1 チャールズ S.エルトンの愛すべきピラミッド
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 Q.「幻想郷」は平和なんでしょうか?
  A.平和なんだけどかなり危ういですね。
    人間らしいドロドロしたやり取りが一切無い平和です。
    ちょっと傾いたり穴でも空いてしまえば、サラサラ血さながらきれいさっぱり流れてしまう。健康。

 Q.「幻想郷」やっぱり妖怪よりも人間が一番数が多いのかな?
  A.人間は少ないですよ。人間が住む里はありますが規模は小さいです。
    人間の中には僅かですが、里から離れて暮らす者もいます。

                              ――――神主との対話より抜粋





 ――今日も幻想郷は平和だった。





 夏も終わりかけたある日、霖之助がいつものように本を読んでいると、突然扉が開いた。ノックの音は無し。その時点で霖之助は、「今日も客が来なかったな」と内心でため息をついた。
 案の定、開いた扉の先にいたのはいつもの面子だった。

「香霖、台所を借りにきたぜ」

 いつものようにいつもの如く、霧雨 魔理沙は笑ってそう言った。

「霖之助さん、お台所借りるわよ」

 いつものようにいつもの如く、博麗 霊夢は真顔でそう言った。

「店主。台所をお借りしますが?」

 とんでもなく珍しいことに、十六夜 咲夜は無表情でそう告げた。

「…………」

 三者三様の言葉に、霖之助は言葉を言いあぐねて黙った。
 その沈黙を了承だと受け取ったのか、三人の少女はずかずかと香霖堂の店内に踏み込み、勝手知ったる我が家の如く、すたすたと台所へと上がっていった。一番礼儀正しい咲夜はぺこりと頭を下げたが、頭を下げただけという辺りによく性格が出ている。魔理沙と霊夢にいたっては見向きもしない。

「えーっと……台所を借りるの?」
「そうだぜ」
「そうよ」
「そうです」

 異口同音に、まったく同時に答える。
 霖之助は読んでいた本を机の上に置いた。置いてしまったあとで栞を挟み忘れていたことに気づく。次読み返すときまで覚えているといいけど――と思うが、内心では無理だろうと分かっている。
 こういうことが始まると、次に本を読むのはかなり先になる。まさか帰れ、とも言えない。こういうことは霖之助にとってはよくある日常であり、そのたびに何かひと悶着が起こる。以前など、朱鷺の料理法で弾幕遊びになったくらいだ。
 物を壊さないでおくれよ――と内心で祈りつつ、

「……今日はいったいどういう用なんだい?」

 意を決して、霖之助はそう尋ねた。
 三人の少女が一斉に振り向く。霊夢と魔理沙は当然のように置きっぱなしにしてあるエプロンを着たところで、二人の手には捕ってきたばかりと思しき食材が握られていた。さっきはあまりのことで目に入らなかったが、それでなんとなく予想がついた。
 ようするに、肉が手に入ったのでここで食べようという腹だ。
 動物性蛋白質は生きるうえで重要だからな――と思いつつ、霖之助は視線を咲夜へとずらす。
 他二人と違い、咲夜はエプロンを着てはいなかった。というのも、元々からエプロンつきのメイド服を着ているからだ。外を飛んできただろうに、その服には塵一つついていない。
 ――成程、確かに瀟洒だ。
 妙なところで霖之助は納得してしまう。
 そして、霖之助の問いに最初に答えたのは、その咲夜だった。手に持っていたワインの瓶を掲げて、

「昼食に御呼ばれしまして。――となると、手ぶらでくるわけにもいきませんから」

 咲夜の言葉を霖之助はゆっくりと咀嚼する。
 昼食に御呼ばれして――しかし、呼んだ覚えはない。
 ということは、魔理沙と霊夢が呼んだということだろう。その時点でここで宴会もどきをすることは決定していたわけだ、と霖之助は内心で唸る。相も変わらず自由気ままに生きている少女たちだ。
 と、霖之助はふと思い出す。彼女、十六夜 咲夜が紅魔館のメイド長であることを。
 そして、メイドが主人の存在を。
 咲夜が手に持ったワインを見つつ、

「……それ、人間の血じゃないだろうね?」
「まさか」咲夜は即答した。「お嬢様方のものに手をつけるはずがないじゃないですか」
「それも――そうだね」
「それに」
「それに?」
「呑み較べたことはありますが――ワインの方が美味しいですよ」
「…………」

 何と言えばいいのか分からずに、霖之助は沈黙した。
 結局うまい言葉を思いつかず、「それは幸いだね」と頷くにとどめた。霖之助には人間の血を飲む趣味はないし、魔理沙や霊夢にとっては言わずもがな、だった。咲夜にしても、お嬢様が飲むものを全く知らないわけにはいかない、というある種の職業意識からきたものかもしれない。

「じゃあこれ、血抜きするぜー」

 魔理沙が咲夜の奥から声をかける。咲夜は「だから血はいらないわよ」と答え、魔法のようにナイフを取り出して台所の奥へと下がった。包丁をつかわず、あのナイフを使って料理をするつもりらしい。
 入れ違いに、喜色満面といった表情で魔理沙が霖之助の前に出てくる。

「へへ、見ろよ香霖。美味しそうだろ」

 そう言って魔理沙は嬉しそうに右手を掲げてみせた。その手は、人間型生物の首根っこを掴んでいる。ただし、普通の人間よりも一回り小さい。

「それは氷精じゃないか。どうしたんだ?」
「ああ、紅魔館傍の湖でちょいと捕まえてな。霊夢も捕まえてきたから二匹だぜ」
「何で勝手にうちで集合なんだ?」
「何言ってるんだ、こいつは美味いんだぜ。見た目はアレだけど」

 言って、魔理沙は嬉しそうに笑う。掴んだ氷精はまだ生きているのか、心臓の鼓動にあわせて微かに指先が動いている。完全に失神しているようだった。殺してしまっては血抜きができないからだろう。
 氷精といえば、名前の通りに冬になるとどこからともなく湧いて出てくる妖精だ。数が多いときには、まるで空が雪のように染まることもある。
 だが、氷精の肉は美味だ。特に、季節外れまで残っている氷精は魔力が多いので美味しい。肉そのものが冷えているので、夏の暑い日に食べるのは幻想郷ではとてつもない贅沢とされている。
 妖怪と違い、妖精の類は比較的捕まえやすいので、人里でも日常的に食べられている。
 が、季節外れの氷精と言えば、ある種の高級食材だ。弾幕を放つような妖精は、普通の人間では捕まえづらいからだ。

「紅魔館傍の湖って言ったかい? あそこには確か――」
「チルノがいるからな。氷精が残りやすいんだぜ」
「成程」

 霖之助は納得する。強い存在――この場合は、夏でも平気で飛びまわっているチルノだ――がいると、その回りでの発生率も多くなる。他の場所に較べればまだ涼しいので、氷精たちが残りやすいのだろう。
 同時に、咲夜がここにいる理由もなんとなく察しがついた。
 ――湖は紅魔館の領地のようなものであり、勝手に持っていくことは許さない、うちの咲夜にも食べる権利があるはずだ。
 そういった、あるいはそれに近い何らかのやりとりが紅魔館の主とあったのだろう。
 理解すると同時に、どっと疲れがきた。

「ま、そういうわけで今日はご馳走だぜ。暑いからちょうどよかったな」

 そう言って魔理沙は首を掴んだ手を振りながら台所に戻る。魔理沙が力むと、氷精が意識のないまま「くぇ」と酸素を吐き出して鳴く。まるで氷精が魔理沙に相槌を打っているように見えて、霖之助には少しだけおかしかった。魔理沙もわざとやっているのだろう。

「魔理沙、火元貸して火元」
「あー。私は外で血抜きしてくるから、香霖よろしく」

 奥から呼びかけてくる霊夢に答え、魔理沙はスカートの中をごそごそと漁り、ミニ八卦炉を霖之助へと投げつけた。そのまま振り返りもせずに外へと出て行く。
 座ったまま難なく受け取り、霖之助は重い腰を上げた。
 そう広くもない台所は、二人の少女と食材でほぼ満員だった。咲夜はさらに奥の流し場に氷精を横たえ、目にも止まらぬナイフさばきで六枚羽をむしった。落ちた羽が、きん、と澄んだいい音をたてる。
 ――風鈴にしようか。
 そんなことを考えながら、霖之助は八卦炉を、鍋を手にうろつく霊夢へと手渡す。巫女服の上にエプロンというのは中々シュールだった。

「はい、ありがとう」
「冷しゃぶにでもするのかい」
「そうね。せっかく四人もいるし――ニ匹も手に入ったから、刺身にしてもいいわよ。ナイフ捌きが巧い人がきてくれたし」

 言って、霊夢は水をはった鍋の下に八卦炉を置いた。中から無限に湧き出る火が鍋を加熱していく。
 慣れたもので、霖之助がなにを指示しなくともてきぱきと支度を進めていく。
 女三人寄れば姦しいというが――今この場においては、華やかさの方が上だった。

「咲夜。何してるの?」

 霊夢の声に、霖之助も同じように咲夜を見る。
 古い石造りの流し場に座る咲夜は、丁度ナイフで氷精の首筋を切ったところだった。完全に切り落としてしまうと心臓が止まってしまうので、きれいに血抜きができないのだ。

「見れば分かるでしょう」

 淡々と、当然のように咲夜が呟く。

「見ればって……」

 霊夢がため息を吐き、霖之助は腕を組んで咲夜の作業を凝視した。
 首を切って血を抜く。
 それはいい。
 それはいいのだが、傷口にボトルをあてて、噴き出る血を集めているのはどう考えても料理には関係がない。
 霖之助はその行為の意味が分からず――

「あ、」

 尋ねようとした瞬間、思い至った。

「お土産かい?」
「そういうことです。血も冷たいでしょうから、お嬢様のおやつにでも」 
「ああ、そういうことね。血はいらないんじゃなかったの?」
「自分で採るに決まってるでしょう。魔理沙になんて任せたら――ということよ」

 霊夢が遅れて納得する。そうしている間にも、咲夜は千切れかかった首に二本目のボトルを当てた。メイド服のポケットから、あきらかにサイズがポケットより大きいボトルが出てくる光景はなかなかに壮観だった。
 氷精の肉は冷たい。
 それと同じように――氷精の血も冷たい。
 人間でいえば、夏場に飲む冷えたビールのような美味しさがあるのかもしれない。

「ところで咲夜。あなた、その格好で食べるつもり?」

 氷精を逆さずりにし、ナイフで解体を始めようとした咲夜に向かって霊夢が言う。

「何か?」

 何かおかしいですか、という意味だ。
 その言葉に、霊夢は仰々しくため息をついて、

「メイド服は仕事する服でしょ」

 巫女服は仕事の服じゃないのか――と霖之助は思ったが、口には出さなかった。
 霊夢は常日ごろから巫女服を着ているが、咲夜と決定的に違う点が一つある。
 ――仕事らしい仕事をほとんどしていない。
 魔理沙の場合は完全に私服なので問題はないが、咲夜はそうではない。
 微かに眉を八の字にし、困ったような顔をして、咲夜は自分のメイド服をしげしげと眺め、

「――店主」

 その視線を、霖之助へと移した。



        †   †   †


「汚した場合は買い取ってもらうことになるよ」

 と言ったものの、霖之助は本気で言ったわけではなかった。目の前に立つメイドは完全に瀟洒であり、あまつさえ時を止めることが可能なのだ。どんなことがあったとしても、借り物の服を汚すようなことはしないだろう。

「――はい、ありがとうございます」

 丁寧に咲夜は頭を下げる。
 その姿はいつものメイド服ではない。西洋風から大きく姿を変え、今、咲夜は藍染の美しい着物を着ていた。本人の素質か、はたまた胸がないせいか、見事なほどに似合っていた。銀の髪がまったく気にならない。和服美人、とはこういうのを言うのだろう。
 霖之助の視線に気づき、咲夜は両手を広げて、

「似合いますか?」

 そう言って、袖を振りながらくるりと回転してみせた。
 銀と藍の色が踊るのを見ながら、霖之助は平淡に「似合うよ」と言ってのけた。古着も扱う古道具屋としては、そういう言葉を吐くのに慣れているのだろう。

「ほぉ……」
「へぇ……」 

 魔理沙と霊夢が、含みのありそうな感嘆の声を漏らす。咲夜が振り返ってみれば、二人の顔には薄い笑みが浮かんでいた。
 が、笑みは次の瞬間に消えた。
 文字通りの意味で、『目にも止まらぬ速さ』で二人の前にナイフが突き刺さった。飛ぶ軌跡どころか、投げる動作すら霖之助には見えなかった。時を止めたのかもしれない。

「危なっ……お前、本気でやるなよ!」

 魔理沙の抗議に、咲夜は少し考え込み、

「――タネもしかけもありませんよ?」
「知ってるぜ」
「話が通じてないわよ」

 二人の突っ込みを無視し、咲夜は無言で席につく。背筋をぴんと伸ばした、綺麗な正座だった。
 投げられたナイフは、これまたいつの間にか消滅していた。机と床にあいた穴だけが、一連の流れが夢でないことを証明していた。

「香霖、早く食べようぜー」

 魔理沙に急かされて霖之助も席につく。
 色々な意味で、豪華な席だった。
 四角い卓袱台の上には大きな鍋がどんと置かれ、大皿の上にはついさっき切り分けたばかりの肉と野菜が盛られている。タン、レバー、キモその他諸々。身体の部分を余すことなく切り分け並べられている。無いところといえば首から上くらいだ。鍋が終わったら焼肉でもするつもりなのか、壁には網が立てかけられている。
 グラスの数も四。すでに並々と、咲夜が持ってきたワインが注がれている。
 そして机を囲むのは、咲夜と魔理沙と霊夢という三人の少女。
 ある意味では、これ以上ないくらいに贅沢なのかもしれない。

「急かさなくても肉はなくならないよ」

 言って、霖之助は手をグラスにかけた。次いで魔理沙と咲夜が、最後に霊夢がワイングラスを掲げる。

「それじゃあ――」

 霊夢が音頭をとり。
 四人は嬉しそうな顔で、肉を囲みながら。

「――いただきます!」

 異口同音にそう言って、グラスを軽くぶつけた。
 きん、と澄んだ音がする。

 赤いワインが一滴、肉の上へと零れ落ちる。




 ――今日も幻想郷は平和だった。














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・あとがきと共に 『 夕餉 』


「ちょ、それ私の肉だぜ!?」
「早いもの勝ち、よ。あなたの時間も私のもの。古風な魔女に肉はない――」
「おかわりもいいぞー」
「鶏肉が食べたいわね、鶏肉が」



(BGM;夕暮れに沈む懐かしき町の音色...........END)
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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



 食物連鎖を構成する生態系の生物個体数は、一般的に下位の生産者が最も多く、上位になるにつれて少なくなっていき、三次生産者が最小となる。この個体数によるピラミッドを示したのがエルトンであり、彼の名をとってエルトンのピラミッドと呼ばれる。また、エネルギー効率の問題から、一次生産者が百体いた場合二次生産者は一体しか存在できず――――――――――

                        ――――――<エルトンの魔物>より抜粋




 映画版ドラえもんの恐怖といえばメデューサですが、別ベクトルで怖かったものが一つあります。
 パラレル西遊記における、変わってしまった世界での食事シーン。
 淡々と恐ろしいものを食べる両親を見て、のび太とドラえもんは慄きます。
 でも。
 逆に言えば、のび太とドラえもん以外は、誰も驚かず、ただの日常でしかないんですよね。
 そういうお話でした。








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