1 願ふ少年
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 ――ひぐらしのなく声が聞こえた。




 やけに、大きく。
 そんなことに注意を裂いている余裕なんて少しもないのに、ひぐらしのなき声は、やけに大きく聞こえた。
 いや。
 それしか聞こえない。
 ひぐらしのなき声しか聞こえない。
 人の世界の音がすべて絶えて、森の命も徐々に死に果てて。
 ただ、ひぐらしだけが、最後の命を振り絞って、泣いている。
 そんな気がした。
「沙都子」
 名前を呼ぶ。
 きっと、この声は、届かないだろうけど。
 それでも、俺は――沙都子を見上げて、声をかけた。
 右手に力を込めて。
 吊橋にぶらさがったまま、沙都子を見上げる。
「…………」
 沙都子は何も言わない。
 ただ、無感情な目で、俺を見ていた。
 早く死ね、でも、死なないで欲しい、でもない。無感情で無感動で、まるで《どうして堕ちないんだろう?》とでも思っているかのような、無機質な瞳だった。生気に――あるいは狂気に――満ちた、レナの目とは、まるで反対の目。狂気の目ではない、正気の無い目。
 そんな表情を、あの沙都子にさせていること。
 それが、なによりも哀しかった。
 できることならば――
 沙都子には、笑って欲しかった。
 沙都子には、笑い続けて欲しかった。
 最後に、沙都子の笑い顔が見たかった。
 ……ああ、分かってる。
 今、自分がどういう状況なのかを。
 知り合いの大半は祟り殺され、その罪を疑われ、誰も知らないこんな山奥の吊橋から、遥か下の川へと堕ちかけている。助けなどくるはずもなく、助かるとも思っていない。死にたくないとは思っているが、まあ間違いなく死ぬだろうな、とどこか遠い人事のように思っている、無力な少年――それが俺、前原圭一の、全てだ。
 他にはもう、何も残っていない。
 今この瞬間以外には、なにもない。
 北条を殺して。
 殺したはずの男が生きてて。
 自分じゃない自分が祭りにいて。
 雨が降った夜が晴れていたり。
 そんな、わけのわからない理不尽な世界。
 梨花ちゃんは死んで。
 祟り殺しの被害者は増えて。
 知り合いを次々と祟り殺して。
 正気を疑われて。
 狂気を肯定されて。
 守りたかった沙都子に否定されて。
 そんな、絶望も希望もない、終わってしまった世界。
 バッド・エンド。
 そんな言葉が相応しい、そんな状況。
 ああ、でも――
 思ってしまう。
 これでいいのかもしれない、と。
 ようやく終われる、と、そう思ってしまうのだ。
 ここで終わってしまえば、楽になれるだろう。この後のことなんて考えなくていい。オヤシロ様の正体も、祟り殺しの謎も、これから起こることも、これまでに起こったことの真相も、全ては無価値になる。誰が殺されて、誰が生き残って、誰が犯人なのか。誰が正気で、誰が狂気で、鬼が誰で、オヤシロ様がなにで。そういった、わずらわしい伏線を、一切に気にすることなく逝ける。
 それはとても――穏やかなことのような気がした。
 今、この異常な世界では――唯一の救いのような気がした。
 けれども。
 けれども――
「……そんなわけにもいかねえか」
 自嘲する。
 確かに、楽だろう。
 間違いなく救いになるだろう。福音となるだろう。
 けど、そんなものに頼るわけにはいかないのだ。
 なぜなら。
「なあ――沙都子」
 沙都子が、いるから。
 たとえ俺が死んだところで――俺が終わったところで。
 沙都子は、生きるのだから。
 沙都子は、生き続けるのだから。
 沙都子の人生が終わることはないのだから。
 だから、やらなくてはいけない。
 一人だけで格好よくあっさりと逝くなんて、そんな悲劇のヒーローみたいな芸当はしちゃいけない。
 それは、口先の魔術師の役目じゃない。
 口先三寸手八丁ですべてをやりくめてきた、口先の魔術師・前原圭一は、そんなふうに、格好よく諦めちゃいけない。
 たとえ格好悪くても。
 たとえみっともなくても。
 沙都子を救いたいと思ったのなら、最後まで、騙しとおさなければならない。
 沙都子が、沙都子であれるように。
 生きるために。
 生き続けるために。
 沙都子が、幸せに生き続けるように。
 俺は、口先の魔術を遣わなくちゃ、いけない。


 ――さあ、前原圭一。


 俺は、自分自身に叱咤を飛ばす。
 萎えそうな心を奮い立てて。
 死への恐怖をかなぐり捨てて。
 幸せだったときを思いながら。
 皮肉げな笑みを浮かべる。
 

 ――一世一代、命を賭けた《部活遊び》の始まりだ。


 代償は自分の命。
 報酬は沙都子の幸せ。
 ルールは、沙都子を騙しきるという、ただその一点。
 手にもう力は入らない。制限時間は残りわずかだろう。
 なんとも――十分すぎるゲームじゃないか。
 やってやろう。
「なあ、沙都子」
 名前を再び呼ぶ。
 反応はない。
 虚ろな瞳で見下してくるだけだ。
 構わない。
 耳を塞いで、拒絶されなければ、それで十分だ。
「カレー作ったの、おぼえてるか? さんざんな結果になったけど、楽しかったよな」
 思い出す。
 あの懐かしい日々を。
 ひぐらしがなく校庭で、懸命に作ったカレーの味を。
 あんな風な《学校生活》は、都会では遅れなかった。雛見沢に来て初めての体験だった。
 それが、嫌ではなかった。
 ここに来れてよかったと、心の底から思う。
「初めてやった部活は大変だったよ。あんなに真剣にゲームしたの、俺初めてだった」
 思い出す。
 あの楽しかった日々を。
 ひぐらしのなく教室で、和気藹々と遊んだ仲間たちを。
 彼女たちは素晴らしい仲間だった。一緒に過ごせて楽しかった。俺は、部活動メンバーであったことを誇りに思う。
 だからこそ。
 ゲームは最後まで、全力を尽くさなければならない。
「お弁当対決なんてのもやったな。結局まともな勝負にはならなかったけど――」
 思い出す。
 あの幸せだった日々を。
 ひぐらしのなく世界で、親しくなれた少女たちのことを。
 過酷な環境で、身をよりそって生きていた、二人の少女のことを。
 ……一人は、死んでしまった。
 なら。
 もう一人は、なんとしても、救いたい。
 あの日々が幸せだったと、俺は思えるのだから。
「あの後、一緒にご飯食べれて、俺嬉しかったよ。仲良くなれたしな」
「――やめてくださいまし!」
 沙都子が、怒鳴った。
 明確な怒りを込めた口調で、沙都子が叫ぶ。
「なんで、貴方が――圭一さんとの、みんなとの思い出を、そんな風に――ッ!」
 沙都子は激情する。
 ……いい傾向だ。
 無感動よりは、ずっといい。
 怒りは、生きる原動力になるから。
 その感情が+だろうが−だろうが、動き出すきっかけにはなれる。
 動かなければ死んでしまう。
 歩き続けなければ運命に追いつかれてしまう。
 ひたひたと、一歩遅れてくる足音に追いつかれたくなければ――歩き続けるしかないのだから。
「そんな――そんな、そんな、優しげに言っても騙されませんことよ! 梨花を殺したくせに! 私の――」
 沙都子は。
 激情のままに。
 俺の――いや、《俺たち》の、俺と――悟史の、心を抉った。
 兄でありながらも守り切れなかった悟史と、守ろうとして兄になろうとした俺の、二人の思いを、沙都子はく血にした。
「私のにーにーでもないくせに!」
 ――。
 それは。
 心の傷を――いや、傷の奥にある、大切な部分を抉る、そんな一言だったけど。
「そうだな。俺は――前原圭一は、《にーにー》にはなれなかった」
 そんなことは――どうでもいいのだ。
 にーにーじゃないことは、百も承知だ。
 これは、俺のエゴなんだから。
 前原圭一の、最後の意地なのだから。

「けどな、兄になれなくても。……前原圭一って奴は、沙都子の幸せを願ってんだよ」

 ずる、と指が滑り、数センチ体が沈んだ。
 右手の感覚は、もうない。
 堕ちるまでもう、数秒もないだろう。
 その数秒で、最後まで言わなくちゃいけない。
 最後まで、やりとおさなければ。
 それこそが、にーにーになりたくて、なれなかった、口先の魔術師の、最後の役割だ。
 あとは、いつか現れるにーにーか、いつか戻ってくるにーにーに任せればいい。
 だから――
「大丈夫だ」
 そう、言い聞かせる。
 しっかりと色のある、正気の眼で、俺を睨んでくる沙都子に、そう言い聞かせる。
 それが本当になるように。
 それを信じられるように。
 幾度でも繰り返す。
「大丈夫だ。悟史は戻ってくる。俺じゃない、新しい《にーにー》だって、いつか現れるさ」
 呪いのように。
 死を向かえるモノからの呪いのように。
 祝いのように。
 生へと挑むモノへの祝いのように。
 大丈夫だ、と俺は繰り返す。
「大丈夫だ。あの部活での日々も、きっと戻ってくる。生きている限り、北条沙都子は、間違いなく、幸せになれる」 
「……え?」
 沙都子の激情が消える。
 戸惑う気配。
 冷静に考えれば、こんな状況で幸せになるなんて、途方もなく無理なんだろうけれど。
 無理だからこそ、幸せにしてやりたい。
 こんな眼にあったからこそ、余計に幸せになってほしい。
 いままで、奪われていたものを、すべて与えて遣りたい。
 ……それを与えるのが俺じゃないが、少し残念だけど。
「お前の言う通りさ、ここにいるのはにーにーじゃない。ひょっとしたら、ただのオヤシロ様の手先なのかもしれない。だから、そんな奴のことはさっさと忘れて、幸せになれよ!」
 言い足りない言葉は、いくらでもあるけど。
 そんな時間は、もうない。
 ただ、願うだけだ。
「……な、なにをおっしゃって――」
 沙都子が何かを言おうとする。
 けど、言わせない。
 死んでいく俺に言葉なんていらない。
 沙都子にはただ、前だけを見て欲しい。
 だから、俺は言った。


「さよなら、沙都子」


 そしてその手を離した。
 吊橋を掴む手を。
 唯一の命綱を。
 俺は、自分の意思で、離した。
 身体が軽くなる。遥か下へと落ちていく。
 解放感と浮遊感と全能感があった。
 今ならなんでもできるような気がした。
 祟りのパワーで世界を滅ぼすことも。
 逆に、死んでしまった人たちを蘇らせることも。
 あの楽しかった部活での日々へ戻ることも、出来そうな気がした。
 もちろんそれは幻覚だ。幻想だ。死を前にした、泡沫の幻だ。
 けれど――俺は、触ったら砕けてしまうような幻にすがるようにして、願う。
 オヤシロ様の手先だというのなら。
 これくらい願っても、罰はあたらないだろう。

 ――ああ、オヤシロ様。

 俺は、願う。

 ――できることなら。叶うことなら。

 ただ、それだけを。
 死を前にして、自分のことではなく。
 大好きな少女のことを、願う。

 ――沙都子が幸せでありますように。

 それだけが。

 ――それだけが、俺の願いです。


「――にーにー!」


 それは、夢か幻か。
 川に叩き付けられる一ミリ上で。
 死を一瞬前にしたその瞬間。
 そんな、聞きたかった声が、聞こえた。
 俺は声のした方を見る。
 遥か彼方。
 もう手が届かない、戻ることの出来ない高みに。
 吊橋の上にいる沙都子の顔が見えた。


 ――ああ。
 なんだ。
 笑ってくれてるじゃないか。
 幸せそうに、大泣きしながらでも、笑ってくれている、じゃないか――


 音。衝撃。そして俺の意識は砕、




 ――最後に。ひぐらしのなく声が、聞こえたような気がした――




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↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


◆あとがき◆


ひぐらしの真っ当な二次創作は久し振りかもしれません。
【○ふ××】連作第四弾、願ふ少年前原圭一でした。
……圭一より悟史の方が出番先ってどうなんでしょう。

ひぐらし、やりなおしたいです。
というか、続きをやりたいです。
早くも夏込み……しかし完結までは遠い、と。
本当に早くやりたいですね。
目明しとノーマルもやりなおそうかと思案中。


作品について。
これまた祟殺しルート、最後の方です。
やりなおそうと思っても手元にCDはなし、最後ってどんなんだっけー
と考えたときに出たネタ。
……ひぐらしの場合先にタイトル重い付いて中身考えるというか。
「願う少年でいこう」
「何を願う?」
「みんなの幸せだろ」
「ならみんな死ぬ祟り殺しだね」
というながれ。
良く考えたら、一人の幸せしか願ってないけど。


次はおそらくほのぼの系です。
多分、レナか梨花。


ちなみに推理しない派です。




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