1 そしてまた穴を掘る
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 穴だ。穴を掘らなければいけない。
 ざくりざくりと、鉄器を土へと突き刺すたびに嫌らしい音がする。小石を多く含んでいるのか、がちりがちりと、耳障りな音も混じる。がちり。ざくり。耳をふさいでしまいたくなる。土は固くて、両手で鉄器を握らねば掘り進むことができない。故に、穴を掘る間は耳を塞ぐことができなかった。耳をふさげば、穴を掘ることができない。真に不愉快だ。穴を掘り続ける限り、この耳障りな音を聞き続けなければならないのだ。
 ざくり。がちり。
 音は意識しなければ雑音でしかない。気にしなければ良いのだ。少なくとも、腕を止める理由にはならない。両手で鉄器を振り上げ、土へと突き入れる。その瞬間はあまり力を必要としない。力を必要とするのは、むしろ突き入れた鉄器を戻し、土を取り除く時だ。突き込む時は、感情の向くままに行えばいい。
 そう、それは例えば。
 今、穴の側に横たわる――アリス・マーガトロイドを突き刺したときのように。
 地に伏したアリスは動かない。金の髪も、白い肌も汚れ切っていた。土で。砂で。そして血液で。空のように青かったはずの服は、薄暗い紫へと変わっていた。首の傷口から漏れ出た血が、服を、肌を、汚していったのだ。
 鉄器がつけた傷は、常人ならば目をそらしたくなるほどの有様だった。傷が深すぎて、頭がとれかかっている。死して時間が経ちすぎたのか、既に血は止まっている。醜い断面の中に、白い骨が微かに覗いていた。
 無論、動かない。
 動きようがない。完膚なきまでに、アリスは死んでいた。
 ざくり。がちり。死体に構うことなく、一心不乱に掘り続ける。いや、乱れてはいるのだろう。狂ってはいるのだろう。そうでなければ、ここまで死体を無視して掘り続けることなどできないだろうから。

「――――」

 穴は広く、深い。それでもまだ足りぬとばかりに腕を動かす。振り上げた拍子に土が飛び、アリスのそれと同じ色の髪に汚れがつくが気にすらしない。服が汚れようと、体が汚れようと、手を止める理由にはならない。それどころか、尚強く力を込めて掘り続ける。
 足りない。
 まだ足りない。
 穴は深くなければならない。死体を埋めるのだから。誰にも見つからないように。掘り起こすことがないように。二度と戻ってこられないように。埋められたアリスが、何かの間違いで戻ってこられないように。たとえ息を吹き返したとしても、穴から出ることのないように。
 深く、深く、穴を掘る。
 ざくり。がちり。
 戻ってこられては困るのだ。既に、世界にアリスの居場所はない。いてもらっては困る。だから殺した。あってもらっては困る。だから埋める。
 戻ってこられないように。誰にも気づかれないように。深く、深く、穴を掘る。

 月が一つ傾いた。

 どれほどの時間掘り続けていたのかわからなかった。気付けば、穴は望んでいたものよりもずっと深くなっていた。井戸と呼ぶには誇張が過ぎるが、アリスの死体を縦に埋めたところでなお余裕があるほどの深さはあった。
 単純作業は麻薬的だ。繰り返し繰り返し繰り返す作業は中毒性を伴う。ここまで掘ってしまったのは、そのせいもあるのだろう。底はもはや月の光すら届かない。
 身体に疲れはなく、奇妙な達成感だけがあった。
 否――まだ達成はしていないのだ。穴を掘ることは目的のための手段でしかなく、穴に埋めることこそが目的なのだから。目的を達成するまでは過程でしかない。掘り、埋め、土を被せる。そこまでやってようやく、『達成』したといえるのだから。
 鉄器を脇に突き刺す。もはや掘る必要はない。扱うとすれば、こんもりと山になった土を覆い被せるときだけだ。
 空いた両手でアリスの身体をつかむ。ぐにゃりと、歪な感触があった。奇妙に柔らかい肉の感触。弾力だけがあって反応がない。生きていない肉というのは、触っただけでもわかるらしい。行動に対して反応が返ってこなければ、それはもう物としかいいようがない。
 死体は物だ。そこには尊厳も畏敬もなかった。持ちやすそうな足をつかみ、地面の上を引きずる。変に力がかかり、足の関節がありえない方向に曲がった。骨が折れたのかもしれない。
 いっそ折りたたんでしまえば深く埋められるのだろうが、そこまでやる気はなかった。
 穴までアリスを引きずり、放り込む。縁にぶつかって、取れかけていた頭が身体から外れた。折り重なるように、折りたたむように、手足が曲がりながらアリスが底へと落ちていく。その上に、漬物石のように頭が落ちた。
 偶然か、あるいは運命か。落ちた頭は、空を見ていた。
 頭上に浮かぶ月と、月の下で、アリスを見下ろす顔を。

 生首となったその顔と――同じ顔を、アリスは見上げていた。

 生きたアリスの顔が、死んだアリスの顔を見つめて笑みを浮かべた。満足げな、幸福そうな笑みだった。人形がこれほどの笑みを浮かべられることを知れば、アリス・マーガトロイドはさぞかし驚いただろう。
 しかし、今のアリスは何を見れる状態にもないし――何よりも、今は、人形こそがアリスなのだから。
 いては困るから殺すのだ。あっては困るから埋めるのだ。
 同じ人間が、二つあってはおかしいのだ。困るのだ。間違っているのだ。
 だから人形はアリスを殺してアリスになった。それこそがアリスの望んでいることだと思ったからだ。人形を作る少女が、自分そのものの人形を作った。魔法使いの性。出来ることはやって見なければ気がすまないという知識という名の呪い。アリスは人間そのもの人形を作り、人形はその存在意義に則ってアリスを殺した。
 そして、アリスになった。
 人形は思う。ひょっとすると、アリスは、それを望んでいたのかもしれないと。いや――殺されるときの風景を思い出せば、そんなことは決してありえないのだろうけれど、まさか知らなかったということはないだろう。その可能性を許容してしまった時点で、こうなることは運命だったのかもしれない。
 などということを人形は思ったが、特に感慨はなかった。思うだけだ。もはや自分がアリスであると自覚している以上、穴の中にあるのは肉塊にすぎない。ようやく終わったのだ、と、その程度の達成感はあるが、それ以上でも以下でもない。
 アリス・マーガトロイドは穴に埋まり。
 埋める人形は生きていく。新しいアリス・マーガトロイドとして。何も変わらない。世界に対しての変化は何一つとしてない。明日の朝目覚めればアリス・マーガトロイドとしての生活が始まる。幻想郷はいつもと変わらぬ日々を迎えるのだ。
 全ては、土を被せるだけで終わるのだ。
 アリス・マーガトロイドは踵を返し、先ほど突き刺した鉄器を抜き取る。穴の側にこんもりと山になった土を、肉塊の上に落としていく。肉塊の分だけ盛り上がる土を、力づくで押し込んでいく。跡形もなく。跡も形もなく。影も姿もなく。アリスだったものを、アリスは埋めていく。鉄器が動く。ざくりともがちりともいわない。黙々と。淡々と。
 そうして穴が埋まっていく。

 月が一つ傾いて。

 穴は――なくなった。
 そこに穴はなかった。深く深く掘り進めた穴は、もはや穴ではなかった。ただの地面だった。その下に何が埋まっているかなど関係ない。穴は穴だったものになった。アリスがアリスだったものになったように。
 それでも世界は変わらない。
 季節が変われば栄養を受けた土は草花を咲かすだろうし、それをアリスは気まぐれで摘むのだろう。
 ただそれだけのことだ。
 アリスは満足げに笑い、穴だったモノを置いて家へと戻った。鉄器を壁に立てかける。全てが終わってしまったせいか、深い疲れが身体を満たしていた。手も足も動かしたくない。
 死人のようにベッドに倒れ伏せ、アリスはそのまま眠りについた。泥のような眠りだった。夢さえも見ない。アリスは、生まれてはじめての夜を、静かに過ごした。

 月が幾つも傾いて、陽が昇ってきた。

 アリスは目を覚まし、身体を起こす。
 瞼を開けると、目の前にいたアリス・マーガトロイドの姿をした何者かが、自身の咽喉へと鉄器を突き刺そうと繰り出してくるのが見えた。
 アリスは笑っていた。
 笑っているのが自分なのか人形なのか、アリスには分からなかった。
 仕方がない。
 そもそも、誰がアリスなのかすら分からないのだから。



 そしてまた穴を掘る。









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だがこの世に飢餓と貧困があるかぎり、博麗 霊夢は何度でも蘇るだろう。


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