1 | 彼と彼女の境界 |
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00 | ――それは遠い記憶。 猫。 鳴子。 祭囃子。 甘い清水。 こっちだね。 こっちだよと。 誰かが呼んでる。 ボクを呼んでいる。 誰が? 分からない。 誰の声だか分からない。 誰かがボクを呼んでいる。 こっちに来なと呼んでいる。 こっちにおいでと呼んでいる。 そっちよりもこっちが良いよと。 一緒に来てよと、ボクを呼ぶんだ。 行っちゃいけないと、ママは言った。 誘われても、行っちゃいけないよって。 どこか遠くへ――さらわれてしまうから。 一人で遠くへ。一人へ何処かへ。何処かへ。 行ったら戻ってこられないよ。そう言われた。 決して戻ってこられないんだよ。そう言われた。 誰かと遠くへ。誰かと何処かへ。誰かと何処かへ。 行ったら帰してくれないよ――そうも言われたんだ。 けど、ボクはガマンできなかった。行きたかったんだ。 その声は、その音は、その姿は、その影は、その匂いは。 とっても楽しそうで。向こう側はとてもとても楽しそうで。 ダメだって言われれば言われるほど、ボクは行きたくなった。 きっと、大人たちは、わかってるんだ。向こう側に何があるか。 子供にあげるのがもったいない、良いものが、きっとあるからだ。 だから――行っちゃダメだ。見ちゃダメだ。そうボクらに言うんだ。 大人たちは、ボクらの知らないうちに、向こうにそっと行ってるんだ。 オイデ――オイデ――コチラヘオイデ――アソビニオイデヨ――オイデ。 誰かが呼んでる。それとも何か? 分からない。ボクには分からない。 分からないけど、その声に、その音に、その姿に、ボクは誘われて。 ついて行ったんだ。森の奥へと。行っちゃダメよと言われた森に。 深い夜だった。いつもの優しい月は、枝葉の向こうに隠れてた。 森の中は暗かった。星も月も届かない。田舎の森は真っ暗だ。 ざわざわと樹が揺れる。枝が揺れる。ざわざわと声がする。 枝の声。樹の声。葉の声。ナニカが喋る、ささやき声が。 森の中は暗くて、ざわざわと喋っている人が見えない。 ボクしかいない。深い森に、ボクしか。ボクだけだ。 急に怖くなった。声に誘われて、ボクは森に来た。 自分の意志で、奥が見たくて、森に行ったんだ。 でも、でも本当は――ボクの意志じゃなくて。 森の意志で。行かされたんじゃないかって。 そんなことを、ボクは、思ってしまった。 もちろんそれは、弱気なボクの妄想だ。 ボクは、自分の意志で、ここに来た。 暗くて、ちょっと怖くなっただけ。 自分の意志でボクは歩いている。 奥へ、森の奥へ――闇の中へ。 歩く。歩く。歩きつづける。 森の奥へ。奥へ。真奥へ。 外へ。外へ。街の外へ。 森の中へ。街の外へ。 どんどんずんずん。 ボクは歩いてく。 たった一人で。 誰もいない。 ボクだけ。 一人で。 森へ。 森。 夜へ。 暗い森。 夜中の森。 深く暗い森。 昼間とは違う。 怖いと、思った。 こんなに、暗くて。 こんなに、恐ろしい。 夜の森は、違う世界だ。 いつもの森とは違う場所。 いつもの街とは別の異世界。 ボクは――知らなかったんだ。 夜の森が、こんな場所だなんて。 ここは本当に――森なんだろうか。 ここは本当に、いつもの森だろうか。 森の中を歩いて、歩いて、歩き続けて。 いつしか、違う世界に辿り着いたのかも。 ボクは森の中、ふと、そう思ってしまった。 怖い。怖い。とても怖い。暗くて、恐ろしい。 暑い、夏のはずなのに。真夏の夜だというのに。 こんなにも寒くて、怖い。身体が震えそうになる。 オバケ屋敷でもこうはならない。こうも怖くはない。 本当にオバケに会ったみたい。夜のお墓にいるみたい。 くすくす、ざわざわ、ぺちゃぺちゃ。森たちのささやき。 それはきっと、森のオバケの声だ。風が届けるうわさ話だ。 生贄が来たよ。おもちゃがきたよ。人の子が迷い込んだよと。 オバケたちは、噂してるんだ。ボクのことを。哀れな生け贄を。 大人の忠告を聞かないで、夜の森に迷い込んできた、ボクの噂を。 右腕のテンプラ。からり。左腕のハンバーグ。ぐしゃり、ぱっくん。 右足はお刺身。左足は串焼き。オバケたちは、仲良くぺろりと食べる。 ここは美味しいよ? 子供の肉は、柔らかくて、とっても美味しいんだ。 そんなことを、オバケたちがささやいてる。ボクを食べる相談をする。 風のささやきは、その声だ。身体に触れる風は、オバケたちの手だ。 ボクを狙って、彼らは今か今かと、よだれを垂らして待っている。 怖くなった。夜の森が。夜の森にいる、僕の知らないダレカが。 怖くて――ボクは、走り出した。月の光を頼りに、森の中を。 もちろん、うまく走れない。足元は不安定で、走りにくい。 何度もこけそうになった。でも、走るのを止めなかった。 走れば走るほど、後ろからついてくる声が、聞こえた。 オヤ、クイモノがニゲタゾ。オエ、オエ。タベルゾ。 ホラ、サイショニツカマエタモノが、ソコをクエ。 そんな声がボクの耳に、ひっそりと届いたから。 きつくて、足を止めたかった。でも、無理だ。 足を止めたら、きっと、つかまってしまう。 走る。前だけを見て。振り向けなかった。 振り向いたら、すぐそこに、いるから。 ナニカが、いるに違いなかったから。 怖くて、振り向くなんて出来ない。 走る。走る――ひたすらに走る。 どこへ? 分からない。何も。 どこに向かって走るのかも。 どこへ走ればいいのかも。 いつまで走るのかさえ。 分からないまま走る。 ひたすらに逃げる。 走って、逃げる。 足がもつれる。 靴が絡まる。 それでも。 ボクは。 走る。 あ。 痛い。 こけた。 木の根だ。 つまづいた。 足元は、暗い。 暗くて見えない。 多分木の根だろう。 それとも――まさか。 足をひっぱられたのか。 誰かに――何かに。足を。 ひっぱられて、こけたのか。 ボクにはまったく分からない。 分からないから、恐ろしかった。 怖くて、逃げたくて。でもこけて。 足はもう動かない。起き上がれない。 土の地面の上。どたばたともがくだけ。 陸にあげられた、小さな魚みたいだった。 ぱっくりと、食べられるのを待つだけの魚。 それが今のボクだった。食べられるのを待つ。 震えながら、声も出せずに、その時を、待った。 「ム。このコはオカシイゾ」――誰かが、そう言う。 「ホントウだ。ホントウだ。オカシイぞ」とも言った。 「食べれないゾ?」「分からない」「ドウシテなんだ?」 「ヘンだ、ヘンだ、ヘンなんだ!」「アイマイなんだよね」 ボクの周りで、たくさんの声。森と風と虫とそれ以外の声。 ボクを食べようと相談する声。ボクを食べられないと悩む声。 ひょっとして、食べられずに済むんだろうか。ボクは安心した。 誰だって、得体の知れないナニカに、頭から食べられたくはない。 どうして食べられないのか、分からないけれど、それでも安心した。 けど、それは、ボクの勝手な想像だったんだ。そんなはずはなかった。 カレらは、ボクを食べたくて食べたくて、少しでもいいから食べたくて。 「この部分ダケデモ――イタダクとしようか」「涙でこぼれた、ココを」 暗い森の中。彼らの見えない手が、ボクに伸びる。涙に濡れた瞳へ。 泣いている、ボクの瞳に、彼らの見えない手が、ずずりと伸びる。 止めることは、できなかった。ボクの手は、地面を迷っていた。 見えない彼らの手を、ボクは止めることなんて出来なかった。 変わっていく光景だけを、ボクは、泣きながら、見ていた。 「ワシが右目を貰おう」全てが見えなくなるその瞬間まで。 「私はヒダリメ」その声を最後に、ボクは、光を失った。 誰かの、楽しそうな、嬉しそうな声だけが聞こえる。 美味しそうに、ボクの瞳を食べる音が耳に届いた。 ぱくり。むしゃり。ごくり。ぺろり。そんな音。 瞳は二つも無くなって、何も見えなくなって。 音だけの世界を、ボクは、ずっと聞いてた。 カレラが満足げに、去っていくときまで。 カレラの声が、耳に聞こえなくなった。 静かないつもの夜の森が戻ってきた。 かすかな蟲のざわめきが聞こえる。 夜の森の、静かなしゃべり声が。 煩い彼らはもうここにいない。 ボクは立って、周りを見た。 何も見えなかった。何も。 でも、ボクは、歩いた。 帰りたかった。家に。 何も見えないけど。 家に、帰りたい。 闇の世界の中。 ボクは歩く。 手探りで。 闇の中。 暗い。 闇。 夜闇。 暗い瞳。 冥い世界。 光のない瞳。 それでも歩く。 何も、見えない。 手探りだけが頼り。 時には四つんばいに。 時にはこけて転がって。 それでもボクは、歩いた。 家へ、家へ――家へと歩く。 どこに家があるか分からない。 ボクはどこへ行けばいいのかも。 何も分からなくても、歩く。歩く。 帰りたい。帰りたいよう。怖いよう。 でも泣けない。瞳がないから泣けない。 空っぽの目からは、空っぽの涙は出ない。 ぽっかりあいたそこには闇だけが座ってる。 無くなった瞳の代わりに、闇が、そこにいる。 だからボクには何も見えない。闇しか見えない。 真っ暗な世界しか見えずに、ボクは歩きつづける。 ボクはどれくらいの距離を歩いたのかも分からない。 半里か一里か。三千里か。ぐるぐる回っているだけか。 歩きつづける、瞳のないボクには、まったく分からない。 ただ、その果て、真っ暗な世界の中で、そのヒトに会った。 「あら――貴方。瞳がないのね」優しい、女のヒトの声だった。 「取られてしまったのね。バカな子。こっちに、迷い込むからよ」 否定はしなかった。ボクはバカだったから。夜の森に入るなんて。 バカでしかないボクへ、そのヒトは、くすりと笑って、こう言った。 「貴方のお名前は?」答えるかどうか、ボクは悩んだ。名前を教える事。 簡単に教えてはいけないよ、とボクは言われてた。でも、ボクは言った。 これ以上悪くならないと思ったからだ。正直に、ボクの名前を言った。 「××××××・×××です」闇の中。そのヒトが、くすりと笑った。 「あら、素敵な名前ね」笑いながら言った。「面白い、面白いこと」 くすくすと笑う声。なにがおかしいのか、ボクには分からない。 「面白いついでに――貴方には、これをあげましょう」笑う声。 「知らないヒトからモノをもらっちゃいけないって、母様が」 「今知り合ったのよ」ボクにそう言う彼女の声は近かった。 ボクのすぐ目の前に、その女のヒトは立っていたのだ。 まったく音がしなかった。どうやって近づいたのか。 分からなかった。怖かった。さっきのオバケより。 でも、目が見えないから逃げることはできない。 闇の中、づ、と手が近寄ってくるのを感じた。 彼女が手に持つ何かが、瞳に押し込まれた。 ずぶずぶと、空っぽの瞳に押し込まれる。 丸い、二つの、目の玉が、ボクの中に。 取られて無くなった目玉の代わりに。 新しい目玉が、ボクの瞳に居座る。 視界に――世界に、光が、戻る。 新しい目はボクのものになる。 きちんと、世界が、見える。 「それで見えるでしょう?」 ボクはこくりと頷いた。 女のヒト言うとおり。 新しい目は馴染む。 世界が、見える。 光が瞳に戻る。 でも、変だ。 光がある。 白い光。 灯火。 光。 灯光。 薄い白。 夜の森で。 なぜだろう。 光は無いはず。 幽に揺らめく光。 ゆらゆらと、光る。 陽炎のように、光る。 不確かな、不思議な光。 そんな光が、瞳にうつる。 おかしいな――おかしいよ。 そんなもの、ボクは知らない。 ボクは見たことがなかったのに。 いったい、あの光は、なんだろう? 靄のように存在する、不思議な光は。 「見えるでしょう」女の人が笑って言う。 「コレは何?」ボクは彼女へ正直に訊ねた。 新しい目を貰ったら、こんなものが見えた。 きっと、なにか――目に仕掛けがあったのだ。 女のヒトは、ボクの疑問に、笑ってうなずいた。 新しい瞳にうつる、女のヒトの姿は、綺麗だった。 金色の長い髪の毛と、ふわふわした、紫色のお洋服。 ボクも――ボクも、大きくなったら、こうなるのかな。 紫色の、不思議な女のヒトは、笑いながら、こう言った。 「貴方のその瞳は境界を見る瞳。結界を見る程度の能力の瞳」 ナニを言っているのか分からなかった。けど、感じてはいた。 この目は、変な目だ。変なだけじゃない、とんでもない目だと。 いつか――きっと、いつの日か。この目が、ボクの運命を変える。 そんな気がした。それはきっと、気のせいじゃなくて、ホントウだ。 女のヒトは、優しい瞳でボクを見て、優しく微笑んで、こう、言った。 「その瞳が見るものに、貴方の手が触れるときが――いつか来るでしょう」 声は優しかった。優しいから怖かった。ボクは、今さら気付いたんだ。 このヒトは、きっと、『人間』じゃないんだってことに、ようやく。 さっきまで姿に見えなかったモノなんかより、よっぽど怖いモノ。 だって――女のヒトの綺麗な姿は、ボクの目には、こう見えた。 ゆらゆらとゆれる光のような、『境界』そのもののヒト型に。 「そのときこそ貴方は名を捨て――××・×に『成る』よの」 そのヒトは、そう言って。ボクに目と、種を植え付けて。 ふらりと、光に溶け込むように、境界に溶けて消えた。 あとには、ボクと、遠くにある光の境界だけが残る。 彼女が言ったことを、ボクはよく分からなかった。 何かとんでもないことが、決定されてしまった。 それだけは――はっきりと心に書き込まれた。 でも、それはきっと、遠い遠い先のことだ。 今は帰ろう。帰ろう。お家へ――還ろう。 きっと、あの光の先にボクの家はある。 森の外に通じてる。ボクの世界へと。 いつもの、暖かな、人の世界へと。 光の境界は、きっと通じている。 ボクは歩く。そこに向かって。 新しい瞳で、光を見ながら。 不思議な森をあとにする。 幻想の郷をあとにする。 人の世界へ、戻ろう。 たとえ――それが。 泡沫の、夢でも。 ボクの世界へ。 光のもとへ。 光の奥へ。 還ろう。 家に。 光。 光――――――――――――――――――――――――――――――― (END...?) |
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・後書きと共に 【境界の行末】 「それで、お終い?」 全てを話し終えて、『私』の前に座る友人は、帽子のつばをくい、とあげてそう言った。 長い長い――とまでは言わないけれど、そこそこ長いお話。 それを聞き終えた彼女の顔は、ちょっとだけ眠そうだったわ。話を聞くのが彼女は苦手みたい。 でも、いっつも話すのは私。たまには蓮子も話せばいいのに。昔話を。不思議な話を。 「お終い」 「無事に帰れたの?」 「えぇ。散々親には叱られたけれどね。今でも不思議だわ、あれは何だったのかしら?」 「秘封倶楽部最初の活動――ってところね。その時には、メリー、貴方しかいなかったけれど」 彼女は私の名前を『メリー』と略して呼ぶ。 そんなに呼びにくい名前かしら? 『マエリベリー・ハーン』って。 あの女のヒトは、いい名前だと言ってくれたのに。 「それで? なんで貴方は、男の子の格好して、ボク、なんて言ってたの?」 「そういうの、メリーの方が詳しいんじゃないかしら?」 「……やっぱり、そういう理由ね」 ええ、と私が頷くと、彼女は苦い虫を噛み潰したような顔をしたわ。変な顔! 性別を変えた格好をするのは、存在を境界線上において、あやふやにするため。 そうすることで魔よけになるって言われてるけれど……私の逢ったアレは、今にして思えば、神隠しじゃないかしら? 意味、あったのかしら。そのお陰で、不思議なヒトに会えたからいいけれど。 「それで、最初の質問の答えだけど」 「……?」 私は、彼女が何を言っているのか、すぐには思い出せなかった。 最初の質問――って、何だったかしら? 考え込んで、考え抜いて。蓮子が答えを言う前に、私は何とか思いだした。 そうそう、私はこう聞いたのよ。 ――この名前を知らないかって! 蓮子は、私の瞳をじっと覗きこんで、こう答えたわ。 「――『八雲・紫』なんて名前、私知らないわよ」 そう、と私は答える。 私を見つめる、彼女の瞳の中。 いつか逢った女性に似た――ブロンドのウェーブした髪を持つ、私の顔が、はっきりと映っていた。 BGM:夜のデンデラ野を逝く END. ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― ↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑ ◆あとがき◆ ……最後まで読んでくださって、ありがとうございました。 当SSは、『秘封倶楽部は何処にいる?』を書いている最中に思いついた、過去設定作成モノです。 といっても、夢か現か、はっきりとしない、あやふやな、境界線上にいるような、そんなお話しです。 読んで頂いた方は一発で分かると思いますが、かなり文章で遊んでいます。読みにくかったゴメンナサイ。 作品について。 こういうのもアリかな――と思っていただけたら幸い。 夜の世界を歩くときはご用心を。光がアンコウの光だったら洒落になりませんが。 (投稿して気付いたこと。これ、メモ帳にコピー&ペーストしたら、多分完全に形が整います。うう……) 最後に謝辞を。 前回の『秘封倶楽部は何処にいる?』を読んでくださった方、感想をくださった方、ありがとうございました。 秘封倶楽部のみの(香霖堂が出てきますが)長編SS、しかもSFというものすごい間口の狭いものですが、楽しんでいただけたら嬉しい限りです。 では、また。 タ |
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