1 黄金の昼下がり 〜 Retrospective 1 night〜
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 世界が黄金色に輝いている。





 さんさんと輝く太陽が、幻想郷中を明るく照らし出している。
 七月に入って四日ほど過ぎた、午後零時。
 あまりにも暑いせいか、時計の針は休みがちだった。ゆっくりと流れてゆく時間。風はなく、遠くの空には雲もない。
 ピンと張った、音のしそうな空。
 その空の下、幻想郷を流れる川の一つ。低いところからより低いところへと、遅々として進まないおだやかな川。時計の針よりも、沈む太陽よりも、ゆっくりと流れる川。
 その川の上に、船が浮いている。
 木のうろで出来た丸太の船。へりも何もないその船は、川に浮かぶ葉のように、ゆらゆらと揺れながら進んでいる。
 船の上には、三人の少女がいた。
 穂先に腰をかけ、日傘の下で川の先をながめる少女――スターサファイア。
 船から半身を乗り出して、川に手を入れて楽しむ少女――ルナチャイルド。
 船の真ん中で横になり、正面にいる太陽を見る少女――サニーミルク。
 三人は妖精だった。その上少女だった。おしゃべりで、悪戯好きで、可愛いものと楽しいものを詰め込んだ、砂糖のように甘くて蜂蜜のように蕩けた、そんな少女たちだった。

「冷たくて気持ちいいわ」

 ルナが言いながら手を動かす。小さく細く、白い指がうごめくたびに、川に新しい流れができる。
 その手の下を、小さな魚が泳ぎ抜いていく。
 魚ならいいのに、とルナは少しだけ思う。
 もし妖精じゃなくて魚なら、冷たい水の中にずっといられるのに。

「暑くて気持ちいいわね〜」

 ごろりと横になったサニーが答える。
 日の光の妖精である彼女は、日光をあびるだけで回復ができる。光合成をする植物みたいだ、とルナとスターは常々思っているが、本人に言ったことはない。

「お日さまが元気すぎると、星が見えないわ」

 くるくると傘をまわしてスターが呟く。
 星の光の妖精であるスターは、外からの影響を受けない。それでも、太陽が活発な夏は、さすがに活気に満ちて、というわけにはいかない。外を出歩くのに日傘は必需品だった。昼でも、夜でも。 

『……夏よね』

 三つ合わせた舌の声。
 その言葉に答えるように、セミがじん、とひときわ大きく鳴いた。
 川の両端は森。薄暗い森の中で、セミたちは元気よく鳴いている。
 川と、少女たちだけを、太陽は照らしている。
 長細くぽっかりと切り取られた黄金の道を、少女たちは緩やかに下っていく。 
 オールはない。すべては自然のままに、だ。

「今日のお話しはサニーよね?」

 言いながら、スターは傘を左手に持ち替え、右手で白い靴と白い靴下を脱ぐ。
 脱いだモノは船の中へ。脱いだ足は船の外へ。
 へりに腰掛けたまま、身体の向きを変えて、川の中に足を入れる。
 熱の溜まった足を、冷たい水が冷やしていく。
 二本の足にぶつかって、川に波紋ができる。
 船に随伴する魚たちが、すこしだけ驚いたように場所を譲った。 

「誰でもいいわ。面白いお話なら」

 水を一滴握ってルナが答える。握った水を、ひょい、とスターの足めがけて投げる。
 手から離れた水は、しかしスターまで届かずに、川にしぶきを立てるだけだった。

「面白くないお話なら、面白くすればいいじゃない」
「スターの言うとおり! 今日は私の番よ」

 がば、とサニーが立ち上がる。
 四枚の小さな羽が、日の光を反射する。虫の羽でも鳥の羽でもない、妖精にしか持ち得ない透明の羽。透明のはずのそれは、日の光をすって、かすかな黄金色に見えた。

「お話しのお話。聞いてなさい、とびっきりのお話をしてあげるから」

 無い胸を張ってサニーが言う。その様子を、ルナとスターは楽しそうに微笑んで見る。
 それは、遊びだった。
 それは、少女たちの遊びだった。
 お喋りが好きで、悪戯が好きな、少女であり妖精である気ままなお遊び。
 夢見る天気の下。
 黄金の昼下がり。
 亀よりも遅い速度で川をくだりながら、何よりも遅い速度で時間をすごしながら、のんびりと物語るお遊び。弾幕遊びとはまた違う、悪戯好きの三妖精たちだけの、秘密の時間。

 ――どんぱちよりぺちゃくちゃの方がマシ。

 誰がそう言ったかは分からないけれど、少なくとも三人にとってはそれが真実だった。

「始まり始まり」

 拍手の代わりに水を叩いて、ルナがせかす。

「でたらめ入れて、楽しくおかしく」

 足をぱちゃぱちゃと鳴らして、スターがせかす。

「それではお話しの、始まり始まり!」

 指をぴんと立てて、楽しそうにサニーが話し始める。

 ゆるやかに時間の流れる黄金色の川。

 その水の囁きに、少女たちの、楽しそうな声が混じる――





        †   †   †





 昔々、あるところに――

「昔のお話より、今のお話がいいわ」

 そう? ならそうしましょうか。
 そう昔じゃない、つい最近。

「いつのお話?」

 例によって例の如く、いつものようにいつかのように、さながら当然あるいは必然、悪びれることも慌てることもなく、悠々と揚々と、宇佐見蓮子は遅刻していました。

 ――宇佐見蓮子?

 そう、宇佐見蓮子。う・さ・み・れ・ん・こ。

 ――人間のヒトね。

 そうね、人間のヒト。でもちょっと変わり者。
 月を見ては場所を知って、星を見ては時間を知るヒトね。

 ――それで? その人が、遅刻してきたの?

 そう、五分二十五秒と九零の遅刻。
 もちろんそんな正確な時間が分かるのは遅れてきた蓮子だけで、駅の改札口で時計を見ながら待っていたメリーには分かりません。

 ――そのヒトも人間のヒト?

 そうよ、人間のヒト。ちょっと、少し、結構? 変わった人間のヒト。
 境界のスキマが見える人間のヒトよ。本当の名前は、長くて、変な名前。でも面倒だから、お話しの中では『メリー』よ。

 ――後ろに立ちそうな名前ね。

 そうね。そのメリーさんにとっては、細かい時間なんて関係ない、『五分と少しの遅刻』でしかなかったの。
 何秒遅れようが、遅刻であることに変わりはなくて、メリーはちょっとだけ怒っていました。その証拠に、ほっぺたがまぁるく膨らんでいます。
 ぷんぷんと怒りながら、メリーは腰に手を当てて言いました。

「蓮子。また遅刻よ」
「あら、遅刻して無いわよ。私以外の時計が全部進んでるだけ」

 答える蓮子は笑っています。少しも反省していません。
 メリーは眉をひきつらせて、

「お空の時計は今何時かしら? 今日はよく晴れているから、時間と場所が分かるでしょう?」

 メリーの言葉に、蓮子は帽子が落ちないように手で押さえて、くい、と顔を上げます。
 見上げる先には夜空。
 三日月と星が瞬く、満天の空。
 雲がなく、空気の澄んだ空には、夜の光が輝いて見えます。
 幻想郷ほど綺麗ではないけれど、それでも十分に幻想的な空でした。
 駅のホームの光がなければ、もっと輝いて見えたでしょう。
 空を見上げたまま、蓮子は答えます。

「場所は東京駅。時刻は23:52:59秒」

 言って、蓮子は視線を降ろしました。
 東京駅のホーム。駅の光に照らされたメリーの顔は、ひきつるように笑っています。顔は笑っているのに、眼は少しも笑っていません。
 笑ったまま、メリーは言います。

「何か言い開きはあるかしら?」
「そうね――きっと、待ち合わせ時間が五分早かったのよ!」
「蓮子!!」
「はいはい、ごめんなさい。それよりメリー、時間は大丈夫?」
「貴方がそれを言うの?」

 ぶつくさと言いながらも、メリーは時刻表を確認しました。
 本当は確認するるまでもなく憶えていたけれど、蓮子をせかす意味でのパフォーマンスだったのです。
 電光板を見て、時計を見て、最後に蓮子の顔を見て言います

「あと二分で出発ね」
「間に合うの!?」
「だから、貴方が、それを言わない!」

 メリーは腰に手を当てて怒鳴ります。

 ――怒鳴ってばっかりね。

 人間のヒトだもの、仕方がないわ。
 でも、本当に怒ってるわけじゃないみたい。叱ってる、のかしら。
 叱られた蓮子は、帽子のつばを手で持ち、いやはや申し訳ない――と芝居がかかった動作で頭を下げました。
 その様が妙に似合っていて、メリーは、もう叱る気にはなれませんでした。
 ふぅ、とため息一つ。
 そして、ポケットをごそごそと漁り、メリーは電車の切符を取り出します。
 取り出したのは、二枚の切符。
 文字の書かれた、二枚の切符。
 そのうちの一枚を、メリーは蓮子へと突き出します。

「ほら、蓮子。無くさないようにね」
「そんな子供じゃあるまいし――」
「無くさないように、ね」
「はい。……メリー。わざわざ買っててくれたの?」

 横に並び、笑って切符を受け取って、蓮子は尋ねます。
 ふと気づいたのです。
 友人のメリーが、『二人分』の切符を買っていてくれたことに。
 メリーは視線をあらぬ方に――すでに電車の来ているホームへと――向けて答えます。

「あら。だって、蓮子はいつも遅刻するもの」

 それが分かってるから、先に買っておいてあげたのよ。感謝しなさいな。
 メリーの顔には、はっきりとそう書いてあります。
 その言葉を聞いて、蓮子の顔に、嬉しそうな笑みが浮かびました。
 とっても、とっても楽しそうな笑顔です。 

「ありがと、メリー!」

 そう言って、蓮子は嬉しそうにメリーに飛びつきました。
 メリーは恥かしそうに顔を逸らして、明後日の方向を見ます。
 見た先には、時計盤。
 出発時間まで、あと一分しかありません。

「蓮子――間に合わないわよ」
「間に合わせるのよ!」

 くるりと回転、抱きついていたメリーの手を引いて、蓮子は突然走りはじめます。
 いきなり動き出した蓮子に引っぱられて、メリーはつんのめりそうになります。
 とん、とん、とんとんとん。
 つま先でぴょんと跳ねながら、メリーは蓮子の後ろを追います。

「蓮子、ちょっと落ち着きなさいよ」
「メリー! 落ち着いてたらホームで一夜よ! 朝起きる頃には幽霊になってるわ!」

 さっと蓮子は切符を投げます。くるくると回った切符は、改札口にガーと飲まれました。
 ガー。ピー。
 美味しくなかったのでしょう。改札口は、反対側から切符を吐き出しました。
 その瞬間、さっと蓮子は改札口を通り抜け、吐き出された切符をわしづかみにしました。
 無くさないように、胸ポケットへ。
 メリーもその後に続きます。蓮子が通ったところと同じところを駆け抜けます。
 かーん、かーん、かーん。
 どこか遠くから、鐘の音が聞こえます。列車の出発を知らせる鐘の音です。
 教会の鐘のように、よく響いて聞こえる音です。
 かーん、かーん、ぽっぽー。
 次いで列車が発車の雄叫びをあげます。

 ――行くぞ行くぞ地の果てへ。行けよ行けよ我が身体。

 猛る列車は煙を吐いて、駅から飛び出す瞬間を待ちます。

「間に合う?」
「間に合う!」

 蓮子とメリーは、矢のように飛び込みます。
 扉の閉まりかけた、列車の中へと。
 メリーと蓮子の見ている前で、扉は、ゆっくりと閉まります。

 ――それで? 二人は間に合ったの?

 間一髪!
 扉が閉まったとき、メリーと蓮子は列車の中にいました。
 ぜぇ、ぜぇ、と息をつく彼女たちの後ろで、扉はゆっくりと閉まりました。
 ぷしゅー。と空気の漏れる音。
 そうして。
 ぽっぽー、と陽気な声をあげて、23:56:04秒丁度に、列車は放たれました。
 夜の闇の中へ。
 はるか彼方へと、列車は旅立ちます。

「れ、蓮子……間に合った、わね?」
「でしょう? ほら、言ったとおりじゃない」

 蓮子は誇らしげに胸を張りました。
 その無い胸を、メリーは、ぜぇ、ぜぇと荒い息を吐きながら見つめました。
 ああ、なんということでしょう。
 豊満なメリーの胸に比べて、その胸のなんて悲惨なこと!
 ローマ法王ですら涙を流してしまいそうな貧相さです。

「さすがに間に合わないかとおもったわ」
「なせばなる、よ。なさなかったらなにもならないけどね」

 蓮子は椅子に腰をかけました。紅色の椅子は固くて、ちょっとだけ背中が痛みました。
 周りには誰もいません。
 いちばん最後の時間の列車、いちばん最後の客車には、メリーと蓮子しかいません。
 深夜列車には、二人の声しか響きません。

「さて、着くまでどうしようかしら?」
「ベッド、っていうには硬すぎるわよね、これ」

 ぽん、ぽんと椅子を叩いて蓮子は言います。
 メリーも蓮子も、夜なのに眠くはありません。

 ――妖怪なの?

 似たようなものね。
 彼女たちは、昼間よりも夜の方が活発に動くの。

 ――どうして?

 秘封倶楽部だから。
 秘封倶楽部は、夜中に活動するものなの。

 ――どうして?

 どうしても!
 とにかく、二人は窓から外を見ます。
 外には何も見えません。真っ暗です。
 月と星の光だけが頼りです。
 満月の下を、ムーンライト号は走ります。

 ――ムーンライト号?

 列車の名前よ。

 ――あら。私の名前ね。

 そうね、ルナ。
 あなたの名前。

 ――ああ、ムーンライト。月の光を仰ぎ見れば、思い出の扉は開き――

 あなたを招く。
 でも残念ね、ルナ。列車の中には貴方はいないの。
 いるのは蓮子とメリーよ。

 ――残念。

 ――お話しの続きはまだかしら?

 そうね、お話しのお話し。どこまでお話したかしら?

 ――お話しのお話しは、列車に乗るところまでお話したわよ。

 そう、そうね。メリーと蓮子は、列車に乗りました。
 二人の窓から見る闇は、ゆっくりと後ろへと流れていきます。
 ごとん、ごとん。
 がたん、がたん。
 列車の音だけが、静かに夜に響きます。
 列車の中には小さな黄色の電燈がならんでいて、窓ガラスにはメリーと蓮子の顔がうつっています。
 ちなみに、窓ガラスに顔がうつるのは、外よりも中が明るいからよ。

「あら。蓮子、光が見えるわ」
「え? あ、ホント」

 列車が動き出して数分が経ったころです。
 日付が変わったころに、メリーはそのことに気づきました。
 窓の外。
 遠くに、光が見えます。
 遠く、『下』の方に光が見えます。
 列車の下、遠く彼方に、町の光が見えました。
 夜も眠らない町の光が、遠い下に見えています。

 がたんごとん。
 がたんがたん。
 ごとんごとん。

 列車は――気づけば。
 夜の空へと、ゆっくりと駆け出していました。 

「あら。不思議なこともあるものね」
「不思議なこと、で済む事じゃないわよメリー! ――これは不思議なことよ」
「だから不思議なことじゃないの」

 それもそうね、と蓮子は頷きます。
 彼女たちは、不思議なことに慣れていました。
 また境界を通ったのかしら? とメリーが言います。
 夢かもしれないわよ、と蓮子が混ぜっ返します。

「夢も現実も同じことって、貴方が言ったんじゃない」
「そうね。大切なのは、今私たちがここにいることよ」

 町の光は、どんどん遠くなっていきます。
 代わりに、窓の外には、新しい光が増えていきます。
 星の光です。
 遠い空にあったはずの星が、今は、すぐ近くにありました。
 手の届きそうな距離に、たくさんの小さな星が浮いています。

「あら綺麗。蓮子、あれ一個取ってきてくれないかしら?」
「『お客様、窓から手を伸ばすのは、大変危険ですからおやめください』、よ」

 声色を変えて、蓮子はわざとらしく言います。
 メリーはもう、と頬を膨らませます。
 二人が楽しく話す間にも、列車は銀河の海を渡っていきます。

『――次は、月、月となっています。お降りの方は、ご注意ください』

 突然、違う声が列車に響きました。
 真面目そうな声は、列車の上にあるスキマから、列車中に響いています。
 放送の奥では、不真面目そうな『藍ったら丁寧ね』という声が混ざります。
 その更に奥では、猫の鳴き声がしました。

「……何、今の?」

 天井を見上げて呟く蓮子に、メリーが答えます。

「蓮子、次の停車駅は月ですって。餅つきをするウサギさんが見れるかもしれないわよ」
「甘いわよメリー。最近のウサギは人を襲うのよ」
「そのときは手を繋いで一緒に逃げましょうね」

 微笑むメリーを見て、蓮子は「もうっ」と言いました。
 怒っているような、呆れているような声でしたが、その顔は楽しそうに笑っています。
 二人が笑う中、電車はゆっくりと、ゆっくりと停止しました。
 窓の外には、三日月が見えます。
 鋭くとがったその先には、女の子が座っています。
 もんぺを履いた、紅色の女の子です。
 名前を、妹紅と言います。

「あらま。こんなところにまで列車が来るとはね。世界もずいぶん広くなったものだ。いや、狭くなったのかな?」

 妹紅は三日月の先端であぐらをかいて、小さく首を傾げました。
 列車がいるのが不思議でたまらないといった感じです。
 それもそうでしょう。月の住民は、まさか地球の人がくるとは思っていないのですから!
 でも、それは間違いです。
 列車の名前はムーンライト。
 月の光を受けて、どこまでも飛んでいく銀河鉄道です。
 右から二番目の星を目指して、どこまでも、どこまでも!

「ちょっくら乗せてもらうとしますか」

 言って、妹紅は立ち上がります。
 三日月の先に器用に立って、列車に乗り移ろうとします。
 けれど、それは叶いませんでした。
 不安定なところに立つ妹紅の背中を、

「あら。無銭乗車は犯罪よ」

 とん、と。
 月の影から現れた、黒髪の女の子、輝夜が押したからです。
 不安定なところに不安定な姿勢で立っていた妹紅は、それだけでバランスを崩しました。

「――え?」

 それが、妹紅の最後の言葉でした。
 あわれ妹紅はまっ逆さま。
 月を離れて、地球へと落ちていきます。
 落ちていく妹紅に向かって、輝夜は高らかに笑いました。

「妹紅、よい旅をしてらっしゃい!」

 輝夜の声は、楽しそうです。
 でも、その楽しそうな声も、長くは続きませんでした。
 ばさばさばさと。
 聞こえるはずのない羽音が、足元から聞こえたからです。
 ぐ、と。
 足首を、誰かに掴まれました。

「――あら?」

 輝夜は恐る恐る下を見ます。
 三日月の下。
 炎の翼をはためかせ、必死に落ちるのを堪えている、妹紅の姿がありました。
 羽はもう限界で、いまにも消えてしまいそうでした。
 ぎりぎりで、何とか輝夜の足を掴むのに成功したのです。
 妹紅は上を、自分を突き落とした輝夜を見て、にやりと笑って言いました。

「旅は道連れ、世に情けなし、だ」

 言って、妹紅はぐいっと輝夜の足を引っぱりました。
 細い輝夜に、その力を止められるはずもありません。
 あわれ二人はまっ逆さま。
 つかみあい、からみあいながら、地球へと落ちていきました。
 列車が来た道を、二人は逆走していきます。

「輝夜、どこに堕ちたい――っ!」
「竹林以外ならどこへでも――――」

 最後は悲鳴を響かせながら、きらん、と、二人の姿は光って消えました。
 その後を追うようにして、月の影からもう一人女の子が現れました。
 前輪と後輪の大きな自転車に乗った慧音です。
 月が三日月のせいでしょうか。角は生えていませんでした。
 ため息と共に、慧音はペダルを踏む足に力を込めます。

「まったく――世話の焼ける」

 呆れたようにそう言って、慧音は自転車で、地球へと降りていきました。
 地球へと落ちていった二人を追いかけるためです。
 自転車はゆっくりですが、千年もあれば、きっと地球まで辿り着くでしょう。

「姫は行っちゃったわね――」

 月の裏から、さらに三人が現れました。
 ひょっとしたら、月の裏側は、無限に続いているのかもしれません。
 現れたのは、薬師と、従者のウサギが二匹。
 珍しいウサギでした。
 ブレザーを着たウサギと、ワンピースのウサギです。
 あまりにもくるくる動く事態に呑まれていたメリーが、ぽつりと呟きます。
 
「ウサギだわ。時計を持ってる」

 そのウサギが本当に、ブレザーのポケットから懐中時計を取り出してそれをながめ、そしてまた慌てて駆け出したとき、蓮子も驚きました。
 というのも、ブレザーを着たウサギなんて見たことがなかったし、時計を取り出して慌てるウサギも見たことがなかったからです。

「変なウサギ!」

 蓮子の声が届いたのでしょうか。
 窓の向こう、三日月の上に立つブレザーのウサギ――鈴仙が、む、と頬を膨らませました。
 隣に立つ薬師、永琳がなだめるように「まぁまぁ」と言います。
 その後ろに立つ、ワンピースのウサギ、てゐは、鈴仙の時計を覗き込みます。

「何時?」

 言われて、鈴仙も時計を見ました。
 出発まで、一分を切っていました。
 丁度その瞬間、列車の中では、さっきの真面目な声が『もうすぐ出発です』と告げました。
 鈴仙が慌てて言います。

「師匠! もうすぐ発射時間ですよ!?」
「慌てない慌てない、ズル休みズル休み」
「ズル休みは違いますよ!」
「でもね鈴仙――見ての通り、出発には間に合わなかったみたい」

 永琳はそう言って、三日月の方を振り向きました。
 三日月の上では、欠けた部分をおぎなうように、ウサギたちが餅つきを――いえ、月つきをしていました。
 月の欠片を叩くたびに、月はびよんと伸びて、少しずつ膨れていきます。
 こうして、ゆっくりと、ゆっくりと満月に近づいていくのです。
 ぺったん。ぺったん。
 月つく音を聞きながら、永琳は優しく言います。

「仕事が終わらないのに、旅行には行けないわ」
「……はい」

 鈴仙が寂しそうに言って、てゐは「ちぇー」と地面を蹴りました。
 蹴った勢いで月は弾み、てゐは、三日月の上へと跳んで行きます。

「てゐ、待ってよー!」

 鈴仙は慌ててその後を追い、永琳が一度だけ、蓮子とメリーに手を振って、二人の後を追いました。

『ポッポー、キャプテン。出発していいですか?』
『藍、行きなさいな』
『あー、お客様。当列車は月を発車します。お忘れもののないようお気をつけください』

 スキマからの声と共に、列車の扉が閉まりました。
 ゆっくりと列車が動き出し、ウサギのいる月が小さく離れていきました。
 がたん、がたん。
 ごとん、ごとん。
 ウサギたちの賑やかな声は消えて、列車の音が響きます。
 がたん、がたん。
 ごとん、ごとん。
 離れていく月と、近づいてくる星を見ながら、蓮子がぽつりと言いました。

「銀河鉄道の夜――よね」

 その言葉を聞いて、メリーが突然立ち上がり、舞台の上の女優のように、くるりと回りました。
 スカートの裾が、きれいな円を描きます。
 くるりと回って、胸に手を当てて、もう片方の胸を天井へと伸ばして、メリーは言います。

「ああカンパネルラ。貴方はどうしてカンパネルラなの」

 ずる、と椅子の上でこけてから、蓮子は突っ込みを入れました。

「メリー、メリー! 色々混ざってるわよ、それ」
「貴方がカンパネルラという名前を捨てるのなら、貴方はゴンベイになるでしょう」
「メリー。壊滅的に間違ってるわよ。何、その英文を辞書で訳したようなのは」
「あら、蓮子ったら物知らずね。日本では、名前をなくした人は『ゴンベイ』って名乗るのよ」
「……シェイクスピアが聞いたら泣くわよ、きっと」
「振槍さんは感動屋ね」
「呆れて泣くのよ」

 呆れて笑う蓮子を見て、メリーも微笑みます。
 ひょっとしたら、しんみりとしかけた雰囲気を変えるために、ふざけたのかもしれません。
 ひょっとしたら、ただの天然かもしれませんが。
 そんなことは蓮子にだって分からないので、とにかく蓮子は笑いました。
 夢なら夢で楽しむだけ。
 そう心に決めて、蓮子は椅子から立ち上がりました。

「メリー、探検よ」
「探検?」
「そう。それとも、秘封倶楽部の活動、って言った方がいい?」

 蓮子の言いたいことが分かったのか、メリーはぱん、と手を打ち鳴らして笑いました。

「列車の中を見て回るのね」
「そうよ――折角なんだから。何か面白いものがあるかもしれないし」

 言って、蓮子は立ち上がります。
 メリーの横を通って、列車の通路に出ました。その後をメリーが続きます。

「行きますか?」

 蓮子が王子様のように手をさし伸ばしました。

「行きましょう」

 メリーがお姫様のように微笑んで手を取りました。
 二人は笑って、笑いあいながら、手を繋ぎながら、次の客車へと向かいます。

 ――そこには誰がいたの?

 誰もいませんでした。
 夜の列車は、がらんと空いていました。
 ただ、通路の真ん中に、人の形をした黒猫がいました。
 その黒猫を見て、メリーが嬉しそうな声をあげます。

「あら、ダイナ!」
「どきどきダイナ?」
「違うわよ! 黒猫のダイナ。子猫はいるのかしら?」

 嬉しそうに言いながら、メリーは猫へと近づきます。
 猫が好きなのかもしれません。
 その手触りの良さそうな頭に、メリーは手を伸ばします。
 けれど残念。
 伸ばした手は、猫にぺし、とはたかれました。
 爪を出していないので、傷はつきませんでしたが、メリーはショックを受けたように後ろへと下がりました。
 猫はふぁぁぁ、とあくびをして、

「甘やかされなくても大丈夫」

 猫はぴょん、と椅子の上に乗りました。
 軽やかな、見事な身のこなしで。
 不安定な椅子の背に立って、猫は楽しそうに言います。

「猫は一人でも生きていけるんだ。ジュリクル・キャッツなら」

 椅子から椅子へと跳び移った猫に、蓮子は問いかけます。

「スキンブル・シャンクス?」
「ううん、橙。名前しかまだない」

 言って、橙はくるりと一回転。
 尻尾を振り回しながら、通路にぴたっと着地をしました。
 そして、振り返ることなく、橙は去ってきました。
 列車の後ろ、さっきまで蓮子とメリーがいたところへ。
 列車好きの鉄道猫は、車掌の後ろに控えるものですから。

「ああ、猫さんが……」

 メリーが悔しそうに、悲しそうに言います。
 よほど耳を触りたかったのでしょう。
 がっくりと肩を落とすメリーの頭を、蓮子は「よしよし」と撫でました。
 仲の良さそうな二人を、窓の外を飛ぶ夜雀が見ていました。
 列車に併走するように、夜雀と、闇夜の妖怪が飛んでいます。
 陽の明かりのない、星明りだけの銀河の海を、泳ぐように跳ぶ彼女たち。
 楽しそうに跳ぶ彼女たちを、

「ひゃっほ――っ!」
「魔理沙、待ってってば!」

 流れ星に乗った二人の魔法使いが、見事に跳ね飛ばしました。
 くるくると妖怪たちは明後日の方向に跳ね飛ばされて消えていきます。
 黒白の魔法使いと、七色の魔法使いは、此方から彼方へと飛んで行きました。
 車内にいる蓮子とメリーには、流れ星がすぐ近くを流れたようにしか見えませんでしたけど。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

 列車は星の間を抜けて、一つの星に降ります。
 今度の星は、見たこともない星でした。
 蓮子にも、メリーにも、そこが何という星なのか分かりません。
 星は、どこもかしこも雪が降っていました。
 辺り一面に広がる緑の森も、茶の土も、全て白に覆われています。
 星全部に雪が降っていて、遠くからは、白い星に見えるくらいでした。

『えー、停車駅は、タンスの奥のスキマ、タンスの奥のスキマです』

 天井のスキマからアナウンス。
 けれど、ドアは開きません。
 外が寒すぎて、人が降りない限り、ドアは開かないのです。
 メリーも、蓮子も、寒いのは苦手なので外に出ようとはしません。
 窓の外から、白く白く白い世界を見るだけです。
 白い世界に、一つだけ、色が混ざっていました。
 小さな黄色です。
 黄色い灯火が、白の世界に、ぽつんと混ざっています。
 灯火は、街灯でした。
 白い雪の積もった森の真ん中、開けたところにぽつんと街灯が立っていたのです。
 そして。
 白い白い森の中、白い白い雪に囲まれて、白い白い女の子が、街灯の光に照らされて立っていました。
 微かに青が混ざった白い服の女の子、レティに向かって、

「あら、迷子?」

 と、メリーが聞きます。
 レティは首を横に振ります。

「いいえ、冬を待っているの」
「今が冬じゃない!」

 蓮子の言葉に、レティは寂しそうに笑って答えました。

「違うの。ここの冬が、ずーっと、ずうっっっっっっっっっっっっっっっっっっっと遠くの所が冬になるのを、ゆっくり待ってるの」
「そうなの。早く、冬が訪れるといいわね」

 メリーの優しい言葉に、レティは嬉しそうに笑いました。
 寒いところから逃げるためか、列車はゆっくりと動き始めます。
 アナウンスもなく、ごとごとと音を立てて、列車は雪の中を進みます。
 いつまでも街灯の傍にたって、手を振って別れを告げるレティの姿が、雪の向こうに消えていきました。
 列車は突き進みます。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

「――うちの猫を見ませんでしたか?」

 いきなりそう言って、他の客室と繋がる扉を開いたのは、尻尾の生えた狐、藍でした。
 声には聞き覚えがあります。
 そう、藍は、アナウンスの声の人でした。
 よほど切羽詰まっているのか、蓮子とメリーが何を言うよりも早く、藍は言います。

「できれば笑いのほうだけでも。可愛い黒猫なんです」

 黒猫、という言葉に、二人の脳にピンとくるものがありました。
 さっき、客室で出会った猫に違いありません。
 メリーと蓮子が、同時に後ろの客室を指差しました。

「ありがとう!」

 それだけ言って、藍は慌しく客室へと去ってきます。
 よほど猫のことが心配なのでしょう。
 なんとなく微笑ましくなって、メリーと蓮子は、顔を見合わせてくすくす笑いました。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

 列車は進みます。
 外の景色が、少しずつ変わってきました。
 白一色だった世界が、少しずつ、変化が訪れたのです。
 まるで春がきたかのように、雪が一斉に溶け、辺りに色がつき始めました。
 溶けた雪は、まるで涙のように溜まり、大きな湖を作りました。
 あっという間に、見える範囲は全て、湖になってしまいます。
 列車は、湖の上を、音を立てて走り抜けます。
 春の陽気に誘われたのでしょうか。
 列車の上には、三人娘の幽霊楽団が、楽しそうな音楽を奏でていました。

「あ。蓮子、蓮子! あれを見て」

 楽しそうな音楽にさそわれて、メリーの声も楽しそうです。
 指差す先には、氷の妖精、チルノが居ました。
 チルノだけではありません。
 春の妖精、リリーホワイト。蟲の妖怪、リグル。
 子供のような三人が、湖の上を、楽しそうにはしゃぎ回っています。
 何をしているのだろう――蓮子はそう思って、じっと目を凝らしました。 
 走り回る女の子たちの服は、びしょびしょに濡れていました。
 それを走って乾かすために、女の子たちは走っているのです。
 けれど、走れば走るほど、湖の水を巻き上げてしまい、結局服は濡れてしまいます。
 女の子たちは、いつまでも、いつまでも楽しそうに走り続けています。

「楽しそうね」
「そうね――」

 メリーが言い、蓮子が答えます。
 きっと、彼女たちは思い出しているのでしょう。
 いつの日か。遠い昔、ああして駆けていたときのことを。
 列車は湖を離れ、さらに遠くへと走ります。

 がたんごとん。
 がたんごとん。
 がたんごとん。

「お弁当はいりませんかー。白玉楼に昇るほど美味しいお弁当ですよー」

 再び、客車のドアが開きました。
 今度現れたのは、カートにお弁当を乗せて運ぶ妖夢です。
 その後ろから、お弁当をこっそりつまみ食いする幽々子が続きます。
 真面目に商売をする妖夢は、主が食べていることに気づきません。
 蓮子とメリーの横で立ち止まり、

「お弁当、いりませんか?」

 その声が真摯だったので、メリーは思わず買ってしまいそうになりました。
 けれども、お腹が空いていなかったのと、夜食を食べたら太ることを思い出して、

「いいえ、ごめんなさい」

 と首を横に振りました。
 貴方は? と妖夢は蓮子の方を向きますが、蓮子も同じように断りました。
 メリーが食べないのに、自分だけが食べるわけにはいかない。そう思ったからです。
 妖夢は残念そうに「そうですか」とだけ言って、客車の後ろへと去っていきました。
 主の幽々子も、蓮子とメリーに手を振って、妖夢の後に続きます。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

 湖は、いつの間にか夏の湖に変わっていました。
 遠くに、花火の光が見えます。
 湖の向こう。花火の下、陸の上では、巫女と鬼が、仲良く夕涼みをしていました。
 古道具屋が切り分けたスイカを、妖精たちが横からこっそりと食べるのが見えました。
 何か催しものでもあるのか、祭囃子の音が列車にまで届いてきます。
 その光景が楽しそうで楽しそうで、蓮子とメリーは混ざりたいと思いましたが、全ては彼方の岸での出来事です。
 列車は止まることなく、夏の湖を通り越していきます。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

 外の光景は、またゆっくりと変わっていきました。
 湖が終わり、一面の花が咲き誇る陸へと列車は進んだのです。
 近くに見えるのは黄金色の稲穂と、色とりどりの花畑。
 遠くには、花の咲かない大きな桜の木が見えました。
 草原の真ん中では、大きな人形と、小さな人形が、楽しそうに花冠を作っていました。
 お互いが作った花冠を、お互いの頭に乗せています。

「なんだか私も作りたくなってきたわ」

 メリーがくすくすと笑いながら言いました。
 列車が止まったら降りて花を摘もうかしら。その笑顔は、そう語っています。
 けれどやっぱり、電車は止まる気配すら見えず、花畑の上を走り続けます。
 ひょっとしたら、車掌が猫を探しに行ったので、電車は永遠に止まらないのかもしれません。

「あれは家庭教師のオバサン?」

 気づいたのは蓮子でした。
 遠くの桜の木の周りを、傘を持った女の子が、ふわふわと風に乗って飛んでいました。
 緑の髪をした、風見 幽香です。
 風にのって、花畑の上を、桜の木の周りを、楽しそうに跳びまわっています。
 その彼女の周りを、さらに周るようにして、列車は進みます。
 地面を離れて。
 花畑を離れて。
 季節をぐるりと一巡した列車は、再び空へと、星の世界へと旅立ちました。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

 窓の外の光景は、再び星と暗闇の世界へと戻りました。
 賑やかな少女たちはどこにもいません。
 静かな、穏やかな夜が、どこまでも続いているだけです。

「次の客室、行ってみる?」

 蓮子は、ようやく窓の外から視線を外して言います。
 視線の先、メリーは、それでも少しの間、名残惜しそうに星空を見ていました。
 それも、少しの間です。
 メリーはすぐに振り向き、蓮子を見て、にっこりと笑いました。

「行きましょう、蓮子」

 メリーは蓮子の手をとって、次の客車へと向かいます。
 車掌や弁当屋が通ってきた扉を開けて、次の客車へと。
 次の客車へと入って、蓮子とメリーは、驚きに口をぽかんと開きました。
 なぜって、客車の中は、どこもかしこも紅色だったのですから。
 おまけに椅子が全て取り払われて、中はがらんとしていました。
 その中央に、やっぱり紅色の机が一つ置いてあります。
 その机を囲むように、椅子が三つ置いてあります。
 椅子の色は、不思議な銀色でした。
 一の椅子に座るのは、紅色の姉。
 二の椅子に座るのは、紅色の妹。
 三の椅子に座るのは、客人の魔法使い。
 そして、その机を守るかのように、銀のメイドと紅の門番が立っています。
 客車を丸ごと改造して、自分たちのお茶会場へと変えてしまうような人たちです。
 どう考えても居心地が悪い――蓮子とメリーは顔を見合わせて、元の客車へと戻ろうかと考えました。
 その二人に、紅色の姉が、優しく声をかけます。

「お茶はいかが? ケーキは?」

 戸惑う二人に、今度は魔法使いが言います。

「お菓子はどう? プリンに黒丸にターキッシュ・ディライト」

 最後の一つ――というよりも、お菓子はどれも物騒なものでした。
 メリーと蓮子は慌てて首を振ります。
 そう、残念。そう声を合わせて、紅色の姉と魔法使いは、同時に紅茶を飲みました。
 紅色の姉が飲む紅茶は、不自然なくらいに紅色でした。
 その紅茶が何なのか、尋ねる勇気は、メリーにも蓮子にもありませんでした。
 ちなみに紅色の妹はといえば、

「…………くー」

 机の上に置かれたキャベツを食べて、幸せそうに眠っていました。
 その背中に、銀のメイドが毛布をそっとかけました。
 これ以上、邪魔をしないでおこう。
 メリーと蓮子は同時にそう思い、まったく同じタイミングで踵を返しました。
 振り返ることなく、静かに、客室を後にします。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

 誰もいない客室で、蓮子とメリーは同じ椅子に座って、肩を並べて座っています。
 二人で、一緒に、窓の外の星を見ています。
 色々あって、疲れたのでしょうか。
 メリーの頭が、そっと、横に座る蓮子の肩に乗せられました。
 蓮子は嫌がることなく、身体を動かさないで、その頭を受け入れました。
 微かなメリーの臭いが、蓮子の鼻をくすぐります。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。

 二人がまどろむ間も、ゆっくりと、列車は進みます。
 窓の外の光景が、少しずつ変わっていきます。
 遠い星の世界から。
 見慣れたいつもの世界へと。
 町の光が、ゆっくりと、ゆっくりと近づいていきます。

 がたん、ごとん。
 がたん、ごとん。
 がたん――

 列車がとまり、アナウンスの声が響きます。

『駅に着きました。お忘れもののないようにお気をつけください』

 ようやく、猫を見つけたのでしょうか。
 真面目な声が、天井のスキマから届きます。
 その奥からは、眠そうな猫の声も聞こえました。
 列車が止まった揺れと、アナウンスで、蓮子とメリーの意識が急激に戻りました。
 慌てて外を見れば、見慣れた町がありました。
 本当の、目的地に、今、二人はようやく辿りついたのです。
 二人の目の前で扉が開き、新しい乗客が乗ってきました。
 一仕事を終えた、裁判長と、船漕ぎと、新聞記者です。
 少女たちは疲れた顔で、何事かを話しながら、一番奥の客車へと入っていきました。

「――蓮子。どうしましょう」

 立ち上がって、メリーが聞きます。
 どうしましょう、という意味を、蓮子はしっかりと理解していました。
 目的の駅にはつきました。
 本当なら、ここで降りるべきです。
 でも、新しい乗客が乗ってきたということは、まだ列車は走り続けるということでもあります。
 つまり――
 このまま乗っていれば、もっと見知らぬ、どこかへ行けるかもしれないのです。
 蓮子は悩みます。
 ここで降りるか。 
 それとも――帰ってこれないことを承知で、列車に残るか。
 頭の中にあるのは、列車の中でメリーが言った言葉です。
 ――カンパネルラのように。
 ――銀河鉄道のように。
 電車に乗ったままなら、きっと戻ってこられないだろうと、蓮子は思うのです。

「……。メリーは、どうしたい?」

 蓮子は、恐る恐る問いかけます。
 メリーは、少しの間、黙って考え込みました。

「このまま列車に――」

 蓮子が、そう何かを言いかけたときです。
 突然、重大な何かに気づいたように、急にメリーが真顔になりました。
 メリーがそんな真顔になった所を、蓮子はそうそう見たことがありませんでした。

「蓮子。私、大変なことに気づいたわ」

 真顔のまま、メリーは、蓮子の顔を見つめて、こう言いました。

「――もうお金無いの。私たち、このままだとキセルね」

 その言葉に――蓮子は。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、ポケットからがま口の財布を取り出しました。
 変な顔のまま、財布を開けて中を見ます。


 入っていたのは、百円玉が一枚きり。





        †   †   †





 サニーミルクは、長い長いお話を語り終え、一つため息を吐いた。
 お話しの余韻に浸っているのか、ルナチャイルドも、スターサファイアも、何も言わない。
 お話しを聞き始めたときと同じ姿勢で、のんびりとしている。
 のんびりと、川は流れる。
 さんさんと輝く太陽はまだ空にあり、川を黄金色に照らし出していた。
 ぴんと張った、音のしそうな空。
 どこか遠くで、鳥が、ちちちと鳴いた。

「それで? その二人はどうなったの?」

 くるくると傘を回してスターが問う。
 日傘に遮られた中に風が吹き、長い黒髪が静かに揺れた。
 話しつかれたサニーは、船の中にぱたりと横になって、蒼い空を見上げて答える。

「続きははこんど――」
『いまがこんどよ!』

 スターとルナが、嬉しそうに声を揃えた。
 サニーはため息を一つ吐いて、空を見上げたまま、言ノ葉を、丁寧に紡いでいく。

「結局二人は電車を降りて、百円玉で飲み物を買って、二人で分けて飲んで――」

 お話しは続く。
 お話しのお話しが、ゆっくりと、幻想郷の空へと吸い込まれていく。
 低いところからより低いところへと、遅々として進まないおだやかな川。時計の針よりも、沈む太陽よりも、ゆっくりと流れる川。
 その川の上に、船が浮いている。
 木のうろで出来た丸太の船。へりもなにもないその船は、川に浮かぶ葉のように、ゆらゆらと揺れながら進んでいる。
 船の上には、三人の妖精。
 船の上には、三人の少女。
 お喋りが好きで、イタズラが好きな、気ままな少女たちの遊びが続く。
 夢見る天気の下。
 黄金の昼下がり。
 三つ合わせた舌は、黄金の昼下がりの中、いつまでもいつまでも、楽しそうにお話しのお話しを続けていた。







                                                                  END
                                                 BGM : ALL IN THE GOLDEN AFTERNOON





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 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



◆あとがき◆






お話しの、お話しの、お話し。









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