1 | 或る弾幕の行方 |
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00 | 弾幕が倒れていたので、その姿を覗き込んでみた。 何かにぶつかったのか、ひどく身体が痛んでいた。 野ざらしになった魚の干物を思い出した。 風と埃と雨が、干物を少しずつ抉り続け、ついには原型を留めぬほどになっていた。もはや干物は干物に見えず、食べることなどできなかった。 結局、あの干物は土の中に還った。川に還らずに土に還ったのは、もはや魚は魚ではなく、うらぶれた肉片でしかなかったからだろう。 数年後、干物が埋まった場所から雑草が芽を出した。 ああ、干物は土に還ったのだな、とあらためて納得した覚えがある。 つまりはそういうことなのだろう。 目の前で倒れる弾幕は、すぐに土へと還るのだ。 「後生ですから」弾幕が云った。弱々しい声で。「助けてください」 無理だ、とも、任せておけ、とも云わなかった。 何も云わずとも弾幕の命は長くなく、もはやできることなど何もなかった。 ただ一つできることといえば、看取ることだけだけである。 しかし、黙って看取るというのも後味が悪い。 どうしたのですか、と問うと、弾幕はよろよろと手をさし伸ばした。人差し指と中指、それに薬指しかないことにようやく気づく。残り二本の指は、根のあたりから取れていた。 三本の指を、弾幕はゆっくりと掲げた。指先が血に濡れていてぬるりと光った。 「死にたくないのです」 答えになってはいなかった。 答える余裕がなかったのかもしれない。 欠けているのは指だけではない。あちこちが欠けていた。無事なところなどどこにもなかった。 これが弾幕の末路なのだな、と納得した。 奇異なることではなく、ごくありふれたものなのだろうと。 空で弾けて欠片も残らないのと、欠片と共に地に還るのはどちらが善いのだろうか、少しの間夢想した。 結論はあっさり出た。どちら変わらない。空だろうが地だろうが、幻想郷の中へと還るのだから。 「死にたくは、ないの、です」 絶え絶えな弾幕の言葉には、奇妙な力が込められていた。 願えば叶うかのような。 強く強く願うことによって、強く強く言葉を発することによって、それが現実になると信じているかのような声だった。 それが不可能であることを、弾幕自身が察していたのかどうかはわからない。 言葉を発するごとに発光は強まり、しかし言葉が消えるとともに、光は掻き消えそうになる。 蝋燭のようだ、と思った。 風に吹かれ、消えかける寸前の蝋燭は、残りの蝋を全て使って燃え盛る。けれどその力は持続せず、すぐに消え去る。 その繰り返しを、この弾幕はしていた。 死にたくないと願い、光を灯す。 迫る死によって、光が弱まる。 その繰りかえし。 言葉を発すれば発するほど、光は徐々に弱まっていく。 その灯火が完全になくなれば、ものいわぬ弾幕が残るのみだ。 そして、地へと還り、幻想郷の一部になる。 「わたしは死ぬのでしょうか?」 光がゆらりと揺れた。弾幕の心の不安を現すように。弱々しい眼差しが注がれる。揺れる光に照らし出された、黒い眼差しが。 正直に答えるべきだったのだろう。 貴方は死ぬのだと、冷徹な優しさを以って告げるべきだったのかもしれない。 けれど、口から漏れた言葉はまったく別だった。 ――貴方は弾幕でしょう。 その言葉を聞いて、弾幕は驚いたように目を見開いた。発光が一瞬だけ強まり、すぐに収まった。 驚いたのかもしれない。予想外の返答に。 弾幕は驚き、それから時間をたっぷりと使って微笑んだ。笑みに力はなかったが、幸せそうではあった。 弾幕は笑って云う。 「ええ、その通りです。わたしは弾幕です」 三本の指を、指揮棒のように弾幕は振った。 上から右下へ。右下から左上へ。左上から下へ、そして上へ。 弾幕の手が揺れ、そのたびに赤い雫が地へと落ちる。放物線を描いて地へと落ちた雫は、ゆっくりと幻想郷へと還る。 「放たれ、跳び、敵を穿つ存在です」 今度は左手だった。ただし、左手には、一つとして指が残っていなかった。地面に落ちた衝撃で、中ほどから折れ曲がっていた。 三つの関節を得た腕が振われる。 「不規則に――あるいは幾何学的に――整然として――判然とせず――放たれる弾幕です」 右手と左手は、宙空でぶつかることなく交わる。血の雫は決して触れ合わず、模様を描いて地面へと跳ぶ。 奇妙な交響曲は、長くは続かなかった。 突然、力尽きたかのように――あるいは、楽曲を終えたかのように――手が落ちる。 一切の力が抜けた腕が、地面へと落ちる。 口以外の全てを動かすことを放棄して、弾幕は、空を見たまま云う。 「そして、消える。それが弾幕で、わたしはその一つです」 そう云う弾幕の声には、そして顔には、何の感情も含まれていなかった。 生気が抜け落ちた顔。 死期すらも感じ得ない顔。 透明に、希薄に、今にも消えてしまいそうな姿で、弾幕は横になっている。 何を云えばいいのか判らず、弾幕が何を考えているかわからず、 ――ならば、それが定めなのでしょう。 そう云うと、弾幕は笑った。 皮肉も悔恨も感じさせない、鮮やかな笑いだった。 来るはずのない春の訪れを感じさせるような、不思議な微笑みを弾幕は浮かべている。 「ええ、その通りです。それが弾幕の定めで――」 そして弾幕は、幸せそうに笑って云う。 幸せそうに、笑って、云う。 「――わたしは、弾幕になど、なりたくなかったのです」 ゆらり、と。 光が大きく揺れた。弾幕の放つ光が。 それが最後の灯だった。 それを最後に、弾幕の光は消え去った。森の中に、静かな闇が戻る。 誰も何も云わない。 動かなくなった弾幕がそこにあるだけだ。 風が吹く。 枝が揺れ、葉がさざめいた。 それでも、弾幕は動かない。 巨きな樹の傍に横たわり、まったく動こうとしない。微笑みを貼り付けたまま、何も云わない。 ――ああ。 わたし ようやく――西行妖は納得した。 この弾幕は還ったのだな、と。 土に還り、空に還り、幻想郷へと還ったに違いない。 そして、かつて干物が土へと還り、そこから芽が出てきたように、新たな命となるに違いない。 命は巡る。 ふと夢想する。遠い遠い時間の果て、ゆるやかに変化していく幻想郷のどこか。 幻想郷へと還った弾幕が、再び姿を取り戻し、どこかへと放たれる光景を。 そして――今と変わらず、再び幻想郷へ還ってくる光景を。 閉じられた幻想郷で、鼠が滑車を回すように、命がどこに行く事も無くくるくると回り続ける光景を夢想する。 哀しいような、寂しいような。それでいて嬉しいような――複雑な気分だった。 それでも、夢想せずにはいられないのだ。 命が巡るところを。 巡り、ふたたび満開の花が咲く己の姿を。 (了) |
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■あとがき 妖精まで殺すか、と彼が呆れた。 つまりスペルカードは大量虐殺なのだな、と問うと、彼は納得したように笑った。 なぜ笑うのか不思議に思っていると、彼は笑いながら云った。 ――それじゃあ君は父親じゃないか。 なぜだ。首を傾げても解らない。 解らないのを楽しむかのように、彼はゆっくりと云う。教授のようだな、と思った。あいにくと、教授などという人種は文献でしか知らなかったが。 ――妖精はいくらでも出てくるだろう。 成る程、と納得した。 軽く死に、軽く生まれてくるのだな。理不尽に死に、理不尽に生まれてくるわけだ。 そう云うと、彼はふと真顔になって、 ――理不尽じゃないことなどないよ。 彼はそう云って、再び笑った。 笑われるのが悔しくて、ふと思いついたことを彼に問うた。 じゃあ母親は誰だ、と。 珍妙な――あるいは当然の――問いに、彼は視線をさ迷わせ、開いた戸の向こうを見た。 静かな魔法の森を。 決まっている。そう前置いて、彼は笑って云った。 母親のように、優しい口調だった。 ――母は幻想郷だよ。 悔しいが、再び納得してしまった。 せめて何か云い返せないかと思い、精一杯皮肉ぶってこう告げた。 なら、私たちはまだ生まれてないんだな。 その言葉を聞くと、彼は驚いたように視線を戻した。 驚いて、それから笑った。 顔に浮かべる微笑みではなく、心の底から彼は笑っていた。 笑ったまま、彼は云う。 ――すると僕らは未だに子宮の中にいるわけだ。 彼が口にした直接的な言葉が恥かしくて、箒の先で彼の頭を軽く叩いた。 何をするんだ魔理沙、と彼が抗議の声を上げるが、すべて無視した。 叩きながら、ふと、思う。 生まれでたら、どこへ行くのだろう? 妖精は幻想郷で死に、幻想郷で生まれる。 その繰りかえし。 けれど、私たちはまだ生まれてすらいないのだ。 答えのない疑問は、頭の中で明確な形を取り、けれど言葉に出すことなく消えていった。 ――私たちは、どこから来て、どこへ行くのだろう? (了) ↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑ |
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