1 | 八雲 紫が最強である101の理由 |
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00 | ――今日も幻想郷は平和だった。 「暇だぜ」 と、いつものように霧雨 魔理沙が呟いた。人間の不幸はヒトトコロにじっとしていられないところから始まるというが、魔理沙の場合とくにそれが顕著だった。両足が言葉どおり、暇そうにぷらぷらと揺れている。博麗神社の裏、縁側の下にたまった夏の空気が魔理沙の脚にかき混ぜられる。全身という全身を使って暇を主張していた。 うるさいほどにセミが鳴いていた。 空を見上げれば黄色い太陽。もっとも、太陽が真上に来ているため、縁側に座る魔理沙の位置からでは見ることができなかった。 「暇ならどこかに行けばいいじゃない」 縁側よりもさらに奥、畳の上にだらしなく座った霊夢が呟き返した。厳しい残暑に勝てないのか、気だるそうな表情で団扇を仰いでいる。 セミの声にあわせるように、風鈴が風に揺れた。 ちりん、と澄んだ音が博麗神社の中に響く。 「暇だから『どこか』に来たんだぜ」 よっ、と座ったまま、魔理沙が上体を倒した。板床に背をつけ、逆さになった視界で霊夢を見る。金の髪が床に広がり、風が一房触りぬけていった。 セミは鳴き続ける。 それ以外に、音はない。幻想郷の中心とはいえ、静かなものだった――とはいえ、セミの声が十分に煩いので、特に静かだとは思えないのだが。 妖怪の寄る神社、という噂のたつ博麗神社には、普段から人が集まらない。当然賽銭の類もまったく入らないわけで、魔理沙は時折霊夢がどうやって生きているのか不思議に思ってしまう。 霊夢のことだから特に問題もないだろう、とは思うものの、果たしてここが本当に神社なのかどうか、魔理沙は疑問に思ってしまう。 もっとも、そのおかげでこうして遠慮なくくつろげるわけだから、魔理沙からしてみれば嬉しいことだった。もし連日連夜人で賑わうような神社だったら、今日のように何の理由もなく箒で乗りつけることはできないだろう。 「『どこか』に行きなさいよ。ここじゃなくて」 そう言って、霊夢は、「言っとくけど茶菓子なんて出ないわよ」と付け加えた。 茶菓子どころか茶すらでないじゃないか――と魔理沙は言いかけて口を噤んだ。下手に口を出せば、菓子や茶が出る以前に弾幕が飛んでくる。 負ける気はないが、簡単に勝てるとも思っていない。 とくにこんな暑い昼間に――夜ならばともかく――弾幕遊びをする気になどなれなかった。 炎天下の中で弾幕あそびをした挙げ句、熱中症で倒れるのはチルノだけで十分だ。 「……チルノとか何してるのかね」 頭に涼しそうな姿を思い浮かべながら、気だるい口調で魔理沙が言う。 団扇を仰ぎながら霊夢が平然と、 「溶けてるんじゃないの?」 「…………」 あんまりな答えに魔理沙が沈黙し、霊夢も何事もなかったかのように沈黙した。 ――ということは、今の本気で言ったわけだ。 心中で納得し、魔理沙はふぅ、とため息を吐いた。肺の中に溜まっていた熱い空気が暑い外へと逃げていく。吸い込んだ酸素が暑いことに嫌気がさす。夏だから仕方ないと言えば仕方ないが、仕方ないで済ませられるような暑さではなかった。 風鈴が鳴る。遅れて生ぬるい風が魔理沙の頬を撫でていった。 風に乗るようにして、セミの大合唱が始まる。不意に落ちた会話の沈黙にセミの鳴き声が滑り込む。 みぃん、と夏の声。 聞いているだけで暑くなる――そして、嫌でも夏ということを自覚させられる、セミたちの叫び。 「セミくらいに一生懸命生きたら?」 皮肉げに霊夢が言った。暑いせいか、いつもほど言葉に切れがない。どこか投げやりな、投げ捨てるような声色だった。 それと同じような声で魔理沙も答える。 「太く長くが私のモットーだぜ」 「マスタースパークみたいな人生ね」 「エンシェントデューパーみたいな人生よりはマシだな」 「どんな人生よ、それ……」 「ナイトバードな人生も嫌だぜ」 「だからどんな人生よ」 魔理沙は霊夢を見たままにやりと笑い、 「『お先真っ暗』」 「…………はぁ」 魔理沙のジョークに、霊夢は心底くだらなさそうに嘆息した。その反応に魔理沙が唇を尖らせる。 「なら霊夢はどんな人生がいいのさ」 反覆する魔理沙の問いに、霊夢は少しの間考え込み、 「――賽銭箱にお賽銭が一杯入ってる人生」 風鈴の音と共に、そう答えた。 スペルカードとまったく関係ないたとえに魔理沙は眉をしかめ、 「……えらく即物的だが、その心は?」 「コンティニューし放題」 「…………はっ」 今度は、魔理沙が嘆息する番だった。くだらない冗句だぜ、と呟いて、顔を霊夢から縁側の向こうへと戻す。 いい天気だった。 いい天気過ぎた。 猫が喜んで庭をかけずり回るくらいにいい天気だった。天気が良すぎて逆に不安になるくらいの晴天だった。 しばらくの間、魔理沙は惚けたように夏空を見上げ―― 「よし、涼んでくるぜ」 よっ、と勢い込み、上体を起こした。縁側から飛び降り、同時に足元に転がっていた箒が、糸で引かれたかのように魔理沙の手に収まる。 「幽霊狩り? 氷精狩り? どっちにしろお土産よろしくね」 冗談ともつかない霊夢の言葉を聞きながら、魔理沙は箒に跨り、 「ただの散歩――だぜっ!」 捨てるように答え、気合一閃、夏の空へと跳びあがった。 後ろを振り向かない。地面と神社が遠ざかっていくのが、空気が後ろへと流れていくのが、空が近付いてくのが分かる。風が身体に当たるのではなく、身体で風を切り裂いていく感覚。速度が熱と汗を後ろへと置き去りにしてくれる。気分よく空中で半回転、地面が頭上に見える、太陽が真下に見える。そのままさらに回転を続け、真上に向かって上昇する。眩しい太陽から目を隠すように帽子を深く被り、箒の操縦に神経を集中させる。 雲を突き抜ける。 一瞬だけ冷たい空気を感じる。突き抜ける速度が速すぎて、雲の中を通っていた実感がない。突入の時の衝撃と、突出のときの爽快感と、わずかに濡れた服だけがさかんに自己主張をする。さらに速度をあげ、水滴すらをも振りほどいて魔理沙は飛ぶ。 太陽まで飛んで行けそうな気分だった。 スペルカードを使ってでもいっそ試してみようか――一瞬だけそう夢想し、すぐに止める。 無理そうだったからではない、暑そうだったからだ。 速度を落とし、ゆるやかに旋回しながら降下する。目的地は紅魔館とその周辺だ。 ただの散歩、と魔理沙は言った。 その言葉に嘘はない。ただ、散歩のついでに涼をとったり、食べ物を貰っていくだけだ。根っからの泥棒気質なのかもしれないが、それが大問題にならないのはある意味魔理沙の人徳なのかもしれない。 降りに降り、湖すれすれを滑空する。箒の柄先が湖面にぎりぎり触れるくらいの低々空。 触れたところから、静かな湖に波紋が広がっていく。 湖は、静かだった。 静か過ぎるくらいに、静かだった。 遠くからセミの声が聞こえる。けれど、近くでは、まったく何の音もしないのだ。 吸血鬼の館が近いせいか――死に絶えた湖のようだった。 「チルノー! いるかー?」 魔理沙が声をはりあげる。音が波となり、箒に作られた波とぶつかり合って干渉する。新たな波紋ができあがり、古い波紋とぶつかりあって消滅する。 チルノの返事は、ない。 「チルノー! 遊びにきたぜー!」 もう少しだけ声を大きくし、魔理沙は再度呼びかける。 答えは、変わらず無い。 静寂とセミの声という、相反した返事があるのみだ。 「…………」 箒の速度を零にする。完全に停止し、湖上に浮かぶ箒に魔理沙は仁王立ちになる。背を伸ばし、くるりと周りを見渡すものの、声も姿も何もない。 チルノだけではない。 いつもならばふらふらと寄って来る妖精や、蛙すらもいない。弾幕の一つもなく、敵の一人もいない。 魔理沙が止まったことにより、湖面の揺れが完全に消える。 湖に静けさが戻る。 完全に動きのない、奇妙なまでに静かな湖。 背中に、冷や汗が一筋垂れるのを、魔理沙は努めて無視した。 「……変なこともあるもんだな。またあいつらの仕業か?」 明るく――不自然なほどに明るく――魔理沙はそう言って、立った姿勢のまま箒を操る。 浮力を得た箒が湖から離れ、ゆるゆると奥へと進む。湖の果て、紅色の館、吸血鬼の住まいへと。 巻き起こる風に、水面が揺れる。 セミの声が遠くから聞こえる。 それ以外には、何もない。 「邪魔するぜ」 閉まった門のその上を、魔理沙は軽々と越える。いつもならばここで、颯爽と門番が現れて、行く手を塞いでくる。 だからこそ辺りを警戒しながら魔理沙は飛ぶが―― 何も、ない。 敵の姿もなければ。 弾幕も、飛んでこない。 遠くからセミの鳴き声が聞こえるだけで、静かなものだった。 「…………」 不審に思いながらも、魔理沙は飛ぶ。 誰も、いない。 みぃん、みぃんと、耳の中でセミの鳴き声が響いている。 ――番人してるだけの―― 「……!」 そんな声を聞いたような気がして、魔理沙は勢いよく振り返る。 が――そこには、誰もいない。 紅色の門番の姿は、無かった。 幻聴は静かな館に消えていく。頭の中に残りすらしない。 箒を強く握って――魔理沙は、更に奥へと進む。 「……誰もいないのか?」 呟きにすらならない囁きは、静寂に押しつぶされる。 館の中は、完全に無人だった。 空間の狂った巨きな館。いつもならばメイドと、弾幕で賑わっている――あるいは賑わせている――館は、がらりとその様相を変えていた。 姿がない。 音がない。 光すら届かない。 紅い館の中に、誰もいないかのように――魔理沙の飛ぶ音だけが響いている。 中へと入ったせいか、セミの声すら聞こえない。 「――。パチュリー、いるのか?」 図書館には、本がある。 本しかない。 無限を誇る本たちが、無言のままに魔理沙を見下ろしている。 中央に座するはずの主の姿は、無い。 「いないなら勝手に本持っていくぜ」 静寂に押しつぶされないように、声を荒げて魔理沙は言う。 答えはない。 無言の返答があるだけだ。 魔法も弾幕もなく、静寂のみが圧力となって、魔理沙をゆっくりと押しつぶしていく。 「いいんだな! 借りるんじゃないぞ、貰うんだからな!」 半ば叫びと化した悲痛な声にも、答える音はない。 何も――無かった。 「――――ッ」 何かから逃げ出すように、不安を切り払うように、恐怖を追い出すように。 魔理沙は血がにじむほどに箒を握り締め、館の中にも係わらず最高速を出した。 図書館を突き抜け、更にその奥へと進む。 さながら――時間に追われるかのように。 けれども、時間を操る従者の姿も、彼女が操るナイフもありはしない。 もともと、紅魔館は生活感のない場所だった。 今は、違う。 生活感がないのではない。 生がない。 ここは――死んでしまった場所だ。 ふと浮かんだその言葉を、魔理沙は頭を振って無理矢理に否定する。 そんなことがあるはずはない。 きっと、奥に皆揃っているのだ。 私を騙すために、一番奥の部屋に、みんな集まっているのだ。 そして扉を開けた瞬間、「――ようこそ!」と驚かすに決まっている。いつもいつも招かれないことを逆に利用して、こっそり招いてやろうとか、そういう腹なのだ。そういうことなら騙されてふりをしてやるぜ、私にだってそれくらいの愛嬌はあるからな―― ばたん、と音と共に、扉を開けて。 「――レミリア!」 友人の名前を読んで。 「――――」 そこには、何もなかった。 紅の館の最奥、紅の部屋。 運命を操る、永遠に幼き紅い月の住処。 それが、あるはずだったというのに。 「――――――」 何も無かったのだ。 扉の向こうに、誰もいなかったのではない。 扉の向こうには文字通りの意味で何もなく、そこにはただ、紅魔館の裏側にも続く湖があるばかりだった。 部屋など、なかった。 扉を抜けた先には、ただ外があるばかりだった。 初めからそんな妖怪はいなかったと、そんな部屋はありはしなかったと、そんなものはないのだと。 世界がそう示したかのように――魔理沙は、紅魔館の外に、いた。 茫然となる魔理沙の耳に、一斉にセミの鳴き声が届く。先程はまったく聞こえなかったというのに、外に出た瞬間に、大合唱が襲ってきたのだ。 惚けたように、青い空と、夏の世界を魔理沙は見ている。 セミが、みぃんと、鳴いた。 「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――あれ?」 どこをどう通ったのか、魔理沙自身も覚えていない。 気付けば、神社に戻っていた。 色々なところを巡ったような気がする。 逃げるように紅魔館を離れ、人影を求めて幻想郷中を飛びまわった覚えがある。 けれど―― 誰も、いなかった。 悪夢を見ている気分だった。いつもならば三秒飛べば弾幕遊びが始まるというのに、今日に限っては、誰とも出会わないのだ。 それどころか、おかしなことがいくつもあった。 魔法の森にあるはずの、アリスの家が見あたらなかった。 迷いの竹林を抜けることができなかった。 白玉楼へと続く門もなかった。 極めつけは――これだけセミが鳴いているというのに。 ――セミの姿を、一度として見かけなかったのだ。 悪夢だった。 悪夢のような現実だった。 あるいはそれは、現実のような悪夢だったのかもしれない。 誰もいないのに、姿もなくセミが鳴き続ける世界。 自分だけしかいない世界。 否。 自分がいるかどうかすら、定かではない世界。 なぜこうなったのか。 いつからこうなったのか。 いつものような異変なのか。 それならば誰を倒せば、この異変は終わるのか。 それが分からぬままに――魔理沙は神社へと戻ってきたのだ。数々の事件を解決して――問答無用で終わらせて――きた、博麗 霊夢のいる神社へと。 ここにくればなんとかなる、そう思ったから。 もしも霊夢までいなかったら――という恐怖を、頭の端へと追いやりながら。 そして、神社の境内には―― 「――おかえり。お土産は?」 出てきたときと変わらない姿で、霊夢が座っていた。 境内へと舞い降りた魔理沙を見て、気楽そうに巫女服の袖を振っていた。 空は蒼く、セミは煩く、あたりは暑い。 何も変わらなかった。 いつもと変わらぬ神社には、いつもと変わらない巫女がいた。 変わらない光景に、魔理沙はさっきまでの恐怖も忘れ苦笑いを浮かべてしまう。 「……。霊夢、お土産なんて、」 そう言いながら、一歩を踏み出し、 ――その瞬間に、セミの声が、途絶えた。 「――え」 先程までは煩いほどに鳴いていたセミの声が、一瞬して、途絶えた。 自分の呼吸音以外に何も聞こえなくなる。目の前には霊夢がいる。 笑顔のない。 驚いたような顔の霊夢。 霊夢は、魔理沙を見ていない。 魔理沙のその後ろを見て、驚愕に目を見開いている。 ――見たらだめだ。 そう分かった。 けれど、振り向かずにはいられなかった。魔理沙は脚を止め、無言のまま振り返り、 そこには何もなく――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――何かを見ることすらできずに、霧雨 魔理沙は消えていた。 ――System Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error Error 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もっとも、夢なんて大概がそんなものだ。目が醒めれば忘れてしまう。覚えているほうが稀なのだ。だから、夢を見たことを覚えているだけでも、少し幸福。そう思うと、寝起きの不機嫌さもどこかへ行ってしまう気がした。 「なーに、メリー……」 口から漏れた言葉は我ながら力がなかった。覇気がなく、ついでにやる気もない。寝ぼけているのが丸分かりだった。しっかりしないとな――と思うものの、寝起きの頭はすぐに動いてくれない。 「だから、大変なことよ」 「うーん……?」 メリーの言葉を聞き流しながら、辺りの状況を確認する。私が寝ているのは、いつもの自分のベッド。寝転んだまま見えるのは同じくいつもの自分の部屋で、ただ一つ違う点はといえば、椅子にメリーが行儀よく座っている事。 回転椅子に腰掛けて、スカートの上で両手を重ねて私を見ている。寝ているせいで九十度視界がずれて、困ったように笑うメリーの姿が横向きになって見えた。 「どう大変なのよー……」 「赤いのがいっぱいなのよ。血じゃないわよ、ほら、ここ」 「赤ぁ?」 寝たまま視線だけを動かす。座るメリーの奥、机の上に置かれたパソコンの画面が光っていた。 「メリー、人のパソコン勝手に使うなって言ったじゃない……」 「……蓮子。貴方昨日のこと覚えてる?」 「昨日のことォ?」 答えながら、私は記憶の中を漁ってみる。脳味噌がきゅるきゅると音をたてて回転し始める。十数年も使い続けている脳はすぐに答えをはじき出してくれない。そろそろ脳の増設でもしようかと思う、銀河鉄道にでも乗って。 寝起きの処理速度が遅い頭でどうにか思い出す。 昨晩――いつものように秘封倶楽部の活動をして。特に収穫もなかったから、この部屋で自棄酒をしたのだ。二日酔いになるほどに酔いはしなかったけれど、今こうして寝ぼけているのは酒が入っているせいなのかもしれない。 「今、何時……?」 「星でも見なさいよ、星でも」 「星……出てるの?」 「出てるわよ。優しい優しい友人として助言してあげるけど、貴方うたた寝してただけよ、蓮子」 うたた寝――その言葉の通り、窓の外に見える星が教えてくれた時間は、お酒を呑み始めて三時間と立っていなかった。視線を室内に戻せば、机の上に空になったボトルが転がっている。 つまり、ほろ酔いになってベッドに転がってしまったというわけだ。注意してみれば、私が着ているのも寝間着じゃなくていつもの服だ。この分だと皺になるだろう。 「……みっともなーい」 「ええ、その通りね。で、蓮子。これ赤いけどいいのかしら?」 「赤、赤ね……次は白を呑もうかしら」 脊髄反射で答えながら、メリーの言う『赤』と、昨晩の記憶を照らし合わせる。脳がゆっくりといつもの速度を取り戻していく。 昨晩――気持ちよく酔った私は、自慢するためにメリーにとあるものを見せようとして、パソコンをつけて――電源を押してプログラムを起動したあと、ベッドに横になってメリーの後ろ姿を――ゆっくりと眠気が襲ってきて―― 大体思い出した。 先の言葉どおり、みっともないことこの上なかった。 不覚、だろう。いつか驚かせようとして一人でこっそり作っていたプログラムを、未完成のまま見せてしまったことといい。その反応をわくわく待ちながら寝入ってしまったことといい。 そのことを反省すると同時に、確信に近い不安が、私の頭の中に閃いた。 「――――赤?」 「そう、赤」 メリーがあっさりと頷き、私の中にあった確信が確定に変わる。 赤。 赤―― 「赤ァ!?」 「きゃっ!」 ベッドから跳ね起きてパソコンの画面を覗き込む。メリーに覆いかぶさるような形になり、胸の下から悲鳴が聞こえたけれど、優先度が低いので今は無視。今大切なのはメリーの安否よりもパソコンの赤。赤なんて不吉な色が出るということは―― 「――あ」 「……あ?」 案の定だった。 胸の下でメリーが器用に首を傾げたのが分かった。分かっても何を言う気にもなれなかった。 赤。 画面全体が赤かったのではない――全体の色が変わるとしたら青だ――寝る前に起動していたプログラム、ウィンドウ表示したその画面に、赤いエラー文章が次から次へと吐き出されていたのだ。それを倍する速度で、表示されたマップに赤いドットが無限増殖していた。 その意味を、メリーは分からないだろう。英文くらい読めるだろうから、エラーが起きていることくらいは分かっても、それが何を意味するのかは分からないに違いない。 寝ぼけ頭が、一気に醒めた。 「あ――! なにこれなにこれなによこれ!? バグってるじゃない!」 「馬具ってる? 蓮子、馬が――それより重いわよ」 「誰が重いですって誰が!」 潰れたカエルのようなメリーの頭を叩いて、右手を鍵盤に走らせる。状況を再度確認し、再々度確認するけれど、やっぱり画面は赤いエラーを吐き出し続け、その間にも赤ドットは増殖していく。 「せっかくここまで育てたのに……嘘、何が原因?」 「なにを育てたのかしら?」 するりと椅子から降りたメリーが、私の後ろから画面を覗き込んでくる。私は椅子に座りなおして、あらためて両手で鍵盤を叩いた。なにはともあれ、エラーを止めないといけない――原因解明はその後だ――管理者権限を使って、プログラムを強制的に停止させる。 《向こう側》では、世界の時が止まったようなものだろうか、そんなことをふと考えてしまう。 「ねぇ蓮子、これは結局何なのかしら? 私、満足な説明受けて、」 「メリー。お願いだからちょっと静かにしてて分かりやすく言えば黙ってて! ……あれー? なんでこんな壊滅的なエラーが起こるの? 自然に壊れることはあってもこんなパターンじゃないし……プログラムミス?」 エラーのログを流し読みしてる間にも、口からは独り言のように呟きが漏れる。メリーが聞いているのだから独り言ではないけれど、メリーにはやっぱり意味が分からないだろうから、独り言とそう変わらない。 《やれやれ》とでも言いたげに後ろでため息を吐くメリー。 息が耳にかかるわ――と言おうとした瞬間、 「あ」 原因に、気付いた。 「あ?」 「メリー。私、貴方に何て説明したかしら」 「えっと……」メリーは顎に人差し指を添えて、少しの間考え込み、「面白いものを作った。見せてやるーって、それだけよ。蓮子、これのどこが面白いのか、教えてくれるかしら?」 「――何かわからないものを、ずっと眺めてたの?」 思わず零れた私の問いに、メリーは「いいえー」と首を振り、 「何か分からないから、適当に弄くってたわ」 「原因判明っ!」 机の上に置いてあったポケットティッシュを、後ろも見ずにメリーに投げつけた。「いたっ」という小さな悲鳴に命中を確信する。こんな近距離で外すわけはないけれど。 振り返って見ると、メリーがおでこを押さえて恨めしそうな顔で私を見ていた。ポケットティッシュだから、そんなに痛くは無いはずなのに。むしろ、せっかく順調だったプログラムをボロボロにされた私の心の方が痛い。 「何するのよ蓮子!」 じと目で見てくるメリーに対し、私はふぅ、とため息を吐いて、 「よく考えたら説明しないで寝た酔っ払いな私が悪い気もするわ」 「……気がするもなにも、私に非は無いわよ、全面的に」 「きっとお酒が悪いのね。しばらく禁酒にしましょう」 そう嘯くと、メリーは呆れたように肩をすくめた。ワインを飲む量は私よりも多いというのに、メリーの方が酔いにくいなんて不公平だと思う。 不平不満を言っても仕方ないので、私は床に落ちたポケットティッシュを、座ったまま拾い上げた。そんな私をメリーは眇めつつ、 「……それで、蓮子? これは結局何なのよ?」 「これはね――」 ようやく出てきたメリーの問いに、私はたっぷりと合間を置き、 もったいぶって、答えた。 「――――幻想郷シミュレータよ」 「……シミュレータ?」 オウム返しに問い返してくるメリーに、私はピン、と人差し指を立てて講釈する。気分はさながら大学教授だ。 「そ。秘封倶楽部の活動の一環……というか、おまけね。メリーと私で手に入れた情報とか――民俗研の太田くんから貰ったのとか――を全部入力して、擬似的に『幻想郷』を造ってみたの」 私の説明に、メリーは目を丸くした。 驚いた、というよりは、何のことだかよく分からない、という顔だ。シミュレータ、という言葉の意味は分かっても、実際に私が何をしているのか、いまいち理解しづらいのだろう。 「それは何か意味があるのかしら?」 「あんまり無いわね。なくてもいいのよ、別に。失われたものを取り戻すロマン――なんてね」 ようやく吐き出されたメリーの言葉に、私はあっさりと答える。 そう。 意味があるかないかなど、そう重要な問題ではないのだ。 要は、やるかやらないかだけなのだから。 つまるところは遊びだ。天地創造ゲーム。神様の真似事だ。 「本当にあるかどうかはともかく。あるとしたらどんな所なのかな、っていう遊び」 ふんふん、と興味深げなメリー。 「初期値を入力して、NPC――住んでる人や妖怪ね――を作って放り込んで。その後は成果を見るの。放っておいたら、どんな風な世界ができるか」 言って、私は椅子をくるりと回し、再び画面に向き直る。 後ろから覗き込んでくるメリーに見やすいように身体を傾け、ゆっくりとキーボードを叩く。キーが押されるたびに、『幻想郷』のマップ表示が切り替わっていく。 博麗神社、迷いの竹林、白玉楼、魔法の森、香霖堂、紅魔館、その他諸々。 伝承をもとに作成した、架空の世界の地図がスクロールされる。 サブウィンドウには、弾幕遊びや魔法、スペルカードなどの世界システムから、NPC――博麗 霊夢や霧雨 魔理沙――のリストがずらりと並んでいる。 もっとも。 通常なら刻一刻と移り変わるはずのそのデータは、今は一つを除き赤く塗り潰されていた。 データ・ロスト。 メリーが適当に弄くったせいでバグが発生し、世界そのものが壊れようとしているのだ。 もっとも――実を言えば。 それ自体は、珍しい現象ではないのだ。 「――でも駄目ね」 「どうして?」 もう一度椅子を回し、メリーに向き直って私は説明した。 「メリーが弄くらなくても――時間がくれば破綻するのよ」 「どういうこと?」首を傾げるメリー。「私は悪くないってことかしら」 「それとこれとはまた別問題。今回の原因はメリーにあるってだけよ。世界崩壊自体は珍しくないのよ。閉鎖的な環境なのに生態系のピラミッドができないし、エネルギー効率の問題もあるし……何より自壊しやすいのよね、この世界。情報がもう少しあれば違ってくるんでしょうけど……。手を加えないと維持できないのは楽園じゃなくて失楽園だわ」 幻想郷には実力者が多すぎる、という問題。 けれどそれ以上に、原則的に――閉鎖空間である以上、滅亡は避けられないのだ。 それは幻想郷に限らず、私たちが生きるこの場所でも同じことだ。恐竜は食料がなくなって全滅するし、人類だっていつかは滅亡する。それを遠ざけようとして、今必死で宇宙を目指しているのだ。宇宙が無限に膨大し続けていて、ようやく月へと脚がかかった以上、滅亡の日は遠くなるだろうけれど――幻想郷はそうもいかない。 大結界で囲まれた幻想郷は、あくまでも閉鎖空間だ。 滅亡し、新しく世界を作る。それがワンセットになっている。 「だから、ま。直す手段はちゃんとあるわけよ」 言って、私はパソコンに向き直り、今度は全力でキーを叩いた。 状況確認は終わっている。あとは『治す』だけだ。 かたたたたたた、と凄い勢いでブラインドタッチの音が響く。メリーが私を、私と画面を凝視しているのを肌で感じる。 ぬぅ、と横からメリーの指が伸びて、画面の一部を指差した。 「この赤いのは何?」 「空白領域。データが無理矢理消去されていってるの」 「一つだけ消えてないのは何かしら」 「それは……っと、博麗の巫女ね。管理者権限の一部を与えてるから、システム側の影響を受けにくいの。伝承だと、博麗の人間って無敵だったらしいから」 「ふぅん」 感心したようなメリーの声。 「さっきNPCばかりって言ったけど――プレイヤーキャラもいるのよ。システム内から調整するために、一体どうしても必要なの」 「ふぅん……」 同音同句だというのに、さっきと違って気の無い返事のメリー。 その態度にかちんときて、私は秘密にしていた最後の事実をメリーにばらすことにする。ここまでバレたんだから、いまさら一つや二つ同じことだろう。 鍵盤を叩き、幻想郷介入用のキャラクターを呼び出す。世界内でも数値を自由自在に操れるという、博麗の巫女とは別の意味で反則キャラだ。 外見と名前と能力、その全てが、実は―― 「言っとくけど。メリー、それって貴方がモデルなのよ」 「え――?」 メリーの驚く声を余所に、私はエンターキーを押して、そのキャラクターにログインして世界の修復を始めた。 † † † ログイン名 : 八雲 紫 † † † 「――暇だぜ。今日も暑いよな。なあなあ霊夢、香霖のところにでも遊びにいこう」 心底退屈そうな、魔理沙の言葉に――博麗 霊夢は夢から醒めた。 否、それが本当に夢だったのか、霊夢自身にもよく分からなかった。 表と裏が裏返って表が裏になったような――どちらが表かすら判然としない――なにもかもが曖昧模糊な――そんな幻覚が、頭の片隅に巣食っていただけだ。 それはまるで、寝起きたての寝ぼけた頭のように。 夢の欠片が心に残るように。 夢と現が、一瞬だけ――ほんの一瞬だけ、曖昧になっていた。 だから。 「……魔理沙?」 口から漏れた言葉は、覇気というものが一切なかった。 「なんだよ」 縁側に横になっている魔理沙は、顎をくい、とあげて霊夢を見ている。暑いのか、だらしなく脚を広げ、黒い帽子を団扇代わりに使っている。 下手をすれば、犬のように舌をだして喘ぎそうな雰囲気だった。 みぃん、と外でセミが鳴く。 ちりん、と風に風鈴が揺れる。 「――貴方、どうしてそこにいるの?」 言った後で、霊夢は自分の言葉に驚く。どうしてそんなことを訊いたのか、まったく分からなかったからだ。 そう、まるで、《魔理沙がここにいるのはおかしい》と感じてしまったかのような――おかしな違和感があった。 けれど、その違和感は、夏の暑さとセミの声の中に霧散していってしまう。 魔理沙は横になったまま器用に肩を竦めて、 「ここにいなきゃ、どこにいるってんだよ」 そう言って、「やれやれ」といった風にため息を吐いた。吐息に揺らされたかのように風鈴がひと際高い音を奏でる。外から入ってくる風は生ぬるく、身体を流れる汗を嫌でも自覚してしまう。 ――汗。 「……汗、かいてる……」 「あ? 霊夢、何か言ったか」 「なんでもないわ……」 訝しげに問いかけてくる魔理沙を適当にごまかし、霊夢は机の上に丁寧に置かれていた手布で汗を拭う。 いつの間にそんなものが――と思ったけれど、覚えていないだけで自分が置いたのだろう。それか、魔理沙が勝手に出したかだ、と霊夢は自身を納得させる。 一度気付けば明瞭だった。 身体中、びっしりと汗をかいている。巫女服が汗で張り付いて気持ち悪い。着替えるか、いっそ水浴びでもしたくなる。 寝汗をかいていたのだろう。 自身の中にあった《違和感》に、夢という名前をつけて、霊夢はほう、とため息を吐いた。 そして、自分を納得させるかのように、一人呟く。 「きっと、夢でも見てたのよ。嫌な白昼夢を――」 ――それとも、これも夢なのかしら。 その言葉は、音になることなく、夏の世界に消えていく。 ちりん、と風鈴が鳴った。 外では、セミが盛んに鳴き誇っている。 ――今日も幻想郷は平和だった。 |
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――あとがき、あるいはそれ以外の何かについて。 「紫、何書いてるの」 「小説。」 BGM The dream also in to the dream...END ↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑ タ |
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