1 | 水面に映る君は夢 |
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00 | 「ねえ蓮子、貴方は誰かしら?」 開口一番、それだった。 「…………」 私は答えを保留して、テーブルの上に置かれていたグラスワインを手に取った。昼間っからアルコールとはみっともない――と思われるかもしれないが、それは違う。昼間からアルコールを飲んでも大丈夫な世界を喜ぶべきなのだ。 というわけで、乾杯。 グラスを傾けると、五臓六腑七感にアルコールが行き渡って、なんともいえない幸せな気分になる。メリーのすっとんきょうな言葉を許すことができる程度には。 グラスを置いて、改めて、目の前に立つメリーを見た。 秘封倶楽部の相棒、メリー。本名、マエリベリー・ハーン。ウェーブのかかった金の髪、何を考えているのかわからないのほほんとした表情。薄紫色のゆったりとした服は彼女によく似合っているけれど、紅色のリボンが少し曲がっていた。 そんなところも、彼女らしいと言えなくもない。 たっぷりと時間をかけてメリーの姿を見てから、私は壁にかけてある時計に視線を移した。今時珍しいデジタルの時計は、待ち合わせ時間の二分先を指し示していた。時計が壊れるとか、地球の自転が狂っていない限り、メリーが約束の時間に遅れていないことになる。 ――絶対におかしい。 なんて馬鹿なことを私は考えつつ、視線をメリーに戻して、 「……とりあえず、座れば?」 私の言葉に、メリーは「そうね」と頷いて、向かいの席に腰をかけた。この机は二人掛けなので、向かいの席もなにも、席はその一つしかないのだけれど。流石に床に座るような人間を友人と呼ぶ趣味はない。ないったらない。 時間は十五時二分前。真昼間、というには、少しばかり時間が過ぎているのかもしれない。 こういうとき、空の星が見られないことをどうしても悔やんでしまう。ここが室内でなければ、空を見上げただけで、今の時刻が分かるというのに。 ついでに言えば、月を見ることができれば今いる場所も分かる。相棒のメリーが特殊な能力を保有しているように、私はそういう特技を持っている。 もっとも、今はいちいち月を見る必要もない。自分がいる場所がはっきりしている今は。 大学そばの喫茶店。 とくに変哲もない、何の目玉もない、ごくありきたりな喫茶店だ。大学から近いというのが最大のポイントで、次が味と値段。夜遅くまでやっているので、秘封倶楽部第二の本拠地になっていたりする。大抵ここで計画をまとめ、どこかの寺なり神社なり墓場なりに行くのが、いつもの秘封倶楽部の活動だ。 どこにも行かないで、ただ話すだけの日もあるけれど。 今日もその予定だった。どこに行くつもりもなく、秘封倶楽部と名のついたお茶会。そこで何か面白い話が出たら、迷わず惑わず思い立ったら即実行――というのが、予定だった。 けれど、面白い話と、おかしい話は違う。 メリーの第一声は明らかに後者だった。 「それで、発言が矛盾していることについて、何か釈明はおありですか? メリー被告」 言うだけ言ってリボンを直していたメリーが、私の言葉に顔をあげて、 「やあね蓮子ったら。そんなに怖そうな顔しちゃって」 「怖そうな顔じゃなくて、怖い顔してるのよ」 「皺が増えるわよ?」 「手の平になら増えて欲しいくらいだわ」 あてつけとばかりに、私は一度ため息を吐いて、 「『蓮子、貴方は誰かしら』? それ、新手の倒置文? 諧謔文? それとも何かの言葉遊び?」 「違うわよ、もう」 私の言葉に怒ったのか、メリーはわずかに頬を膨らました。その仕草に笑いながら、私は彼女の前に置かれたグラスにワインを注いでやる。赤い液体が小さなワイングラスの中で踊るのを見るのは好きだ。メリーは白の方が好きらしいけれど、そんなことは、私の知ったことではない。悔しければ私より先に来て注文しなさい――ということだ。 それでもメリーは、嬉しそうにワインの匂いをかいで、それから一口ほど喉に通した。自分と彼女を呑みっぷりを考えると、秘封倶楽部が解体したらアルコール研究会に変えようかしら、とたまに思ってしまう。 「何が違うのか説明してくれると嬉しいわね」 メリーはしばらくの間、赤い水面を見つめていたが、もう一口呑んでから私に向き直った。 「私が説明しようとする前に、蓮子が茶々を入れたんじゃない」 「赤頭巾を入れた憶えはないわ」 「違うわよ!」 「冗談よ、冗談。茶々を入れる暇をメリーが作りすぎなのよ。作るのは隙間だけにしておきなさいな」 眉根を寄せるメリーを見ながら、空になった自分のグラスにもワインを注ぐ。ボトル半本くらいでは酔いもしないので、その点は心配いらない。むしろ、アルコールが入ることで、思考がスムーズになることを喜ぶくらいだ。 「普通、まっさきに説明を入れるものでしょ。なのに貴方、何をするかと思ったら身だしなみを整えるだけ。そういうのは先にしとくものよ」 「みっともないよりは、みっともある方が蓮子だって好きよね?」 「時間を守ってくれる人はもっと好きよ」 「貴方がそれを言う?」 「勿論言うわよ。――それで?」 何を言われているかわからない、とばかりにメリーは首を傾げた。 どうも、この子の頭は、蟲か何かと変わらないんじゃなかろうかと思ってしまう。自分で先に言った言葉すら忘れてしまうなんて、オウム以下でしかない。 「本題よ、本題。突発的で突拍子もない貴方の言葉、説明してくれるんでしょ?」 「ああ!」 ぽん、と手を打って、メリーは嬉しそうに笑った。 ……どうにも、本気で何を言うべきか忘れていたらしい。 メリーを怪しげな脳開発センターに送り込むかどうか、私が真剣に検討しているのを余所に、メリーは笑ったままワインをさらに呑み、 「それを言おうと思っていたのよ」 「そうね。言おうと思って、言わなかったのよね」 「その通りよ」 「…………」 横槍に皮肉をぶらさげて投げてみたが、あっけなく流されてしまった。どうにも私が一人虚しくなっているだけな気がしてきた。 これ以上口を挟んでも話がずるずると長引くだけなので、私はもう何も言わず、ワインの味を楽しみながら、静かにメリーの言葉を待った。 メリーも私と同じように、グラスにワインを注いでから、 「変なことがあったのよ」 「いつもあってるじゃない」 「そうじゃないのよ!」 的確な私の指摘に、メリーは少しだけ声をあらげた。 今日のメリーは、いつもよりも怒りっぽい気がする。その『変なこと』のせいなのかもしれない。のんびり屋のメリーが機嫌を損ねるような出来事なんて、ちょっとやそっとじゃ想像できなかった。 彼女の話に興味が沸いてきたので、私は机の上に肘をおいて手を組み、その上に顎を置いて、本格的に聞く姿勢を取った。 「どうじゃないのか、その説明をきちんと聞くわ」 「先に耳掃除してあげましょうか?」 「いらないわよ」 「あら――残念」メリーは紅い舌をちろりと覗かせ、「ともかく、変なことが起きたのよ」 「どう変だったの?」 「とにかく変だったの」 「…………」 要領を得ないメリーの言葉に、自然、自分の表情が険しくなっていくのがはっきりと自覚できた。よく言えば禅問答的な、普通にいえばあやふや過ぎる、悪く言えば卓袱台をひっくり返したくなるようなメリーとの会話についていけるのは、世界広しとは言え私くらいだと思う。 それでも、我慢の限界というものは、ちゃんと存在する。別名・堪忍袋が破裂。 不穏な気配を察知したのか、メリーは慌てて手を振って、 「説明しにくいってことよ」 「……。あのね、メリー? 説明しにくいことを、『説明できません』で終わってたら、何も分からないわよ?」 「分かってるわよ、もう!」 分からないを分かってる――その言葉遊びに、私は内心で笑ってしまう。無論、それを表情に出すことはしない。 ここで笑ってしまえば、また話がずるずると脱線していくに決まっているからだ。 私はいつものように「それで?」と彼女の言葉を促す。メリーはふん、とひと息吐いて、 「何か変なのよ」 「何が変なのよ」 「だから、何かが」 「だから、何が?」 人差し指で唇をなぞりながらメリーは考え込み、 「違和感、かしら」 なんて、ぽつりと呟いた。 ――違和感。 周りのものとの関係がちぐはぐで、しっくりしないこと。認識と事象の差異。何かが違うと分かっているのに、その理由がはっきりとはわからないこと。 成程――と、少しだけメリーの言葉に納得してしまう。説明しにくい、変だ、という言葉を説明するには、『違和感』という言葉が、確かに一番しっくりとくる。その一言で全てをまとめてもいいくらいだ。 そして、さらに一歩踏み込むのが、秘封倶楽部の活動だ。 好奇心を刺激された私は、メリーの方へとわずかに身を乗り出して、 「で、どんな違和感を感じたの? 些細なことでもいいから」 「そうね……例えば、」 「例えば?」 「例えば――」 メリーは言葉を切って、もったいぶったかのように、たっぷりと時間を置いてから、囁くような声で言った。 「――空に星が見えてたわ」 「…………ナニソレ」 がく、と机に倒れこまなかったのは、我ながらよくやったと思う。 てっきりとんでもない重大事項が口から跳び出ると思って、戦車砲にも耐えれるような心因性心理的ショック体勢をとっていたのに――見事に肩透かしを食らった上に、上からタライが降ってきた気分だった。 今時タライが落ちてくるコントなんて、幻想郷でしか見れないだろうに。 だというのに、目の前のメリーは、極めて真剣な顔をしていた。 「あと月も見えていたわ。普通見えないんじゃないかしら」 「普通見えるんじゃないかしら」 「そうなの?」 「そうなの」 私が頷くと、メリーは不思議そうな顔をした。 ……どうも、本格的に、頭の中身がどこかの隙間と繋がってしまったのかもしれない。 少しばかり心配で、かなり呆れてきた。 メリーはなおもうんうんと唸っているが、私はもう、ほとんど聞き流す体勢でいた。 「郵便ポストの色が青かったわ」 「昨年心霊対策で塗り替えられてたじゃない。赤いポストが人の凶暴性を発揮するって」 「空を人が飛んでたわ」 「そりゃ飛ぶでしょうね。競技にもなるくらいだし」 「道端で光が跳びかってたわよ?」 「弾幕遊びでしょ、それ。街中だと、1ボス以下級しか使えないから、危険はないはずよ」 「ふぅん? じゃあ――」 メリーはとびっきりの言葉を吐き出そうという、悪戯を思いついた女の子みたいな顔をしたけれど、私は気にせずにワインを口に含んだ。 メリーと私の言葉は、かみ合っていない。それは確かだ。 かみ合ってはいないけれど――それが問題かといえば、そうでもない。 メリーが突拍子もないことを言うのはいつものことで、たまに物忘れるのもいつものことだ。 そもそも。 ここじゃない世界を渡り歩くメリーにとっては、ここの世界のことなど、忘れても仕方がないことだ。 私がそう思った瞬間、メリーははっきりと、秘封倶楽部第二の本拠地になった店内に、はっきりと響き渡る声で言った。 「どうしてこの店――こんなに、境界に穴があるのかしら?」 メリーの言葉に、私はワイングラスを置いて、店内を見回した。 二人掛けの机、木造の椅子。狭い店内には、他の客の姿はない。 代わりに――ぽこぽこと、空間に穴が開いている。 まるで二次元と三次元を取り違えたかのように、空気中に、妙に厚みのない隙間があるのだ。隙間の向こうにはまったく別の世界が広がっていて、足を踏み込めばそこへ行けることだろう。今は行きたいとも思わないが。 店内に存在する大小あわせて2041個の隙間を流し見て、メリーに視線を戻して私は言う。 「この隙間がどうかしたの?」 「蓮子! 貴方にも見えるの!?」 私の言葉に、予想以上にメリーが驚いた。メリーが驚いたことに対して私は驚いてしまう。 何故って、さっきメリーは明らかに私を驚かせよう、あるいは不審がらせようと思って言葉を吐いたはずで。 けれど口からもれ出た言葉は、当たり前すぎる言葉で。 だからこそ私は当然のように応えたのだけれども――メリーにとっては、それが、不思議でたまらなかったらしい。 その事実の方が、私には不思議だった。 だから、やっぱり私は、平然と、何事でもないように続けた。 「見えるも何も。貴方が広げたんでしょう? ――境界の隙間を操る能力で」 「――――――え?」 ぽかん、と。本当にそんな効果音がしそうなほどに、メリーの瞳が丸くなった。 口を半開きにした顔は間抜けで、間抜けだからこそちょっとだけ和んだ。少なくとも、隙間一つ分くらいは。 「忘れたとは言わせないわよ、メリー。これ、全部貴方がやったんじゃない」 ぴん、と近くにあった隙間を人差し指で叩く。私が持っているのは時間と場所を知る能力でしかないので――こんな隙間を弄くったりはできない。 結界の隙間を見るどころか、自由に操れるのは、我らが秘封倶楽部のエース、マエリベリー・ハーンその人だけだ。 それはもう、当然過ぎて、わざわざ言うまでもない事実なのだけれど――メリーは唖然としたまま、 「蓮子――私の能力って、何かしら?」 「決まってるじゃない」 私はワインを飲み干し、ぴん、と人差し指を立てて答える。 「結界を操る程度の能力でしょ?」 「……結界の境目が見える程度の能力じゃなくて?」 とんちんかんな顔で、とんちんかんなことを言うメリーに、私はため息を吐いて――それから、ふと。 とある可能性を思いついて、くっ、くっ、という笑い声と共に、前に座るメリーへ。 私の知るメリーとは、きっと違うメリーに対して、質問を返した。 彼女が、この店に入ってきたときと、同じように。 「――メリー。貴方は誰かしら?」 その言葉に、メリーが答えるよりも早く。 からん、と。 喫茶店のドアが開く音がした。前に座るメリーが音のした方を過敏に振り向き、私もつられるようにして、そちらを見た。 ――メリーがいた。 喫茶店の扉の向こう。ウェーブの掛かった金髪に、薄紫のゆるやかな服。 マエリベリー・ハーンが、そこにいた。 「…………」 視線を、扉から、前の席へ戻す。 そこには――もう、メリーはいなかった。 対面する席に座っていたはずのメリーは、影も形も残さずに、消えていた。 空になったボトルと――グラスに半分ほどワインが残っているだけだった。 私はもう一度扉を見る。そこには、ちゃんとメリーがいる。 恐らくは、境界を操る程度の能力を持つだろう、秘封倶楽部の相方である、マエリベリー・ハーンが。 「メリー! 遅いわよ」 今この瞬間に起きた不思議なことを頭の中で整理しつつ、いつものように遅れてきたメリーに対して、私はそう言葉を投げた。 時計を見上げれば、三十分の遅れ。三十分で済んだことにむしろほっとしている私がいた。酷いときになると、時間を忘れるどころか、約束そのものを忘れてこないことがあるからだ。 そうでなくとも、どこかの隙間に飛び込んで、ふらっといなくなってしまうことがあるというのに。 遅刻癖と失踪癖をどうにかしないといけないな、と思いつつ、私は入り口付近でさ迷っているメリーに手を振った。 私に気付いたメリーは、優雅に結界の隙間を避けながら、机に近寄ってくる。 その姿を見ながら、私の唇は、自然に微笑んでいた。 ――さて、『面白い話』も手に入ったことだし。 今日も今日とて、秘封倶楽部の活動に励むとしよう―――――― 対面に立つメリーに対して、私は、笑いと共に語りかけた。 「――メリー。貴方は誰かしら?」 (了) |
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ワインの水面を覗き込んでいた私は、勢いよく顔をあげた。 目の前に座る蓮子が、驚いた瞳で私を見ていた。 「……。何、どうしたのメリー?」 気遣うような蓮子の言葉。 その言葉に答えるよりも先に、私は、店内を見回した。 いつもの見慣れた――秘封倶楽部の第二本拠地の喫茶店。 けれど、どこにも、妙な隙間は開いていなかった。 それを確認して、私はようやく、安堵のため息をついた。 「ほんとにどうしたのよ? 私が遅刻したの、ひょっとして怒ってるの?」 蓮子の言葉に、私は何がどうしていたのかを思い出す。 いつものように、秘封倶楽部の活動をしようとして――いつものように遅れてくる、蓮子を待っていたのだ。 先に赤いワインを頼んで。 グラスに注がれたワインを覗けば、私の顔が映っているような気がして、私は一気に残るワインを飲み干した。 「蓮子の遅刻はいつものことでしょう? 怒ってないわよ」 「そう?」 「そう。ちょっと――居眠りしていただけよ」 そう。 あれはきっと、居眠りだ。 夢だったに、違いない。 そう思いながら、私は、自分に言い聞かせるように、言葉にした。 「なにか――変な夢を見ていたみたい」 「ふうん。でも、こっちが夢なのかもね」 蓮子は韜晦するようにそう言った。皮肉に塗れた言葉は、彼女が得意とするものだ。 その、ちょっとだけ棘が刺さるような言葉に、私はどことなく安心を憶えてしまう。 安心を憶える傍ら――私の心には、かすかな不安があった。 その不安を。 「ねえ蓮子」 私は、恐る恐る、口にした。 「――私は誰なのかしら?」 私の言葉に、蓮子は呆れたようにため息をついて、 「メリーよ。マエリベリー・ハーン。私の大切な友人で、秘封倶楽部の一員。――これで満足?」 呆れたような――それでいて優しい言葉に。 私は誰よりも幸せそうであろう笑顔を浮かべて、私の親友に答えるのだった。 「――ええ! ありがとう、蓮子」 BGM0.....Megalopolice of Moon and You ... END ↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑ タ |
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