狂ふ少年




 ひぐらしのなき声で目が覚めた。




 右手の中に固い感触があった。何かを持ったまま寝てしまったらしい。何だろう――寝ぼけた頭でぼんやりと考える。
 背中に感じるのは畳特有のごわごわとした感触で、布団も枕も無かった。仰向けで寝ていてよかったと悟史は思う。もしうつ伏せや横向きに寝ていたら顔に畳痕が残っただろうから。
 いつ寝たのか思い出せず、今が何時かも想像つかなかった。
 ゆっくりと目を開ける。
 赤い光が目に飛び込んできて、視界が真っ赤に染まった。
 悟史はバッと目を閉じて、もう一度目を開いて顔の横にある時計を見た。
 五時を半分ほど過ぎた頃だった。
 窓から入ってくる西日が眩しい。
 右手は未だ何かを握っていたが、不思議と何を握っているのか確かめようともしなかった。
 ――何で、寝てたんだっけ。
 いくら考えてもそれが思い出せなかった。まだ夕暮れ時だ。寝るには速い。
 昼寝でもしようものなら、母に叩き起こされるのがオチだ。
 寝る前の記憶が、切り取ったようにぽっかりと無くなっていた。
 まだ寝ぼけているのかも知れない。そう思いながら悟史は右手に持ったモノを見る。
 バットだった。
 血で汚れたバットを持っていた。
「――!!」
 一発で目が覚めた。
 跳ね起きてバットを凝視する。バットは中ほどから先端にかけて血まみれになっており、所々に毛や肉のかけらが付着していた。何を殴ったのかなど考えたくも無かった。
 考えたくないのに、思い出してしまった。
 今すぐバットを投げ捨てたかったが、まるで呪われた武器のようにバットは右手から離れない。右手はがっちりとバットを掴んで話そうとしない。
 悟史は思い出す。このバットは人を殺した凶器で、自分こそが殺人者だということを。
 手にしたバットで自らの母を殴り殺したことを、悟史は思い出した。
(落ち着け……落ち着け!)
 悟史は昂ぶる心を抑えながら思い返す。
 母を撲殺したことを。頭蓋をぶち割って脳を取り出し完全にすりつぶしたことを。両手両足を潰し壊し落とし摺り切り塵芥になるまで殴ったことを。
 自分と沙都子にとっての『敵』たる母を塵殺したことを。
「……ハハッ」
 落ち着くまでも無かった。
 口から自嘲気味の笑いが漏れる。堪えても堪えきれずに笑いが漏れる。
 自分はこれ以上ないくらいに落ち着いている。悟史は自覚している。
 妹のために――自分のために――母を殺したことを、自覚している。
 隣の部屋にはスプラッタ映画の如き惨状が広がっているはずだ。もはや原型を留めていないだろう。
 死体の顔がわからなくなるぐらいに、殴ったから。
 さすがにそれをもう一度見る気は無かった。
「これも……いらないな、もう」
 悟史は手に持ったバットを放り出す。赤いバットはがつん、と音を立てて机の上に落ち、そのまま転がって床の上で止まった。
 部屋は相変わらず汚かった。食べかけのカップヌードル、乱雑に脱ぎ捨てた洋服、埃、塵、芥。着替えの山。食品の山。床が見えないくらいにモノが散乱している。
 ――それも、今日で終わりだ。
 悟史は再び笑みを浮べる。見るもののいないその笑みは、人生に疲れきって諦めてた、その種の人間しか持ち得ない笑みだった。
 人を殺したにも関わらず自分が落ち着いていることに悟史は気づいていた。
 そして、その理由にも。
「……これで、沙都子ももう苛められないよ……」
 ――煙草を吸いたいときって、こういうときなのかもしれない。
 悟史は立ち尽くしながら、そんなことをぼんやりと思う。
 もう全て終わったのだ。
 これで目的は達せられたのだ。
 その思いはあったが、奇妙なくらいに無感動だった。
 バットで撲殺したのは覚えている。
 けれど――何故殺したのか、何時殺したのか。そんなことは、少しも思い出せなかった。
 ――もういい。全て終わったんだ。
 悟史は無理矢理考えを中断して他の事を考える。
 今ままでのように。
 これからもそうするように。
 沙都子のことを、考える。
 ――約束を果たさないと。
 悟史は約束を――尤も、それも自分で勝手に作ったようなものだが――を思い出す。
 人形を買ってあげると誓ったのだ。
 誕生日プレゼントに、せめてもの救いに巨大なぬいぐるみを買ってあげようと思ったのだ。
 そのために、身体を壊すほど働き続けたのだから。
 ポケットの中の通帳には、必要なだけの貯金が記載されている。
 金は足りている。
 予約もしてある。
 あとは買うだけだ。
 悟史の心の中にはそれしかない。人を――母を殺したことは、もう頭に残っていなかった。
 それがおかしなことだとは、悟史は思わなかった。
 もう、沙都子のことしか、悟史は考えていなかった。
 ――行かないと。
 悟史は右足を踏み出す。
 足跡がついてくる。
 悟史は左足を踏み出す。
 足跡がついてくる。
 悟史は立ち止まる。
 足跡が一つ、よけいについてくる。
「…………」
 悟史は無言で後ろを振り返る。
 勿論、誰もいない。
 今までだって誰もいなかった。
 これからだってそうだろう。
 けれど足音だけは、一つ多い。
 誰かが、何かがついてくる。
 今までは――少なくとも今日の昼間では――そのことは、悟史にとって悩みの種だった。
 恐ろしいとすら感じていた。
 しかし今、悟史の感情は完全に凍りついていた。その怪奇現象を目の当たりにしても心が揺れることは無い。
 軽く微笑んで、
「ついてきても構わないよ」
 足跡の主が笑ったような気がした。悟史にはそう感じられた。
 悟史は踵を返し、扉を潜って家の外に出る。
 夏も近づくこの時間はまだまだ暑く、夕暮れの赤は綺麗なくらいに深かった。
 村の情景は穏やかで、人が一人死んでいるとは思えなかった。
 世界は変わっていなかった。
 変わってしまったのは、自分の方だ。
 そう考えた悟史の脳裏に浮かんだのは、沙都子ではない少女の顔。
 園崎魅音。
 いや――と悟史は否定する。
 園崎魅音の顔をした誰か。
 最近彼女は変わった。正確に言えば、時折変わったように見える瞬間がある。
 外見はまったく変わらないのに、中身だけ別人になったかのように。
 それは悪い意味ではなかった。むしろ、変わったと感じる魅音の方が好ましかった。
 それこそが、魅音の本性なのかもしれないな――と悟史は思う。
 なら、もっと早くから仲良くしとけばよかった、とも。
 今からでは遅すぎた。
 自分はもう、決定的なまでに狂ってしまっている。
 悟史はそう自嘲し笑う。
 脳裏から少女の存在を消し、尤も大切な妹のことを思う。
 ――沙都子が、幸せになれますように。
 そう願いながら、悟史は夕暮れの深まる村へと歩いていく。



 どこかで、ひぐらしがないていた。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あとがき。
ひぐらし小説第二段。SSの主人公を張るのは悟史でした。


↑作品を面白いと感じた方、押していただければ幸いデス↑
 次回のやる気につながりますので……感想、ひと言遠慮なくどうぞ。


悟史よりKの方がすきなのは内緒デス。
いやま、悟史も嫌いじゃないんですけどね。
目明し編の、悟史側の真実を知り得ないことにはまだ決めれないというか……
不定なんですよね。
方程式の解じゃありませんけど。
Kはもう充分解りました。解らない部分もあるけど、今は足りてます。
一番足りないのは……梨花ちゃんで。
あるいは大石。ダンディ。


作品について。
政史君がニヒルに笑います。以上。

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