1 阿求正伝
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        第一章





 わたしが幻想郷縁起を書こうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども書こうとしながらまた考えなおした。
 これを見てもわたしはやる気のないはっきりとしない性格だということが分かる。
 そもそも不朽の筆は不朽の人を伝えるもので、世界は文章によって伝えられる。
 つまり誰某は誰某によって伝えられるのだから、次第にはっきりとしなくなる。そうして幻想郷縁起を伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末があやふやになる。
 記録が劣化しないようにわたしたち稗田一家は幻想郷縁起を代が変わるごとに作りなおしていく。
 いちど見たことは忘れなくても、わたし以外の誰かは忘れていってしまう。いちいち作りなおしていかないと、それが真実とは遠く離れたものになるのだ。過去によって未来を作るのではなく、現在が過去を作り出すのだ。
 それはそうとこの朽ちやすい文章を作るために、わたしは筆を手に取ると同時に、いろいろな困難を感じた。
 第一は文章の名目。
 大昔の偉い方が言うには、「名前が正しくないと話が脱線する」とのこと。
 これは気をつけないといけないことなんだけど、妖怪にいちいち名前を聞きにいくわけにはいかない。そんなことをすれば、わたしは死んでしまう。基本的に弾幕や能力もない、ただの人間なのだ、わたしは。ちょっと物覚えがいいだけで。
 列伝としてみたらどうだろう。
 この一編は偉い人とともに正史の中に配列するようなものではない。あくまでも幻想郷の中にだけ残る、幻想郷の歴史だ。
 自伝としてしまえばどうだろう。わたしは決して阿求そのものではない、と適当にでっちあげて、外伝としてしまえばどうだろう。稗田阿求という人物の自伝風な歴史。
 しかし稗田阿求は別に神仙ではない。悟りきった巫女でも、勇敢な魔法使いでもないのだ。時を止めることも妖怪を切ることもできない。ごく普通の人間だ。
 家柄、というものも考えたが、わたしの一族、稗田家は、幻想郷縁起を書き連ねてきただけの一族で、とくに何か特別なものがあるわけじゃない。自伝を書くのは、少しばかり無謀だろう。
 第二。
 こういう書物を書く場合には、通例、しょっぱなに「わたしはどこぞのだれかさんよ、ここはどこどこなのよ、ここはどこ、わたしはだれ?」とするのが当たり前だけど、わたしが誰か書いても何も面白くないだろう。ここはどこ、と言われても幻想郷だとしか言いようがない。
 そもそも稗田と名乗ってはいるが、それが本当の姓かどうか怪しい。なんでも曽々々々々々祖父あたりが、「史伝を綴るならこの名だ」と、勝手に大昔の偉い人から名前を拝借したそうだ。わたしの先祖だけあって適当である。
 ところがある日、立派な二本差しの侍がやってきて、幻想郷縁起を綴っていた稗田何某を睨んでこう叫んだ。
「稗田! 貴様は何とぬかした。お前が稗田の御本家か。たわけめ」
 白髭が立派な侍は威厳があり、威厳がある人間がきらいな稗田何某は、二、三歩乗り出して、
「お侍様は、どうしてあっしが稗田でないと申すのです」
 その言葉を聞いて侍はぐっと黙った。稗田何某が、稗田の子孫でないことははっきりしていたが、その証拠となるようなものなど、何一つとしてないのだ。
 結局、侍は色々な言葉を並べ立てたが、書き人たる稗田は、これを次から次へとへりくつをこねくり回して避けていった。
 最後には、
「妖忌、目くじらをたてることはないわよ」
 連れの女性の言葉と共に、侍は帰っていった。
 そうして稗田何某はみごと稗田姓を名乗ることに成功したが、それより以前に、何という姓を名乗っていたのか分からなくなってしまった。幻想郷が隔離されてからは特にである。
 第三。これがもっとも肝心なのだが、わたしは阿求をどう書けばいいのか分からない。
 父親はわたしの名前を「あきゅう」と名づけた。
 しかし、その事実を幻想郷縁起に書き記すよりも先に死んでしまった。
 おかげで、わたしの名前は幻想郷縁起には残されていない。
 おかげで「阿求」なのか「阿弓」なのか、あるいは「阿Q」なのか、はっきりとしない。
 名前を求める、という意味で、とりあえず「阿求」とはしているが、それは決して真実ではない。真実ではないものを記録に残してしまえば、それが真実になる。
 そうこう悩んでいるうちに、また一日が過ぎた。
 これこうしていれば、そのうちにわたしも死に、幻想郷縁起は消滅しているかもしれない。
 もっとも、そのころには、阿求正伝とでも言うべき自伝が出来上がっているでしょうけど。





        第二章





 わたしは姓名も先祖もはっきりしないけれど、のみならず、人生そのものもはっきりしない。
 それもそのはず、村人は、わたしの偉大なる使命「幻想郷縁起」を残すという使命をやっかみ、ただわたしをおもちゃにして、もとよりわたし自身になど興味を持つものがいないのだ。
 そしてわたし自身も身の上話などしたことはない。たまに腹の立つ相手をけりつけて、
「稗田家は古事記を書き残したくらい偉いんだぞ! あんたたちとは違うんだ!」
 と叫ぶのが精一杯だ。
 わたしには家がない。
 お稲荷様の祠に住んでいて、一定の職業すらもたない。
 人に頼まれずに畑に忍び込み、人に嫌がられてニワトリを盗み、人の仕掛けた罠から魚をかっぱらう。
 そうやってわたしは楽しく生きている。
 時間が余るときには、主人が妖怪に食われた家に押し込み、財産を残らず持って出て行く。
 そのことに気づいたころ人はわたしのことを思い出すが、それも盗まれた品物のことであって、わたしそのものでは決してない。物が帰ってくれば、わたしなどどうでもいいのだから。
 わたしのことを話すものなどめったいにいない。
 しかし一度こんなことがあった。
 ある魔法使いは「あんたほど立派な人は見たことないぜ」と言った。このとき、わたしは、全裸に腰みの一丁で山狩りから逃げている最中だった。みすぼらしい格好だとも言える。ふつうの人間ならこの話を本気にせずに、ひやかしだと思うが、わたしはもちろん喜んだ。
 命がけで山狩りから逃げたのを褒められたのだ。喜んで当然である。
 わたしはべつにうぬぼれが強いわけではない。わたし以外の誰もが低脳なだけなのだ。
 とくにあの、文々。新聞とやらを書く妖怪の価値など、わたしはぜったいに認めない。あんな、紙に墨をぶちまけただけのような、尻を拭く紙にすらならない、真実の欠片もない、後世に残すない価値のない、嘘と間違いだらけの娯楽新聞!
 わたしはあの新聞を見ている人がいたら徹底的にけなすことを心がけている。
 けなすだけではない、新聞を読む人間の存在を幻想郷縁起から外し、ついでにその家に火をつける。一片たりとも歴史に残す気はない。ははは、すべて火になってしまえ。炎の神は幻想郷に降り立つ。幻想郷縁起以外の記録など、残らず灰になってしまえばいいのだ。いや、灰になるだけではまだ甘い。灰を肥溜めとまぜ、肥料にし、土に返してこそ、文々。新聞とやらには初めて意味が出来るだろう。あははははは。
 なお、村に火をつけるわたしを見つけた、変な帽子を被った半妖怪がおったまげて近寄ってきたので、
「おや、明るくなってきたよ」
 と言ったら、その半妖怪の女は、角を伸ばす勢いで怒った。しかしわたしは正当なことをしたので、胸を張って、
「と思ったら、空気ランプがここにある」
 あははははははははははは。と笑うと、女はさらに怒った。怒りっぽい女だ。額に角を生やしているんだから、そのうち誰かに寝取られてしまうに違いない。
 仕方なしに、わたしは真顔になって、
「それじゃあ消火おねがいね」
 とだけ言って、さっさと立ち去った。
 それきりその女と会った覚えはないが、村が全焼したという話も聞かない。きっとすべて火を消してくれたのだろう。ありがたいことだ。幻想郷縁起には、きちんと書き記してあげよう。





        第三章





 それはそうと、わたしはいつだって好き勝手に生きていたが、名前が売れ始めたのはしばらくしてからだった。
 とある妖怪に頼まれて、「バカお断り」という似顔絵を書き、大きな紅色の館を囲む門に貼り付けたのだ。我ながらよく似ている人相書きだったと思う。
 ところが、何を思ったのか、突然氷の妖精がわたしの住処を狙ってきたのだ。
 お稲荷様の祠に襲い掛かってくるとは、なんとも度胸がある妖精だ。
 ひょっとすると度胸があるのではなく、脳がないだけかもしれない。
 よくよく見れば、その妖精の顔は、わたしが書いた人相書きそのものだった。
 適当に描いた人相書きとまったく同じ顔がそこにあるのは、なかなか面白い体験だった。
 これは紅魔の館の住人が教えてくれた特徴がよかったのか、それともわたしの腕がよかったのか。
 もちろん後者だろう。
 幻想郷縁起を描くわたしの能力は、もはや忘れないだけではなく、知りえないことまで知るようになったのだ。
 ああ素晴らしきかな稗田一族。あと三代後にもなれば、未来のことを書くに違いない。いや、まて。そうなれば、幻想郷縁起を書く必要がなくなってしまう。やはり、未来のことを書くような子孫はいらない。
 そもそもわたしは子孫を作る予定がないので、まったく余計な心配だった。
 代わりに別の心配が浮かんできた。
 わたしが子孫を作らないということは、稗田一族がここで終わるということであり、幻想郷縁起が途絶えてしまうということだ。
 それは困る。
 長い間続いた稗田をわたしが終わらせた、と自分の手で書くのは楽しいそうだが、さすがに色々と問題がある気がする。
 まあ、いい。
 気にするまでもない。なんとかなるだろう。なんとかならなかったら、その辺の子供をさらってきて稗田と名づけよう。
 そうすれば稗田家は途絶えない。
 なに、子供をさらう妖怪は山ほどいる。
 裏山の化け猫が子供をさらっていった、とでも幻想郷縁起に書き記せば、それで万事順風だ。妖怪はわたしを怨むかもしれないが、その恨みは一代で途絶える。けれども、幻想郷縁起は延々と続き、人はそれを信じる。妖怪は悪役になり、わたしたち人間が英雄になる。
 なんてすばらしい考えだろう。やはりわたしは天才かもしれない。
 ともかくその妖精は稲荷神社に跳びこみ、神罰を食らって地面に倒れ落ちた。
 死んではいなかったが間抜けた顔で失神していた。目を回した顔に、わたしは墨で大きく『H』と魔よけの文字を書き、ついでに「天才より」と書き残しておいた。
 これでわたしの名がまた大きく広まったわけである。





        第四章





 こういう人があった。
 勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものなら、彼女はかえって勝利の無流を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ねるものは死に、死ねぬものは殺されるべし。敵が無くなり相手が無くなり友達が亡くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄まじく寂しい勝利者の悲哀を得る。
 ところがわたし、稗田阿求にとってそんなものは一切なかった。
 ひょっとするとこれは半幽霊半人間の彼女特有のものなのかもしれない。
 ほら。彼女はふらりふらりと今にも人を切りそうだ。
 妖怪を切った刀を、納めることなく、ふらふらと揺らしている。まるで辻斬り魔だ。
 しかしながらこの勝利がいささかな変化を彼女にあたえた。
 まず目が赤くなり、しばらくのあいだふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと里へとやってきた。
 刀を構えた辻斬り魔がやってきては、わたしものんきに寝てはいられない。
 彼女はわたしへと刀を突きつけ、
「稗田め、お爺様を騙したとはいえ、私まで欺けると思うなよ」
 と言った。なるほど、この子は稗田家を全て一緒だと思っているのだな、とわたしは気づいた。
 稗田何某と稗田阿求を同じとするとは大変失礼なことだが、向こうからすれば変わらないのかもしれない。
 しかしながら、わたしは阿求であり、わたし以外の人間と間違われるのは嫌いである。たとえそれが先祖だとしてもだ。
 刀を突きつける女に、わたしははっきりと言った。
「ばかね、わたしは阿求、別人よ! あなたのお爺さまは人を間違えたりしなかったし、いきなり刀を突きつけるほど無礼でもなかったわ!」
 そう言うと、女は衝撃を受けて、まるで敗北したかのように肩を落として去っていった。
 負けた勢いで首でも括りそうだったが、そもそも開いては半霊であり、半分は人ではない。人ならば負ければ死ぬが、すでに死んでいる彼女には関係がないだろう。
 刀を持った女は、去っていき、それきり姿を現さなかった。
 つまり、彼女もまた騙されたことに、最後まで気づかなかったことになる。
 わたしは阿求であると同時に稗田でもあるから、彼女の言葉は間違っていないのだ。
 祖父同様に騙された彼女の名前を、わたしは幻想郷縁起に書き記しておこう。





        最終章





 そうこうしているうちに、わたしの名前はどんどん広がっていった。
 なにしろ、村どころか幻想郷中に、わたしの似顔絵が貼られるくらいである。そこには「この首を云々」と書いてあったが、とくに読むことはなかった。村人たちがじろじろとわたしを見てくるのが気持ちよくて、そんな瑣末なことを気にしている余裕はいっさいなかった。
 しかしある日、とんでもないことが起こった。
 しんの闇夜、真夜中に、竹やりや松明を持った人間と、闇夜に紛れた妖怪たちが、手に手を取りながらわたしの寝床へと襲い掛かってきたのだ。
 人と妖怪が手を取るとは一大事、わたしはあわてて幻想郷縁起に記したが、そうこうしている間に稲荷神社の祠は囲まれ、いっさいの逃げ場がなくなってしまった。
 逃げ場がないなら逃げる必要はない。わたしは幻想郷縁起を書き続けた。
 すると、様子が皆目知れないので焦り出した彼らは、いきなり神社へと危険を冒して踏み込んできたのだ。
 なにをする間もなかった。
 幻想郷縁起を放り投げ、逃げようとしたわたしの手を男が掴んだ。男を蹴り上げようとしたわたしの足を、妖怪が掴んだ。
 彼らは手に武器を持ち、嬲るような瞳でわたしを見つめていた。
 次から次へと男や妖怪は入ってきて、おまけとばかりにわたしの家に火をつけた。幻想郷縁起は誰かに奪われた。わたしは、わたしを組み伏せる人間と妖怪を見ることしかできなかった。
 この刹那、わたしの思想はさながら旋風のように脳裏を一回りした。四年前にわたしは一度山下で狼に出会った。狼は付かず離れずわたしの後を追い、わたしの柔らかな肉を食おうと思った。わたしはその時まったく生きている心地はなかった。幸い一つの薪と一つの斧をもっていたので、ようやく元気を呼び出し、炎で脅しながら狼を殴り倒して、自宅まで逃げ切った。
 これこそ永久に忘れられぬ狼の目だ。臆病でいながら鋭く、鬼火のように煌く二つの目は、遠くの方からわたしの皮肉を刺し通すようでもあった。ところがわたしは、今になって見たこともない恐ろしい眼光をさらに発見した。
 鈍くもあったが鋭くもあった。すでにわたしの話を咀嚼したのみならず、彼女の皮肉以上の代物を噛みしめて、付かず絶えずとこしえに彼女のあとをついてくる。これらの眼球は一つに繋がって、もうどこかそこらで彼女の霊魂に噛み付いているようでもあった。
「助けて……」
 わたしは口に出して言わないが、そう思った。最後の最後で、幻想郷縁起にこの恐ろしい眼を書き加えることよりも、稗田阿求その人のことを考えてしまったのである。そのことを悔やむ暇こそ残っていなかった。その時にはもう二つの目が暗くなって、耳朶の中ががあんとして、全身が木っ端微塵に飛び散ったように覚えた。
 死ぬ間際に願ったのは、誰かが、わたしの人生を記した阿求正伝を書いてくれないかということだけだ。






(了)




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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。



◆あとがき◆






 誤字を出しながらまた殺してしまった。
 死のうと思ったが、稗田阿求の絵を見た。東方求聞史紀が出るまで生きてみようと思った。







 よく考えたらこれは太宰だった。










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