1 身売る体、見得る魂
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 物を大切にしましょう。
 大切に大切に、大事に金庫にしまいましょう。
 金庫の扉を閉めましょう。開かないようにきっちりと。

 ――さて問題です。

 金庫の中に、本当に物は入っている?




        †   †   †





 珍しいことに、ノックの音が香霖堂に響いた。こん、こん、と二度。次いで、「ごめんください」と、少女の声が扉の向こうから聞こえた。
 本を読んでいた霖之助はわずかに眉根をひそめる。ノックなど、ここしばらく縁のないものだったからだ。香霖堂に来る人間――もっとも、人間以外が多数を占めている――といえば、ノックもせずに入ってくるのが常だったからだ。扉を吹き飛ばされなくて運が良かった、と思ってしまうくらいに、普段の来訪者は行儀が悪い。一般常識が明らかに欠けている。
 そもそも、一般常識どころか、一般人など香霖堂には訪れない。この店に来る者の大半は、どこか変わりものであったり、妖怪であったりする。香霖堂は魔法の品を扱う古道具店なので、奇妙な形で需要と給養がつりあっていると言えた。
「どうぞ――」
 本を脇に置き、居住まいを整え、扉の向こうへと霖之助は声をかける。
 わずかに沈黙。
 躊躇いのようなものが、扉の向こうには、確実にあった。
 その暇に霖之助は思考をめぐらせる。声は明らかに若い少女のもの。魔理沙や霊夢のものではない、聞き覚えの一度としてない声。声色は若いが、口調はしっかりしていた。育ちのいい子なのかもしれない。ノックの音は丁寧で、いきなり襲い掛かってくるような乱暴者には思えなかった。
 人間か妖怪かは――分からない。
 からん、と音が鳴る。扉が開き、来客者であった少女が中へと入ってくる。
「失礼します」
 少女は扉をくぐって一礼し、振り返って、扉を閉め、もう一度振り返って一礼した。
 予想通り、少女は若かった。乳白色の和服に身を包み、肩口で髪を綺麗に切りそろえている。姿形は良いが、白玉楼のお嬢のような気品はなかった。富豪の家の女中や、村一番の美人――そんな、どことなく垢抜けなさがある少女だった。
「お客様――かな」
 客以外に何がくるのだ、と思いつつも霖之助は問う。客以外の者も多々くるため、一応問うことにしているのだ。
 少女は、ヘソの前で両手を揃えながら、はい、と頷いた。
「何かを売りにきたのかい? それとも、買いに?」
 霖之助の問いに、少女はわずかに小首を傾げて、困ったようにした。
 問答無用で弾幕を襲い掛かってこないことに安堵しながら、霖之助は言葉を続ける。
「とりあえず、そのあたりに腰かけてくれていいよ」
 その辺り、と漠然と指を差す。物が多くて、座る場所はそうなかった。
 少女は視線をさ迷わせて少し悩み、一番物が少なそうな場所に座った。細い手先で置いてあった物を押しのける。膝の上で手をそろえ、霖之助をじっと凝視している。棚に詰まれた物々に見向きもしない。
 経験上、こういう客は二分される。
 何かを売りにきた客か、特定の何かを買いにきた客か。
 前者ならば、例えば実家に眠っていたわけのわからない道具であったりする。後者の場合は――病気の母親を治すための薬だの、不老不死の薬だの、空跳ぶ箒だのと、代用のきかないものを買いにきた場合だ。
 見たところ、何かを持ってきている様子はない。少女の姿は、着の身着のままといった感じだ。漠然と後者だとあたりをつけながら、
「初めまして、店主の香霖堂と申します。えっと、貴方は――」
 そこで霖之助は言葉を切った。自発的に、相手が名乗ってくれることを期待したのだ。
 が、少女は霖之助を注視するばかりで、何を言おうともしない。霖之助は仕方なく、
「――なんとお呼びすればよろしいですか?」
「それが――」
 少女は、ただの一言で済むはずの質問に、十分過ぎる時間をかけて、こう答えた。

「――分からないのです」

 は? と、思わず反射的に呟いてしまった。
 少女はわずかに顔を伏せ、「名前は――分からないのです」と、繰り返した。
 分からない。
 名前が、分からない。思い出せない。
 霖之助は右手で前髪をかきあげ、その単語を頭の中でゆっくりと咀嚼する。一つの単語が頭の中に浮かび上がってくる。
 記憶――喪失。
「……妖怪に食べられでもしましたか」
「はい?」
「いえ、なんでもありません。それよりも――」
 霖之助は視線をそらし、店に積んである品々を見回しながら、
「忘れたのは、お名前だけですか? 何故ここに来たのかは思い出せますか?」
 と訪ねた。
 記憶喪失など珍しいことではない。頭を強く打てばそれだけで記憶の欠片は飛び散る。歴史を消す妖怪もいれば、記憶を食う妖怪もいる。名前を奪う妖怪だって、どこかにはいるだろう。
 香霖堂の立地を考えれば、そう物珍しいことでもない。
 少女は、霖之助の視線を追うようにして、店内の品を見ながら答える。
「いえ――おぼろげながらに、憶えています」
「ほう」
 霖之助は頷き、少女を見る。
 少女もまた、霖之助を見た。
「売りに――きたのです」
 絞り出すような声で、少女はそう言った。
 霖之助は「ふむ」と頷き、
「何を売りにこられたのですか?」
「それは……」
 少女の言葉は、答えにたどり着かず、尻すぼみになって消えた。
 何を売りにきたのか分からず、自分の名前すらも思い出せない。
 事件か面倒ごとの匂いがした。が、霖之助にできることは何もなかったし、何をしようとも思わなかった。
 再び顔を伏せて考え込む少女を横目で見ながら、霖之助はのんびりと待つ。
 しばらく、無言のままに時間が流れた。
 時計はなく、正確にどれだけの時間が流れたのかはわからない。窓から差し込む影がわずかに伸びたのは確かだった。
 やがて少女は顔をあげ、霖之助を見つめて、口を開いた。
「親が、亡くなったのです」
「……それはご愁傷さまです」
 とりあえず、霖之助はそう答える。答えながらも、頭の中では、少女が売りに来た物について考えている。
 遺品――だろうか。
 死人の物を売りにくることは勿論ある。他人から強奪したものを売りに来る者もいるが、それよりはむしろ、家族の死後、故人の持ち物を売り払いに来る者がいる。
 時折何を勘違いしたか、遺灰や骨、髪を持ってくるものもいるが。死体そのものを持ってきたものは、さすがにいない。赤ん坊を売ろうとした親ならばいたが。
「それで――私は、どうすればいいか分からなくて――どうしようもなくなって――」
「どうしようも、なくなって?」
 少女の言葉が再び途切れる。霖之助を見ていた視線が店内をさ迷う。店の中の何かを捜す目つきではない。記憶の中にある何かを探す仕草。
 少女の視線は店内を三往復し、最後に、霖之助へと戻って、止まった。
 先とは違う――硬い意志を持った瞳で、少女は、霖之助を見詰める。
「――そう。香霖堂さま、思い出しました」
 そう言って。
 少女は立ち上がった。何をするのか、と霖之助は少女の動きを目で追う。
 立ち上がった少女は、霖之助へと近付きつつ、その手を蠢かせた。
 細い指先が――和服へと伸びる。
 和服を留めていた、帯へと伸びる。
 霖之助は何も言えない。少女は止まらない。解かれた帯が、するりと床に下りる。和服の前がはだけ、凹凸のない体が、霖之助の前に晒し出される。
 身に纏うものを脱ぎながら――少女は、照れることも恥じることもなく、真顔で、霖之助を見つめて言う。


「私は――私を売りにきたのです」


 ――身売り。
 そんな単語が、霖之助の頭の中に浮かぶ。
 生きるために身体を売るということは、けっして珍しいことでも、おかしなことでもない。
 時給というシステムは、労働に対して賃金を払っているのではなく、時間を――すなわち寿命の一部を切り売りしているのである。身体を売るのもそれと変わりない。肉体を貸し与えて、賃金を得る。
 ごく単純な、等価交換。倫理観が異なれば、それは罪にすらならない。
 そんなことを考えている間にも、少女は服を全て脱ぎさり、霖之助に一歩、一歩と近付いていく。身体を覆い隠していた和服がかさりと音を立てて地面に広がった。
 白い服の下には、それよりも尚白い肌。陶器で出来ているかのような白い肌を隠すものは何もなかった。黒い髪が首筋を流れている、歩くたびにかすかに揺れる。
 座ったままの霖之助は、自然、それを見上げる形になる。
 その目が緩むことも、鼻の下が伸びることもない。眼鏡の奥にある霖之助の瞳はあくまでも真っ直ぐで――値を確かめる商売人の瞳だった。
 少女の裸体を、隅から隅まで、確かめる眼差し。
 ねばつく、からみつく視線ではない。むしろある種の真摯さが伴う瞳。
 その瞳が、少女の瞳と絡まる。黒い瞳が、ゆっくりと、霖之助に迫っていく。
 少女は膝立ちになり、片手を床につき身体を支え、霖之助を間近で覗き込んで言う。
「高価く――買ってください」
 言って、少女は。
 身を全て預けるかのように、その裸体を、霖之助の胸の内へと躍らせた。細すぎる腕が、霖之助の首に絡む。柔らかい体が霖之助の身体にしなだれかかる。整えていた服が着崩れる。
 温もりを求めるかのように、少女は、霖之助に抱きついた。
 口から吐かれた吐息が首筋を擽っていく。
 霖之助は――す、と、少女の耳元に手を添える。横髪をかきあげ、少女の顔をくい、と上げ、先よりも近くで見る。
 触れた手からは少女の体温が伝わる。人の温もりを感じさせない体温が。
「ああ、貴方の名前がわかりましたよ」
 霖之助は――自らの能力を発揮しながら、言う。
 香霖堂店主、森近 霖之助。
 彼が持つ能力は、弾幕遊びには使えない、古道具屋としてしか遣うことのできないものだ。
 ――未知のアイテムの名称と用途がわかる程度の能力。
 名前を知らない、未知の少女は、一糸纏わぬ姿で、霖之助に寄りかかっている。潤む瞳で霖之助を見上げ、「私の――名前――」と、茫然と呟いた。
 その顔を確りと見据えて、霖之助は、明瞭と言った。



「貴方は――――櫛です」
 


 その言葉に。
 少女は――櫛は、一瞬目を見開いて――それから、

「そう――でしたわね」

 満足げに、笑った。





        †   †   †





「香霖、これなんだ?」

 翌日。いつものように遊びにきた魔理沙は、いつものように挨拶もなく香霖堂内部へと飛び込み、いつものように遠慮なく椅子に座り、いつものように品物を物色してそれを見つけた。
 机の上に置かれた、小さな物。
 乳白色の和紙で丁寧に包まれた何かを。
 霖之助は本から視線をあげ、魔理沙が手に取ろうとしているそれを見遣り、淡々と答えた。

「それはね、櫛だよ」
「櫛? 髪を梳くやつか?」
「そうだよ。中を見てみるといい」
「見ていいなら、遠慮なく見るぜ」

 言って、魔理沙は和紙を丁寧に開いた。櫛を纏っていた和紙が開き、中にあった櫛が顔を覗く。
 古く、けれど美しい、小さな櫛だった。歯の部分が黒く、それ以外は、陶器よりも白い。
 大切に使われていたと思しき逸品だった。

「これどうしたんだ?」

 魔理沙の問いに、霖之助は本に目を落としたまま答える。

「使っていた方が亡くなったらしくてね。このままだと野晒しになって朽ちてしまうから、僕が引き取ったようなものだよ」
「ふぅん……」

 魔理沙が気のない返事を返す。『ようなものだよ』という部分に対しては、とくに疑問をもたなかったらしい。
 今の魔理沙の興味は、少女らしく、その櫛そのものへ向いていた。
 霖之助は顔をあげ、櫛をさまざまな角度から見る魔理沙に対し、何気なく言った。

「――魔理沙。それ、君にあげよう」
「――いいのか!? 言ったなよし貰ったぞ!」

 すぐに返事がきた。箒で飛ぶよりも、天狗の飛行よりも速い返事だった。
 霖之助は苦笑しつつ、

「多少呆けているけれども、使う分には問題がないはずだよ」
「……ボケ?」

 不思議そうな魔理沙の声に、霖之助は手を振って誤魔化した。

「ああいや、なんでもない。櫛だから記憶が零れ落ちる、それだけのことだよ」
「何を言っているのか、まったく分からないぜ」
「分からなくても問題はないよ」

 ま、そうだな――魔理沙はそう得心し、丁寧に和紙を畳んで、櫛をスカートの中にしまった。
 そしてすぐに立ち上がる。急に気が変わって返せと言われるまえに帰るつもりなのだろう。
 分かりやすい後ろ姿に対して、霖之助は声なく笑った。
 箒を手に入り口扉を開いた魔理沙は、ふと振り返り、笑みを貸した霖之助に対して、疑問を投げた。

「でも香霖。なんでタダで『くれる』んだ? ケチなくせに」
「ケチは余計だよ」霖之助は憮然といい、「けど――まぁ、無料ってわけでもない」
「……今更金払えというのは悪徳商売だぜ?」
「ああ、違うよ。君に対してじゃないんだ。櫛を高価く買うって約束したからね」

 霖之助にしかわからない――いや、霖之助と、櫛にしか分からない、独り言のような言葉。
 魔理沙は小さく首をかしげ、

「どういう意味だ?」
「道具はすべて使われるためにある、ということだよ。それが道具にとって、一番の対価なんだ。――その櫛は、僕じゃ使い道が無いからね」

 そう言って、霖之助はかすかに笑い、

「その点、君の髪を梳けるなら――櫛も本望というものだろう」
「それはひょっとして褒めてるのか?」
「髪が長いと言ってるだけだよ」
「褒められたと思っとくぜ」

 魔理沙は嬉しそうに笑って、箒に跨ることなく、歩いて香霖堂を後にした。
 開いた扉の向こう、魔理沙が遠ざかってく。
 その後ろに。
 和服の女の子の姿を、霖之助は幻視した。少女は魔理沙の後ろを嬉しそうに歩き、一度だけ振り返って、ぺこりと頭を下げた。
 夜中、眠っている間に髪を梳いてくれる櫛は便利そうだな――そんなことを ふと思ってしまった。





(了)




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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



◆あとがき◆




 ……ということで、何の変哲もない香霖堂の一日でした。
 器物百年。幻想郷なら十年くらいで成りそうですが。
 道具だって自分を使って欲しいと願ってるよなぁ、という、そういうお話でした。







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