかは、消えて失われるはずの仲間たちが。
 輝夜が顔を降ろし、鈴仙の横顔を見ながら酒を啜る。その間も、鈴仙は一心に月を見上げている。
 手には、狂った満月のように――赤く丸い蓬莱の玉。
 宝物のように固く握りしめて、鈴仙は、いつまでも月を見上げていた。



        ◆



 それから、色々なことが起きた。


 季節が移り変わるのは早く、時は矢のように通り過ぎていく。川の流れのように、けっして逆流することはなく、ゆっくりと姿を変えながら、時は進み続ける。
 時の止まったかのような幻想郷においても、それは例外ではない。

 春がきた。
 桜が花を咲かせた。白玉楼の大桜は沈黙していたけれど、宴会は幾日も続いた。

 夏がきた。
 異常干ばつという事件が起きた。巫女や魔法使いと協力して事件を解決した。

 秋がきた。
 冷え込んできたせいでてゐが風邪をひいた。手をつないで一緒に眠った。

 冬がきた。
 永遠亭の皆と、家族のようにコタツに入った。鍋が熱いて、舌を火傷した。
 食べながら涙を流して、カラシが入っていたからだと誤魔化した。

 本当は、皆と過ごせる時間が、嬉しいと想ったからだ。

 春がくる。花が芽吹く。
 夏がくる。木が伸びる。
 秋がくる。実が肥ゆる。
 冬がくる。眠りにつく。
 また春がきて――

 その繰り返し。
 長い長い時間を、永遠には短すぎる時間を、須臾には永すぎる時間を、皆と過ごした。 
 永遠亭の皆と。
 幻想郷の皆と。
 繰り返す四季の中を、永遠に続くかのような日々を、穏やかに鈴仙は生きた。
 新聞屋のカラス天狗と揉め事があった。自我を持つ人形が友人になった。閻魔に説教を受けて自分の罪を垣間見た。巫女と茶を呑み、魔法使いと野をかけ、庭師の治療をした。多くの者と知り合い、多くの物と触れ合い、多くのことを知った。限りあるはずの幻想郷も、鈴仙にとっては限りなく広い世界だった。
 楽しかった。
 幸せだった。
 辛いことや悲しいことがっても――それすらも、いい思い出となった。


 四季を生き。
 時を重ね。
 永遠のような幸せを、鈴仙は得た。



 色々なことがあった。
 本当に、色々なことがあったのだ。



 ――そして、終わりは当然のようにやってきた。



          ◆



 そして今、鈴仙・優曇華院・イナバは、一人きりで長い長い廊下を歩いている。
 一人きり、だ。
 他には誰もいない。
 誰一人として、傍にはいない。
「…………」
 無言のまま鈴仙は歩く。話し方など、もう忘れてしまった。いつから喋っていないのか、それすら思い出せない。正直なところ、自分が言葉を覚えているのかどうかさえ鈴仙は怪しかった。
 が、それでも何も問題はなかった。
 話し相手がいなければ、口をきく必要はない。一時期は狂ったように独り言を呟く癖があったが、それも遠い昔の話だ。
 黙って、廊下を歩く。ぎしぎしとなる足音が耳障りで、長い耳を根元から引き抜いてしまいたくなる。気力さえあれば、鈴仙は本当にそうしていただろう。
 実際は、指一本動かす気力もなかった。
 半ばゾンビのような動作で鈴仙は歩く。右足を出す、倒れそうになり左足を出す、倒れそうになり右足を出す――その繰り返し。のろのろとした動作で、一歩、また一歩と永遠亭の奥を目指す。
 目的地は、長い廊下の先、小さな畳部屋だ。
 いつの日だったか――はるか昔に、輝夜と、永琳と、てゐと、四人で酒を飲んだ部屋。普通のウサギたちが近寄らない最奥。
 本当の月が見える場所。
 そこを、鈴仙は目指している。
 ぎし、ぎしと板床が鳴る。それ以外には何の音もない。あれほどまでに賑やかだったウサギたちの声は、霞のように消えていた。
 微かに残った理性が、鈴仙の頭の中で嘆いている。
 ――声なんてするわけがない、ウサギなんて、もう一匹もいないんだから。ウサギどころか、もう、永遠亭には誰一人として――
 理性の声を、無理やり叩きつぶした。
 何も考えたくなかった。歩くことだけを考えて鈴仙は進む。
 長い廊下を、日にちが変わるほど遅い速度で歩いた。ウサギどころか、亀よりも遅い足取りで、それでもどうにか鈴仙は部屋に辿り着く。
 部屋の前に立ち、閉まりきった襖戸に手をかける。
 ほんの少し。
 ほんの少しだけ――期待した。
 無駄な期待と知りながらも、否定する勇気もなく、鈴仙は扉をゆっくりと開いた。
 中には――

「――――」

 中には、誰もいなかった。
 当然だ――そう思っても尚、鈴仙の心に深い澱が溜まってく。
 部屋の中は、何も変わりがなかった。
 あの日、共に酒を飲んだときから。
 あの日、蓬莱の玉を貰ったときから。
 そして。
 蓬莱山 輝夜と藤原 妹紅が殺し合いの果てに失踪し――後を追うようにして、永琳がいなくなったその時から、部屋は何一つとして変わっていなかった。
「…………」
 数十年が過ぎてもなお埃一つ落ちていない部屋を前にして、鈴仙は何もいえなかった。ただ、疲れ果て、充血した瞳で畳に目をやった。
 空の杯が、出来の悪いジョークのように転がっていた。
 案の定、輝夜と、永琳はいない。
 そのことを、鈴仙は知っていた。
 それだけではない。博麗 霊夢が死んだことも。霧雨 魔理沙が死んだことも。十六夜 十六夜 咲夜が死んだことも。すべて鈴仙は死んできた。すべて、その目で見てきた。懐かしい古き友人たちが死んでいくところを。年をとらない妖怪は、黙ってその死を見届けてきた。
 力の弱い妖怪が消えていくところを。疎遠になった妖夢がどうなったのかは風の噂でしか知らない。鬼は去り、天狗は顔を見せない。人形は壊れる。
 そして、同じ数だけ、新しい顔が幻想郷にはいる。
 世代交代だと、鈴仙には分かっていた。古い時間は死に、新しい時間が生まれる。月が沈み、また昇るように。
 けれど、沈んだ月と、昇る月は同じものではないと、鈴仙は思うのだ。
 鈴仙は思う。
 いなくなってしまった友人たちを想いながら、鈴仙は思う。

 ――私は置いていかれたのだ。

 友人に。家族に。幻想郷に。そして、月に戻ることすらできずに、誰もいなくなった永遠亭で、一人寿命を待っている。
 それが、月の仲間たちを置いてきた、自分への罰なのだ――鈴仙はそう思う。
 それでも、悲しかった。
 涙はとうに枯れ果てていたけれど、それでも泣きたくなるくらいに悲しかった。
 幸せな日は――永遠に続くと思ったのに。
 そして、もうどうしようもないほどに追い詰められて、ようやく――鈴仙は思い出したのだ。
 今、鈴仙の目の前に――畳の上にぽつんと転がる、蓬莱の玉の存在を。
 時がくれば分かるわよ、と輝夜は言った。その言葉は正しかった。鈴仙が、いくら開こうと努力しても、けっして玉はその中身を晒そうとはしなかった。誰もがいなくなったことで狂気に陥った鈴仙は、ありとあらゆる手で砕こうとしたが、玉には皹一つ入らなかった。そしていつしか、その存在を忘れていた。
 そして、さらに数え切れないほどの時間が経ち――昨晩、急に頭に浮かんできたのだ
 空に浮かぶ満月を見て。
 あの赤く染まった玉の存在が。
 ――今なら開く、と鈴仙は理由もなく確信していた。欠けて落ちてきた月の欠片が、忘れていた記憶を思い出させてくれたのかもしれない。
 そして今、鈴仙の手には、赤い球体があった。
 あの日から、いったいどれくらいの時間が経っているのか、鈴仙には分からなかった。重ねた時間など、もはや何の意味もなかった。
 頭にあるのは、輝夜に言われた言葉だけだ。
 ――幸せな永遠を得たくなったら、その玉を開きなさいな。
 輝夜はかつて、そう言った。
 開くか開かないかすら、今の鈴仙にはどうでもよかった。開けば幸せになれるだろうと思う。そして、開かなければその瞬間に自分は力尽きるだろうと、そう思ったからだ。
 どちらにせよ、お終いは訪れる。
 終わりは、鈴仙にとっては、もはや希望だった。
「――――」
 口から吐息を漏らしながら、鈴仙は蓬莱の玉の表面を撫でる。
 その瞬間――パキン、と。
 小さな音をたてて、玉の表面がわずかに欠けた。針の穴が通りそうなほどの、小さな穴が、何をしても傷がつかなかった玉に開いた。
 箱が開いたのだと、そう分かった。
 鈴仙は、ふらふらと、何かに憑かれたかのような眼差しで。
 赤い赤いその眼差しで――玉の中を、ゆっくりと覗き込む。
 その瞬間、どこかからか、声を聞いた気がした。その声が輝夜のものであると、その声が忠告であることを思い出せずに、鈴仙は意識の総てを瞳に注ぎ、
 

「貴方に永遠を生きる覚悟があるのなら――」



 そして、それを見た。



 蓬莱の玉の中に存在した――――――自分自身の、姿を。自分と、輝夜と、永琳と、てゐと、四人で酒を飲んでいる、その姿を――――――鈴仙は、見た。
 箱の中の自分は、赤い月を――――自分の瞳を、見上げていた。



 
        ◆




「月の不安はなくなった――けれど、貴女の不安はなくならない。ならば私は、永遠亭の主として、客人から家族へとなった貴女へ――」
 その言葉に、鈴仙・優曇華院・イナバは顔をあげた。
 すぐ目の前に、輝夜がいた。その隣には永琳がいる。そのさらに奥には、酔い潰れて寝ているてゐの姿。
 つい先ほどまでと、何ら変わりの無い姿。
 その、変わりが無いはずの姿に――何故か、ひどく安堵している自分がいることに、鈴仙はついぞ気付かなかった。
 その鈴仙を見て、輝夜は。
 永遠を生きる罪人、蓬莱山 輝夜は、笑う。
 鈴仙自身ですら理解しえないことを理解しているかのように、酷く酷く酷く歪んだ笑みを、輝夜はその顔に浮かべている。
 その意味を、鈴仙は知らない。
 その意味を知るのは、これから千年も後のことなのだから。そして、知った瞬間には――総て忘れて、幸せを得ているだろう。
 幸せな永遠を、繰り返すのだろう。
 だからこそ、輝夜は――

「貴方に永遠を生きる覚悟があるのなら――」


 笑って――告げた。
 

「これをあげるわ」


 差し出したのは、赤い赤い蓬莱の枝の玉。


 血のように赤い、狂った月が、それを見ていた。






(.......END)



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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


■作者からのメッセージ

 箱の中はまた箱――
 輝夜姫とみせかけて、玉手箱の話だと見せかけながら、その実は箱庭の話でした。
 繰り返しもまた永遠。
 お終いは訪れることなく、始まりすら忘れて、永遠は続きます。
 ある意味では――総てに置いていかれていますけれども、幸せなことには変わりなく。
 宇宙人はすべて知っててソレをしたはずであり。
 脱走兵はたとえソレに気付いても、箱を覗くことは止めないでしょう。
だがこの世に飢餓と貧困があるかぎり、博麗 霊夢は何度でも蘇るだろう。


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